第七話
「なあ、真助、お前、土日連休って、久し振りだな」
「ああ、経幸と親父と同じ日に休みって久し振りだもんな。ああ、そうだ、せっかく、今日さ、家族揃って休みなんだ。久し振りにあいつの店、行かないか?そろそろしずもゆきもこの時代の生活にも慣れてきたと思うし、俺たちも禁酒、解禁してもいいんじゃないか?」
そう、俺と真助、そして父は本来、物凄い酒好きで、いつも泥酔しすぎて母にこっぴどく説教されるくらいなのだ。そんな無様な姿を、まだこの時代に不慣れなしずとゆきに見せる訳にはいかないと、禁酒は三人で取り決めたことだったのだ。俺たちは父にもそのことを話に行った。
「父さん」
「何だ、経幸」
「今さ、真助と話してたんだけど、そろそろしずもゆきも今の生活に慣れてきただろ。それに今日はさ、久し振りに俺も真助も父さんも休みで、おまけに連休って、珍しいだろ。だからさ、そろそろ、禁酒を解禁してもいいんじゃないかなって。と言うことで、今日さ、あいつのところにしずとゆきを連れて飲みに行かないかな?って言う提案なんだけど」
「おお、そう言うことか?いいな、塩路くんのところでか。いいぞ、俺もそろそろ、飲みたくてウズウズしてたんだ。よし、行こう」
という訳で俺たちはこの日、しずとゆきと出会ってからの禁酒を解禁し、俺と真助の小学生から高校生まで同じ学び舎で過ごした腐れ縁の塩路眞光が経営している居酒屋、“あなたにひとめぼれ”に久し振りに足を運んだ。
「どうも、こんばんわ、塩路くん」
「お邪魔します、まこうちゃん」
「うわあ、いらっしゃい。お久しぶりですね、おじさん、おばさん。嬉しいな、本当にもの凄い久し振りじゃないですか。それにおばさんがご一緒なんて凄いレアじゃないですか」
「あ、まあね」
「だって、いつもおじさんと経幸、真助が来ると前回の泥酔後の帰ってからのおばさんの強烈説教トークから入るじゃないですか」
「ちょっと、塩路くん、栞がいる前でそのことは・・・」
「はあ?ちょっと、何、あなた、今の話。まさか三人で飲みに来る度にまこうちゃんのとこで私のことディスってたの?」
「いや、ディスるとかそういことでは」
「いえ、おばさん、違いますよ。おばさんの悪口を言ってた訳ではなくて、いつも来る度に三人で反省してるんですけどね。おばさんに怒られたからって、その最初の三十分は反省してるんですけどね、その後はいつもの如く、帰ると本物の雷より怖いおばさんの雷が落ちるという結果に・・・」
「ふうーん、そうなんだ、ありがとうね、まこうちゃん。やっぱりあなた、私のことディスってたのね。ええ、どうせ私は本物の雷より怖いですよーだ。どれ、この口が言ったのか?」
そう言って母は父の右頬を抓り上げた。
「イテテテ、ゴメンゴメン、別に悪気があって言った訳じゃ」
「悪気がなかったらどんな訳よ」
「イテテテ、塩路くん、な、何とかしてくれ」
「おばさん、すいません、もうその辺で。ごめんなさい、おじさん。俺が余計なひと言を」
「いいの、まこうちゃんは黙ってて」
「おい、母さん、もうその辺にしてやってよ。俺たちもこの通り、謝るからさ。それにこんな店先で夫婦喧嘩してたら眞光にも、他のお客さんにも迷惑だから。それに今日は俺たちが主役じゃないだろ」
「あ、そ、そうね、そうだったわ。ごめんね、まこうちゃん」
「いえ、とにかくまずはどうぞ、奥の座敷、空いてますから。今の声、経幸でしょ。それに真助も一緒なんでしょ。四名様入ります」
「よう、眞光、久し振りだな」
「おう、やっぱり真助、お前も一緒か。でも本当におばさんも一緒でここに四人で来るなんて超珍しいな」
「わりーな、眞光、実は四人じゃないんだよ。六人で頼むよ」
「え!六人?な、何だ、誰か親戚?友達?も一緒なのか?」
「いいよ、入って」
「お邪魔します」
「すいません、お邪魔します」
「え?真助、経幸、だ、誰?こちらの女性?」
「あ、すいません、初めまして、私、しずです。そしてこちらは妹のゆきです」
「あ、こちらこそ初めまして。塩路眞光です。この店の主です。って初めましては分かったけど、真助、経幸とはどんなご関係?」
「ああ、眞光、悪いな。しずは俺の彼女だ。結婚を前提に付き合ってる」
「ゆきは俺の彼女だ。俺もゆきとはいずれ結婚しようと思って付き合ってる」
「はい、私もゆきも真助、経幸、パパとママにもとても優しくしてもらってます。凄く私たちのこと大切にしてくれるんです」
「そうなんです。私たち凄く今、一緒に住んでて幸せです」
眞光は物凄い衝撃を受けて目を見開いていた。
「う、嘘だろ。お前ら、いつの間に。結婚前提、姉妹だ。それも何だよ、こんな美人姉妹見たことないぞ。お前ら、こんな美人姉妹とどこで、それも二人ほぼ同時に。酷過ぎる、真助と経幸とはここ数年、恋愛には同じスタートラインにも立ててない同志だと思ってたのに。いきなり宇宙空間まで差をつけられた感じだ。それも今、ゆきさん、私の聞き間違いでなければ一緒に住んでるって?聞こえたんですけど」
「はい、みんな本当に優しくしてくれるんです。一緒に暮らしてて本当に楽しくて幸せです」
「ガーン、もうダメだ。宇宙空間どころか異次元空間まで行かれてしまったって感じだ。おばさんまで来てくれて嬉しかったけど、こういうことだったんですか。そんなことがなければおばさんが三人の飲みの席について来る訳ないですもんね」
「ごめんね、まこうちゃん。驚かせちゃって」
「ええ、もうもの凄いショックですよ。でも本当にこんな凄い美人、それも姉妹なんでしょ。その二人が真助と経幸の未来を見据えてのパートナーって、ミラクルすぎますよ」
「ねえ、ママ、今、塩路さん?が言ったパートナー?ミラクルって?」
