信頼
桐谷との関係が確立されてから、およそ一週間が経過した。俺たちは今までよりも屋敷から近い物件を見つけ、そこを拠点とすることにした。
今のところ、桐谷は問題なく任せられた仕事をこなしてくれている。
彼女の仕事は的確で、凛花の動きをしっかりと把握し、一定の間隔を置いて俺に連絡してくれる。凛花自身もそれなりに充実した日々を送っているようで、最近はいつにも増して機嫌がいい表情がうかがえる。凛花は俺たちが見守っていることなど、考えもしないだろう。それはこちらとしては好都合だ。俺たちの存在を凛花に感づかれて、普段の行動パターンから外れたことをされると、ただでさえ予測しにくい凛花の動きも相まって、見失いやすくなる。
これなら、現状は俺には何の問題もないように思える。だが、実際には問題、というよりかは不安要素は残っている。それは、桐谷の立場のことだ。
桐谷のおかげで、ここ最近は俺の負担が減り、しっかりと凛花を守ることが出来ている。だが、それでも俺は、桐谷のことを完全に信用したわけではない。彼女の生い立ちも目的も、暗殺者になった理由も大まかには予想はできる。だが、それはあくまで俺が勝手に想像した予想の彼女の姿だ。
決して真実であるとは限らず、たとえ彼女が直接自身のことを話したところで、それが事実かどうかを確かめる方法もない。
そんな人間が俺の住処に、しかもいつ何をしてくるか分からない状態で至近距離にいる。安心して眠いることすらできない。
寝る時も逆に桐谷が寝ているように見える時でも、常に警戒を怠ることが出来ない。
おかげで、俺は疲れがどんどん蓄積していき、判断力の低下に陥っていた。
「ちょっとレオ。あなた大丈夫?」
「……うん?あ、すまんボーっとしてた。」
「最近あなたそんな状態でいることが多いわよ?隙だらけだし、まるで目の前が見えていないような……。」
こいつ、意外と勘が鋭いな。出来る限り疲れは顔に出さず、普段通り振る舞っていたはずだが……。
「メイクで隠しているみたいだけど、目の下の隈も酷いわ。今のところ、私と交代制であの子の様子を見守っているけれど、私が休んでいてもそうでなくてもあなたはいつでもどこかに行ったり、何か考えているわよね?」
「……何が言いたい?俺は…」
「言動も荒い。初めて会った時はもっと余裕があったわよ?何を焦っているのか知らないけれど、あなたはもう寝た方がいいわよ?」
確かに、俺は桐谷が夜の担当で起きているときも目をつむっているだけで常に気を張って神経をすり減らしていた。日中出かけている時も、桐谷が役目を果たしているか、そして、屋敷の状態に異常はないか、部屋とベランダに仕掛けたカメラで確認していた。
だが、俺にはやるべきことがある。休んでいるわけにはいかない。
「放っておけ、俺は……っ!?」
なんだ?足に力が入らない。意識も急に……。
朦朧とする意識の中、桐谷の声が頭に響いてきた。
「少し強引だけど、あなたには意地でも休んでもらうわ。私にも、あなたにやってほしいことがあるんだから。」
「………。………うっ…。」
窓から日の光が差し込み、俺は目を覚ます。
朝?俺は一体、何をやって……。
数秒状況が理解できなかったが、すぐに俺は最後の記憶を思い出し、飛び起きた。
いつの間に寝てしまっていたんだ?凛花は無事か?桐谷は……?
「あら、やっと起きたのね。半日も眠るなんて、よほど寝不足だったようだけど。気分はどう?」
桐谷はすでにテーブルに料理を並べており、エプロンをつけていた。
しばらくすると、少しずつ記憶が戻ってきた。そうだ、確か俺は玄関辺りで倒れるように眠ってしまったのか。いや、それよりも俺が自身の体力を見誤ること自体本当ならあり得ない。
「ごめんなさい、あなたには睡眠薬を飲んでもらったわ。睡眠薬が飲み物に入っていることに気付かないくらいに疲れていたみたいだったしね。」
…ちょっと待て。そんなに隙だらけだったのに、俺を殺さなかったのか?
