チャーリーの過去① 楽な進路
チャーリーは公園のベンチに座り、煙草を1本口にくわえる。
ライターの火はタバコから煙を吹かし、渦を巻く。煙は最初は濃く、まとまっているがいつの間にか跡形もなく消えてゆく。
「俺の故郷では、『人命 雲煙の如し』なんて言葉がある。人の命は始まりも終わりも、煙のようにいつの間にか生まれ、消えゆくものだと。」
「そんな言葉は初めて聞くが…。」
「そりゃそうだ、俺の親父が作った言葉だからな。」
チャーリーはケラケラとレオをからかうように笑う。いつもなら少し苛立ちを感じる場面ではあるが、今日はそれ以上にチャーリーがいつも通りであることに少し安堵さえ覚えている。
「そろそろ本題に入ろう。あまり長話をするのはお互いに気が滅入るだろう。」
レオは自身の心に鞭を打ち、無理矢理話を引き戻す。
チャーリーは少し残念そうではあったが、無駄な時間稼ぎをしようとはしなかった。
二人は近くの公園のベンチに座り、腰を下ろす。昼間だが木陰になっており、木漏れ日が心地よい時間帯だ。
「本当なら、この話はしない方が良かったのかもしれねぇな。」
「そうだろうな。理由は知らないが、お前の目的は凛花の殺害。俺の目的は凛花の存命。2人とも正反対の目的を持っているのなら、情報を漏らした方が不利になるのは確実だ。」
そんな事はチャーリー自身も分かっているはずだ。なら俺に情報を伝えるのは何かメリットがあるからなのか、あるいは別の意味があるのか…。
「今のままじゃ、俺たちの行く道が再び交わることはもう二度とない。だが、わずかな可能性がお前に真実を話すことで生まれるのさ。」
「そうか。なら話してくれ。とりあえず、話は最後まで聞いてやる。」
チャーリーは大きくため息をつき、呟くように話し始める。
「3年前だったか。俺はキラーからの依頼を受け、この国に訪れた。」
「キラー?狂気の医者が依頼を出したのか?」
「そうだ。」
レオが驚くのも無理はない。キラーは存在こそ知られていたが、人とのコネクションが少なく、裏社会の人間ですらその顔すら知らない者がほとんどだ。他人を見下し、ただただ人のあらゆる可能性を自らの手で探る。いい意味でも、悪い意味でも。
そして、それを探るためなら他人の命などどうでもよく、キラーの存在を知ってようやく頼ってきたような患者を「珍しい体質だ」というだけで殺し、氷漬けにしたという話は知る人ぞ知る『狂気の医者』と呼ばれるようになった所以だ。
「キラーはこの国に世界的にみても数件しか例のない症状を持つ少女の噂を聞いていた。希少な遺伝子疾患。それに興味を持たない奴ではない。俺は奴にこう言われた。「殺してでも遺体を連れて帰れ」と。だから、俺はひとまずこの国に下見に来た。」
あり得ない話ではない。チャーリーは普段、依頼者と暗殺者の間を取り持つ。だが、それはあくまで依頼の難度が高い時だ。そして、キラーから受けた依頼は少女の暗殺。少女自身はか弱く、周囲の環境条件が拉致に向いていないのなら自分でするだろう。殺してもいいという事なら尚更だ。
これほど難度の低い依頼もそうそうない。この程度なら、チャーリーは自分一人でこなすだろう。
「日本についてから、穂花に会うまでにはそれほど時間はかからなかった。あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。その日の空は、どこまでも青く、雲一つない晴天だった。」
―――4年前。
チャーリーはシベリアから南下し、日本にやってきた。時差ボケもあり、眠気覚ましに外を出歩く。
キラーからの報酬はかなりのものだ。あれだけの金があれば、やれることがかなり増える。リスクを最小限にして、巨額の報酬を手に入れる。ついでに、依頼者と殺し屋の間で面倒なことを取り持てば、多少の金の差をいじるくらい訳ない。殺しを専門にするなんてリスクが高すぎる。長く、着実に金を稼ぐならこの役職が最適だ。
まずは情報収集だな。どこかの総合病院のコンピューターに適当にハッキングしてみるか。キラーが言うには、1週間前にはどこかの病院で定期診察を受けたらしい。それが本当なら、どこの病院に通院しているのかぐらいはそれほど深掘りしなくてもすぐに分かるはずだ。
「さて、どうするかな……。」
日本はあまり来た事はない。基本的には平和だし、宗教による堅苦しい慣習もない。ここまで羽を伸ばせる国はかなり少ない。少しゆっくりしていっても時間は十分にある。観光なんてするつもりはないが、しばらくは情報を集めながら適当にホテルにでも泊まっておくか。
この依頼を終えれば頃合いだ。働かなくても生きていけるだけの金は今回の依頼の報酬を合わせれば十分に用意してある。何の縛りもないまま自分の思うがままに生きる幸福を持つ者が、はたしてこの世界にどれだけいるだろうな。
故郷も捨て、家族も捨て、友人も捨てた。気負うものはもう何もない。誰のためでもない、ただ自分のためだけに生きる。まさに自由。肩が軽い。もう少しで、本当の自由を手に入れられる。
にやける口元をマスクで隠し、チャーリーはホテルに予約を入れ、少女の捜索に当たった。
少女の居場所は案の定、数時間で分かった。1週間前の診察記録が病院のコンピューターに残っている。おまけに、次に病院に来る予約日も把握できた。
少女が来るのは明後日。顔ももう分かっている。待ち伏せしていれば、まず間違いなく現れる。
幸い、ここからその病院まではそれほど遠くはない。一日あれば徒歩でも間に合う。
それまでは自由時間だな。
そういえば、あの『死神』は今はなにをしているんだろうな。
依頼達成率99.6パーセント。奴と俺が出会ってから活動してきた6年間で、殺し損ねたのは一度だけ。およそ250人もを殺したと聞く。凄腕の殺し屋であっても、同じ年月では30人が限度のはずだ。それに、俺と出会う前からも殺しはしていたはず。誰も知らないうちに殺された者を含めると、その屍は1000にも及ぶと噂されている。
一体何をやったらこんな化け物じみたことが出来るんだか。
偶然ではあったが、死神との出会いは俺にとっては僥倖だった。
依頼を頼めば、どんな内容であっても次から次へと達成していく。おかげで多くの依頼を引き受けたとしても、滞ることはない。
そして、やつはそれだけの依頼を達成し、どれだけの報酬を手に入れても、暗殺家業を引退するつもりはないと言っていた。
気が狂っているのは確かだが、殺人に快感を得ているわけではない。他に目的があるわけでもなく、黙々と作業をこなすようにただひたすらに殺人を繰り返すその姿は、いつしか裏の世界では『死神』として恐れられていた。
だが、俺は違う。あんな狂人とは違って、俺は充分に金が用意できればこんな危険な稼業とはもうおさらばだ。
チャーリーはその決意を胸に、明後日のその時を待ち望んでいた。