第一章 転校生 2
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七月一日。
学級委員長の高橋公司は、朝の七時半から三年五組担任の宮崎先生と共に、校門前で登校生徒を迎える任についていた。
本来なら今日の当番は五組の委員長の番だけど、欠席しているので代わりを務めているのである。登校してくる生徒と”おはよう”の挨拶を交わして迎える。
八時十五分のチャイムが鳴り始めると、鳴りやまないうちに生徒は駆け込み、校門は閉じられる。
そのあとを赤毛のヤンキー連中が悠然と登校してくる。
いつものことだけど、ホームルームがあるので高橋公司は早々に教室に戻る。連中につかまったら面倒なことになる。鉄扉が閉まっていることにイチャモンをつけてくるに決まっている。門の横にある小さな扉を蹴飛ばしたり叩いたりして入ってくる。先生もスライス門扉を閉めたらすぐに引き揚げた。
教室に戻る途中に、小用をもよおしたのでグランド横のトイレに立ち寄ると、見慣れない普段着の男子が入っていくのを見かけた。並んでするのもなんだし、植え込みの所で待つことにした。
ところが、随分待たされて出てきたのを見て公司は仰天した。
なんと、白い半袖ブラウスにえんじ色のリボンをした、チェックのプリーツスカート姿の女生徒だったのだ。変わってないのは黒い革靴と、黒いリュックカバンだけ。
公司はその者と入れ違いにトイレに入って、男子トイレの中を調べたけど、誰もいなかった。
小用を済ませてトイレから出ると、先程の男子が、いや女子が立っていた。
「ちょっとあんた」と声をかけてきた。
「何か?」
「二年一組の教室はどこっちゃろか?」
「二年一組なら僕のクラスだけど?」
「そうか、それは良かった。探す手間が省けた。案内してくれんね」
「って君、誰?」チビのくせにやけに態度がデカい奴だなあと思いながら、公司は不審な目つきで、「どこから入ってきたの? 校門で見かけなかったけど」と訊く。
「チャイムが鳴って遅刻しそうだったから、そこの塀を乗り越えた」
「ダメだよ、そんな所から入っちゃあ」
二人が二年一組の教室に入ると、すでにホームルームは始まっていた。グリーンボードには城島光と、ふりがな付きで書かれてあった。
担任は口をぽかん開けてこっちを見た。
おおっ! というどよめきがして、超カワイ~イ…、光というから男子かと思った、女子だったんだ…、転校初日から遅刻してくるとはいい度胸してるじゃん、公司がなんで一緒にくんだよう、というざわめき。
「静かに!」と担任の加藤先生が注意して、「君が案内してくれたのか? それならそこにいて、ついでに席も案内してくれないか」という。
そして加藤先生は転校生の城島光の紹介を始めた。
公司も困惑しているけど、どういうわけか、加藤先生はもっと困惑し、動揺していて、転校生のことを君といったり、さんといったり、彼は、といってあわてたりした。
みんなの頭はクエスチョンマークのようになっていた。
「というわけで、城島光さんは今日からこのクラスでみなさんと共に勉強することになりました。慣れるまでは大変だと思うので、みなさんいろいろ教えてあげてください」
転校生の方を向いて、君もわからないことがあったらみんなに訊くんだよという。
城島光は軽く頭を下げただけだった。
みんなは、その可憐な姿の可愛い唇からどんな声が出るのだろうかと待ち構えていたのに、肩透かしを食った形だった。公司だけがなんだかホッとした。
「城島さんの席は空席になっている窓際の席です。高橋君、案内してあげて」といったものだから、みんなは「え~っ!」という声を上げた。
その席には先月まで花が添えられていた。自宅マンション踊り場から投身自殺した水森美玖の席だった。
公司はみなの視線を受けながら城島光をそこに案内した。窓際の列の前から三番目の席だった。
「ここ」
「ありがと」ボソといって城島光はリュックカバンを下ろし、腰掛の横に置いて着席した。
その声が思いのほか低かったので、みんなは声の主を探したほどだった。
「後ろにロッカーがあるからカバンはあとでそこに置くように。君の番号は3番だからね」
「はい」とまた城島光は低い声で返事をした。
ホームルームが終わり、休み時間になると、みんな転校生のまわりに集まって、ガヤガヤ質問攻めにした。城島光はうざったそうにしていたけど、訊かれたことには答えた。
十分間の休み時間はあっという間に過ぎて、一時限目の数学の授業が始まった。授業中も私語が絶え間なく、たびたび先生の注意を受けた。
四時限目まではそんな調子で、十二時二十分から給食時間になり、一時十五分までの昼休みとなった。
高橋公司は昼休みに加藤先生に呼ばれて職員室に行き、これからも城島光さんのサポートを君にお願いしたいといわれた。女子のサポートは女子がするはずなのに。
「これは前もって決めていたことなんだ。たまたま君たちがどこかで出会っていたようだけど、どこで出会ったんだい?」
「グランドのトイレで」
「何、トイレで?」
「二年一組の教室はどこかと訊かれて」
「だ、男子トイレで、かい?」
「トイレ前の植え込みの所で」
「おお、そうか、それは良かった。それも何かの縁だな」
「でも男子トイレに入っていった。男子のような服装だったし」
「何、私服で? 男子トイレに―」
「出てきた時は女生徒になっていた」
担任は言葉を失い、急に立って、近くにあった折りたたみ椅子を持ってきて、自分の隣に広げて置いた。公司に座るよに目でいった。
加藤先生は先々月まで副担任だったけど、担任が、ノイローゼで長期入院することになったので、急遽、担任に昇格したもので、まだ若い体育の先生だ。
年齢はわからないけど、三十代前半だと思う。そう背は高くないけど、がっしりした体格をしていて、短髪で(短気でもあった)、アゴが張った厳つい顔をしている。声にも張りがあり、小気味良い喋り方をする。
ヤンキー連中でも反抗できない。一度、ОBの族がバイクを連ねてグランドに侵入し、加藤先生のまわりをぐるぐる回ったことがあったけど、動じなかった。
その先生が周囲を見回して、パイプ椅子に腰を下ろした公司に声をひそめていった。
「そのことを誰かに話したか?」
「いいえ、誰にも」
「君のほかに見た者は?」
「いないと思います」
「君は校門で立ち番をしていた。私服なら目立つはずだが?」
「遅刻しそうだったから塀を乗り越えて入ったといってました、トイレの横の」
「そうか。それは良かった。そこで君に頼みがある」といって担任はさらに顔を近づけてきた。
「そのことは見なかったことにして、誰にもいわずに、城島光には女生徒として接して欲しい」といった。