「ああ、ごめんね、ゆきちゃん、しずちゃん、パートナーは、まあ今の会話の中だとこれからの人生を共に生きていこうと誓った彼女って意味かな。それからミラクルって言葉は奇跡って意味よ。真助と経幸がしずちゃんやゆきちゃんみたいな凄く可愛い女性と同時に出会ったことが凄いっていうことを言ってるのよ」
「あれ?もしかして失礼かもしれないけど、しずさんとゆきさんって、おバカ女子?なの」
俺と真助はこの眞光の言葉に反論した。
「眞光、てめー、しずのことをバカにするな」
「そうだぞ、眞光。ゆきとしずをバカにするな。しずとゆきは小さい頃に勉強できる環境になくて、今、勉強中なだけだ」
「いやいや、ごめん。別に俺がバカにした意味で言ったんじゃないよ。ただ、わりー。お前たちの彼女なのに、メッチャ可愛いなって思っちゃってさ」
「な、何だ、そう言うことか」
「そうだよ。でもお前ら、本当に本気なんだな。いつもだったらこんな俺の言葉くらい軽く流すのに、本気に取っちゃうんだな。それだけしずさんとゆきさんに入れ込んでるって訳だ」
俺と真助は眞光にそう言われて少し赤面した。
「なるほど、図星か。でも本当にうらやましいな。でも二人とも本当におめでとう。おじさんもおばさんも一緒に住んでると言うことは、お二人もしずさんとゆきさんのこと、大好きなんですね。僕も真助と経幸の親友として、近いうちにさらに幸せな話が聞けることを楽しみにします。さあ、皆さん、とにかく座って下さい。最初の一杯は僕が御馳走しますから。皆で乾杯しましょうよ。こんな話の後なら、乾杯のお酒はもちろん、もうあれしかないな。うわ、これもミラクル過ぎるな」
「何を独り言言ってるんだよ、眞光」
「いや、乾杯のお酒だよ。お前たちの幸せな話と俺の店の名前、すげーマッチングだなって思ってさ。これだよ、お前の勤務先の母体、都城酒造のこれだよ。お前がこの店の名前も付けてくれただろ。あなたにひとめぼれ。お前らどうせしずさんとゆきさんに一目惚れだったんだろ。今のお前らにとってこんなピッタリな乾杯の酒ないだろ」
まさに眞光の言う通りだった。俺の働いてる会社の母体、㈱都城酒造が手掛ける焼酎の主力ブランド、あなたにひとめぼれは傍にゆきとしずが居てくれる俺たちにとってピッタリだ。
「ねえ、しずさんとゆきさんはお酒はどうかな?強い方なのかな?」
「ええ、少しは。でもあまりたくさんはゆきも私も飲んだことはありません」
「よし、じゃあまずは乾杯はみんなでしよう。最初の乾杯のお酒は真助と経幸の親友である僕からプレゼントするから。親友がこんな素敵な女性と店に来てくれたんだ。僕がお祝いしない訳にはいかないでしょ」
「ありがとうございます。じゃあ、ゆき、真助と経幸の大切なご友人の塩路さんの優しさにあまえさせてもらいましょう。いただきます」
「あ、じゃあ、何を呑む?この焼酎は種類も豊富だから。原料がいも、麦、米、そば、あとね胡麻もあるから」
「じゃあ、私は麦でお願いします」
「ゆきちゃんは」
「私は胡麻にしようかな?」
そして俺たち家族はしずとゆきと楽しいお酒を飲んだ。でもいつもとは違い泥酔はしなかった。俺も真助も父もしずとゆきの少し酔った可愛い姿をずっと見ていたくて無意識のうちに飲む量をセーブしていたのだ。
「はあ、気持ちいい。でもちょっと飲み過ぎちゃったかな。こんなにお酒飲んだの初めて」
「私も。ねえ、経幸、私、眠くなってきちゃった」
「そうか、じゃあ、最後に軽く何か食べるかい」
「うん、でも私も姉さんもそんなにたくさんは食べられないよ」
「そうか、それなら、おい、眞光、レタス巻きを一人前と俺は酒は少なめだったから、ご飯大盛りと味噌汁と地鶏の炭火焼を頼むよ」
「経幸、レタス巻き。この前、真助の働いてるレストランで食べたものだね」
「そうそう、これならしずと分けてなら軽く食べられるだろ。これも今のこの辺りの名物なんだよ。それと俺の食べてるこれもね。どう、一口食べてみる?」
「うん」
そして俺はゆきに地鶏の炭火焼を食べさせた。
「ほら、口開けて」
「アーン」
「やっぱりあげない」
「もう!経幸の意地悪」
「真助、私も食べたい。でも経幸みたいに意地悪しちゃヤダよ」
「分かってるよ。俺は経幸みたいにしずも苛めないし、眞光も苛めないよ」
「え?」
「え?じゃないわ。見てみろ、眞光のお前を見る顔、ゆきとのそんな幸せ行為を見せられたらあんな悲しい顔になるだろ。俺たちと違って寂しい生活継続中なんだぞ」
「ぷっ!真助、俺のこと言えるか。今のお前の言葉がどれだけ眞光の心を傷つけたか」
「もういい、もういい。お前ら、もう帰れ。ごめんなさい、おじさん、おばさん、これ以上は僕も耐えられません。このムカつく幸せ野郎二人とこの超絶可愛い彼女さん二人、連れて帰って下さい。乾杯の酒だけサービスしようと思ったけど、今日は僕も楽しかったし、全部、サービスだ。真助、経幸、こんな可愛い彼女、絶対に放すなよ。幸せにしてやれよ」
「眞光、本当にいいのか」
「ああ、久し振りに来てくれたし、それもおばさんまで一緒に。それに真助、経幸、お前たちのこんなに幸せそうな笑顔見たら、それにおじさんとおばさんのこんな嬉しそうな顔見てたら、こんな幸せな家族から、お前らの友人一番隊長である俺がこれくらいの男気見せなくてどうするよ。ありがとうね、しずちゃん、ゆきちゃん、親友である俺からもお願いします。真助も経幸も本当にいい奴だから、こいつらのこと幸せにしてやって下さい」
眞光はそう言って深々としずとゆきに頭を下げた。
「ありがとうございます、塩路さん。でも反対です。私たちが真助と経幸、パパとママに幸せにしてもらってます、今でも。ねえ、真助、経幸、塩路さんて素敵なお友達ですね」
