第八話
そして二月末の土日、俺が企画した温泉旅行当日を迎えた。俺達は父の安全運転で目的地の霧島温泉郷方面へ向かった。
【霧島温泉郷】は、鹿児島県霧島市から湧水町にかけての霧島山中腹に点在する温泉群の総称である。狭義では大浪池の南西斜面、中津川(天降川の支流)流域にある古くから知られている温泉群を指す。
1959年(昭和34年)5月4日、『霧島温泉』として、旧・霧島町の霧島神宮温泉とともに国民保養温泉地に指定されている。
「おい、親父、もう少しスピード出せよ。こんなのんびり走ってたら日が暮れちまうぞ」
「バカか、霧島温泉郷は近いんだから、そんなに慌てなくてもいいんだよ。旅行に焦りは禁物だ。急がば安全運転と言うだろ」
「バカ、親父、しずとゆきがいるんだぞ。ことわざをアレンジするなよ。原型を知らないしずとゆきがそれで覚えちゃうだろ」
「あ、そうか、いけない。これは真助が正論だ。ごめんね、しずちゃん、ゆきちゃん、今のは訂正するよ。本当は“急がば回れ”って言うんだ。これはね、急いでる時こそあえて遠回りしてでも時間をかけていきなさいよという意味でね、気が急いてる時こそ、一呼吸置いて落ち着いて行動しなさいって言う戒めみたいな言葉だね。今はその回れの部分を安全運転に置き換えてみたということだね」
「ふうん、でも何かいい言葉だね。ありがとうパパ、また一つ勉強になった。急がば安全運転だね」
「ち、違ーう、ゆき。そっちを覚えてどうするんだよ。急がば回れだって」
「あ、そうか、そっちは状況に応じて上手くアレンジする方だったね」
「それも違―う。ゆきはそんなアレンジして使わなくていいよ。普通に正式な方を使えばいいの。ほら見ろ、親父、そんな変なアレンジするから、ゆきの天然炸裂じゃねーか」
「ああ、真助、また私のことおバカ扱いした。酷い、失礼ね」
「違う違う、バカになんてしてないよ。天然はその意味合いも含んでるけど、女性に使う場合はそっちの意味は小さいんだよ。ほとんどは可愛いという意味合いで使ってるの」
「そうなの?ねえ、経幸、真助の言ってることは信じていいの?」
「ああ、まあ、ゆきに向かって真助が言ったんだ。間違いないよ。今、真助が言った天然の意味は誰に向かって言うか、その対象者のキャラクターによるね。ゆきだからそんな意味になるってことだね」
「んー、経幸の言葉、何か難しい。ちょっと何言ってるか分からない」
「ハハハ、ゆき、今の言葉、まるでサンドウィッチマンのコントみたいだな。凄く上手い返しだよ。ゆきもしずも今の生活に馴染んできたな」
「そうそう、一度、使ってみたかったの。前にテレビ見てて、サンドウィッチマン?っていうお二人、凄く話してることが面白かったから」
「おい、参ったな、まさかゆきに必死に説明して、結果、こんな返しをされるなんて。俺、真助に乗せられてゆきとしずにいろんなこと教えてきたけど、人に何かを伝えること下手くそなのかなあ」
俺はまた真面目にゆきの返しに凹んだ。
「また、お前は。真面目かって。もう少しお前はおふざけ会話を楽しめって。なあ、ゆき」
「そうだよ、経幸。そんな言葉返したら、経幸も笑ってくれるかなって思って使ってみたのよ。ゴメン、経幸がそんなに落ち込んじゃうと思わなかったから」
そう言ってゆきは悲しそうな顔をした。
「いや、ゆき、ゴメン、俺の方こそ。そ、そうだよな、今日は楽しい温泉旅行なんだ。俺も真面目はヤメだ。よし、パーッと楽しく行こう」
「そうだよ、経幸。今日はいつもの真助みたいにアホなことばかり言って過ごせばいいんだよ」
「ま、待て待て。しず、何てことを言ってるんだよ。そんな真剣な顔して、思いっきり俺のことをディするなよ。しずはゆきみたいに天然じゃない分、そんな毒を吐かれるといくら俺でも凹むぞ」
「ハハハ、真助でもこういうこと言われると凹むんだ」
「あ、当たり前だ。しず、大好きなお前にそんな顔で言われたら、凹むに決まってるだろ」
「あー、ハハハ、真助、騙された。こんなこと、大好きな真助に真剣に言う訳ないでしょ。そんないつも最高にみんなを楽しませてくれる真助だからこんなこと平気で言えるのよ。大好きだよ、真助」
しずはそう言って隣に座っていた真助の腕を組み、肩に頭を擡げた。真助はそのしずの仕草に一発で照れながら笑顔になった。
「な、何だ、そうか、いやあ、しず、俺のこと良く分かってくれてるな、ありがとう」
「よし、それじゃあ、今、急がば回れが話題になったから、直接旅館に行かずに、あそこに寄って行こうぜ」
「あそこってどこだよ、経幸」
「霧島温泉郷の近くのあそこと言ったら、あそこだよ。俺たちの大好きな関之尾の滝だよ」
その名前を出した途端、俺は車内全体が凍りついた雰囲気を感じた。その後、俺は最後尾のシートにしずと座っていた真助に思い切り後頭部を叩かれた。叩かれた後に真助を見るともの凄い怖い目で俺を睨みつけていた。
「痛!な、何するんだよ真助。そんな強く叩くんじゃねーよ。あー痛!腹が立つわ」
「バカ野郎、腹が立つのは俺、親父、お袋だよ。見て見ろ、しずとゆきの顔を」
