殺し屋の闘い
あの女、路地裏に気絶したまま置いて行ってしまったが、大丈夫だろうか。この国がいくら治安がいいとはいえ……。
いや、余計なことは考えない方がいいな。別に俺があの女の身を案じる必要はない。この業界にいる以上、それなりの覚悟はしているはずだ。それよりも今は凛花が心配だ。
あの手の殺し屋はソロであることが多い。だが、それは絶対ではない。もしも複数人のグループであれば、今頃すでに屋敷にいるかもしれない。
俺は全速力で屋敷へと向かった。ただ一心に、彼女の無事を祈っていた。
屋敷につくと、俺は庭の木に隠れながら、塀を超えて忍び込む。俺以外に庭には人の呼吸音や足音などはない。俺は庭の砂利の音を立てないよう、岩と木を足場にして移動する。
凛花の部屋は確か2階の角の洋室。ベッドもあったし、そこで寝ているはずだ。壁の凹凸を伝っていけば、容易に辿り着ける。
部屋はカーテンはしてあったが、隙間からは彼女の寝顔を見ることが出来た。呼吸も問題ない。そして当然、部屋に彼女以外の人はいなさそうだ。
ようやく俺は気を緩めることが出来た。自分でも、彼女が今生きていることにこれほど安心するとは思っていなかった。
「さて、あの女はどうしているかな。」
俺は女が倒れていた場所へと戻っていった。すると、彼女はすでに自力で目を覚ましていて、建物にもたれかかってだらりと全身の力を抜いていた。
「あら、あなた、戻ってきたのね。一体どういうつもり?」
「は?」
「それほどの実力を持っていながら、どうして私は今生きているの?殺し屋の癖になぜ動けない相手を殺さないの?」
「…はぁ、何かと思えばそんなことか。くだらないことを聞くんじゃねぇよ、馬鹿馬鹿しい。」
「なっ!?」
まったく、真面目なんだか、プライドが高いんだか。自分が生きているんだから、そのことを素直に喜べばいいものを。
「最初に説明したはずだ。俺は仕事以外で人殺しはしないと。俺は確かに殺し屋だが、命の価値を履き違えるつもりはない。」
俺がそう言うと、女はポカンと口を開け、こちらを見る。
「おい、どうした?なんとか言え。」
「え、ちょっと待って。それじゃあ…あれ?もしかして、本当に私を殺すつもりはないの?」
「さっきからそう言っているだろう。」
「じゃあ、身ぐるみはいだりとか……。」
「あんた、俺を盗賊か何かだと勘違いしてないか?」
かなり混乱しているようだ。一体どうすればこんなにも簡単に頭が回らなくなるんだか。
「さて、あんたを殺そうなんて気はないが、放っておくわけにもいかない。また凛花を殺しに行かれれば面倒だからな。」
「……なら、殺せばいいでしょう。」
「いい加減しつこいぞ。殺しはしない。ひとまずはお前を俺の住んでる部屋に連れ帰って拘束する。文句はないな。」
半ば強制的に詰め寄ると、女は案外素直に首を縦に振った。
「文句なんてあるはずがないわ。でも、私はあなたが寝ている間に喉元を掻っ切るかもしれないわよ?」
「その時はその時だ。ほら、立てるか?」
俺は手を差し伸べるが、女はピクリとも動かない。
「おい、どうした?」
「えっと…情けない話なのだけど、腰が抜けちゃって……。体に力が入らないの。」
「は?」
「しょうがないでしょう?あなたが私の最後の攻撃を躱して反撃したとき、私はもう死んだものと思っていたんだもの。」
喋るごとに声が小さく、籠るようになっていく。始めに殺りあった時とはまるで別人だ。
「えっと……、一応確認するが、お前、殺し屋だよな?」
「そうは見えないって!?分かってるわよ、そんなこと!あなたに言われなくたって、自分が一番分かってる!」
息を荒げて涙目になる。どうやら逆鱗に触れてしまったらしい。
「ああ、もういい。分かった分かった。俺が悪かった。ひとまず移動しようか。少し不格好になるが、悪く思うなよ。」
俺は女の両手首を縄で縛り、身体を肩にかけて走り出す。
