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嫌悪

「お前を殺すことを許してくれ。」


 俺は凛花の姿を思い出しながら、優しく呼びかけた。


 俺の脚には、何十人もの亡霊の手が見える。隙あらば奈落の底に引きずり込もうとする。こいつらは俺が殺した者たちだ。日によってその人間は変化し、一時もその手を離すことはない。最近では声までハッキリと聞こえてくる。

 もう後戻りはできない。この亡霊どもが何をしようと、俺のすることは変わらない。もちろん、()()()()()()()()()()()()


「まだそんな事を言う余裕があるのか?もう腕は思うように動かないだろう。諦めてお前も俺のコレクションになったらどうだ?」


 狂気の声を上げて、キラーは勝ち誇った声を上げる。しかし、その声はレオには聞こえない。一撃で仕留めず、半端な傷を負わせたことが逆に、レオを極限の集中状態を引き出した。

 レオの出身はスラムの紛争地帯。食料も乏しく、戦いに駆り出されれば銃弾の飛び交う最悪な環境。手傷を負うのは当たり前。むしろ、レオにとってはある程度の手傷を負った状態はいつしか、本来の自分に戻れるスイッチとなっていた。

 

「暗殺武闘、≪叢雲(むらくも)≫。」


 レオは両手をだらりと力を抜いて下におろし、膝を軽く曲げて前傾姿勢を取る。視線は相手の足元。その視界に、男の姿は映っていない。

 レオが見ていたのは自身が作り出した、仮想空間の自分と相手。外部の音や空気の揺れを微細に感じ取り、常に仮想空間を更新し続ける。そして、この構えを取った瞬間から、もしくはそれよりも前から自身の五感で感じ取った膨大な情報と、相手の言動による人格を解析し、勝利を勝ち取るために最適な道筋を導き出す。

 

 師匠から教わったこの暗殺武闘、『叢雲(むらくも)』は、万が一正面から暗殺対象(ターゲット)を相手しなければならなくなった時のためのものだ。そして、正面から戦わなければいけない状況にされたのなら、そいつは自分より強い。つまり、自分よりも格上を倒すことに特化した、超短期決戦型。

 未来は見えた。あとは


「時間はかけない。すぐに楽にしてやる。」

「減らず口を。おい、さっさと止めを刺せ!!」


 キラーは大男に向けて命令する。すると、「ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」と壊れた機械のような奇声を発し、大男が向かってきた。

 

 大男は拳を頭上から叩きつける。とても目で見てから反応したのでは間に合わない。しかし……


「それはもう知ってる。」


 自分にしか聞こえないほどの声量でそう言うと、レオはそれを半歩横にズレただけで躱す。


 身長差で言えばレオは完全に負けていた。顔面に有効な打撃を与えるにはこの差をどうにかして埋める必要があった。

 そしてこの瞬間、大男の顔面は俺に攻撃するために、腕を振り下ろすと同時にレオの攻撃射程内に入った。


「ここだ!!」


 掛け声とともにレオは左ひざで右手の掌を打ち付け、肘打ちを顎部に打ち上げた。

 カウンター気味に入った打撃は大男の勢いも乗り、強烈な打撃となった。

 ただし、改造されているだけのことはある。これだけではまだ体勢を崩しただけで倒れない。よって、攻撃は続行された。

 鳩尾への膝蹴り、回転の勢いを利用した足払いに延髄へのかかと落とし。これを連続で至近距離から叩き込んだ。

 

「……ッぷはっ、はぁ、はぁ、はぁ…。」


 きつい。ここまで集中力を使うと思わず呼吸をすることさえ忘れてしまう。久々に叢雲を使ったが、やはりそう長くも持たないし、あまり使うべきではないな。

 大男は動かない。いくら打たれ強いとはいっても人間であることに変わりはない。意識を失えば、動くことはできない。


 俺は、腰に差した止め用のナイフに手を伸ばす。ナイフの持ち手に手が触れた時、自分が震えているのが分かった。


「情けないな。」


 今更だろう。これほど危険な男を野放しにしておくわけにはいかない。かといって、桐谷のように仲間にするには、あまりにもリスクがありすぎる。第一、俺のいう事など聞く耳を持たないだろう。

 なぜなら、彼にはもう理性がない。戦ってみて分かった。この男はそう長くないと。寿命と引き換えに手にした馬鹿力。服の隙間から見える部分だけでも、散々体をいじられた跡があった。おそらくは、キラーの手によって。


「おい、どうした?何で動かない?おい、おい!」


 キラーは怒りで顔の血管を浮き彫りにし、目を充血させていた。それどころか、血涙まで流し、もはや尋常ではないほどの狂気に飲まれた表情をしていた。

 