しずとゆきの顔を見ると二人は下を向いて両肩を自分で抱いて、屈んで震えていた。
「温泉旅行を企画して最高の気遣いだとせっかく褒めてやったのに、今の一言で台無しだ。本当にお前は最後で詰めが甘いな」
「え?俺、何か悪いこと言ったのか?」
「はあ、気付けよ、しずとゆきの顔みて、気付け、このおバカ」
俺はまた真助に拳で軽く小突かれた。
「関之尾の滝になんて今は行く訳ないだろ。俺たち家族四人ならそれでいいぞ。四人の中の会話でなら、みんな大好きだから。考えろよ、経幸、今はしずとゆきがいるんだぞ。しずとゆきはどういう女性だ」
「そ、それは神話の美女で関之尾の滝に身を・・・」
俺はそう語り始めてハッとした。
「ああーーー!」
「分かったか、バカ」
俺は自分の放った言葉に衝撃を受けて猛省した。そして俺はすぐにしずとゆきに謝った。俺は二人に頭を下げ、いつの間にか涙を流していた。
「ごめん、俺、本当のバカ野郎だ。何でこんなこと言う前に気づかないんだよ。ゴメン、グスン、本当にこの通り。ってダメだ、俺、今日はもうゆきとしずの傍にいる資格はない。父さん、車止めてくれ。俺、ここで降りる。ここから歩いて家に帰る。真助、これ、旅館の宿泊費用も含めて用意したお金だ。あとは頼む。父さん、早く、止めてくれ」
「本当によ、お前って奴は。そうだよ、俺たちにとってはいろんな素敵な思い入れのある場所だ。でも、しずとゆきにとってあの場所は、酷い仕打ちを受け、そして自らの命を断とうと入水した、俺たちとは真逆の思い入れのある場所なんだぞ。そんなことはしずとゆきと暮らすようになって最初に、常に念頭に置いておくべき配慮だ。そんなことも気遣えない奴は、そうだよ、しずとゆきの傍にいる資格はないよ。親父、車を停めてくれ、経幸が歩いて帰るって言ってるんだ。こいつの気持ちを汲んでやろう」
そう真助が厳しい言葉を俺に投げつけてると、俺の隣に座って俯いていたゆきは俺の服の袖をギュッと掴んだ。同じようにしずは真助の袖を掴んだ。
「いいよ、大丈夫だよ。ゴメンね、あの滝はいい思い出がないから、名前を聞いてちょっとあの時のことを思い出しちゃっただけ」
「うん、真助も、そんなに経幸のことを責めないで。双子の弟なんだから。経幸もそんな悪気があって言った訳じゃないんだから」
「でもな、しず、それくらい、しずとゆきのことを大切に思ってるなら、配慮しないといけないんだよ。経幸、俺の言ってること分かるよな」
「ああ、真助の言う通りだ。これは完全に全部俺が悪いんだ。ゆきのこともしずのことも大好きだって言ってるのに、そんな俺が口にする言葉じゃない。真助の言うことに何も反論はないし、真助にも父さん、母さんにも返す言葉がない。だから、俺は家に帰って一人で反省するよ」
「ヤダ、経幸、そんなこと言わないで。いつも私たちのこと、大切に思ってくれてることは経幸の私たちへの接し方で分かってるから。たまにはこういう言葉のすれ違いもあるよ。それに気づいてこんなに経幸、落ち込んでるんだもん。これで改めて私たちへの愛情も伝わるから。だからね、家に帰るなんて言わないで。私の傍にいてよ、ね、経幸」
「い、いいのか、許してくれるのか?ゆき」
「うん、だって、私のこと妻にしてくれるんでしょ。夫婦は楽しい時も苦しい時も一緒でしょ」
「そうだよ、ね、真助、経幸のこと許してあげて。ゆきも私も大丈夫だから。それより、せっかく一生懸命、経幸が考えてくれた旅だもん。みんなで楽しみたいから、一人でも欠けちゃ嫌だもん。だから、ね」
「分かったよ。ゆきもそれでいいのか?」
「うん、いいよ。だって私、やっぱり経幸のこと大好きだもん。傍にいてほしい」
「ありがとう、ゆき。本当にごめんな。しずも」
「よし、この話はもうこれでなしだ。滝に行くのはなし。とにかく温泉でゆっくりすることを目的にしようぜ。まずはホテルに車を預けて、温泉街を歩かないか?どうかな、しず、ゆき」
「うん、いいよ。私たち温泉初めてだから、どんなところなのか、ゆっくり見たい、私は真助と歩きたい」
「私はもちろん経幸と一緒ね」
「いいのか?あんな酷いことを言った俺なのに」
俺はまた真助に叩かれた。
「痛い!何するんだよ、真助」
「お前な、今俺が言ったばかりだろ。この話はもうこれでなしって。反省したと思った張本人がぶり返してどうするんだよ。少しは学習しろ、この気遣い欠落弟」
「うわあ、そうか、本当にごめん、しず、ゆき」
俺はまたやってしまったと再び勢いよく頭を下げた。俺は車内で勢いよく頭を下げたのでシートの背もたれに頭をぶつけた。
「痛ってー。本当に俺って真助の言うとおり気遣い欠落してるな」
「ハハハ、何か真助と経幸って兄弟だけど、テレビで見てる漫才師みたい。でも笑っちゃダメだね。大丈夫?痛かったでしょ」
「ありがとう、ゆき。頑張って俺ももっと真助みたいに気遣いできる男になれるように気を付けるから」
霧島温泉郷の温泉街を六人でゆっくり歩きながら、散策や買い物を楽しんだ。そして十五時を過ぎたので早速ホテルに戻り、チェックインして、しずとゆきが楽しみにしていたホテルに入った。
