裏切り
シンジという名の男を殺した後、俺は周囲の確認に勤しんだ。目撃者はいないか、他に殺し屋はいないか。
我ながら驚くほど冷酷だ。ほんの数分前まで人を殺したことに深い悲しみを覚えたというのに、既にその気持ちは胸の内深くに閉ざされ、影も形もなくなっていた。
「さっきはごめんなさい。」
桐谷がレオに申し訳なさそうに目を背け、頭を下げる。
「何の話だ?」
「私、さっき完全に足手まといになってしまっていたから。」
「ああ、そんなことか。気にするな。俺も殺し屋を相手にするのは初めてではなかったはずなのに、複数犯である可能性に気付くことが出来なかった。謝るなら俺の方だ。」
「……。」
桐谷は相変わらず目を背けたままだ。そこまで気に病む必要はないはずなのだが、彼女の真面目な性格からすれば、仕方のない事なのかもしれない。
「ところで、桐谷。怪我の方は大丈夫なのか?あまり受け身を取れていなかったように見えたが。」
「少し後頭部が痛むけれど、意識もはっきりしているし、問題ないわ。というか、私よりもあなたの方がよっぽど怪我をしていると思うのだけど。」
「不意でも突かれない限り、俺が致命傷を負う事はまずないさ。それよりも……。」
「どうして私たちの行動が読まれたのか、かしら。」
「ああ、そうだ。」
俺たちの行動を誰かに悟られることは、本来あり得ないことだ。俺が凛花の暗殺を取りやめた後、俺がどこで何をやっているのかを誰かに言った覚えがない。それこそ、あいつくらいしか…。
「……。」
「レオ?どうかしたの?」
まさかな。もし仮にそうだったとして、俺に恨みのある殺し屋を募るにはどうあがいたところで1週間はかかるだろう。
『その1週間がたったのが今だろう?』
背後から、聞き覚えのある声がする。どす黒く、殺意に満ちた声。
「悪い、桐谷。先に帰っていてくれないか?こいつらの遺体の処理は俺が済ましておく。」
「……あなた一人じゃ無理でしょう、私の車はこの近くに止めてあるから、それで運んでおくわ。」
そう言って、桐谷はどこかへ駆け出して行ったかと思うと、すぐにシルバーの乗用車に乗って戻ってきた。
「理由は分からないけど、一人になりたいんでしょう?この間もこんなことがあったし、もう説明はいらないわ。」
二人の遺体を後部座席に何とか積み込み、桐谷は俺たちの拠点に先に戻っていった。
俺は人のいない道をを慎重に選びながら、自分自身に話しかける。
「何の用だ?もう出てくるなと言ったろう。」
『はっ、そりゃあ情けない姿を見せなければ、っていう話だ。こんな情けなやつが俺の半身とは、流石に呆れて何も言えやしねぇ。』
「何だと?」
『以前のお前ならとっくに確信を持っていたはずだ。キラーにお前らを襲わせたのは誰なのか。いや、お前でなくともすぐに気づけるだろう。だが、お前は今迷っている。一度信用すると決めた相手を、もう一度疑うことを、お前は恐れているのさ。』
「黙れ。」
『いつまでそんな前任のふりを続けるつもりだ?今のままなら俺がこの体を乗っ取るのも時間の問題だぞ?』
「俺が意思をハッキリとさせている限りは、お前は自由にはなれないはずだ。」
『その通りだが、果たしてお前の意思の力はいつまで俺を押しとどめていられる?』
「……。」
『そのうち限界が来る。その時を楽しみにしているぞ。』
声はそれっきりぷつりと途切れ、こちらから何を話しかけても反応しなくなった。
ああは言ったが、確かに奴の言ったとおりだ。俺は恐れている。一度信じると決めた誰かが、自分を裏切ることを。
とはいえ、ここでいくら考えていても埒が明かない。危険ではあるが、直接確かめてみるか。
そう決意を固めたころには俺はアパートの前まで来ており、桐谷がすでに待っていた。
「おかえりなさい。気分は晴れたかしら?」