「お邪魔しました、まこうちゃん。また遊びに来るね、フフフ」
「おい、大丈夫か、ゆき」
「うん、大丈夫」
そう言ってゆきは俺の肩に頭を擡げて膝から崩れそうだったので、肩を抱いて支えた。
「おい、ゆき、あーあ、こりゃあ、早く帰らないと寝ちゃいそうだな。おい、まだ寝るなよ。じゃあ、帰るな。ありがとう眞光、またゆきとしずを連れて遊びに来るよ」
「おう、楽しみに待ってるよ。おじさん、おばさんもありがとうございました。僕も楽しかったです」
「もう、お礼を言うのはこっちよ。本当に小さい時からいい子なんだから、まこうちゃんは」
「ねえ、おばさん、もういい加減、その呼び方、止めてくれないかな。もうそんなちゃん付けで呼ばれる歳でもないし、大きくなってそんな風貌じゃなくなってるし」
「あら、いいじゃない。私の中ではいつまでも小さい時のあの可愛かったまこうちゃんのままなんだから」
「もう、参ったな、おばさんには。酔ってたせいもあるけど、最後にゆきさんまで俺のことまこうちゃんて呼んでるし」
「フフフ、さすがに真助と経幸のお友達だね。塩路さんて楽しい方ね」
俺たちは楽しい一時を過ごし、居酒屋あなたにひとめぼれを後にした。
翌日、俺と真助はいつもどおり、日曜日だけど会社に出勤するような時間に起きた。
「おはよう、母さん」
「お袋、おはよう」
「おはよう、あら、二人とも日曜日なのに早いわね」
「しずとゆきはやっぱりまだ寝てるみたいだね」
「そうね」
「あんなに飲んだの初めてだって言ってたもんな。でも経幸、これはこれで俺たちにとっては都合が良かったな」
「確かにな」
「あら、また何か二人で企んでるのね」
「またとは何だよ母さん」
「いえ、そんな変な意味じゃないわよ。どうせまたしずちゃんとゆきちゃんが喜ぶようなサプライズ考えてるんでしょ?」
「けっ!お袋はどっかで俺たちの話、盗み聞きしてるんじゃねーのか。何でもお見通しかよ」
「あら、失礼ね。何となくあなた達の雰囲気を察しただけでしょ。何をするかまでは盗み聞きなんてしてないから分からないわよ」
「じゃあ、今日はゴメン、母さん。俺たち二人で出かけるから、しずとゆきのこと宜しくね」
「お袋、くれぐれも余計なことをしずとゆきに喋るなよ」
「分かってるわよ、それくらい。私だってしずちゃんとゆきちゃんの喜ぶ顔みたいんだから」
そして俺は真助と二人で車で出かけた。
その一時間後の午前十時ごろ、しずとゆきは起きてきた。
「おはようママ、パパ、あー頭が痛いわ。何でだろう、少し気持ち悪い」
「私も少し頭がフラフラする」
「あら、しずちゃんもゆきちゃんも二日酔いね。飲み過ぎで寝ても体の中でまだお酒が消化できていなくてまだ酔った状態なのよ」
「そうなんだ、飲み過ぎってダメなんだね」
「はい、どうぞ。お味噌汁飲むと少しはスッキリするよ」
「ありがとうママ、いただきます」
「あれ?ママ、真助と経幸は?まだ寝てるの」
「いえ、今日はね、もう起きて、ちょっと行きたいところがあるからって二人で出かけたわよ」
「え、二人だけで?」
「何だ、今日は私と姉さん、置いていかれちゃったのね」
「ゆきちゃん、そんな寂しそうな顔しないの。どうせ真助と経幸のことだからお土産買ってきてくれるわよ」
その日の夕方五時頃、俺と真助は家に帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり、真助、経幸。もう、私と姉さん置いてでかけてどこ行ってたのよ」
「ああ、ちょっとな。ゆき、そんな膨れるなよ。ほら、二人にお土産、二人の大好きな夢見が丘のシュークリーム」
「わあ、ありがとう。あ、真助の仕事場に行ってたの?」
「ああ、そうなんだ。こいつが新たに新作のお菓子のアイデアが浮かんだから、俺にも一緒に来て手伝えって言うからさ。仕事してる同僚には負担になるから手伝ってもらう訳にはいかないって言うから。困ったもんだよ、こいつの仕事熱心には」
実際にキッチンガーデン夢見が丘に行ったのは本当だが、本当の理由は別にあり、俺はこんな感じで嘘をついた。
しずとゆきが家にやってきておよそ五か月が経とうとしていた一週間前の十二月十一日、この日は平日だったが、俺も、そして真助も休みを取っていた。
「母さん、じゃあ、出かけてくるね。今日は晩御飯はいいや。ごめんね、父さんと二人で寂しいと思うけどいいかな?」
「何言ってるの。久し振りの四人でデートでしょ。私たちのことなんか気にしなくていいから」
「そうそう、俺たちの親なんだから気にするな」
「お前が言うな。少しは父さんと母さんに優しい言葉くらいかけてやれって言うんだ」
「うるせーな。こういうちょっとしたふざけが俺の愛情表現なんだよ」
「ほら、いいから。あんた達のことなんて母親だから分かってる。しずちゃんとゆきちゃんのこと宜しくね」
「ママ、本当にいいの?晩御飯の時に帰ってくるよ」
「いいのいいの。経幸と真助がいろいろ考えて予定を立ててると思うから、私とパパのことはいいから、二人に付き合ってあげて」
「ママ、ありがとうね。パパにもごめんなさいって言っておいてね」
「分かったから。本当にしずちゃんもゆきちゃんも優しいね。いってらっしゃい」
「ママ、行ってきます」
そして俺と真助、ゆきとしずは夕方四時ごろ、四人でダブルデートに出かけた。
【フローランテ宮崎】は四季折々に花と緑のある生活が楽しむことができ、潤いと安らぎのある空間を提供する“花のまちづくりの推進拠点”としての植物公園である。一年中緑の芝生公園や、テーマ別に植栽されたガーデニング見本園、ガーデニング体験など、花と緑に囲まれてゆっくりと過ごすことができる。