今回、俺が予約したホテルは、クチコミ検索サイトのじゃらんネットでも高い評価を得ている『ホテル華耀亭 今宵、瀬音に癒されて』というホテルだ。このホテルは全室からリバーサイドビューを楽しめ、施設、料理、接客、どのサービスを切り取っても評価が高かった。それに何と言ってもここの温泉は“化粧水いらず”と言われる肌にとてもいい温泉と言われている。成分を言われても俺は良く分からないが、メタケイ酸や鉄分が豊富な源泉かけ流し100%の炭酸水素塩泉だそうだ。
「うわあ、これが今のお宿なの?泊まるお部屋が楽しみ」
「本当だね、ゆき」
「本当だな、俺は部屋もそうだけど、料理人だから、食事が楽しみだな。さあ、行こうぜ」
「おいおい、真助、違う違う。俺と真助は別だよ。こっち」
「え!どういうこと?」
「父さん、母さん、それからしずとゆきは一緒の部屋。俺と真助は二人だ。父さんと母さん、しずとゆきには俺から感謝の気持ちを込めてちょっと奮発して部屋も特別室でお高めのプランでお願いしたんだ。俺と真助は悪いけど少しグレードを下げたプランなんだ」
「な、何だと。ということは夜の食事は別の部屋でなのか?」
「いや、食事はもちろんその特別室で六人一緒だ。但し、俺たちの料理は四人とは別だけどな」
「な、何だよそれ。そんな面倒臭いことしないで、六人同じ部屋で良かったじゃねーかよ。それで特別感を出したかったら、料理だけ別にしても良かったし、予算的にきつかったなら、相談してくれれば俺だってお金出したのによ」
「あ、いや、これには訳があってな。あのさ、真助、俺たち新年早々、元旦にやっちまっただろ」
「ああ、あれか、経幸。起きていきなりしずちゃんとゆきちゃんを襲いに部屋に突入した事件」
「だ・か・ら、父さん、違うって。変な言い方しないでくれよ。ってまあ、そんな言われ方しても仕方ないんだけど。理由はどうであれ、しずとゆきをビックリさせてしまって、ちょっと怖がらせてしまったからさ。俺、それを結構、今まで気にしててさ。だから、家族旅行とは言え、しずとゆきと俺たちが同じ空間で寝るのはちょっとね、と思ったんだ」
「そんなこと言ったら、家でだって同じだろ。部屋が違うだけで、寝てるのは同じ家の中なんだから」
「ああ、それも確かに真助の言うとおりだけど。でもこれは俺の気持ちの問題。どうしてもあの時はしずとゆきに悪かったなって思いがあって、今回の旅行のこの宿も六人一緒の部屋でいいかなって思ったけど、最終的に別の部屋にしてしまったんだ」
「はあ、だから経幸、真面目か!お前は時々、変なところで気にしいなんだよな。あの時謝ったからチャラでいいじゃねーか。それにそんなに気にしてるのはお前だけだろ。俺まで巻き込むなよな」
「いいだろ。お前だって俺と同じあの元旦の事件は加害者なんだからよ。付き合えよ」
「ちぇ!そんなこと言われたら、事実だもんな、反論できねーわ」
「よし、じゃあ、俺たちはこっちだ」
「もう、経幸、そんなにあの時のこと気にしてたの?」
「ああ、二人に新年の初めに嫌な思いさせてしまったから」
「今からでも一緒の部屋にすればいいのに」
「もうこれで頼んであるから。今更、変更したらこのホテルの方にも迷惑だろ」
「そうだね、そうだよね。でもせっかくの旅行なのに、経幸も真助も別の部屋に戻るなんて、寂しいな、ね、姉さん」
「本当だね、真助、変なことしなければ、一緒の部屋で寝てもいいよ」
「本当か!いいのか」
「バカ、ダメだ。お前の暴走癖は予測不能だ。寝る時はキッチリ二人で部屋に戻るぞ。ほら、まずは自分たちの部屋に行くぞ」
「は、離せよ。しずがいいって言ったんだぞ」
「いいから、ほら。あ、父さん、母さん、しず、ゆき、俺たち自分の部屋に荷物置いたら、そっちの部屋に行くから、じゃあ、後でね」
「行っちゃったね。でも本当に同じ部屋でも良かったのに」
「ごめんね、しずちゃん、ゆきちゃん、二人のためを思って自分なりに真剣に考えた経幸なりの気遣いだから。許してあげてね」
「ううん、ママ、そんな許すとか許さないとかじゃないよ。経幸の優しさはもう十分に分かってるから。怖がらせちゃったって言ってたけど、私たちビックリしただけで、あの時、入ってきたのが二人だって分かった時、実はちょっと期待しちゃっってたもん。ついに来たって。ね、姉さん」
「ちょっと、ゆき。私はそんなこと」
「ええ!もう、姉さんはこういことになるとすぐに自分の気持ちを隠して。私、分かってるのよ、あの時、横の姉さんの顔みて分かったよ。多分、私と同じで、姉さんは真助の顔、確認した時の目がそう言ってたから」
「もう、そんなことないもん」
「嘘ばっかり。赤くなってるから、私が言ったこと図星でしょ」
「ありがとうね、そこまで真助と経幸のこと、想ってくれてるのね。さあ、経幸が準備してくれたお部屋に行きましょう」
この二十分後、俺と真助は両親としずとゆきのために用意した特別室にいた。
「おう、やっぱり、特別室ってだけあって、いい部屋だな」
「どう、父さん、母さん、しずもゆきもこの部屋、気に入ってくれた?」
