襲撃
殺し屋が殺しをするのを止める。それは、今まで積み上げてきた全てを台無しにするという事だ。
「キツイな。」
いつまでも殺しをしていられるはずがない。いつかは殺し屋を引退するときは来る。頭では分かってた。だがそれは依頼に失敗するか、誰かに殺された時だと思っていた。
殺される覚悟はすでにできている。だが、自ら積み上げてきたものを崩すことは考えたことがなかった。これは精神的にも応えるものだ。
それに、そもそも暗殺者から狙われた標的を守る、という事自体、相当難易度の高いものだ。いつ、どこから襲われるか分からない状態が長期間続く。確率的に言えば夜の方が多いのだろうが、それも確実性はない。たった一度でも読み違えれば、そこで凛花の命は失われる。せめてもう一人、誰か人手が欲しいところだな。
俺は、窓から屋敷の方を見る。ここは少し高所にあるため、屋敷は辛うじて見える。とはいっても、周りの住宅の屋根でほとんど見えないのだが。
だが、異変に気付くには十分だった。ほんの一瞬。だが確かに誰かが屋根の上を走り、屋敷に向かっているのが見えた。
屋根の上は当たり前ではあるが、人目が少ない。おまけにそんなところに監視カメラをつけている家や店もほとんどない。そのため、暗殺をする際には俺も何度か屋根の上を走ったことがある。
あれは屋根を走り慣れている動きだ。直感で分かる。今のは俺と同業の者だ。
俺が依頼を辞退してからまだ一日も経過していない。いくら何でも早すぎる。まさか、俺以外の殺し屋にも同時に依頼を出していたのか!?
「クッソ……!!」
俺は大急ぎで必要なものをまとめ、窓から飛び出し、電柱や塀、屋根の上を飛び移り、屋敷まで直線の最短距離を通って向かう。
間に合うか?あの動きからして、銃での殺しではないだろう。おそらくはナイフなどを使った暗殺。あの暗殺者が屋敷につくまでには少なくともあと30秒はかかる。対して、俺は1分強。どうすれば…。
ふと、トラックが横切る。走るよりは速い。俺は塀から荷台に飛び移り、屋敷の方まで向かう。
これで10秒は削れたはずだ。だがまだ足りない。20秒ではたとえ間に合ったとしても、凛花に気付かれずに暗殺を阻止する余裕がない。
俺は路地裏に入り、真っ直ぐに屋敷へ駆ける。
その時だ。どこからか、喉元を貫くような殺気を感じた。俺は急停止し、寸前のところで飛んできた刃物を躱した。
「よく避けたわね。あんなスピードで移動していたなら、命中すると思たのだけれど。」
刃物が飛んできた方から、高い声の人が近づいてくる。すでに向こうから気づかれていたか。だが、好都合だ。
「女か?」
「ええ、悪いかしら?」
「いや、珍しいと思っただけだ。」
俺を殺そうとしたのは、黒ずくめの服を着た若い女だった。顔つきからして、俺よりは年上だろう。20代手前といったところか。
暗くて顔はよく見えないが、よく通る声だ。
「私に何の用かしら。仕事の邪魔をするというのなら、容赦なく殺すわよ?」
「ならどうして姿を見せた。避けられたとはいえ、姿を隠したままの方が殺しやすかったはずだ。
「話し合いで解決できれば一番いいと思ったからよ。あなたも相当な実力者のようだからね。」
なるほど。少なくとも快楽殺人鬼というわけではなさそうだ。これならば話は通じる。
「何の目的で彼女を殺す?引き下がるわけにはいかないのか?」
「逆に聞くけれど、どうして殺し屋が人を殺すことに意味を求めるの?」
参ったな。こいつは典型的な仕事人タイプの殺し屋か。仕事に理由を求めず、淡々と作業をこなすように人を殺す。そして、このタイプの殺し屋はソロのことが多い。複数人の殺し屋だったら少し面倒だったが、これなら案外何とかなりそうだ。
「もういい。それなら、交渉は決裂だ。構えろ。彼女は殺させない。」
「そう。残念ね。」
名も知らぬその殺し屋の女は、両手でナイフを逆手に持って構える。