春はチューリップやペチュニアをメインとした花の祭典“春のフローラル祭”夏はランタン(中国提灯)が優しく灯る“フローランテの夕涼み”秋はサルビアを中心とした“秋のガーデン”冬は毎年恒例となった“イルミネーション”と、小さなお子様からご年配の方までゆっくりと楽しめる、花の施設ならではの様々なイベントが開催される。
この日は冬のイベント、イルミネーションが開催されていて多くのカップルで賑わっていた。
「さあ、しず、ゆき、もうすぐだよ。暗くなってきたし、綺麗な光が点くよ。ほら、カウントダウンだ。5、4、3、2、1」
そしてイルミネーションが点灯した。
「わあ、凄いね。綺麗。姉さん、見てる」
「もちろん、見てるよ。凄いね。真助、凄いね。こんな綺麗なお庭は、これは誰のものなの?やっぱり凄い権力をお持ちの方がいらっしゃるのね」
「うーん、何て言ったらいいのかな。これは特に個人の持ち物じゃなくてね。おい、経幸、上手く説明してくれ」
「しず、この大きな花のお庭、フローランテ宮崎っていう、沢山の人に綺麗なお花や、この今の綺麗な光を見てもらうために作られたものでね。こういうものを仕事として専門に作っている集まりがあるんだよ。今の時代はこうして人がいつでも楽しめる施設が様々な場所にあるんだよ。これもその一つ。まあ、しずとゆきの時代もさ、祭ってあっただろ。ここの施設は祭みたいにそんなワイワイするようなものじゃないけど、意味合いとしては祭を毎日楽しめるような施設と捉えたらいいのかな。ちょっと上手く説明できてないかな」
「ふーん、そうか、誰のものでもなく、お祭みたいに誰でも楽しんでいいお庭なんだね」
「そうそう、まあしずとゆきにも何となく伝わったかな?」
「経幸、いつものお前と比べたら六十五点ってとこだな」
「うるせー。俺に丸投げしたお前が言うな」
しばらくイルミネーションを楽しんだ後、俺たちは晩御飯を食べに店に立ち寄った。
【おぐら】チキン南蛮で有名な全国的にも知られる、行列のできる人気店である。この店のチキン南蛮はボリュームが凄い。ここのチキン南蛮はご飯に乗せて、そのタレとタルタルソースをご飯とともに味わうのが基本の食べ方である。平均予算は一人2000円もあれば十分にお腹いっぱいになる。
「ほら、ここがね、チキン南蛮では超有名な店、おぐらって言うんだ。しずもゆきもチキン南蛮は母さんお手製のしか食べたことないだろ。しずとゆきにも一度、この店のチキン南蛮も味わってほしくてね、ここにしたんだ。二人とも大好きだろ、チキン南蛮」
「嬉しい、凄い楽しみ。だって大好きだもん、チキン南蛮」
「私もだーい好き。ねえねえ、真助、早く、入ろう。ほら」
「しず、慌てるなって。大丈夫だよ」
そして俺たちはおぐらのチキン南蛮で胃袋を満足させた後、今日のメインイベントのため、ある場所に四人で向かった。
【愛宕山展望台】愛宕山は延岡市の中心部にある標高251mの山である。頂上付近にある展望台からは市街地や日向灘を一望できる。また、ここからの夜景は宮崎県内で唯一“日本夜景遺産”に認定されており、素晴らしい眺望が楽しめる。
そして愛宕山は古来“笠沙山”と呼ばれており天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会い結婚した場所であるという神話が残っている。
「ねえ、ずっと目を瞑ったままで怖いよ。まだ、目を開けちゃダメなの?」
「そうだよ、真助。まだダメ」
「もう少し、そう、もう少し。よし、ここでいいだろう。よし二人とも目を開けていいよ」
そして目を開けたしずとゆきの眼下には延岡市街地の煌めく夜景が広がっていた。
「な、何これ!き、綺麗。こんな素晴らしい眺め初めて。こんな素敵な景色見たことない。こんな真っ暗なのに。空のお星さまを見るより綺麗」
「本当に、素敵。何かあまりに美し過ぎて涙が出てきちゃった」
「どう、二人とも喜んでくれた」
「うん、凄く嬉しい。ありがとう経幸」
「グスン、私も、ありがとうね、真助」
「なあ、真助、やっぱり二人をここに連れてきて正解だな。おい、真助、準備しろ。この日のために夜景を綺麗に取れるスマホのアクセサリー準備したんだからよ。」
「分かってるって。本当に二人を連れてきて正解だ。この愛宕山からの夜景に負けてないからな、しずとゆきの美しさは。この夜景をバックに撮影したら、最高に美しい一枚が撮れるぜ」
「ああ、夜景も綺麗だけど、ゆき、君も凄く綺麗だよ」
「しず、お前にも言うまでもないけど、改めて。すげー綺麗だ、しず」
「ありがとう、経幸」
「真助、ありがとう」
そして俺たちは夜景をバックに一人ずつで、そして二人で、そしてお互いカップル同士で写真を撮った。そして最後に近くにいたカップルの男性にお願いして、四人での一枚も撮影した。
そして俺と真助は今日の一番最後のメインイベントに入った。俺と真助はこの時ばかりは物凄い緊張で心臓がバクバクだった。
「よし、経幸、いいか」
「ああ、ど緊張だけど、いいぞ」
そう言った俺たちにもの凄い形相でゆきとしずは見つめられて少しビクビクしていた。
「な、何、真助、どうしたの?顔が怖いよ」
「経幸も、そんな怖い顔で見つめないでよ。何する気なの?」
「ゆき、俺たち、出会ってからもうすぐ五か月だ。君との出会いはまさに奇跡、ミラクルとしか言いようがないけど、そこから一緒に暮らし始めて五か月、楽しすぎてあっという間だった。ゆきが俺にいろんなこと質問してくる姿、俺のために一生懸命お料理してる姿、俺のことを想って遠慮ぎみに話す姿、とにかくゆきの仕草何もかもが俺にとっては可愛くて、君に一目惚れした時から、もっと大好きになってしまった。愛してるんだ。これ、ゆきのために自分で作ってきた、腕にはめるブレスレットというものだよ。お願いだ、これからずっと俺が死ぬまで一緒にいてほしい。結婚して下さい」