「……あなた、いくら何でももう少しマシな運び方はなかったの?」
「贅沢を言うな。こっちはこっちで疲れてんだ。」
実際、屋根や塀の上のようなバランスの悪い場所を人ひとり抱えて走るのは少し疲れやすい。おまけに周囲に他の殺し屋がいないか、意識の手を最大限に伸ばした状態をずっと続けている。肉体的というよりかは精神的な疲れがたまっている状態だ。
数分後、俺達は泊っているアパートに到着し、部屋に入った。移動中に反撃されないか、警戒は解いていなかったが、その様子はない。
「あなた、こんなところに住んでいるの?」
「一時的に宿にしているだけだ。そのうちまたどこかに行くさ。」
俺が女をおろしたその時だ。女は俺に蹴りで反撃をしてきた。縛られた状態のまま、体を捻り、両足での飛び蹴り。予期していなければ避けられないだろう。だが…。
「予想通りだ。」
俺は女の蹴りを片手で受け止める。やはり、そうだったか。靴の裏には仕込みナイフがあった。あの姿勢から、手ではなく脚でそれもギリギリまで上に蹴り上げた技。手ではなく脚で、さらにナイフを仕込むことで相手の虚をつくリーチを生み出しているわけか。
それにしても、両手両足を縛られたこの状態でよくもここまで鋭い蹴りを入れられたものだ。
「ふぅ、やっぱり駄目ね。完璧に意表をついても私にあなたは殺せない。」
女はそう言って、部屋の隅に横たわった。
さっきまでは気にしていなかったが、顔立ちや肌の色から見ると、こいつ日本人だったのか。通りで言葉遣いが流暢なわけだ。長い黒髪を後ろでゴムでくくり、いかにも仕事人という雰囲気がある。
服は大した飾りもなく、ゆったりとした長袖長ズボンで、ただ単に動きやすい服を適当に選んだような組み合わせだ。
「反撃してごめんなさい、あなたにはもう逆らわないわ。」
「別に謝る必要はない。相手が油断したところを突く。暗殺者にとっては基本中の基本。立場が逆なら、俺でもそうしただろうしな。」
ひとまず、足首のロープは切ることにした。足技は油断さえしなければ大丈夫だ。ただ、手首を縛っているとはいえ、かなりこの女の自由度は高い。まだ俺の首を諦めたわけではないのだろう。この状況はまだ安全というわけではない。
正直、殺してしまった方が楽だ。だが、俺は今ちょうど人手を探していた。これだけの実力があれば、手駒としては充分だ。
「あなた、本当に私と同業なの?」
「元同業だ。とは言っても、つい先日まで現役だったがな。」
俺は被っていたフードを脱ぎ、緑茶を入れる。
「さて、大したもてなしは出来ないが、とりあえずはくつろいでもらっていい。」
「……本気で言っているの?」
「何がだ?」
「こんなの、自分を殺そうとした相手にする対応じゃない。このお茶に薬か何かが入っていなかったらの話だけれど。」
「あー、そういう事か。」
俺は良くてもこの女自身が俺を信じられないようでは頼み事なんてできないな。
「頼みがあるんだ。」
「頼み?」
俺は両手を床につけ、頭を下げる。
「あの娘を守るのを手伝ってほしい。」
土下座をした俺に、流石の女も少し動揺した。
「ちょっと……、何を考えてるの!?敵だった私に頭を下げるなんて。」
この女のいう事はもっともだ。これほどの隙を見せればいつ殺されてもおかしくない。だが、それでも凛花を守るためにはどうしても協力者がいる。
「凛花を守るには人手が足りない。いくら俺が一人で守ろうとしたところで、いつ来るかも何人来るかも分からない相手に対して一人の女の子を守るには限界がある。あんたが協力してくれれば守れるんだ。頼む。」
「……。」
女は立ち上がり、頭を下げる俺の側に座りなおす。
「もういいわ。協力してあげる。」
「いいのか?」
「本来なら殺されていた身だもの。ただし、条件は付けるわ。あなたに協力する間、身動きが取れなくなるんだから、そこは譲歩してもらうわよ?」
俺はひとまず彼女を縛っていた縄をほどくと、彼女に頼みたいことの説明を始めた。