96 九宝陽葵を救いたい①
それからお盆明け最初の出勤日、俺は誰よりも早く営業所に到着した。
あれから電話でもスマホでのメッセージでも九宝さんは既読にならず、心配でたまらなかった。
やはりあの時無理にでも逃がすべきだったか……?
ああしていれば良かった、こうしていれば良かったと思い詰めてしまう。
親である以上、よほどのことがない限りとは思うがあの九宝さんの父親は正直ただ者ではないように見えた。
営業所で九宝さんが来るのを待つ。
所長が来て、仁科さんが来て……そして。
「おはようございます」
九宝さんが来た。
よかった。
ちゃんと顔を見られただけでも安心をしてしまう。
父親のことを確認したかったが、家庭の関係のことだ。本人の了承なしで所長や仁科さんの前で話をするのは憚られる。
今日は外周りの日だったのでなかなか九宝さんと2人きりになることはできなかった。
そんな就業時間後。
「花村さん」
九宝さんから声をかけてきた。
2人きりで事務所の裏へ行く。
話したいことがいっぱいある。向こうから来てくれたのは好都合だった。
「先日は申し訳ございませんでした」
九宝さんは深々と頭を下げた。
いや、そんな言葉が聞きたいんじゃない。
「大丈夫なのか……大丈夫なんだな」
九宝さんはくすりと笑う。
「ふふ、心配しすぎですよ。傲慢で人相悪いですけど……父は父ですから」
「そ、そうか……。ごめん、……あの時無理にでも君を連れて逃げればって」
九宝さんは首を振った。
「逃げたら……きっと人様に迷惑をかけてでもわたしを捕まえようとしましたからね。もうギリギリだったみたいですし」
「え?」
「花村さんにご迷惑をかけない……って考えるとあの時と父と一緒に帰った方がよかったと思います。心配して頂かなくて大丈夫ですよ」
そうやって九宝さんは笑みを浮かべる。
でもその笑みはまるで営業スマイルのようにウソで塗り固められたような感じに思えた。
これは諸刃と思いつつも……口に出す。
「あの夏祭りの後、丘の上で九宝さんは俺に何を言おうと思ってたの」
「……」
九宝さんから表情が消えていく。
どう言葉を返してくる? その言葉によって俺が強く悩むことになるだろう。
だけど聞きたかったんだ。
「忘れてください」
「え」
「もうあの時のことは…… 泡沫の夢だったんです。今のわたしには過ぎたものでした」
九宝さんは俺の横を通り過ぎる。
「学生時代に憧れた花村さんと出会えて本当に良かった。それはウソではないですよ」
「く、九宝さん!」
しかし、俺の声に九宝さんは反応してくれなかった。
それから業務上以外で九宝さんと話をする機会が極端に減っている。
避けられている。そんな風にも思えた。
それと同様に九宝さんは執筆活動にのめり込むようになっていった。
仕事が終わってからもスマホを睨み付けるようにして執筆をしていく。
その執念に俺も所長も仁科さんも心配したが……九宝さんは大丈夫です……の一点張りだった。
そうして1週間が経ったある日、九宝さんの最新作の令嬢モノがWEBに投稿されることになる。
実際読んでみたが、今までのものと比べものにならないほど面白く、感情が揺さぶられるような内容となっていた。
主人公である貴族令嬢が破滅から立ち直り、そして強くなっていく過程が上手く表現されていた。
まるで最後の1作かのように全身全霊をこめられていたのだ。
そして3日が経つ頃には……そのWEBサイトのジャンル別日間1位に到達してしまったのである。
凄い快挙に事務所では大盛り上がりだった。
「やったね、陽葵ちゃん! おめでとう!」
「やるじゃない! でも今作は凄かったわ。見事ね」
「うん、俺も……すごいと思ったよ」
「あ、ありがとうございます」
照れながらも賞賛を受ける九宝さん。
思えば夏のレクリエーションの時もたくさんな話を書いていた。
ほとんどが伸びなかった作品だったが、彼女なりにコツをつかみかけていたのは間違いない。
今回、その集大成が出たということだろう。九宝陽葵の本気の一作が人々に評価されたのである。
「本当にみなさんのおかげです! 所長の……仁科さんの……花村さんのみんなが支えてくれたおかげです」
九宝さんは思い出すように、噛みしめるように言う。
所長も仁科さんも俺もすごく嬉しかった。
これからも4人で仲良くやっていける。そう思っていた。
だが。
次に放った九宝さんの言葉で俺達の間に纏う空気は凍る。
「一身上の都合で申し訳ありませんがわたしはこの会社を退職します。本当に今まで仲良くして頂きありがとうございました」