「俺もだ。しず、俺もお前と今まで生活してきて、こんなに楽しく過ごせた女性は初めてなんだ。それにしずが傍にいるとそれだけで何か、こう、言葉では言い難いけど、胸の中が、いや、体全体が温かくなるというのか、とにかく凄く幸せなんだ。俺、もうしずがいない暮らしなんて考えられないんだ。頼む、最初に結婚前提で付き合ってくれって言ったけど、その前提を取りたいんだ。しず、俺と結婚してくれ。これを受け取って、“はい”って言ってくれ」
ゆきとしずは俺たちの恐怖を感じるくらいの真剣な告白に涙ぐみながら答えてくれた。
「ありがとう、経幸。でもいいの?私まだまだ、この時代のこと、知らないことだらけだし、いっぱい経幸に大変な思いさせちゃうよ。とにかく私は、自分が経幸の負担になることが嫌なの」
「そんなこと考えなくていいよ。この時代に生まれてくる赤ちゃんだって最初は当たり前だけど空っぽの状態なんだから。ゆきが傍にいて俺の負担になんてなる訳がない。それより、ゆきがいなくなる、そんなことを考えたら俺はこの先、怖くて生きていけない。ごめん、でもあまりに俺の告白、ゆきにとって重すぎるね」
「ううん、ありがとう、経幸が本当に私のこと大切に考えてくれてること、本気の想いが伝わった。こんな私で良かったら、これからも経幸の傍に置いて下さい」
ゆきは俺の想いをブレスレットと一緒に受け取ってくれた。俺は嬉しくて思い切りゆきを抱きしめた。
「よし!やった、やった。ありがとう、ゆき」
「んーー、はっ!経幸、苦しいよ。いきなりそんなことしたら息ができないよ。それともう一つ。さっき赤ちゃんの話したでしょ。あれって私の頭も空っぽってこと?」
「ち、違う違う、ゆき、そんなところを本気で切り取るなって。あくまでも例えだよ。ごめん、俺の例えが悪かったかな」
「フフフ、ごめんね経幸、こんな私も好きになってね」
「な、何だよ、俺をからかったんだな」
その横ではしずが真助の告白に応えていた。
「真助、こんな私でいいの?私もゆきと一緒だよ。今はいいかも知れないけど、きっとそのうち、知らないことが多すぎて面倒臭い女だと思うに決まってるよ」
「ないない、そんなこと思う訳がない。今までだって一度もしず、お前のこと面倒臭いなんて思ったことない。そんな知らないことをちょっと首を傾げて遠慮がちに聞くしずが俺は目茶苦茶好きなんだ。俺はしずと一緒になれないなら、この先、結婚なんてしない。しず、俺はお前が今傍にいてくれるだけで何をしているときも凄く前向きになれてるんだ。仕事してる時もそうだよ。家に帰ったら、しずの顔が見られる、そんなことを考えるだけで、仕事にも凄く力が入るんだ。しずは今の俺にとって生きるパワー、あ、力になってるってことな。だから、お願い、このブレスレット、腕輪ね、受け取ってくれ」
真助はしずに向かってブレスレットを数珠のように持ち、目を瞑って拝んだ。しずは真助の手からブレスレットを取って、自分の腕に付け、そして真助の拝んでいた両手を包み込んだ。
「真助、改めて。はい、喜んであなたの真剣な告白、前提を取ってお受けします」
「よーし、しずーー、ありがとうーー。俺、お前のために頑張るぞーーー」
俺はそんな大声を上げた真助をド突いた。
「真助、お前、場所と周りの状況を考えろよ。周りはいい雰囲気のカップルでいっぱいなんだぞ。周りのカップルの雰囲気を台無しにしてどうするんだよ。本当にお前はテンション上がるとすぐに暴走するからな」
「すまん。しずの返事が嬉しくてついな。今回は反省だ」
「今回は、じゃねー。毎回、反省しろ、バカ兄貴。お前のせいで俺もせっかくゆきといい雰囲気だったのに、台無しじゃねーか」
「フフフ、姉さん、本当に経幸と真助といると楽しいね」
「うん、真助、経幸、パパ、ママといると私たちも凄く幸せ」
そう言うとしずは改めて真助の手を握った。
「ありがとう、真助」
「こっちこそ、ありがとう、ってしず、お前、手がメッチャ冷たいな」
俺も真助の言葉を聞いてゆきの手を握ってみた。
「ゆき、君も凄い冷たいな。寒いのか?って当たり前か。おい、真助、雪が降ってきたぞ。本降りにならないうちに帰ろうぜ」
「分かった。でも最後にこの山に向って手を合わせる」
「な、何でだよ」
「バカ、経幸。神話に感謝だよ。今俺たちの横にいるしずもゆきも神話のリアル美女だぞ。だったらここで俺たちの告白を受け入れてくれたことも、この山に伝わるニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの出会いに感謝するのが筋だろ」
「なるほどな。でもお前はそういうことには律儀なんだな。それにお前、本当に神頼みが好きだな」
「うるさい、ごちゃごちゃ言ってないでお前も手を合わせる」
「じゃあ、ゆき、私たちも感謝だね、この山とこの景色に」
そして俺たちは四人で愛宕山に手を合わせた。
家に着くと時間はもう後五分で翌日になろうとしていた。それでも家のリビングには明かりが点いていた。俺は静かに玄関の扉を開け、小声でそっと言った。
「ただいま」
そう言うとすぐに両親が真夜中にそぐわないテンションで迎えてくれた。
「おかえりー、ほら寒かったでしょ。ほら、真助も経幸もあんた達は後、しずちゃん、ゆきちゃん、女性に寒さと乾燥は大敵よ。それに雪まで降ってきて、とんでもない日に二人に連れ回されちゃったわね。お風呂湧いてるから、まずはお風呂、入ってきなさい」