一目見て、様になっているのが分かる。通常、殺し屋は暗殺対象と対面することはない。隙をついての一撃必殺を理想とするため、今のような状況に慣れているものは少ない。
殺し屋としては異質。元々は殺し屋ではなかったんだろう。
「相手が悪かったな。」
この暗闇に目はだいぶ慣れてきた。聴覚と嗅覚、触覚で足りない情報はカバーできる。
彼女が踏み込む音が聞こえる。瞬間、一気に加速し、俺にナイフを切りつけてきた。だが、そんな直線的な動きには簡単に反応できる。俺は最小限の動きで、その攻撃をかわす。
彼女はそれを見るとすぐに、もう一方のナイフで切り付け、足蹴りを食らわせようとする。
しかし、俺に当てるにはまだまだ技量も工夫も足りない。並の殺し屋なら彼女と相対しただけで、自身の死が確定するかもしれないが、俺には通じない。
俺は気配や、気の起こりを読むような超人的な感覚は持ち合わせていない。ただ純粋に、筋肉の動きや予備動作、目線を目で見て、呼吸音を耳で聞いて、タイミングや次相手がどんな事を仕掛けてくるのかを予測する。そこに、今までの経験を重ねて、より鮮明に彼女がどれだけナイフを振り回そうが、意表をつこうとしようが、俺にはかすりもしない。
時間にして、2~3分が経過した。女の暗殺者は息を切らし、眉間にしわを寄せる。明らかにイラついている。これだけ時間がたって未だに攻撃が当たらなければ当然か。
女は不意に、肩で息をしながらピタリと動きを止める。
「はぁ、はぁ、…少し聞いてもいいかしら。」
彼女の突然の問いかけに少し疑問を持ったが、聞くだけ聞いてみることにした。
「なんだ。」
「あなた、なぜ反撃をしないの?それだけ私の猛攻を躱せ続けられるのなら、いくらでも反撃の隙はあったでしょう?
それとも何?まさかこのまま躱し続ければ私が諦めるとでも思っているのかしら?」
「別に、俺は仕事以外で人を傷つけることを極力避けたいだけだ。もちろん、お前が無理やり押し通るというのなら、それなりの覚悟はしてもらうが。」
戦闘の意思がない事を伝えつつ、引くことを促す。これだけ力の差を見せつければ、説得できるはずだ。そう考えていたのだが…。
「あなたほどの実力者がそんな甘い事を考えてるなんて、信用できるはずがないでしょう。確かにあなたは私よりも格上。けれど、せめて一矢報いてやるわ。覚悟しなさい!!」
「は?」
ちょっと待て、なぜそうなる。いや、確かに今さっき会ったばかりの俺の言葉など信用できないのは分かるが、俺が格上であることを分かっていながらなぜ向かってくるんだ?
まあいい。この女、何か焦っているようにも見える。余裕のない相手は動きが読みやすい。
女は明らかに今までよりも構えを低くし、集中力を高めていく。
俺は今の今まで、目の前の相手に一切構えをしなかった。だが、この瞬間、俺は無意識のうちに構えを取っていた。
突如、女はとんでもないスピードで姿勢を低くしたまま、ナイフで切りかかってきた。この時のスピードだけなら、間違いなく俺を超えている。
俺は何とか寸前のところで、低い姿勢の女に対し、上に飛び上がりそのナイフを躱す。だがその直後、俺は直感的に自分の上体を大きく後ろへとのけ反った。すると、どういうわけか、俺の着ていた服の腹の辺りが上下二つに割かれた。
確実に避けたはずだ。なのに、俺がほんの一瞬のけ反るのが遅ければ、腹を裂かれていた。
久々に冷や汗をかいた。こんな経験は何年ぶりだろう。どんな種があるのかは知らないが、大した技術だ。
「だが、終わりだな。」
大技であっただけに、その技を打った後の女は隙だらけだ。体勢が崩れ、バランスが取れていない。
俺は壁をけって女の後ろに回り込み、裸締めを極める。
「グッ…!?」
「とりあえず、お前には気絶しておいてもらう。」
数秒後、その女は意識を失い、そのまま俺は凛花の安否を確かめるため、屋敷へと向かった。