心臓病
「私は、子供のころから体力がありませんでした。」
穂花は目を優しく閉じ、ゆっくりと思い返すように話し始める。辛い事でもあったのだろうか。とても懐かしむような話し方ではない。
「それでも、別に少し息切れをするのが早い程度だったので、私も両親もあまり気にしていませんでした。一時期は病院で見てもらう事も考えましたが、何せ私の家はあまり裕福な家庭ではなかったので、私自身、そんな些細なことでお金を払ってまで心配をしてほしくありませんでした。」
「その割には言葉遣いが随分とお嬢様らしいじゃないか。」
「これは練習したんです。やっぱり女の子なら物語に出てくるお姫様には憧れるものですから、小さい頃から真似ているうちに、自然と。もちろん、これが正しい言葉遣いだとは思いませんが。」
ここまでの話を聞いていると、この少女の両親もそれほど気が違えているというわけではなさそうだ。普通の家庭で、普通の生活を送るただの平凡な家族。これではますますチャーリーの言っていた言葉の真意がつかめない。
「話を戻しますが、私に症状が出始めたのは約4年前です。突然、呼吸もままならなくなり、意識が途絶えました。」
「何があった?」
「心臓病です。それもかなり重度の。」
心臓病。その言葉を聞いただけで俺はある条件を思い出した。凛花の暗殺の依頼書に書かれてあった条件。「心臓には傷一つ付けないこと」。
俺はある一つの可能性を思い描きそうになったが、それを確信するにはまだまだ情報が足りない。
「医者からは、余命は1年と言われました。それなのに、4年たった今でも生きていられるのは、奇跡としか言いようがないのです。」
「……何とかならないのか?心臓なら、ドナーがいれば、移植だってできるはずだ。」
「ええ、確かにお医者様も移植が出来れば生きながらえることはできるとおっしゃっていました。後遺症は残るそうですが、それでも生きられるのならと両親もお金を惜しまず使おうとしてくれました。」
「なら……。」
「しかし、移植するには私が患っているもう一つの病がそれを許しませんでした。」
「もう一つの病?」
「遺伝子疾患です。ご存知でしょうか。」
「知っている。俺も似たようなものがあるしな。」
遺伝子疾患はその名の通り、遺伝子の異常によって引き起こされる疾患。そして、遺伝子の変化自体は偶発的に誰にでも起こる可能性があり、現在では不明点も多い厄介な病気だ。
「私もお医者様の説明で完全に理解できたわけではないのですが、簡単に言うと私の体は臓器の移植を受け付けないようになっているのです。」
「なっ……、なんだそりゃ。」
遺伝子疾患でそんな症状があるなんて、今まで聞いたことがない。いや、でも俺も医学に少しは精通しているとはいえ、全てを知っているわけではない。医学は奥が深い。俺の知らないこともまだまだ多く残っているのだろう。そう考えれば、何とか受け入れることはできる。
しかし、それなら尚更凛花を暗殺する必要なないはずだ。俺も最初は心臓を移植するために暗殺の依頼が出されたのかと考えていたが、移植が出来ないならもう手の打ちようはない。
……いや、待て。何故凛花なんだ?移植が目的なら相手は誰でもいいはずだ。ドナーが現れるのを待っていれば、殺しなんてリスクの高い選択をするよりもよっぽど確実だ。
「私の命はもう長くありません。両親は少しでも私に生きさせようと容態を見てくれていましたが、入院したり、看病するだけでも多くのお金と時間を奪ってしまいます。私はもう、両親に無理をしてほしくありません。親孝行も出来ないんです。だからせめて、私のせいで迷惑はかけたくありません。」
まったく、なんて顔をしているんだ。これじゃあ凛花と同じじゃないか。
優しい人ほどよく思い悩む。そして、自分に対して嫌悪感を抱き、生き急ぐ。この国では自殺する若者が多いと聞くが、そのほとんどは凛花や穂花と同じように、何かに思い詰めているのだろう。
俺の信条は『自分に嘘はつかないこと』。俺は目の前の優しい少女を殺したくない。どれだけ頼まれても、この信条だけは曲げるわけにはいかない。
「悪いが俺は……」
コンッコンッ
俺が穂花の依頼を拒否しようとした時だった。病室をノックする音が聞こえ、俺の言葉は喉の奥でとどまった。
「そろそろ時間だ。入るぞ。」
チャーリーはそう言って俺たちが返事をするのを待たずに部屋に入ってくる。その手にはお見舞いの品として、ウサギの形に斬られたリンゴの入ったパックを持ってきていた。
「確か好きだっただろう、リンゴ。」
「はい。ありがとうございます。でも、先ほど食事をとったばかりですから、少し時間を空けていただきます。」
「ああ、塩水につけてあるから多少時間がたっても色の変化は少ないはずだ。好きな時間に食え。」
先ほどまで自分が死ぬことを望んでいたとは思えないほど、優しい笑顔で穂花はチャーリーに微笑む。
「レオ、そろそろ行くぞ。」
「もう行くのか?まだお前はこの子とそんなに話していないだろう?」
「まだお前に話さなけりゃならないことは残ってる。凛花のことだ。聞きたくないならそれでもいいが。」
「……分かった。なら、行くか。」
「レオさん!あの……。」
レオが席を立つと、穂花が弱弱しい手で服の袖を引っ張った。
「さっきの話は…。」
「考えておく。少し時間をくれ。答えが出たらもう一度ここへ来る。」
彼女を殺すのは簡単だ。だが、流石にそう簡単に頷ける話ではない。もう少し落ち着いて考えた方がいい。
「分かりました。では、待っています。いつでもいらしてください。」
穂花は寂しそうではあったが、同時に満足そうに微笑み、俺はその病室を後にした。
「それで?何の話をするつもりだ?」
「何の話?お前ならもう気づいているだろう?その様子だと、穂花からはもう話は聞いただろうからな。」
「お前、まさか最初からそのつもりで……。」
「逆に聞くが、他に何のために俺が席を外したと思っていたんだ?」
「……。」
やはり侮れない。チャーリーはいつもそうだ。何度も何度も俺のいる場所もこれからしようとすることもすぐに先読みして、俺の行動を予測する。予測をするうえでは、チャーリー自身の勘も使われているのだろうが、奴の勘は恐ろしく鋭い。
「一応答えておいてやる。今からするのは凛花の話だ。穂花の話だけじゃ、お前も真実の全容はつかめなかったはずだ。」
今更だが、こいつが自分から話をするのはかなり珍しい。どういう心境の変化があったんだか。
念のために、レオは携帯電話の着信を確認する。桐谷からの連絡はない。ということは、少なくとも今は凛花の身に危険は及んでいない。こうして俺をあの屋敷から引き離している以上、刺客を送り込んでいても不思議ではない。そう踏んでいたのだが、結局は何もない。本当に、ただ俺に話がしたかっただけなのか?
疑念は消えることはないが、レオはひとまずチャーリーの話に集中することにした。