121 出張先で彼女と⑧
「本当、本当に申し訳ありませんでした」
「……もう」
ホテル1Fの朝食バイキング会場で食事を茜さんと取ることになる。
本当は朝一で逃げるように去る予定だったのだが……こんな状況でできるわけがない。
「傷とか……その……」
「ええ、致命的なことまではされなかったので大丈夫です。まぁ、私も十分に花村さんから注意を受けた上でのことだったので訴えたりはしませんが……さすがにやりすぎかと」
「本当にごめんなさい」
あの優しい茜さんがそこまで言うほどやらかしてしまったようだ。
でも全然詳細は教えてくれない。俺はいったい何をやらかしてしまったんだ。
全然覚えてないんだよぉ。
「俺、何をしたんですか」
「……あれだけのことを覚えてないのも……ちょっと複雑です」
怒ってるんだけど……実際の所そこまで怒っているようには見えない。
いや、でも判断を間違えてはいけない。誠心誠意謝らないと!
「夜中に相当抵抗したので……本当にお腹が空きました」
「い、いっぱい食べてください」
「正直寝不足です……。今日は片付けが終わったら浜山に戻ってそのまま直帰するので支障はありませんが」
「は、はぁ……」
「花村さんはとりあえず何とかした方がいいかもですね」
「そ、そうですね、睡眠外来とか行こうかな」
「そっちじゃなくて、ホテルの外の窓からジト目の美作さんが張り付いているので」
「え」
気付けば所長が両手を窓に張り付いてこっちを見ていた。
これは……波乱かもしれないなぁ。
◇◇◇
「花村くん。宿のことは西横インで確認したわ。手間をかけさせて悪かったわね……。でもまさか……茜さんと同じホテルに泊まってたなんてね」
「あははは、そうなんですよ!」
「ここ一帯ホテルが全部埋まっていたのによく泊まれたわね」
「いやぁ、運が良かったですね」
「そうですね。二人仲良く一緒の部屋でおしゃべりして楽しかったですよね」
「え」
ああ……場が凍り付く。
茜さんやっぱり言っちゃうのね。できれば言って欲しくなかったなぁ。今の俺には茜さんを止める術はない。
「茜さん……それはいったい」
「美作さんが花村さんとラブホに行った時とまったく同じ状況で、花村さんと一緒のベッドで夜を過ごさせてもらいました」
「なっ!」
当然のように言う茜さんに対して顔をかっと赤くした所長だったがやがて素面に戻り、少し考えこんだ後、口を開く。
「まったく同じ……。もしかして一緒のベッドで寝入った花村くんに襲われました?」
「はい。さすが美作さん、素晴らしい洞察力です。結構大きいダブルベッドだったんです」
「あぁ……もう!」
所長が頭を抱える。
「花村くん、あなたねぇ……。私はともかく茜さんに手を出すなんて」
「あ、いや……その」
「びっくりしました。寝入った瞬間胸を掴まれましたからね。さすがの私も焦りました。美作さんの時はどうでした?」
「ええ、いきなり胸を掴まれましたね。普段は女性は苦手ですって謳っておきながら寝入った瞬間飛びかかってきましたからね」
「……花村さんもやはり男性なのですね」
「本当にごめんなさい!!」
所長と茜さんにじろっと睨まれる。
「もしかして腋とか舐められました?」
「されました! すごい執念で舌が駆けめぐりました。何をそんなに求めれているのか……」
「あぅ!」
心がぁ、心が痛む!
死にたい!