「おう、経幸、入った途端、お気に入りだ。いい部屋用意してくれたよ、な、栞」
「ええ、もう私もとっても気に入ったわ。落ち着きがあって、窓からの眺めも最高だしね」
「しずとゆきは、どうかな?」
そう二人に聞くと俺は右腕をゆき、左腕をしずに組まれた。
「ありがとうね、経幸、こんな素敵な部屋。なんかね、雰囲気が自分たちのね家にソックリなの。何かね、お父様とお母様のことを思い出してしまって、グスン」
「私も、この襖を開けたらお父様とお母様がいるんじゃないかとか、何となく家の面影があってね、グスン」
「あ、ゴメン、まさか昔の生活のこと思い出させてしまったのか。ゴメン、何か寂しい思いさせてしまったみたいだね」
「ううん、いいんだよ。経幸が謝ることじゃないよ。嬉しいの、だって、お父様とお母様のことを想って、胸の辺りが温かくなったから」
「そうか、じゃあ、良かったのかな。頑張って奮発した甲斐があるよ。じゃあ、みんな荷物の整理も終わって少し落ち着いたかな?早速、このホテルの一押し部分の一つ、温泉に浸かってゆっくりしようか。みんな、準備できてる?」
「ちょっと待って、私、まだ、準備できてない。ねえ、ママ、お化粧品は持って行った方がいいの?」
「まあ、お化粧してない顔を他の人に見られたくないなら持っていくのもありだけど、しずちゃんとゆきちゃんは必要ないでしょ。お化粧しなくても問題なし!でしょ、真助、経幸」
「ああ、それは母さんの言うとおり。それに女性陣三人は他の人の目を気にせず、ゆっくり入れるお風呂を準備しておいたから」
「何、経幸、大浴場に行くんでしょ?」
「いや、母さんとしずとゆきには、晩御飯の前のお風呂は落ち着いて三人水入らずで温泉に入ってもらおうと思って、貸切露天風呂を十六時から一時間予約しておいたから。三人でゆっくりしてきて」
「まあ、経幸、素敵」
「だって、しずもゆきも大浴場はこの前の心の杜で経験済みだろ。せっかく部屋も特別室を用意したから、この旅館で最初に入ってもらう温泉も特別感を感じてもらいたくてね。ゆきとしずも母さんと三人だったら気持ちもゆったりできるだろ」
「経幸、やればできるじゃねーか。よしよし」
「やめろ、真助、ガキ扱いするんじゃねー。じゃあね。母さん、しずとゆきのことよろしくね」
そして俺たちは晩御飯前に評判の温泉を満喫した。
「ああ、気持ち良かった、ねえ、しずちゃん、ゆきちゃん」
「うん、ママの言う通り、最高だったね、ね、姉さん」
「うん、もう最高、温泉最高!ほら、触ってみて真助、こんなにお肌スベスベになるんだよ」
「本当だ、ほっぺたスベスベ」
「経幸も触ってみて」
「あ、ああ、綺麗だな、本当にスベスベだ。さすがに化粧水いらずって謳い文句で紹介されてるだけあるな。お風呂上りのゆきは一段と綺麗だな。それにさすがに浴衣も似合ってるし」
「ありがとう、経幸、褒めてくれて嬉しい」
「ねえ、経幸、真助、私は、褒めてくれないの?」
「バカか、何で俺たちがお袋のお風呂上りを褒めなきゃいけないんだよ。そんなのは親父に言えよ」
「いいじゃない、たまにはあなた達息子が褒めてくれたって。せっかく素敵な温泉に入れてもらったんだから」
俺はそんな母の要望に応えた。
「うん、母さんもいつも綺麗だけど、もっと素敵な母さんになったよ。俺の自慢の母さんだ」
「まあ、経幸、嬉しいこと言ってくれるわ。お世辞でも嬉しいわ」
「嘘だろ、お前、熱でもあるんじゃねーか」
「触るなよ、熱なんかねーよ。いつもはこんなこと言わないからこそだよ。せっかく非日常を体験する場所に来たんだ。そんな時くらい母さんの要望に素直に応えてやってもいいだろ」
「素敵な気持ちね、凄くかっこいい、経幸」
「本当に。今は真助より経幸の方が気遣いができる素敵な男性ね、かっこいいよ、経幸」
「ちぇ、このままではダメだな。しずの中での俺の株が下がりっぱなしだ」
「さあ、そろそろ、ホテルのお姉さんが晩御飯の準備に来てくれるんじゃないかな」
「失礼します。お食事の準備に参りました」
「ありがとうございます。どうぞ、お願いします」
「失礼します。こちらのお部屋を担当させて頂きます。橋添静と言います。本当ならお部屋への案内からの予定だったのですが、申し訳ございません。娘を病院に連れて行ってたものですから」
「まあ、それは大変ですね。娘さんは大丈夫なんですか?」
「はい、突然、熱を出したものですから、今は落ち着いて家で寝ています。私が帰るまで自分の妹が観てくれていますので」
「それは良かったです。あまり無理をなさらないで下さいね」
「ありがとうございます」
「わあ、お姉さん、しずさん?って言うのね。私もしずです。一緒の名前ね、宜しく御願いします」
「まあ、そうなんですか。こちらこそ宜しくお願いします」
そして晩御飯の準備が済んだ。
「うわあ、凄いね、姉さん。まるで領主様が食べるような料理ばかりだね。凄く綺麗」
「本当に。こんな凄いお料理、本当に私たちが食べていいのかしら?」
「あ、え!領主様?」
