64 男、花村レディを救う
夕方頃、散歩ついでにスーパーへ買い物に出るため外へ出た。
ネットを使えば金でいろいろ物をすぐ届けてくれるのだが……作家というものは引きこもりがち。
ちゃんと外に出て足を動かさないと健康が脅かされるのだ。
最近は仕事も副業も順調だ。
どちらも精力的に活動できているのが大きい。
特に創作の方はアレかな。女性と積極的に接することが増えたせいか描写のバリエーションが格段に増えた気がする。
所長に仁科さん、九宝さんと三者三様、見た目も性格も違うから創作の参考にしやすい。
あの夏のレクリエーションは今思えば最高だった。
あのホテルの夜に発散しまくったおかげでまた一つ表現力がアップしたと思う。
俺にとって性癖のはけ口は書くことなのだから。
まぁ頭ブラ子なんて不名誉なあだ名をつけられるとは思わなかったが……。
しかし仁科さんと九宝さんのブラジャーを参考にしたが……本当に気持ちが昂ぶったな。
今度A~Hカップ用のブラを資料用に買いそろえてみるか? あ、できれば使用済みの方がいい気もしてきた。
どっかで入手できないものか。
……いや、盗まないよ!
「や、やめてください」
そんな不遜な声がして俺の視線はそちらに向く。
物陰で女性が強面の男に手を掴まれていたのだ。
やりとりから知り合いのように見える。しかし雰囲気が良くない。
俺は正義感の強い人間ではない。
できる限り、争い事は避けたい側の人間だ。
だがその考えはあくまで赤の他人を見かけた時の話であって……見たことがある人であれば手を差し伸べるべきだと思っている。
「おまえに用はない。陽葵を出せと言っている!」
「あの子にはあの子の人生があるのです。父親なら……」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇぞ!」
「警察の人! こっちです」
「チッ!」
警察なんて呼んではいないけどこれが手っ取り早い。
強面の男は慌てて立ち去っていった。
残された女性に声をかける。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……ありがとうございます。あ、あなたは……」
「はい、陽葵さんの同僚の花村と言います。お姿をお見かけし、危ないご様子だったので……。まずかったのでしょうか」
「いえ……助かりました」
そう、この人は九宝さんのお母さんだった。
夏のレクリエーションで九宝さんを迎えにいった時に出会ったので顔は覚えていた。
九宝さんに似て、めちゃくちゃ美人さんだったからな。
母が美人だと子として複雑だから俺の叔母くらいになってほしいくらいの美しさだ。
「宜しければ家まで送らせてください」
「そんな、娘の同僚の方にそこまでして頂くわけには……」
「陽葵さんにはいつも凄く助けてもらっているので、少しでも借りを返させて頂けると自分としてもありがたいのです」
こんな感じで言えば……受け入れてくれるだろうか。
実際さっきの男がまだ近くにいる可能性がある。
さすがにそんな状況で放り出すなんてできないからな。何かあって九宝さんが悲しい想いをするのは良くない。
九宝さんのお母さんは折れて、一緒に帰ることになった。
それにしてもこの前会っておいて良かった。俺の身分は証明されてるし、九宝さんの住所も知っていから変な警戒はされないと思う。
道すがら九宝さんの話題で盛り上がる。
俺は仕事場での九宝さんの様子をありのままに話し、お母さんは九宝さんの普段の様子を語る。
「昔から友達が少ない子で一人で行動することが多かったのですよ」
「本を読んだり、物語を書いたりするのが好きって聞きましたね。楽しそうに語る彼女の姿を見ると自分も嬉しくなりますよ」
「そうですか。ふふ、書いてることを話すなんてあの子は花村さんのことをとても信頼しているのですね」
「あはは……。他の所員も知ってますからね。信頼してくれているならありがたいですよ」
「家のことであの子には不憫な目に合わせてしまいました。高校の時も一人外へ出て、本を読んでいることが多かったので……悪いことをしてしまったなと思っています」
「そうでしたか……。不躾な問いになるかもしれませんが……さきほどの男性はもしかして」
「ええ、私の夫で陽葵の父です」
やはりそうか……。
あの人が名家と呼ばれている九宝の家の人なんだ。でもガラが悪そうでとてもそうには思えないな。
口に出しては言えないけど。
「陽葵さんからあの人は出て行ったとお聞きしましたけど……また接触してきたのですか?」
「はい、私も久しぶりに会いました。どうやら……陽葵を探しているようですね」
「そうですか。でしたらつけられてたりするかも」
キョロキョロとまわりを見渡す。
「あの人はプライドだけは高いのでそのようなマネはしないと思います。九宝家で何かあったのかもしれませんね」
「失礼な話ですが……離婚などはされたりしないのですか?」
「娘からはよく言われるのですが……、迷っているのです。良ければ少しだけ昔話をさせてください」
俺は頷くことにした。
「私の家は資産家だったのですが、事業に失敗して没落しました。そこを九宝家が救ってくれたのです。目当ては……私だったようですが」
ああ、何となく見えてくるな。
この美貌の血が欲しくて、お母さんを手に入れたのかもしれない。
創作だと事業の失敗も名家が関わっていそうだが……そこは想像の域だな。
「私はともかく、陽葵は曲がりなりにも九宝の血を引いています。陽葵が望めば九宝の恩恵を受けることができるでしょう」
「でもそういう話って必ずしも幸せには繋がりませんよね」
「ええ、おそらく政略の道具とされることでしょう。しかし……身の安全には代えられません」
幸い、九宝さんのアパートの住民はいい人ばかりらしいし、九宝さんもすでに就職した身だ。子を守るという意味ではもうすでに最大の危機は脱していると思う。
「だから今はそのままにしているのです。下手に接触することで今の幸せが悪い方向に繋がるような気がして……」
触らぬ神にたたりなしって感じかな。
今の九宝さんのルックスを見れば誰もが手に入れたいと思うだろうし、九宝本家も放っておかない可能性がある。
九宝さんの父の行動がエスカレートするなら……アレだが、今はまだって所だな。
俺は持っていたメモ帳の紙を破ってお母さんに渡した。
「これ……自分の連絡先です。何か困ったことがあったら言ってきてください。男手が必要な時もあるでしょう」
「……そんな悪いです」
「陽葵さんを守るためと思って頂ければ」
「まぁ」
陽葵さんのお母さんが申し訳なさそうな顔から一変して朗らかな顔となる。
あ、しまったこの言い方は良くなかったかもしれん。
どう考えたって……九宝さんが好きだから外堀を埋めようとしている男にしか見えない。
だけど……今更否定するのもな。
「分かりました……。お預かりさせて頂きます。ふふ、娘にも花村さんを推させて頂きますね」
「え……あはは」
案の定、勘違いされてしまった。
まぁ、いっか。
「今度良ければ遊びに来てください。今日の御礼に……ごちそうさせて頂きます」
「あ、ありがとうございます」
変な感じで外堀を作ってしまったような気がする。
ま、まぁ同僚の親族の方に印象を良くしておくのは悪いことではないからな。
この後、アパートまで送り届けたのはいいが、九宝さんに見つかってしまい、お母さんの余計な気遣いが原因でお互いちょっと慌てた感じになってしまったのだった。
そして次の出勤日の朝に九宝さんに声をかけられる。
「……お母さんから花村さん推しが凄かったです。随分と薦められました」
「ご、ごめんなさい」
「でも花村さんが推されるのは間違ってないと思いますけどね」
「え?」
九宝さんはにこっと笑い、長い黒髪を揺らして立ち去っていく。
えっと、それはどういう……。
話を蒸し返すことができず、今日もお仕事頑張ることになった。