心の影
後日、俺は少女の行動パターンを把握すべく、早朝に屋敷の近くに行くことにした。
少女は学生だが、今は夏休み期間中のはずだ。しかも、これだけ朝早ければまだ家にいるだろう。
そう思ってきたのだが……。
「あれ?あなた、この間の……。」
歩いていると、あの少女が俺に声をかけてきた。
屋敷に行くには、このひまわり畑を通るほかはもう一本の道しかない。とはいえ、まさか本当に要るとは思わなかった。
前に会った時と同じような格好で、相変わらず麦わら帽子を被っている。
「こんにちは。またひまわりのお手入れですか?」
驚きを胸に隠し、出来るだけ自然な笑顔を浮かべる。
「ううん、今日はただ単にひまわりを見に来ただけです。私、結構好きなんですよね、ひまわり。」
「へぇ…。」
「そういうあなたは?」
「俺は散歩ですよ。この辺りはあまり来たことがなかったのでね。」
「そうですか、ちなみに、どちらの国からお越しになったのですか?」
「ああ、えっと……。」
…いや、ちょっと待て。
海外から来たなんて、俺は言っていない。この国の発音は大丈夫なはずだ。実際、師匠と一番よく使っていた言語でもある。髪は帽子で隠しているから容姿による判断はつかないはずだ。まさかバレたのか?いや、流石に早計だな。とはいえ、いつぼろが出るか分からない。今のうちに殺してしまうか。
予定外ではあるが、ここは町はずれでしかも今は早朝だ。人目も少ないし、殺ろうと思えばいける。だが、その前に一先ず探ってみるか。
「どうして、俺が海外から来たと?」
俺は警戒度を上げ、理由を尋ねる。
「以前会った時、帽子を取って挨拶してくれたでしょう?その時、白い髪が見えたから…。もし失礼な事を言ってしまったのならごめんなさい。」
以前会った時?そういえば、あの時日本の礼儀作法として覚えていた挨拶の仕方を自然とやってしまっていた。帽子を取って頭を軽く下げる。馬鹿か俺は。この髪を見られれば誰がどう見たって目立つだろうが。
「あっ、いや、いいんです。俺の不注意でした。」
何を馬鹿なことをやっているんだか。いくらこの国が安全だからとはいえ、自分でも驚くほど気を抜きすぎている。
「あなた、歳はいくつですか?」
「?16ですけど…。」
予定外ではあるが、向こうからこちらに接近してくるというのであれば、これを計画の軸にしたほうがいいな。少し面倒ではあるが、この年頃の子供の行動パターンを見極めるにはこうして仲良さげに直接接した方がいいだろう。
「私は凛花、歳は15歳です。そういえば、あなたの名前は?」
名前…、名前か。正直に言うと、俺に名前はない。基本的に、暗殺者は決まった名前を持たない。通称や呼び名はあっても、それは使い勝手がいいから使っているというだけ。特に俺のようなスラム街出身であれば、親を知らないという者も多い。
裏での呼び名をそのまま使うわけにはいかない。この国に来るときに使った名前を名乗っておけばいいか。
「俺はレオ。訳あってしばらくこの近くに滞在することになりました。よろしくお願いします。」
「レオさん、かったら少し話しませんか?お忙しくなければですが…。」
話が出来るなら丁度いい。さらにこの少女の細かな情報を引き出せる。
そもそも、今回のこの依頼自体が何か俺を貶めるための罠という可能性もなくはないが、例えそうであっても不意を突かれさえしなければどうとでもなる。
「構いませんよ。特に用事もありませんから。」
そう言うと、少女は嬉しそうにほほ笑む。
「ありがとうございます!では、ついてきてください、お茶も出しますよ。」
俺はため息を一つつき、少女の後をゆっくりと歩いて行った。
屋敷につくと、そこには大きな庭が建物の側に広がっている。
この間来た時には柵と塀のせいでよく見えなかったが、松の木や梅、しだれ桜など、多種多様な木々が等間隔に植えられている。
鹿威しもあり、昔ながらの日本の庭の雰囲気が出ている。
「レオさん、こちらです。」
そう言って、少女が俺を案内しようと手を引こうとした時だ。
俺は、無意識のうちに彼女の手を振り払っていた。
「あれ?」
なんだ?どうして俺は今彼女の手を振り払ったんだ?