「あ、いえ、橋添さん、何でもないです。ありがとうございました。これ、少ないですけど、何か娘さんが元気になるものでも買ってあげて下さい。それから、これスタッフの皆さんでお食べ下さい。ここの名物で申し訳ないですが、先程、温泉街を散策してる時に買ったので」
「まあ、そんな。宜しいのですか?こんなに」
「どうぞ、遠慮なさらずに受け取って下さい。今日と明日、お世話になるんです。私たちからの気持ちです」
「ありがとうございます」
「娘さん、早く元気になるといいですね。お大事に」
「失礼いたします」
「お前、どうしたんだ。いつもと違って気遣いが凄すぎだぞ」
「素敵ね、経幸」
「本当ね、経幸、凄いわ。それにこのお食事も凄いね」
「でもさ、経幸、どうせ六人で食べるんだったら、全員、同じ料理で良かったんじゃねーのか。違う料理だからお互い目移りしちゃうじゃねーか」
「バーカ、だからいいんじゃねーか。さっき俺は部屋を変えたのは俺の気持ちと費用の面でって言ったけど、それ以外にもう一つ理由がな、この料理のことだよ。俺たちだけでも違う料理にしておけば、ゆきとしずがもっといろんな料理食べられるだろ。俺たちはいいんだよ。女の子はいろんなものをちょっとずつ食べたくなるものなんだろ。真助、お前が散々言ってたことじゃねーか。ね、母さん」
「そ、そうね」
「そ、そうか、お前、そこまで考えてたのか。本当に今日はどうしたんだよ。これじゃあ、俺、完全に脇役じゃねーか」
「いいんだよ、今日は。真助の言う通り、俺たちは脇役なんだから。今日の主役はゆきとしず、それと父さんと母さんに感謝するために企画したものだからな。ゆきとしずと出会ってから今日まで凄く楽しい日々を過ごせてきただろ。だから真助、お前も恥ずかしがらずに親孝行しろよ」
「うーん、分かった。経幸がそこまで考えてたなら、俺も協力するよ。じゃあ、親父、お袋、ほら、どうする?最初から焼酎でいいのか?」
「ありがとう」
「じゃあ、私も。いつもは飲まないけど、せっかく経幸がこんなに頑張ってくれたんだから、少しだけ」
「ありがとう、経幸。今日は本当に凄く素敵、ね、姉さん」
「本当だね、私たち、こんなに経幸と真助に、それにパパとママに大切にされて今、凄く幸せ」
「良かった、二人も喜んでくれてるなら。でもゆき、俺のこと褒めてくれたけど、今日は!ってところにひっかかったんだけど。まあいいや。さ、ゆき、しず、初めてだろ。これは会席料理って言うんだよ」
「会席料理?」
「そう。ちょっと細かく説明しようかな。会席料理って言うのは、こんなみんなで賑やかに楽しむ宴席でもてなされる料理のことだよ。これはお酒を嗜むためのお食事になるんだ。これと同じ名前なんだけど、書くと字が違う、懐石料理ってのもあってね、こっちは茶道をもとにして産まれたものだから、こちらはお茶を頂く前にもてなされる食事のことを指すんだ。と言うことだから厳密に言うとこの二つは全く違うものになるんだ。どっちも一汁三菜を基本としてるし、多分、心配りをもっておもてなしをすると言う点では同じなんだけどね。どっちの料理かを判断するなら分かり易い判別方法があるんだよ」
「え!どうするの?教えて、経幸」
「うん、今日の料理は会席料理になるね。会席料理はお酒を楽しむための料理だから、見て分かると思うけど、ご飯と汁物がまだないだろ。これに対して懐石料理は、最初にご飯と汁物が提供されるんだ。今は多分、会席の方が主流だと思うけど、まあ、参考のためにね」
「おい、経幸、お前のどうでもいいウンチクはいいから早く食べようぜ。冷めちまうだろ」
「くそ、俺がゆきとしずのためにと思って話してたのに、どうでもいいって言うな」
「うるせーよ。お前のウンチク聞いてたって腹は満たされないんだよ。なあ、しず、ゆき」
「フフフ、やっぱり二人はいい兄弟だね。本当にみんなでこうしてるととっても楽しい」
「ほら、食べようぜ」
「そうだな。しず、ゆき、二人のために俺たちの料理は違うものにしたんだ。どれでも食べたいものを食べていいよ」
「うん、ありがとうね。こんなにいっぱい違う料理があるとどれにしようか迷っちゃうね」
「本当、どれから食べようかな」
「さあ、その前に乾杯だ。今日は経幸のおごりだ。遠慮なく楽しもうぜ、カンパーイ」
「もう、真助は。今日の幹事は経幸でしょ」
「母さん、いいよ。こういう盛り上げ役は慣れてる真助に任せるよ」
こうして俺たちは楽しく最高の料理をお酒とともに楽しんだ。
「はあ、もうダメ、もう何も食べられない。美味しすぎて食べ過ぎちゃった。それにちょっと飲み過ぎちゃったよ。ちょっと寝転んじゃおうかな」
「おい、ゆき、そんな食べたすぐに寝ると牛になっちゃうって言われてるんだぞ」
「え!本当に。ヤダ、牛になりたくない」
「そう、もう少し頑張って起きてようか、ね、ゆき。お腹が少し引いたらさ、今度は母さんと一緒にいよいよ大浴場に行ってこいよ。ね、母さん」
「そうね、やっぱり温泉に来たんだもん。一度は大浴場は入っておかないとね。後でしずちゃん、ゆきちゃん、行こうね」
「はい、ママ」
「いよいよ次はこの旅館の大浴場だね」
