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尾行

 次の日、俺はあの少女をしばらくの間尾行することにした。普段は先にこの辺りの地形の把握を優先するが、また鉢合わせでもしたら面倒だ。先に行動パターンを分析した方が、動きやすい。


 朝の7時半。少女が屋敷から出てきた。それほど多くの荷物は持っていない。

 今この瞬間にも殺せるが、この屋敷には数台の防犯カメラがある。それを気にせずに暗殺を実行すれば、後々追手に手を焼くことになる。


 それにしても、夏休みだというのにこんな時間からどこへ行くつもりだ?

 夏休みは文字通り、夏に授業が休みになる期間のことというのは調べたから知っている。。ならば、普通はこんな炎天下を出歩くよりも家にいることの方が多いと思っていたのだが……


 この少女はなかなかに活発なようだ。汗をぬぐいながらもすたすたと歩いていく。

 ほとんど息も上がっていない。サンダルなのに、歩きなれているのが見て取れる。




 数十分後、到着したのは、彼女とは縁のなさそうな大きな病院だった。そういえば、よく祖父のお見舞いに行っていた、と以前話していた。語尾が過去形だったから今はもういないものだと思っていたが、あの時ただ単に言い間違えただけだったのか?


 あまり近づきすぎるのは賢明ではない。だが、病院内ともなると流石に尾行しづらいな。




 そんなことを考えていると、その少女は病院の入り口の前でピタリと止まり、隣を振り向く。


「あっ、お姉ちゃんだ。」


 幼い子供が車いすに乗って、その少女の元へと親しげに近づいている。

 脚が異常に細い。何かの病気か?少し痩せているように見える。今見たばかりで、この少年のことはよく知らない。だが、それでも分かる。この子の人生の終わりはそう遠くないところにある。

 

 だが、そんな状態であるにも関わらず、ほんの数秒前まで壊れた人形のような無表情だった少年が、彼女を見た途端、明るい笑顔を見せた。


「お姉ちゃん、また来てくれたの?」

「うん、そうだよ。体の調子はどう?」

「今は落ち着いてるよー。」


 その場の空気が優しく、温かい空気に包まれる。そう錯覚するほどの穏やかな声。俺も思わず気が緩みそうになった。

 俺は少し距離を取って冷静さを取り戻す。

 

「いつもありがとうございます。この子の相手になってくれて。」

「お礼なんていいですよ。私がやりたくてやっていることなんですから。」


 少年の車いすを押していた看護師らしき人と、あの少女が話している。

 ある程度距離はあっても、会話の内容は読唇術で読み取れる。

 ()()()という事は、よくここに通っているのか。それもこんな朝早くから。通りで、屋敷を観察しても朝しか姿を見せないわけだ。


 それにしても、随分親しげにあの少年と話しているな。付き合いが長いのかもしれない。


 しばらく他愛のない話をした後、少女は少年と共に病院内へと入っていった。

 追跡するか?いや、病院内は人目が多すぎる。それに、帽子は俺の髪色のせいで出来れば外したくない。建物内で帽子を被っていては少し人の目も集まりやすいだろう。

 となると、やはり病院の外で待っているのが利口だな。


 俺は病院のすぐ近くにあるベンチで少し休憩をとることにした。


 先日の仕事が終わってからはしばらく休暇を取るつもりだったが、結局またこうして仕事を引き受けてしまった。おかげで、かなり疲労がたまっている。そして、この国の危険の少ない環境と、初夏の俺にとっては心地いい気温も相まって、俺はベンチに座ったまま居眠りをしてしまった。




「……さん、レオさん!起きて、レオさん!」

「うっ……うん?」


 目を覚ますと、そこにはあの可憐な少女がいた。


 なぜここに!?いや、そもそもなぜ、俺はこんな無防備な状態で安心して眠っていたんだ?いくら何でも油断しすぎだ。以前の俺ならあり得ない醜態だぞ。


「なんだかうなされてたみたいだったから声をかけたんだけど、お邪魔だったかな?」


 相変わらず優しい声だ。だが、おかげで少し落ち着きを取り戻せた。状況を頭の中で数秒で整理する。

 俺はベンチで寝ていた。日はもう高く上っている。今は昼前あたりだな。少女は持っているバッグの膨らみが少し小さくなっている。あの少年への用は済んだと考えていいだろう。


 用が済んで病院を出たら俺が寝ていたから声をかけた、という状況で間違いなさそうだ。


「大丈夫だ。散歩をしていたら丁度木陰になっているベンチがあったからな。少し一休みしようと思っただけだ。」

「そうなんだ。何はともあれ元気そうでよかった。」


 少女は安心したように肩の力を抜き、俺の隣に腰掛ける。


「病院に行っていたのか?」

「うん、ちょっと面会にね。」

「お爺さんの?」

「ううん、私の祖父は1ヶ月前にもうなくなってるよ。」

「……そうか。」


 祖父のお見舞いというわけではなかったのか。だが、それならば一体誰のお見舞いに行ったんだ?