確かに両者の同意は得たが、あんなものは所詮口約束だ。お互いに信頼していなくて当然。ならば、隙を見せれば殺されてもおかしくないというのに。
「……俺を殺さないのか?」
「は?」
恐る恐る聞くレオに対し、桐谷は首をかしげる。
「俺が寝ている間は、完全に無防備な状態だったはずだ。なぜ、放っておいた?逃げ出すも俺を殺すも自由だっただろう?」
殺気が向けられれば、どんな状態であろうと起きることが出来るように訓練はしている。だが、そのことは桐谷には話していない。
俺を殺せれば、全ては桐谷の思い通り。俺が持つ暗殺器具も、金も、凛花の命も。殺さない理由がない。
「なぜって、あなたが私に依頼を出したんでしょう?依頼主を殺す殺し屋がどこにいるっていうのよ。それともあなた、私のことを信頼してなかったの?」
なるほど。少なくとも、今は信頼を寄せているわけか。しばらくは桐谷に対して警戒をする必要はなさそうだ。もし俺に危害を加える気なら、何かしら手は打っているはず。
そしてもう一つ分かったことがある。桐谷に何か俺と組む目的が依頼されたことの他にあったとして、それは俺を殺すことでも、凛花を殺すことでも、ないという事。もし仮に凛花を殺すことが目的なら、さっさとここから逃げ出して殺しに行けばいい。
睡眠薬に気付かなかった俺も間抜けだ。死神ならそんなこと、息をするように見抜くだろう。
「分かってはいたが、俺もまだまだだな。」
「え?」
「何でもない。もう大丈夫だ、ありがとう。おかげでかなり気分が良くなった。」
「そう、ならよかった。」
桐谷を疑うのはもうこれで最後だ。信頼してほしいのなら、まずは自分から。それが出来ないのなら、俺に桐谷と手を組む資格はない。
俺はそう決意を固め、立ち上がる。
「それで、俺が寝ている間に何か異常はあったか?」
「いいえ、今のところはまだ何もないわ。ただ、少し気になることがあって。」
「気になること?」
「ええ、これは昨日の夕方の映像なのだけど。」
桐谷はそう言って、俺にビデオで撮った映像を見せた。
屋敷とその周囲のひまわり畑の周辺を映した5分ほどの映像。そこには一見すると何の以上も見受けられない。だが、もしかしたら俺達暗殺者にしか分からないほどの微細な違和感。
「気づいた?」
「ああ。この男、自然すぎる。」
凛花の屋敷の前を通る人は少ないが、全くいないというわけではない。近くには小さな飲食店やコンビニもあり、日中も夜も数分ごとに人は通る。そして、観光客であれば、屋敷やヒマワリ畑の広さに驚き、この道に歩きなれた者ならば、見向きもせずに素通りすることもある。
しかし、この映像に映っている男は…。
「俺はここを良く通る奴の顔は大まかに把握している。こいつはそいつらの中には含まれていない。にも拘らず、こいつの反応は歩きなれた者の仕草と同じだ。」
「ええ。でもあくまで可能性の話よ。もしかしたら以前この辺りに住んでいたのかもしれないし、まだ断言はできない。」
「分かってる。でも、警戒した方がいいだろう。何が起こるか分からないからな。」
こいつが殺し屋である可能性は否定できない。事実なら、それなりの準備が必要だろう。
「……桐谷、いつもよりも入念に準備をしておいた方がいい。何か、嫌な予感がする。」
「?そう、分かったわ。」
この男には何か違和感を感じる。殺し屋である事ではなく、それ以上に危険な何かではないかという気がしてならない。
俺は自分の暗器を取り出し、いつでも暗殺の阻止に行けるようにメンテナンスを行った。