「おい、母さん、連れ回されたって何だよ。そんな言い方・・・」
「冗談、冗談よ。また、経幸は真面目に取る。そんなの冗談に決まってるでしょ。しずちゃんとゆきちゃんの嬉しそうな顔見れば、今日がどれだけ二人にとっていい日だったか分かるわよ。いいから、気持ちは二人とも温かくなっただろうから、今度はお風呂で体の方を温めるの。今日の楽しい話は、もう遅いけどお風呂入ってから聞くから」
そしてまずはしずとゆきがお風呂に入り、俺と真助は面倒臭いので二人でまとめて家の風呂に入った。二人で家の風呂に入ったのは小学校以来だった。
「いやあ、久し振りに経幸と家の風呂に入ったな」
「ああ、小学校以来か。さすがにめちゃくちゃ狭く感じたな」
「当たり前だ。あれからどんだけデカくなってると思ってるんだ」
「ねえ、経幸、背中に真っ赤な手の跡がついてるよ」
「ああ、ゆき、これはこのバカ兄貴が思いっ切り叩いたんだよ。昔、一緒にお風呂に入ってた時によくやられたんだよ。この歳になってもまたやりやがって。頭の中小学生か、お前は」
「だってよ、本当に久し振りだったから。いいじゃねーか、昔が蘇っただろ」
「うるせーよ。誰がこんな痛い思いして昔を懐かしみたいと思うんだよ。本当に兄貴のくせして弟の俺の扱いが雑なんだよな」
「はいはい、あんた達の双子じゃれ合いはもういいわ。それより聞いたわよ。あんた達、愛宕山でプロポーズしたんだって」
「ああ、ゆきとしずから聞いたんだね、母さん」
「それにこれ、二人がはめてる、このブレスレット。なーるほどね、今日、このために使うために、あの時に、なーるほどね」
「な、何だよ、お袋、にやつくんじゃねーよ、気持ち悪いな」
「おい、真助、俺の栞に気持ち悪いとは何だよ。それにお前の母親だぞ」
「何だよ、お袋が、変な含み笑いするからだろ」
「だって、この二人のブレスレット見たら、あんた達がどんな顔でこれを作ってたのか、想像したら、プっ!笑えてきちゃって」
「な、何だよ、全部悟ったような笑い方するなって」
「ねえ、ママ、ママは今日のこと知ってたの?私たちがこれを貰えることも、真助と経幸にプロポーズ?結婚の申し込みのことだよね、されることも」
「ううん、知らなかったよ、そのブレスレットのことは。でも今日、二人がしずちゃんとゆきちゃんに何か真剣な告白することは何となく感じてたけどね。ブレスレットのことは、しずちゃんとゆきちゃんが貰って付けてるとこを見て、ああ、あの時に作って来たんだって、分かっちゃったのよ」
「え、ママ、いつ?二人がこんなものをいつ作ってきたの?」
「ほら、しずちゃん、ゆきちゃん、覚えてるでしょ。前日に居酒屋あなたにひとめぼれに飲みに行った翌日、二人を置いて真助と経幸二人で出かけたでしょ。あの時よ」
「だってあの時は真助の料理の新作作りのためにゆめが丘に行ったって」
「うん、ゆめが丘に行ったのは事実だけど、本当の目的はこれ、二人が貰ったブレスレットを作るためよ。どうせ、こんなことを思いついたのは真助でしょ。あんたはこういうことにだけは気が回るからね」
「ひでー言い方だな、お袋。こういうことにだけは余計だよ」
「ほら、六人で初めてゆめが丘に行ったときに店の中だけは見てきたでしょ、ゆめみが丘の石屋さん。綺麗な宝石を販売していたお店屋さん」
「ああ、あのお店?」
「そうよ、あそこはたくさん種類のある石の中から好きなものを選んで、自分で二人がはめてるようなブレスレットを作れるのよ」
「そうか、そうなんだ。だから、あの時、二人で出かけてたの?」
「参ったな、母さんには。このブレスレットを見てそこまで推測してたのか。それに今日の俺達の行動も何となく分かってたのか」
「そうよ、だからこんな時間まで父さんと起きて待ってたのよ。そんな大切な日じゃなかったら、しずちゃんとゆきちゃんのことはあなた達に任せて寝てるわよ」
「そうそう、栞の言う通りだ。で、どうだったんだ、しずちゃんとゆきちゃんには言い返事貰えたのか?って聞くまでもないか。お前たちがお風呂に入ってる間にしずちゃんとゆきちゃんに今日のこといろいろ聞いてたけど、お前たちのプロポーズにどう返したかは聞いてない。でもこんなに嬉しそうにブレスレットの話してるから、結果はもう出てるよな」
「ああ、父さん。俺、ゆきと結婚するよ」
「俺もだ、親父。しずに俺もいい返事もらったよ」
「そうか、良かったな」
「ねえ、経幸、この私と姉さんにくれたブレスレット、凄く綺麗で素敵だけど、使ってる石が違うけど、何か理由があるの?」
「ほら、真助、この説明だけはお前の役目だぞ。言い出しっぺのお前の。お前が事前に調べてくれた情報で作ったんだし、しずとゆきに生まれた日のこと聞いたのもこのためだったって言ってたんだから」
「分かったよ。じゃあ、その理由は俺から説明するよ。しずが生まれた日は俺達が二人と出会った日ほど暑くなくて雨が多い日だったって言ってたから、多分、六月くらいかなと想定したんだ。それからゆきが生まれた日は今日みたいな雪が降ってた日だったって言ってたから、今日と同じ、十二月くらいと想定したんだ。あくまで二人の時代の暦の数え方が良く分からないから想像の域を超えないんだけど。それでね、その月の誕生石、パワーストーンと言われる石を使ってね二人のブレスレットを作って、この日のプロポーズに使おうと思ったんだ。まずはしずの誕生月、六月の石なんだけど、三つあってね。その二つの白っぽいもの、その一つはムーンストーンと言う石、月長石とも言うんだけど、恋人との絆を深めるとか、魅力を引き出すという効果があると言われている。それからもう一つの白い石、それは淡水パールと言うものなんだけど、若さと健康を保つ効果があると言われている。それから黄色い石、それはシトリンと言う、別名、黄水晶とも言う石だよ。ストレスを癒す、とか仕事運・金銭運を良くすると言う効果があると言われている。