「まぁな。」
桐谷は気にはしているようだが、深く聞くことはせず、自分の腕の治療を黙々と進める。
慣れた手つきだ。両手とも満足には動かせないはずなのに、口で包帯を噛み、上手く固定させている。
自身の手当てを終えると、桐谷はレオの方に向き直り、手を差し伸べる。
「?どうかしたのか?」
「何言ってるの。レオの手当てに決まっているでしょう?それとも、腕が動かないこと、私に隠し通せるとでも思っていたのかしら。」
反論の余地もない。流石にこれだけ一緒にいれば、バレるのもしょうがないだろう。
「ありがとう。なら、右腕を頼む。さっきから痛みを我慢するだけで精一杯なんだ。」
「……。」
「どうかしたか?」
桐谷は不満げな顔をし、俺のことを睨みつける。何か地雷を踏んだようだ。
俺が桐谷がなぜイラついているのか考えていると、彼女は急に、胡坐をかいている俺の服を両手でめくりあげた。
「……は?」
あまりにも突然の出来事で、レオも反応は出来なかった。
それが、殺意や害意のある行動であれば、難なく反応できた。そのようなことをしようとする奴には、それ特有の呼吸やリズムが現れる。遠距離からの狙撃ならまだしも、こんなに至近距離で微動だに出来なかったのは初めてだ。
「うん、やっぱりあばら、折れてるわよね?」
「えっ、ああ。」
なるほど、傷を見ようとしたのか。通りで反応できなかったわけだ。
「というか、これ折れてるのか?確かに少し、息を吸うたびに少し胸の辺りが痛むが、これくらい…。」
「あなたって頭がいいのか悪いのか分からないわね。それ、絶対折れてるわよ?」
桐谷は呆れた様な顔をしてレオに上の服を脱ぐ様に促す。仕方なく、レオは言われるがままに服を脱いだ。
翌朝、俺と桐谷はチャーリーに昨晩戦った2人の遺体の処理を頼むことにした。
待ち合わせにはいつも通り、近くの喫茶店を使うようだ。
店に着くと、一番奥の席にチャーリーが座っていた。相変わらず、自分の服装になど興味がないようで、かなり組み合わせが奇妙な服装を着ている。。
事情を話すと、チャーリーはすぐに俺の頼みを引き受けた。
「助かった、礼を言う。」
「構わないさ。お前には今まで何度も依頼を引き受けてもらったからな。多少の我儘は聞いてやるさ。
ところでそっちの女は何者だ?」
チャーリーは桐谷の方に目を向ける。
「私は桐谷。今はレオのサポートをさせてもらっているわ。」
「そうか。」
こうしてチャーリーと一通り、遺体をどうするのかの説明を話した後、俺たちは食事をすることにした。
チャーリーと桐谷は最初こそお互いに警戒心を強めていたものの、打ち解けるのにそれほど時間はかからなかった。
もっとも、話の内容はすべて俺をからかうようなものだったが。
「ところでチャーリー。食べ終わったら、二人で少し話がしたい。この後時間はあるか?」
「予定はない。まあ、お前のいう事なんざ、見当はついてるがな。」
この反応でもう分かった。俺の予測は正しかった。それが真実であってほしくはなかったが、仕方がない。
「それなら、私は先に外に出ておくわ。お会計はレオに任せるから、後で代金を教えてね。」
「分かった。」
律儀にチャーリーに礼をすると、桐谷は外に出た。
「いいパートナーじゃないか。ああいうタイプの暗殺者はなかなかいない。」
「だろうな。俺も桐谷には初めて会った時から特別なものを感じている。」
チャーリーはそう言って、飲んでいた紅茶を全て飲み干す。
俺は少し懐にあるナイフに手をかけ、緊張感をもってチャーリーを見据える。
「本題だ。チャーリー。昨晩、俺が『狂気の医者』の襲撃にあったことは、さっき話した通りだ。」
「……。」
「なあ、チャーリー。キラーに俺の情報を教えたのは、お前なんじゃないのか?」