「大声出そうと思ったら口を塞がれるし、下着を脱がされそうになったので両手で踏ん張ってたら、思いっきり弱い所くすぐってるし、胸は鷲づかみするし、お尻はなで回すし、ワキはもうベロンベロンに!」
「も、申し訳ありません!!」
「ま……ドキドキして想像以上に気持ち良かったから……いいんですけど」
「へ?」
「何でもありません! こんなこと私や美作さん以外にしちゃだめですよ」
「し、しませんよ」
「そんなこと言って、陽葵にその内やりそうよね」
「元はと言えば所長が予約を取り忘れさせしなければ……!」
「それは悪かったけど……茜さんを襲うのはあなたの性癖でしょ。まったく、一緒のベッドで寝たのは私だけの特権だったのに」
「所長?」
「うるさい、何でもない」
「じゃあ次は……」
茜さんがにっこりと笑う。
「美作さんと花村さんがラブホに行った時のこと詳しく聞きましょうか」
「そういえば! 花村くん、バラしたのね!」
「浅川姉妹には勝てないんですよぉ」
結局出社時間ギリギリまで3人で話すハメとなった。
この後、展示会に行き、撤収作業を実施、S社部長の岸山さんとも話をして、所長と共に今後のことについて話をした。
そうして全ての仕事を終えた俺達は新幹線に乗って浜山に戻ることになった。
あぁ……疲れた。
昨日の夜まではほぼ完璧だったのに……。
俺は本当寝ている時何をしているんだろう。今度、陽葵を使って実験してみるか? 動画を撮って……いや、ダメか。
「花村さん、何を考えているのですか?」
「な、なんでもないですよ」
「ふふ、まぁいろいろありましたけど……楽しい出張だったと思います」
「ええ、いろいろありましたけど……ね」
新幹線は空いていたので3人で自由席に横並びで乗ることにした。
横浜から浜山まではそんなにかからない。
「……」
所長はじっとこっちを見ていた。
「どうしました?」
「……何でもないわ。それより、茜さんと随分と仲良くなったわね。花村くん、あなたやっぱり女ったらしの素質あるわよ」
「ないですよ! 俺はモテたことありません」
「え~、昨晩あんなにテクニシャンだったのに?」
「茜さん……もう」
「うふふ……」
「……」
茜さんとの会話が盛り上がり、あっと言う間に浜山に到着した。
時刻はもう定時を超えており、明日は俺も所長も急ぎの案件はないので直帰する予定だ。
どちらも自家用車で来ているのでここでお別れになる。
「そういえば茜さん、駅までは何で来られたんですか?」
「親に送ってもらいました。今日は出勤なのでバスで帰ろうかと思います」
「……。花村くん、茜さんを家まで送ってあげなさい」
「ええ、それは構いませんけど。じゃあ行きましょうか。送らせて頂きます」
「あ、ありがとうございます」
茜さんには迷惑をかけてしまったからな。
これだけで挽回できるとは思ってもないけど。
「美作さん」
茜さんは所長に声をかける。
「本当にいいのですか?」
その言葉に所長は少し動揺する。
「いいも悪いも……茜さんは大事なお客様ですから。じゃあ花村くん、送り狼はしないようにね」
「しませんよ! そもそも送る先は茜さんの家ですし……」
「明後日は仁科を連れて伺いますので……お疲れ様でした」
「お疲れ様でした、美作さん」
所長はさっと立ち去っていく。
「茜さん、どうしました?」
「美作さん……」
茜さんはじっと去って行く所長の後ろ姿を見ていた。
「何となく所長らしくない物言いだったなと思いましたけど……」
「原因は恐らく……。いえ、何でもありません」
ううむ、わからん。
まぁこのあたりに性差もあって理解はできないのかもしれないな。
「じゃあ、茜さん……行きましょうか」
「はい! あ……花村さん」
茜さんはぐいっと近づいてくる。
「昨日の御礼に宜しければ私の行きつけのお店で晩ご飯を一緒にしませんか?」
「御礼って……御礼をしたいのは俺の方……」
「あ、それ私の体を触ったことに対するものですか?」
「ち、違いますよ!」
「うふふ、冗談です」
「茜さんは……からかい上手すぎます」
茜さんに一本取られてしまった俺は断ることができず、夕食を茜さんと一緒に取ることになる。
その後、葵さんも合流し、浅川姉妹と楽しい夜と過ごしたのであった。
茜さんに寝ぼけて抱きついたことは結局葵さんにバレてしまい、とんでもなく追求されたことは言うまでもない。
そしてこの選択がまた……大きなことに繋がるなんて思いもしなかった。