「ふざけるな!死神を殺すためだけにお前を作ったんだ!せめて相打ちにでもなれってんだ、この役立たずが……」

「ふざけているのはどっちだ?」


 キラーが言い終える前に、レオはその胸倉をつかみ、ナイフを喉元に突きつける。


「俺の気が変わらないうちに答えろ。あの男を正常に戻すことはできるのか?もし治せるというのなら、すぐにしろ。そうすれば、命だけは助けてやる。」


 刃は徐々に首に食い込み、ぷつぷつと血玉が皮膚から浮き出てくる。


「人のことを散々殺しておいて、自分は高みの見物か?いい御身分じゃないか。そろそろ自分の立場を自覚しておいてもいい頃だろうよ。」


 怒りがこれほど込み上げてくるのは何故なのだろう。俺だって散々殺してきたはずだ。実際、以前は別に他の誰かが人を殺しているのを見たところで、自身に敵意がなければどうでもよかった。

 まったく、これも凛花と出会ってしまったせいだな。あんな人を一度でも見てしまえば、俺のような薄汚れた心の持ち主ですら、元には戻れなくなる。


「あっ、ああ。元に戻せるぞ。だから、その手を離せ。」


 キラーは怯える声で言う。だがなんだ?同時に、余裕があるようにも感じる。

 俺よりも後ろ?


 俺には、殺気というものが分からない。今まで、そんな不確かなものを信じたことはない。そんな俺が、殺気を確かなものとして背後に感じた。


 振り返ると、先ほど倒したはずの大男がよだれを垂らしながら立っていた。なにか、ボソボソと呟いているが聞き取れない。


 だが、腕の痺れは回復した。頭も冴えている。一方、大男の方はだらりと首を垂れ、力が入っていない。正面から対峙して俺がこの男に負ける道理はない。

 

 しかし、俺の予測はいとも簡単に覆された。

 大男は、さらに速く、俺が構える前に急突進して首を掴み上げ、塀に叩きつけた。


「うっ……!?」


 思わず、苦痛の声が漏れる。一体どこにこれほどの力があるんだ。


「お…まえを…ころせ…ば…たすけ…られるんだ……。」


 かすれた声がした。一瞬、それが誰のものか分からなかったが、大男の瞳から流れ出る一筋の涙を見て、すぐに声の主が分かった。


「お…まえ…をこ…ろさないと…む…すめ…がいき…られ…ないんだ……。」


 胸が締め付けられる。この大男…、いや、この人も誰かを助けるために?

 頭が真っ白になる。思考をまとめることが出来ない。俺と同じかそれ以上の守る決意。こんな姿になって、体中を改造されて、それでもなお大切な誰かを想い続けているのか。


「はっ、ははは。そうだ、やれシンジ!そいつを殺せば、この俺が助けてやるんだ!なぶり殺しにしろ!」


 キラーの言葉に、俺は限界がきた。もう無理だ。


「いい加減にしろよ、下種野郎。」


 両手で絞めつけるシンジという人の胸にそっと右手を押し付け、万力を込めて呟く。


「掌底・≪水雷(すいらい)≫。」


 その技は右腕全ての筋肉を総動員し、衝撃波を放つ。攻撃範囲はわずか0.5メートル。その分威力は絶大。当たればまずその部分の筋肉は潰れ、骨は折れる。そして、急所に当たれば防御力に関係なく、衝撃波は対象を貫通する。


 その技を、シンジと呼ばれた人の心臓を目掛けて打った。人に向けては打ったことは過去一度もない。なぜなら、この技は相手に苦しみを与えない。その代わり、使用者自身に激痛が走り、腕が丸1週間は満足に動かせない。

 どう考えてもリスクが大きすぎる。この技を教えてもらった当時、俺は何故師匠がこんな技を生み出したのか、分からなかった。

 でも今ならわかる。殺したくない人。殺すべきではなかった人。殺しをするうえで、そんな人と会う事は避けられない。それでも殺さなければならないとき、自分への戒めを痛みという形で相手ではなく、自身の身に刻むために作られたんだ。


 レオの右腕には師匠に教わった通り、とんでもない激痛が襲い掛かった。筋肉を引きちぎられるかのような、鋭い痛み。

 自然に呼吸が荒くなり、平静を保とうとする。


 

 レオは、右腕を抑え、シンジという男の遺体を眺める。


 レオの背後から、キラーが拳銃をもって狙いを定めていた。だが、レオは微動だにしない。キラーが自分を狙っていることはすでに把握している。そして、さらにその背後から、彼女がそれを阻止しようとしていることも。


 桐谷は、キラーの背後を取り、頸動脈を切断した。キラーは大量の血を垂らしながら、声一つ上げることなく、膝から崩れ落ちた。


 あっけない幕切れだ。


 こんな下種野郎でも、人間なのだと、その血を見て改めて認識する。

 他の誰かから見れば、もしかしたら俺もその下種野郎なのかもしれない。いや、人を殺している以上、そう思うものは必ずいるだろう。一体、何が違うんだと言われれば、何の異論も持つことはできない。


「どうしようもない屑だ。お前も、俺も。」


 この時、俺は初めて明確に、自分で自分に嫌悪感を抱いた。

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