114 出張先で彼女と①
「ちょっと3人ともいいかしら」
10月に入った金曜日の朝、朝礼で所長が声をあげる。
「来週の月曜と火曜日。S社の関連の案件で横浜に出張に行くことになったから後は任せるわね」
「分かりました」
俺を含む所員3人は頷く。
「それとS社の横浜工場にも顔を出したいんだけど……同じ日に横浜の方でS社の展示会があってテスモを紹介してくれるみたいでね、できれば誰かに同行してもらいたいのよ」
それはすごい。
S社のような大企業の展示会に置かせてもらえるなんてそれだけで宣伝効果となる。
研究発表でこの機器を使ってますって紹介する形になるんだろうか。
「仁科は来週空いてる?」
「えぇと……。来週はY社で打ち合わせが続いてるんですよね。ほら、前報告した例の件」
「ああ、あれね。あれは重要案件だからそっちを優先してちょうだい。そうなると花村くんは?」
「J社の打ち合わせを考えていましたけど、まだアポは取ってないので大丈夫ですよ」
「そう、じゃあ……私と花村くんで横浜に行くわよ」
「え!」
突然、不満の声をあげたのは陽葵だった。
「じゃあその間に花村さんのお世話は誰がするんですか!」
「出張中はいらんでしょ」
「で、でも! 花村さん……料理も全然できないし、掃除は甘いし、洗濯物もぐっちゃぐちゃで無茶苦茶なんですよ」
「俺の生活能力の無さをバラすな! ホテルで泊まるから関係ないし……」
「添い寝だってしてあげられない……」
「花むっちゃん、一緒に寝てるの!?」
「陽葵、しれっと話を盛るのやめようか」
添い寝はまだやっていない。添い寝は……な。
「もう陽葵はすっかり……家事代行が肌についてきたわね」
「じゃ、陽葵ちゃん。あたしのお世話をしに来てよ。家事代行雇いたいなぁ、なんて」
「1時間2万円です」
「たっかっ!」
陽葵は沈んだ表情を浮かべる。
「うぅ……花村さんによしよししてあげるのが最近の生きがいだったのにぃ……なるべく早く帰ってきてくださいね」
「花村くん、今は何のプレイにハマってるの?」
「家事代行じゃなくてママ代行だったのかな」
「深掘りしなくていいですってば! 陽葵も家に帰りなさい! じゃあ所長、同行しますので……宜しくお願いしますね!」
◇◇◇
朝の新幹線に乗り込み、俺と所長は2人で横浜に向かって移動する。
新幹線の座席指定は各々取るので同じ新幹線だったが所長とは別々だった。
このあたりは旅行で行くのとわけが違う。あくまで仕事で行くのだ。
事前に打ち合わせをするのであれば隣ということもあるが、会社の情報を不特定多数の人が聞ける所でやるのは宜しくない。
このあたり所長はしっかりとしているので問題はないだろう。
金曜の間にそのあたりの打ち合わせはしておいたので問題ない。俺が横浜の工場の方へ打ち合わせに行き、所長が展示室の方でS社の担当者のフォローにまわる。
さてと横浜の工場の担当者とは電話で話はしたことがあるが、実際に会うのは初めてなので楽しみだ。
新横浜駅。
大都会神奈川県といえばこの横浜という都市だろう。
東京時代もよく行くことはあったので所長よりも俺の方が知っているんじゃと思うくらいだ。
「おはよう、花村くん」
「おはようございます」
同じ新幹線だったが別の車両に乗っていた俺と所長はここで合流することになる。
「じゃあ当初の予定通り、俺が工場の方に向かうのでレンタカーを借りてきますね」
展示会が行われる会場はここから歩いて10分ほどの所だ。
代わりに横浜工場は車で行かなければならない。
所長とはここで別れる予定となる。
「あ、花村くん、ちょっと待ちなさい」
「なんですか? あっ……」
新横浜駅のホームでこつこつと足音を立てて、こちらに近づいてくる一人の女性。
栗色のセミロングの髪に所長と同じようにぴしっとスーツで決めた……凄まじく美しい容姿をした女性がそこにいた。
そう、彼女はS社の社員である浅川茜さんだった。
「浅川さん!」
「は、花村さん」
浅川さんもまた俺の姿を見て驚いていた。
浅川さんが来るなんてまったく知らなかったぞ。
所長がにやりとした。
「さては所長、黙ってましたね……」
「サプライズがあった方がいいと思ってね」
「仁科さんが来られるって聞いていたんですが……」
「すみません、人員変更で花村にさせて頂きます」
浅川さんも知らなかったようだ。
このあたりは親しさから来るやりとりだから当然かな。
「そうなると展示会のご担当は浅川さんになるのですか?」
「ええ、その内に1ブースをお借りすることになっています。テスモの試験結果を合わせたプレゼンテーションを私が行うので……フォローをお願いしたくフォーレスさんをお呼びしているのですよ」
なるほど……、すごい成果だと思ったけど、所長と浅川さんのラインで動いていたってわけか。
これなら大成功間違いなしだろうな。
「よし、それじゃ時間が迫ってきたので俺は横浜工場の方へ行きますね」
「あ……」
その時、浅川さんの表情が曇ったように見えた。
俺はあまり気にしなかったが……所長がその様子をじっと眺める。
そして俺の方を向く。
「変更しよっか」
「え?」
「私が横浜工場に行くわ。あなたは茜さんの側でフォローしなさい」
「美作さん!?」
驚いた様子を見せる浅川さん。俺も驚きだよ、いきなり何を言い出すんだ。
まぁ金曜日の時にそういう事態も考えられたからどっちにもいけるように情報の共有はしていたけどさ。
「来年からはあなたに展示会を任せるつもりだったし、もう今年からやりなさい。んじゃ」
こうして所長は早々と立ち去ってしまう。
残された俺と茜さん……。
「あの……えっと……」
戸惑う茜さんに俺は軽く息を吐く。
「上司命令なら仕方ありません。浅川さん、今日は宜しくお願いします。行きましょうか」
「は、はい!」
茜さんが非常に嬉しそうな顔をしたことが何より印象的だった。