第一章 転校生 3
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午後の授業はうわの空だった。
頭の中は加藤先生がいったことで占められていた。
斜め後方から城島光の後ろ姿をチラチラ見ながら、高橋公司は担任の言葉を反芻した。
―いいか、くれぐれも頼むぞ。君はクラスを取りまとめるだけではなく、全校生徒のことも考えて行動しなければならない。学園の方針は色々な問題を抱えて行き場のない生徒を受け入れてサポートすること。
従って、本校には色んな事情を抱えた生徒がいて、教職員始め生徒会みんなでサポートしている。城島光もその一人だと思ってもらいたい。彼は生物学的には男性だ。でも心理的には女性だ。
だから男子用の制服を着せられることは本人には苦痛だし、男子のように振舞わなければならないのも苦痛だ。
そこで公立中学・高校でも近々、男子でも女子でも、自分のジェンダーに会った制服で登校して良いことになる。男子でも心理的に女子なら女子用の制服で登校しても良いわけだ。勿論、そのように振舞うことも。
実をいうと、当学園では時代を先取りして、高等部を含めて、とっくの昔にそういう風にしてある。色々な問題を抱えている生徒を受け入れてサポートするというのは、そういうことも含めてだ。
だけど、広報していない為に、そういう生徒が入学してこなかった。来たとしても本人の告知がなければ、そういうケースがあったのかなかったのかわからない。
今回は告知があって受け入れた。でも生徒たちにはなるべく秘密にした方が良い。知っているのは君だけだ。
もし生徒たちに知られたら、彼はみんなの好奇の目を集め、からかわれて、たちましイジメの対象となってしまう。わかるだろう。本校の生徒に限らず、悲しいかな人間社会は、マイノリティー、つまり少数派だ、少数派を排撃しようとする傾向にある。性的マイノリティーもそうだ。
それはもう間違いなくそうなるだろうと公司も思う。それでなくてもみんな自分がイジメの対象にならないように、戦々恐々としている。そうならない為に生贄を望んでいるのだ。
それにしては、城島光はどうして男子の恰好で入ってきたのだろう? 言葉も男子っぽかった。どこから見ても女子なんだから、正門から堂々と入ってくれば良いのに。
普通、女生徒のサポート役は女生徒がするものだ。寮生なら同部屋になって、一緒に風呂に入ったり―そうか、それはまずいことになるな。かといって男子の自分が女子と思われている彼に密着してサポートするのは、ブスならともかく、あの様子なら羨望の眼差しで見られ、ヤンキーがきっとちょっかいを出してくるだろう。
事情を知ってしまった為に厄介な役目を押し付けられて、いや、担任はそれ以前から決めていたといった、学級委員長の自分に。公司は担任の期待に応えたいと思う一方で、やはり不安でならなかった。
午後の授業を終えて終礼があり、そこで担任から転校生のサポートを高橋公司君にお願いすると発表された。
「高橋君はこれからひと月、城島光さんが本校に馴染むまで色々教えてあげて欲しい。誰でも環境が変わるとわからないことが多々あって、心細いものだ」
公司は立ち上がって頭を下げた。
そして着席した。
「先生、どうして女子のサポートを男子がするんですかあ?」
意外にもクレームをつけたのは副委員長の高木さやかだった。肩に届くほどのロングオカッパが似合う、校内きってのクールな美形女子だ。
「本当いうと女子の方がいいんだろうけどな。このクラスまで案内する間にうちとけたみたいで、話しやすいと彼女がいうから行きがかり上。なに、女子ならではのことは君たち女子がサポートしてあげて欲しい」
苦しい言い訳である。
当の城島光は窓の外を見て、他人事のように聞いていた。
「どうだったかね?」
「いや、驚きました。本当にあの子が男子なのですか、教頭先生」
「ああ、親御さんが連れてきた時には私も驚いたがね」
「問題児というから相当なワルだと思ってたら、あんなちっちゃくて可愛い子が、カンフル剤になるのですか?」
「いや、体が小さく華奢だけど、あれでなかなかのしたたか者らしい、前の中学では男子だった」
「えっ?」
「それが本校に転校するにあたって、どういうわけか女子になっていた。本来のジェンダーに戻ったのかどうか。まことに信じ難い話だけど、校長先生がそれを承知で受け入れたのだから、はい、そうですかというほかあるまい」
「前の学校では彼はどんな生徒だったんですか?」
「体が小さいのに態度がデカイものだから―テキヤの親分の息子だから、周囲にちやほやされて尊大に育ったのだろうけど―小学生時分から随分イジメられていたらしい。
ところがどういうわけか、彼をイジメればイジメるほど、イジメる側の者がおとなしくなって、ついには箸にも棒にもかからなかった不良グループが、きれいに浄化されて、というかおとなしくなったというんだ。
きっとテキヤが裏で手を回したんだろうけど。あなたがいうように、校長先生もそれを頼みにしているのかも知れないね」
「毒饅頭を食わせて、中・高等部にのさばっている不良グループ、ひいてはОBの族を頂点とした、ワルのヒエラルキーを一掃しようという魂胆ですか」
「高邁な教育者の片桐校長先生にそんな魂胆があると思いたくはないがね。学園経営者の義母を推戴しているから、背に腹はかえられない、理想ばかり追ってはいられないというところだと思う」
…毒饅頭か。
黒石教頭はつぶやいて、うまいこというねえといった。