そしてゆきとしずは母と初大浴場を楽しんで部屋に帰ってきた。部屋はもうお布団が引かれていた。
「おかえり。ゆき、しず、どうだった、大浴場?」
「うん、もう最高だったよ。こーんなにお風呂でっかいのよ、ね、姉さん」
「うん、この前の心の杜よりは種類は少ないけど、経幸の言ってたとおり、凄く心がゆったりとできるの。お外の露天風呂?も凄く素敵だった。あんなに寒い中で温泉に浸かって綺麗な星空を見てると、何かね体だけじゃなくて心まで綺麗になった感じがしたよ」
「しずちゃん、ゆきちゃん、また朝、起きたら行こうね」
「そう、行こうね、ママ。もうママと約束したもんね」
「そうか、ゆきもしずも気に入ったみたいだね」
「うん、もう温泉最高ーー」
「お、珍しいな。いつもはそんな弾けたこと言うのはゆきの方なのに、しずがそんな大声だすなんて」
「だってね、真助、ここの温泉気に入ったんだもん。ゴメン、でも、他の部屋に聞こえちゃったかな?迷惑だったかな?」
「まあ、いいんじゃない。とにかく、二人とも今回の温泉旅行を満喫してくれてるから。父さんも母さんも楽しんでくれてるみたいだから。その顔はそう取っていいんだよね、父さん、母さん」
「経幸、敢えて確認しなくても分かるだろ。最高だよ、こんなに幸せな旅行は初めてだよ。今度は二人がしずちゃんとゆきちゃんと、な、夫婦になったらまた来たいな。今度は六人同じ部屋でな」
「うん、良かった。じゃあ、俺と真助は自分たちの部屋に戻るよ」
「ああ、じゃあな、経幸」
「な、何言ってるんだよ、真助。ほら、行くぞ」
「嫌だ、こんなに楽しいんだ。俺はここでしずと一緒にいる」
「バカか。お前、どこで寝るんだよ」
「そんなの決まってるだろ。俺はフッ!しずと一緒に」
「バカ野郎、お前いい加減にしろ。そんなスケベ顔丸出しの奴をここに残していける訳ねーだろ。ほら、行くぞ」
「嫌だー、俺、しずと一緒に寝るーー」
「ダメだ、ほら、駄々をこねるな。お前、兄貴だろ、ほら、黙って退場。じゃあ、おやすみ、ゆき、しず。父さんと母さんもね」
「嫌だー、俺はしずと、ああ、頼むよ、経幸」
「もう、うるさい。お前、部屋の外にまで出て喚いたら本気で怒るからな」
俺は面倒臭い兄貴の背中を押しながら自分たちの部屋に戻った。
「はあ、行っちゃったね。経幸と真助」
「うん、でも姉さん、あんなに真助ここに居たいって言ってたから、ね」
「うん、私は別に良かったよ。もう気持ちは決まってるから。私の横で寝たいって言ってたから、それでも良かったのに」
「私もよ、姉さん。経幸はそんな素振り見せなかったけど、私も大好きだもん、経幸のこと。私たちのことも、それにパパやママのことも、家族全部、こんなに大切にしてくれる気持ちが凄く素敵。私の気持ちを温泉みたいに温かくしてくれるから」
「まあ、ありがとうね。でもそんなこと二人の前で言っちゃダメよ。特に真助はあの性格だから、また、調子に乗っちゃうからね」
「フフフ、確かにそうかもね、姉さん」
「う、うん、でもそんなところも可愛いから、真助は」
「さあ、栞、しずちゃん、ゆきちゃん、寝ようか、おやすみ」
「おやすみなさい」
そして両親としずとゆきは心も体も温かいまま眠りに就いた。
一方、自分たちの部屋に戻った俺と真助は。
「はあ、何で俺たちだけ違う部屋で寝なきゃいけないんだ。あんなに幸せな空間からこんな部屋に。地獄に落されたようだ」
「お前、そこまで言うか。それにこんな部屋って。ここのホテルの人に失礼だろ」
「違うわ。俺は施設のことを言ってるんじゃねー。このホテル自体には満足してるに決まってるだろ。こういう素敵な部屋では誰と過ごすかが大切なんだよ。何で毎日見飽きてるお前と二人っきりで過ごさなきゃいけないんだよ。お前が言ってた非日常の時間・空間なのによ」
「分かった、本当に悪かったよ。これだけはやっぱりお前にも意見を聞くべきだったかもな。ゴメン、今度、こんなことを企画する時は、お前に相談するから。この通り、今回はその気持ち、収めてくれ」
「あ、ああ、お前がそこまで謝るなら、分かったよ。それに今更だもんな。もうしずたちも寝てるだろうしな。よし、もう起きてても仕方ない。明日またしずたちと楽しい時間を過ごせるようにしっかり寝るか!なあ、経幸」
「ああ、ありがとう、真助。明日もお前の性格でゆきとしずを楽しませてやってくれよ。おやすみ」
「ああ、おやすみ、経幸。いい夢見ろよ」
「ああ、お互いにな」
そして俺と真助も眠りに就いた。しばらく眠っていたが、俺は午前三時頃、昔、聞いたことのある声で自分の名前を呼ばれて目が覚めた。その声とは自分の声だ。昔、自分の声がどんな声か興味を持ち、録音して聞いたことがある。そして隣りで寝ていた真助も双子らしく俺の動きとシンクロするように目を覚まし、そして俺たちは布団から上半身を起こした。
「真助くん」
「経幸くん」
「んーー、誰だよ、こんな夜中にうるさいな。って?え!誰だ!」
「はああ、何だよ、経幸、何だよ、こんな夜中に」
「寝ぼけるな、真助、俺じゃねーよ」
「悪いね、真助くん、経幸くん。君達を起こしたのは私たちだよ」