それからゆきの方ね。十二月のパワーストーンなんだけどね、まずは綺麗な緑っぽい青色の石、これはターコイズという石、別名、トルコ石というもの。邪悪なものから身を守るという効果があると言われている。それから紫色の石、それはタンザナイトという石、別名、灰簾石とも言われる。思いが伝わるというような効果があると言われている。ということで、そんな二人の誕生月を象徴する石を使って俺達のしずとゆきへの想いを伝えたら、少しは俺達の告白の手助けにもなるかなと思ったし、そんな意味づけをしたらしずとゆきにも喜んでもらえるかなと思ってな。そんな訳であの日、二人には内緒で出かけていたって訳。ごめんな、ずっと嘘ついてて」
「ううん、こんな素敵な嘘ならどれだけでもいい。ね、姉さん」
「グスン、うん、ゆきの言う通り。ゴメン、何かこんなに私たちのことを考えてくれてる真助の気持ちが嬉しくて涙が出てきちゃった」
「本当にしずは良く泣くな」
「ゴメン、でも自分でも抑えられないんだもん。こんな泣き虫はダメ?嫌いになっちゃう?」
「いや、こっちこそゴメン、そんなしずを責めてる訳じゃないんだ。ちょっとした俺の照れ隠しだよ。そんな優しい涙を流してくれるしずも俺は大好きだよ」
「本当にこういう女性を喜ばせる気遣いは俺できないから、こんなとこだけは真助のことリスペクトしか、あ、尊敬できるってことね、ないんだよな」
「こんなとこだけって何だよ。もっと俺と言う存在全部をリスペクトしろ」
俺と真助はしずとゆきへのプロポーズを成功させてその年の年末を迎えていた。
「はあ、今年も今日で終わりか」
「そうだな、今年は俺達にとって激動の年だったよな」
「ああ、全くだ。でもそれは悪い意味じゃない。最高の年だったよな。あの朱盃流しの日からな」
「何と言っても、な、しずとゆきと出会って、この前、プロポーズも成功したし、後は結婚までまっしぐらだな」
「そうだな、ハハハ」
そう二人でソファに座って呑気にテレビを見ながら話してると俺と真助は後ろから頭を叩かれた。
「痛!」
振り向くとそこにはエプロン姿のしずとゆきがおたまを持って立っていた。俺達はそのおたまで叩かれたみたいだ。
「痛いな、何だよしず」
「そうだよ、ゆき、何で叩くんだよ」
「何だよじゃないでしょ。パパもお掃除頑張ってくれてるし、ママも私たちにお料理教えながらおせち作ってるのに、真助と経幸はもう、テレビ見ながら何をバカみたいに笑ってるのよ」
「そうよ、経幸。二人もお掃除しなさいよ」
「おい、バカみたいって何だよ、俺達はただ、今年一年を振り返ってだな・・」
「もう、そんなことはパパもママもゆっくりできるようになってから家族みんなですることでしょ。ほら、二人ともせめて自分の部屋だけでもしっかり掃除してきなさい」
「ええーー、だってさ、掃除って面倒く」
「何よ、何か文句でもあるの」
そのちょっと膨れて怒ったしずとゆきの顔も凄く可愛かった。
「は、はい、いや、何でもありません。真助、言われたとおり、部屋の掃除してこうぜ」
「おい、参ったな、今からこんな状態だと、俺達さ、しずとゆきの尻に敷かれるかもな」
「コラ、真助、経幸、何をまた無駄話してるの。早くお部屋に行って掃除してきなさい」
「はい、ほら、こりゃあ、ヤバいぞ、経幸」
素直に部屋に行かない俺達にゆきはおたまを振り上げた。
「もう、いい加減にしなさいよ!」
「逃げろー、真助」
「本当にもう、仕方のない息子たちね。あんな二人だけど、しずちゃん、ゆきちゃん、宜しくね」
そして俺達は大晦日の大掃除を終え、お風呂も済ませて紅白を見ながら家族で今年を振り返っていた。
「はー疲れたぜ。これだけ大晦日に働いたの初めてだぜ」
「なるほど、こんな働きで頑張ったって言うってことは、いつも真助はママの手伝いをさぼってたってことね」
「ぷっ!真助、お前、しずに言われたい放題だな」
「経幸、あなただって真助のこと笑えないでしょ。大したお手伝いもしてないのに、そんなに疲れた顔して」
「ハハハ、真助も経幸も以前にも増して最近はしずちゃんとゆきちゃんに形無しだな。二人は本当にいい奥さんになりそうだな」
「おう、出てきたぞ。次だぞ。E‐girls」
「な、何?E‐girls?」
「そうそう、そう言えば、しずとゆきが来てからは、しずとゆきとの話に夢中で、ほとんどテレビ見ながら話をするなんてことなかったからな。実は経幸は、このE‐girlsと言う、この綺麗な女性集団、グループって言うんだけどね、歌と踊りで大勢の人を楽しませる女性たちが大好きなんだ。今から歌うから」
「そうそう、見てれば分かるよ。このグループの素晴らしさが。しずとゆきも絶対に気に入るはずだよ。歌も凄くいいし、踊りも凄いんだぞ。それに個人個人も凄く綺麗で可愛い女性ばかりで、とにかくいいんだよ」
「経幸、お前、大好きなE‐girlsのことなのに、説明下手くそだな」
「うるせーな。E‐girlsの良さは口で言うのは難しいんだ。感覚なんだよ、うん、とにかくしずとゆきにも見て感じてもらえればいいんだ」
そしてE‐girlsのパフォーマンスが終わった後の感想を二人に聞いた。
「どうだった。いいだろ」
「うん、経幸が言う通りだね。何か見てると元気になるね。歌も素敵、それにあの踊りは何?あんな動き見たことない。でも何か私たち女性が見ててもカッコいいと思う」
「本当、私も思わず見入っちゃった。それにみんな可愛い女性ばかりだね。経幸はこの中でどの娘が好きなの?」