「お爺ちゃんは入院しているときに他の患者さんともすごく仲良くなったんだ。そのつながりで、その人たちと私も自然と仲良くなって、お爺ちゃんがいなくなった後もよく病院に通ってるんだ。」


 祖父が死んでからも病院に?家からかなりの距離があるのに、わざわざお見舞いに来たのか?いくら仲良くなったからって、赤の他人のためにそんなことをするとは、予想外だ。

 

「ふふ、変わってるって思ったでしょ。」

「え…。」

「大丈夫だよ、自分でもそう思ってるし。」

「ならどうしてそんなことを?」

「……私ね、お爺ちゃんみたいになりたいんだ。お爺ちゃんみたいな、優しくて、温かい人に。」


 少女は、一つ一つの言葉に自身の想いを込めるように、ゆっくりと話し出す。


「お爺ちゃんは昔から、誰にでも優しくて、周りにいる人はみんなお爺ちゃんのことが大好きだった。私が幼い頃も何度だって私を笑顔にしてくれた。」

「……いいお爺さんだな。」

「うん。」


 少ししおらしい雰囲気になる。祖父が亡くなってから1ヶ月しかたっていないんじゃ当然か。


「でも、私はお爺ちゃんみたいにはなれなかった。」

「どういう事だ?俺にとっては充分…」

「違うよ。私は助けられなかったもの。お爺ちゃんが死ぬまでに、私は何もしてあげられなかった。あれだけ色んなことをしてもらったのに、ずっと何もしなかった。

 入院しているときだってそう。私はお爺ちゃんを元気づけようとして、逆に元気づけられるの。死ぬ間際だって、ずっと私は、お爺ちゃんの目の前にいたのに、ただ見ていることしかできなかった。」


 涙声で少女の感情が溢れ出す。家族のいない俺には全く縁のない感情。まだ15歳の少女が何を言っているんだか。

 この若さで出来る事なんて知れているだろうに。


 ここまで苦しんでいるのなら、殺してしまった方が手っ取り早い。その方が、何も考えなくて済む。幸い、相手は完全に油断しきっている。猛暑という事もあり、出歩く人も少ない。格好の条件がそろったこの状況。殺すのは容易い。

 だというのに、服に隠したナイフに手を触れると、それだけで震え、思うように動かなくなってしまう。


 まさか、俺は羨ましいと感じているのか?こんな少女に?だから殺したくないと?


 自分勝手にもほどがある。今まで何人殺してきたと思っているんだ。そんな我儘で依頼を取り下げるなど、許されるはずがない。


 それはレオの暗殺者としてのプライド。確かに今までにも殺すかどうかで迷ってしまった経験はある。しかし、この考え方を曲げずに貫くことで、数々の依頼を達成してきた。

 しかし、今回だけはその決めごとを捻じ曲げた。


「……おい。」


 俺は立ち上がり、少女の前にたつ。呼びかけに応じて、うつむいけていた顔を上げると、そこにデコピンを食らわせた。


「痛っ!ちょっと、何するのよ!?」

「悪い悪い、目の前にとんでもない馬鹿ガキがいたんでな。少しお仕置きをさせてもらった。」

「なっ…!?」


 顔を真っ赤にして、言葉にもならない声でその少女は文句を言う。


「いいか、よく聞け。お前はまだ子供だ。お前ごときに何ができる?どれだけやったって、自分にしてもらった恩なんて、そう簡単に返せるもんじゃない。

 人は死ぬんだ。誰にも知られず、ただひっそりと死ぬこともあれば、どこかの暗殺者に殺されることもある。お前の祖父はお前に看取ってもらえただけで十分幸福だったろうよ。それなのに、お前はいつまでそうやってめそめそしているつもりだ?

 誰かが死んだとき、その人に世話になった奴が後悔するのは当然だ。何をしたって足りない。そんな気分になる。でもな。大切にした側の人がそれを望むと思うか?

 下を向く暇があったら前を向け。()()()()()()()()()()()()()()。分かったな。」


 ポカンと口を開けるその少女を置いて、俺はその場を後にする。


 俺は俺自身の行動と言動に驚くと同時に納得した。

 暗殺対象(ターゲット)に生きろという暗殺者がどこにいる?暗殺者として、こんなにも馬鹿げたことはない。

 だが、そんなことなどどうでもよくなるほど、彼女の生き方は美しく、羨ましかった。


 温かく、優しい声。凛花の声は、まさに彼女自身の心を鏡写しにしたものだった。そんな彼女の心はすでに、彼女が憧れる人の心に触れている。


 ……まったく、俺は暗殺者失格だな。



 

 俺はチャーリーに電話をかける。


「もしもし、俺だ。まだ日本にいるか?」

「ああ、どうかしたか?」


 我ながら馬鹿げている。暗殺者のすることではない。殺すのではなく、助けたいなどという愚かな考えは、本来捨てるべきだ。人の心などいらない。俺には、死神の心ひとつあればそれで。少なくとも、今まではそれで十分だった。

 今ならまだ引き返せる。が、そんなつもりは毛頭ない。


 レオは生唾を飲み込み、息を大きく吐く。大きく、今まで積み上げてきた何かと共に吐き出す覚悟で。


「…ならいい。今週のどこかで予定を開けておいてくれ。少し、馬鹿げた話をしよう。」

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