そう言われて布団の足元の壁側の辺りを見ると、そこには二人の着物を着た男性が立っていた。そしてぼんやりとしていたが、その顔を見て俺たちは目を見開いた。
「え!俺?こっちは真助?」
「嘘だろ!俺?その隣は経幸?何だ?俺たち何を見てるんだ」
「申し訳ないね。寝てるところを起こしてしまって。自己紹介しよう。私は真助です」
「私は経幸です」
「ああ、見れば分かるよ。ってまさか、俺たち、死んだのか?経幸、俺たち、幽体離脱してるんじゃ?」
「ゴメン、真助くん、違うよ。私たちは六百年前の真助と経幸、君達が今、とても大切にしてくれているおしずとおゆきと夫婦になろうと約束を交わした者だよ」
「はあ?何だよ、これ。嘘だろ、まさかおゆき神話の主役が男性の方まで蘇ったのか?それにしてもソックリだな。とても他人とは思えないぜ。なあ、経幸」
「バカ、そんな直球な感想言ってる場合か。な、何でこんなところで、何で突然、私たちの前に蘇ったんですか?」
「ごめんよ、何か混乱させちゃったみたいだね。今、二人とも蘇ったと言ったけど、私たちはおゆきとおしずとは違う。もう実体はないよ。魂だけだ、つまり幽霊だよ。でも怖がらないでくれ。君達に危害を加えるために現れた訳ではない。私たちの六百年後の生まれ変わりである真助くん、経幸くん、君達にお願いに来たんだ」
「え!今、何て?う、生まれ変わり?」
「ああ、ゴメン、突然変なこと言ってしまったね。そう、君達二人は私たち二人の生まれ変わりなんだ。突然の告白で申し訳ないが、そうなんだ」
「なるほど、だからこんなにソックリなんだ。しずもゆきも間違えるはずだ」
「だから、真助、お前、この状況で冷静過ぎだぞ」
「だってよ、しずとゆきとの出会いがあるからさ、こんなこともあり得るのかなってよ。何か当たり前のように受け入れちゃってるよ俺」
「ハハハ、その辺は私とは違うようだね。真助くんは何事にも動じない強い神経の持ち主のようだね」
「ああ、ありがとう、昔の俺。で、今日は何の用ですか?俺たちにお願い事があるって」
「良かったよ、この時期に経幸くんがこんな旅を企画してくれて、それも関之尾の滝に比較的近いこの地を選んでくれて。もし、この辺りじゃなかったら私たちもこうして君達の前に現れることはできなかったからね。私たちも命を絶ったのはあの滝だったからね」
「え、経幸さん、真助さん、今のはどういうことですか?命を絶ったって?」
「ああ、それはね、私たちもあの関之尾の滝に身を投げたから。私たちの死に場所もあそこなんだ。おゆきがあの滝に身を投げた後、私は辛すぎて何回も何回もあの滝に行っては泣いていた。本当におゆきのことを愛していたからね」
「私もだよ。おしずがあんなことをするなんて思わなかった。あんなに仲が良かった姉妹だったからね、私がおしずの異変に気づくべきだった。だからそのおしずの苦しみに寄り添ってあげられなかった私は自分を責めた。それで私も経幸殿と同じように何回もあの滝に行っておしずに謝った。私も優しいおしずが大好きだったからね。おしず以外に夫婦になるなんて考えられなかった。だから、私も最後にはおしずと同じ場所で死を選んだんだ」
「まさか!そんな真実が隠されていたなんて」
「でもその先におしずとおゆきはいなかった。なぜなら、君達が拾ったあの不思議な瓶に守られて死んでいなかったからね」
「何で、何でそんなことに?」
「ああ、どうやら、おしずとおゆきが生まれ変わるための準備だったようだ」
「じゃあ、俺たちがあの瓶を拾ったのは偶然じゃなくて必然だったってことだよな。そうですよね、昔の俺、昔の経幸」
「おい、真助、呼び方を考えろよ。俺たちの祖先ということになるんだぞ。そんな失礼な呼び方があるかよ」
「だってよ、これだけソックリで、名前まで同じなんだぞ。自分のことと弟のことをさん付けで呼ぶなんて気持ち悪くねーか?」
「ハハハ、本当に真助くんは楽しい人だね。でも今、真助くんが言ったことは違うんだ。君達二人があの瓶を拾ったのは想定してなかったハプニングなんだ。本当はあの時に瓶が浮いて出てくるはずではなかったんだ」
「え!だって、今、真助さんも経幸さんも私たちはあなた方の生まれ変わりだって?じゃあ、僕たちがあの瓶を拾ったのは、真助が言うように必然だったのでは?」
「違うよ。だって君達が今、大切にしてくれてるのは私たちが愛したおしずとおゆき、本人だ。生まれ変わりではない。だから、今日はそれを何とか正してもらうためにお願いに来たんだ」
「ああ、何だ、複雑な話になってきたな。意味が分からなくなってきた。頼むぞ、経幸。こういう話はお前に任せる」
「分かってるけど、真助、お前もしっかり聞いておけよ。で、真助さん、経幸さん、それはどういうことなんですか?」
「ああ、実はあのおしずとおゆきを守ってくれていた瓶は、もう少し後で、二人の魂を受け継ぐ人物が拾うはずだったんだ」
「でもいいんじゃないの?生まれ変わらなくてもさ、今の時代にこうしてしずもゆきも生まれ変わりじゃなくても生きてるんだからさ。大丈夫だよ、俺と経幸もしずとゆきのこと、大好きだからさ。結婚して俺たちが今度こそ、あの二人を幸せにするからさ」
