決意
俺は後日、チャーリーととある喫茶店で待ち合わせていた。
喫茶店につくと、店内の角の喫煙席でチャーリーはすでに食事をしている。相変わらず派手な色の服装をしていて、俺の方はせっかく地味な目立たない格好をしてきたというのに、台無しだ。
「よう、来たか。」
「待たせたか?」
「いいや、見ての通り、飯を食ってるとこだ。暇はしてねぇよ。」
相変わらずマイペースというか、非常識というか、こちらの感覚を狂わせるのが上手い。
「それで、話ってのは何だ?まあ大方、今回の依頼の事だろうがな。」
「…よく分かったな。」
「依頼を引き受けてからそんなに時間たってないだろ。誰だって予想がつく。」
チャーリーは氷の入った水を一気に飲み干し、口を潤す。
チャーリーにこんなことを頼むのは初めてだ。暗殺をする時よりも緊張する。
俺は生唾を飲み込み、一度深呼吸をしてから本心を言葉にした。
「俺は今回の依頼、姫川凛花の暗殺依頼を辞退する。」
「……お前、正気か?」
「当然だ。」
疑いの目を向けるチャーリーに対し、俺は迷いなく答える。
「なるほどな。これは確かに馬鹿げた話だ。今まで、お前は何百人もの人の命を奪ってきたろう。どいつもこいつも、必死に生きている人を谷底へ突き落すような最低な奴らばかりだった。あの凛花という少女もそうさ。どんなに表の顔が優しそうに見えたとしても、お前に殺してほしいと依頼が来るほどの何かをしたんだろう。」
「うるさい。勝手に彼女のことを決めつけるな。俺には彼女を殺せない。」
「馬鹿が。お前がこの依頼を受けなかったとしても、他の暗殺者に依頼がいくだけだ。どちらにせよ、あの少女が死ぬという運命に変わりはない。そんなことはお前なら分かり切っているだろう?それとも何だ。あの少女に惚れたか?」
チャーリーは馬鹿にするように俺を見る。
「…さあ、俺には、俺の今のこの気持ちを表現する言葉は知らない。」
「何?」
「言っておくが、嘘じゃない。彼女が好きだからとかいう、そんな単純な気持ちじゃないと思う。
今まで俺が暗殺を続けてきたのは、自分の存在する意味を自分自身に認識させるためだ。俺から殺しの技術を取れば、もう何も残らない。それが怖かったから、続けてきただけだ。
でも、ようやく俺にも生きる意味が見つかったんだ。だから頼む。俺にあの依頼を取り消させてくれ。」
俺は頭を下げ、懸命に頼む。だが、そんな行動はチャーリーには何の意味もなさなかった。
チャーリーは煙草を一本取り、口にくわえて火をつけると、面倒くさそうに話し出す。
「だから、お前はその少女を殺したくないと?」
「その通りだ。」
「……ぷっ、あはははは!こいつは傑作だ!」
俺が答えると、チャーリーは腹を抱えて大笑いをする。
「何がおかしい。」
「まったく、ふざけたことを言うもんだ。お前は物心ついた時からスラム街で殺しの技術をただひたすら学んでいたんだろうが。そんな奴が、一人の人間を守ろうっていうのか?出来るはずがねぇ。」
「やってみないと分からないだろう。」
俺はイラつきを何とか抑え、チャーリーを睨みつける。
「いや、分かるさ。お前のその決断が、逃げの結果である限り、お前はそのうち自滅する。」
「何だと?」
「考えてもみろ。今までのお前なら、たった数回標的と会っただけで、依頼を取りやめるなんてことは言わなかった。たとえどんなに人がよさそうでもな。」
「だからそれは…」
俺が言い返そうとした途端、言葉に詰まった。俺は今、何を言おうとしたんだ?
「レオ。お前自身も気づいていないことを、教えてやろうか?」
あざ笑うかのように、チャーリーは椅子にふんぞり返る。
「人殺しが怖くなったんだよ。」
「……っ!」
そんなことはないと、言いたかった。だが、納得してしまう。俺は、今まで殺してきた人の中に、あんな風に、凛花のように懸命に生きている人がもしかしたらいたのではないかと、そう考えてしまったんだ。
「傑作だな。世界でも最高峰の殺し屋が突然、人を殺すことが怖いなんて言い出すんだ。笑えてしょうがねぇよ。」
「…ああ、お前の言う通りかもしれないな。」
「図星だろう?」
「でも、それでも俺はあの少女だけは殺したくない。俺は、彼女の生き方に憧れた。俺は、それを最後まで見届けたい。」
そこだけは譲れない。たとえどんなに俺の考え方が間違っていたとしても、あの少女に生きろと俺は言ったんだ。男が交わした約束を自ら破るほど、格好悪いことはない。
俺の決意にようやくチャーリーは気を許したのか、大きなため息をつく。
「分かった。そこまで言うなら、お前にはこの依頼は辞退してもらおう。お前がここまで自分の意思を出すのは初めてだからな。」
「そうしてもらえると助かる。ありがとう。」
「礼なんて言うな。だが、さっきも言ったとおり、お前がこの依頼を受けなかったとしても、他の殺し屋があの少女を殺しに行くぞ。それはどうするつもりだ?」
「決まっているだろう。俺がどんな手を使ってでも止めてやる。」
チャーリーは頼んでいたケーキを食べ終えるとすぐに俺から依頼書を受け取り、鞄に押し込む。そのあとすぐ、俺にボソッと呟くほどの声で話した。
「レオ。お前はいずれ後悔するぞ。あの少女を始末しなかったことに。」
「どういう事だ?」
俺は尋ねるが、チャーリーはすでに席を立ち、俺に背を向けて「いずれ分かる。」とだけ伝え、店を去っていった。
凛花の生き方に憧れただけ、か。思い返せば、確かにそうだったかもしれないな。殺しこそ、俺の生きる唯一無二の道。物心ついた時から始めたことであっても、いつかは自分がしていることが正しいのかどうか、その行為に意味はあるのか、考える時期はある。
何の迷いもなくこの道を進んできたわけではない。だが、俺はもう引き返せないところまで来てしまっている。なぜなら、今この瞬間も、自分がこれまで殺してきた人々の亡霊が、俺を地獄へ引きずり込もうとしてその手を離さないからだ。たとえ俺が暗殺業を引退しても、この亡霊どもは俺を許しはしないだろう。
だからこそ、凛花と一緒にいる間は心地よかった。彼女の側で声を聴いている間、ほんの一瞬ではあったが、亡霊の手の力が緩まったのを感じた.
思い出すと笑みがこぼれる。もっと一緒にいたい。もっと生きていてほしい。そう思うなら、俺は俺に出来ることをしよう。
俺は頼んだ菓子を食べ終えると、席を立つ。
「……あの野郎、また金払わずに行きやがった。」