自分の手が自分のものでないかと錯覚してしまいそうになる。
「あの、大丈夫ですか?」
凛花は恐る恐る尋ねる。
手の感覚はハッキリしている。ちゃんと拳を作ろうと思えば作れるし、力も入る。さっきのを気のせいというだけで片付けるわけにはいかないが、今は後回しにしても問題ないだろう。
「大丈夫です。心配をかけてすいません。」
「もしも体調がよろしくないのでしたら、無理はなさらないでくださいね?」
「ええ、分かっています。」
まさか、標的から体調を心配されるとは思わなかったな。自分の体のことは自分が一番よくわかっていると思っていたが、どうやら俺にも分からないことはあるらしい。
自分の体のことで自分に分からないことがあるという事は、体調の自己管理が出来ていないという事。暗殺の成功確率を少しだが、確実に下げてしまう。
「俺もまだまだ未熟だな…。」
いつもはこんな事があれば、暗殺者として未熟であるという事に際限なく怒りが溢れ出てくるものだが、今はそんな感情が出てこない。それどころか、不思議とそれが当然だという気がしてならない。
「こちらにどうぞ。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
案内されたのは、年頃の女の子らしい部屋だった。もしかしてこの子の部屋か?経験がなさ過ぎて少し緊張してしまう。
少女はコップに麦茶を二杯注ぎ、机の上に置く。
「あなた、歳はいくつですか?」
「16です。」
「本当?大人びてるからもっと年上だと思ってた。私は15。同年代なんだし、敬語はもうやめよっか。」
「そうです…、そうだな。」
気づいていて俺に話しかけていたわけではなかったのか。
「……。」
「どうかした?」
「あー、今更です…、だけど、見知らぬ人をあまり気軽に部屋に入れない方がいいんじゃ?」
「あはは、それは大丈夫。」
少女は低いテーブルの前にちょこんと正座で座る。
「だって、あなたほど傷ついている人が、何か変なことをするはずがないから。」
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ。」
…傷ついている?俺が?何の話かさっぱり分からない。
「いきなりこんなこと言われても分からないよね…。ちょっと昔話でもしよっか。
……私には、少し前に祖父がいたの。祖父は体が弱くて、病院に寝たきりでいたことが多かったから、私もよくお見舞いに行ってたんだ。祖父は体は弱かったけど、太陽みたいな人だった。周りにいる病人は祖父と話すたびに明るく、心の影が薄くなっていったの。それを一時期、毎日のように見ていたら私も変な特技を覚えちゃってね。」
少女はまるで自分の事のように祖父のことを誇らしげに話す。
「私の特技は人の心の影を見ること。人の表情とか、仕草とかを見ていると、今その人がどんな気持ちなのかが心の陰の濃さとして、見えるんだ。」
心の影の濃さが見える、か。人の表情を見抜く勘が鋭いという事なのか?どちらにせよ、暗殺に支障をきたすわけにはいかない。この少女の前ではあまり表情を変えない方がいいな。
「こんなこと急に言われても、信じられないと思う。でも、あなたの心、今まで見たこともないくらい暗いわよ?いったい、どんなことをすればそんなにも傷つくことが出来るの?私に何かできることがあるかは分からないけど、話してほしい。あなたみたいな人を放っておきたくないの。」
何を言っているんだか。心当たりも何一つない。もしこの少女のいう事が本当だったとしても、俺自身が自覚していないなら話しようがない。
俺は用意されたお茶を飲み干すと、鞄を持って立ち上がる。
「悪いけど、話すことはないよ。せっかく家にあげてもらったけど、俺には自分の心なんてどうでもいいことだ。」
「……そっか、引き留めてごめんね。でも、またいつでも来てね。話し相手くらいにはなれると思うから。」
その時、少女は悲しいような、悔しいような、そんな表情を浮かべていた。