「いや、それは止めた方がいい。というか、そんなことをしたら君達もおしずとおゆきも苦しむだけだ。だから頼む、君達からおしずとおゆきに、関之尾の滝に戻るように伝えてほしいんだ」
「な、何ですか?それはつまり、しずとゆきにまたあの滝に入水自殺しろと俺たちに言えってことですか?」
「ああ、率直に言えばそういうことです」
「な、何を言ってるんだよ。それがおしずとおゆきを本気で愛していたと言う人の言葉ですか?本気で愛した女性に自殺しろなんて言うんですか?そんなこと俺たちは口が裂けても言えないよ。全く、何て人たちだよ。こんな人たちが俺たちの祖先なんて言えるか。な、経幸、こんなことを言われて、さん付けでなんて呼べるかよ。消えろよ、俺がしずを、経幸がゆきをきっと幸せにしてやる」
「お願いだ、今までおしずとおゆきと暮らしてきた君達にも辛いことだろうが、そうしないときっと君達もおしずとおゆきも、それに君達の父上と母上も悲しむことになると思うんだ」
「うるさい、消えろよ」
「ちょっと待て、真助。お二人も涙目になってる。本当はこんなこと言いたくないんだよ、きっと。何か深い理由があるんだ。その理由をまず聞こう」
「でも、でもな、経幸」
「落ち着け、どうするか考えるのは、理由を聞いてからでも遅くはない。さっきまでお前の方が冷静だっただろ」
「だってよ、しずとゆきに自殺させろなんて言われて、落ち着けって言われても、そんなのできる訳ないだろ」
「分かってるよ、俺だって胸中穏やかじゃないよ。でも理由を聞かなきゃ、どんな想いで真助さんと経幸さんがこんなことをお願いしてるか分からないだろ」
「わ、分かったよ」
「理由を聞かせて下さい、真助さん、経幸さん」
「分かりました、その理由を説明します。今はおしずもおゆきも、そして君達二人も幸せだと思う。お互いが想い合って楽しそうで。私たちもおしずとおゆきの幸せそうな顔を見られて嬉しいよ。でも、このまま楽しい暮らしは長くは続けられないんだ。君達があの瓶を拾って蓋を開けてしまった時点でね」
「な、何でですか?」
「君達が拾った瓶は本来、おしずとおゆきが魂を預けるべき女性が拾うはずだったんだ。でもその瓶を拾い、蓋を開けた対象が君達だった。おしずとおゆきは魂を預けるべき対象がなくて、それでそのまま自身が、君達の時代にそのまま生きて出てきてしまった。それはそれでいいと思うだろうが、問題はこの先なんだ。今はあの瓶の効果が続いていて、問題なく暮らせている。でもあの瓶を開けてから一年後、あの瓶の効果はなくなる。その後は、その後は・・・」
「な、何ですか?瓶の効果がなくなると、どうなるんですか?」
「その後はおしずとおゆきはあの瓶の効果に守られて六百年もの間、あの若さと美しさを保ってきたんだ。その効果がなくなった後は、その瓶を開けた対象者の生命力を借りてその若さを保っていくことになるんだ」
「いいじゃないか、しずとゆきが元気でいられるなら、そんな俺たちの生命力なんて、いくらでもくれてやるよ」
「ありがとう、そこまでおしずとおゆきを愛してくれてるんだね。その気持ちは私たちも本当に嬉しいよ。でもそれを続けていると、君達二人はもの凄いスピードで歳を取っていくことになるんだ。本来、魂を預けるべき対象の女性だったら、その体は対象者の女性本来のものだから問題なかったんだ。でもその対象が受け入れ先じゃなかったことで、おしずとおゆきの魂が行き場を失ってしまったんだ。だから、私たちも色々考えた。おしずとおゆきの幸せ、私たちの生まれ変わりである君達の幸せ、それに君達のご両親の幸せ、全ての幸せを叶えられたらどんなに良かったか。でもそれはできないよ。君達があっという間に老けて、ご両親より先に亡くなってしまったら、どんなに君達の父上、母上が悲しむか。それに自分たちのために君達が犠牲になることをおしずとおゆきは絶対に望まない。おしずとおゆきは私たちといるときもそうだった。いつも私たちのことを考えてくれていた。自分よりも周りを気遣う女性なんだ。君達も今まで一緒に暮らしてきて分かってるだろ。だからどの選択が一番いいか考えた結果、本来、君達の時代に存在してはいけない、おしずとおゆきを私たちに返してもらうことが、一番良い選択だという考えに至ったんだ。だからこうしてお願いに上がったんだ」
「そ、そんなのあるかよ。もう七か月もの間、一緒に暮らしてきて、俺、こんなにしずのこと愛しているんだぞ。そんな愛する女性に、じ、自殺してくれなんて言えるかよ。消えてくれ、消えてくれよ、あんた達の顔見てると、自分に言われているようで我慢できない」
そう言って真助は頭から布団を被ってしまった。
「なあ、経幸くん、私たちの考えは今言ったとおりなんだ。勝手なお願いで申し訳ないが、私たちが今言ったことを踏まえて、良い決断をしてくれ。この通り、お願いします」
そう言って、俺たちのことを生まれ変わりだと言った六百年前の俺たちは白い壁に溶けるように消えた。