俺はしずのこの誘導尋問に思わず答えそうになってしまった。
「うん、俺はね、この踊ってる娘のうち・・・ち、違う違う、俺はそんな目で見てないんだよ。危ねー、もちろん、このグループの一人一人が素敵な女性だとは思ってるけど、俺はそれ以上にこのグループの歌と踊りに魅かれてるの。危ねー、危うくしずの誘導に引っかかるところだった」
「別に私はそんなつもりで聞いたんじゃないのに」
「けっ!かっこつけやがって。しず、ゆき、俺が教えてやるよ」
「や、やめろよ、何を言う気だよ、やめろよ真助」
「こんなこと言ってて、実は経幸だって、この中でもお気に入りがいるんだぜ」
「やめろって」
「しずとゆきと知り合う前は、とにかく夢中だったじゃねーかよ。その時に俺に話してただろ。こいつのお気に入りはね、ほら、中でも一番背の高い、佐藤晴美ちゃんて言う娘が大好きなんだよ。な、凄い綺麗でカッコいいだろ。それにこの娘、外見からすると凄く気が強そうにも見えるけど、凄い性格がほのぼのしてて中身も可愛いんだよ。だから好きなんだよな経幸」
「お前、何でそう言うことぶっちゃけるかなあ」
そう言って隣のゆきの顔を見ると膨れて俺の顔を凝視していた。
「あ、いや、違うんだ。真助の言ったことは嘘嘘。こいつ嘘ばっかり言うから。信じるな」
「もう!この前、私に結婚してって言ったのに。あれは嘘だったの?」
バシッ!俺はゆきにビンタされた。
「痛!違うって言ってるだろ、ゆき。だから、ゆきと知り合う前の話だろ、夢中だったのは。今はゆき、お前に夢中、だからお前と知り合う前に夢中だったE‐girlsの話もこんなに時間が経ってから二人に話すことになったんじゃないか。今の今まで忘れてたくらいなんだからさ」
「あ、そうか。なるほど」
「分かってくれた?」
「ゴメン、経幸、真助に言われてついあの佐藤晴美さん?に、あんな綺麗な娘だったから、何か経幸はあんな娘が好きなんだって思ったら胸の辺りがムカムカしちゃって、つい、殴っちゃった。ごめんね、痛かったでしょ」
「良かった分かってもらえて。全く、真助、余計な情報を二人に入れるんじゃねーよ。お前のせいで今年の最後にゆきにきつい一発もらっちまったじゃねーか。はあ痛かった」
「フフフ、でもこれが真助と経幸の仲の良さなんだよ、ね、ママ」
「そうよ、しずちゃんもよく分かってきたね」
「こんなことで仲がいいって思われる俺達って何なんだ?」
「さあ、しずちゃん、ゆきちゃん、年越し蕎麦を作ろうか」
「うん、私、お蕎麦大好き」
そして俺達家族はしずとゆきと出会い一緒に暮らし始めたもの凄く不思議だけど充実した年を越した。
「明けましておめでとうございます。今年も一年宜しくお願いします。しずちゃん、ゆきちゃん、新しい年を迎えたら、こんな風に挨拶するのよ」
「ふーん、なるほど、素敵な挨拶だね、ママ。パパ、ママ、経幸、真助、しず姉さん、明けましておめでとうございます。今年も宜しく御願いします。こんな風でいいの?」
「うん、バッチリよ、ゆきちゃん」
「私も。重留家の皆様、そして愛する妹、ゆき、明けましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。今年も一年宜しくお願い致します。これでいいのかな?」
「凄い、しずちゃん。昨年のことも入れての挨拶、私そんなこと言ってないよ。どこで覚えたの?」
「だって今、テレビ見てたら、ママが言ったような言葉が出てきたから。ママの言ったことと少し違ったけど、多分、同じことだなって思って」
「それを一瞬で覚えて、使ったの?しずちゃんは凄いね。記憶力も凄いけど、状況に応じてすぐに素敵な行動に移せる対応力が凄いわ。真助、大切にしなさいよ。こんな素敵な娘、どこ探してもいないよ」
「分かってるよ」
「さあ、新年の挨拶もみんなでしたから、寝ましょうか。朝、お雑煮とお節を食べてから初詣に行きましょう」
「そうだな。みんな、元旦にいい初夢が見られるといいな」
「初夢?」
「ああ、しずちゃん、ゆきちゃん、初夢ってのはね、年の初めの二日間に見る夢のことだよ。説として今から寝るときに見る大晦日から元旦の夜に見る夢と、今日の夜から二日にかけての夜に見る夢の二つが有力とされてるけど、今は後者の方が有力視されてるみたいだね。まあ、でも今日と明日で見る夢が初夢と捉えておけばいいんじゃないかな。この初夢でいい夢が見られるとその一年幸せに暮らせるとも言われているね」
「ふーん、そうなんだ。よし、頑張っていい夢見よう。おやすみなさい」
「おい、ゆき、夢はそんな頑張ったからって見られるものじゃないだろ。寝てる時にどうやって頑張るんだよ」
「バカ、経幸、またお前は、真面目か!言葉の綾だよ、なあ、ゆき」
「うん、いい初夢が見られるように楽しい気持ちで寝ようと思って」
「ほら見ろ、本当にお前は、もう少しお前はゆきの言葉を上手く受けてやれよな。ごめんな、ゆき、兄の俺が謝るから」
「ごめん、ゆき、また俺、ゆきの気持ちも汲まずに、言葉だけまともに取っちゃって」
「ううん、そんな経幸の真面目なところも私、大好きだから」
そして新年迎え最初に床に就いた枕元で、俺と真助は不吉な初夢を見た。俺が見たのは関之尾の滝の滝壺にゆきが消えてゆく光景、真助も同じように関之尾の滝の滝壺にしずが消えてゆく光景だった。俺達は助けようとしても二人に届かない手のもどかしさに苦しくなり、目が覚めた。
「はっ!、はあはあ、何だ、夢か」
「ばっ!な、何だ、良かったー、夢かよ。ふう」
「何だ、真助、初夢見たのか?」
「ああ、ビビったぜ。でもあんなのが初夢なんて、大丈夫かよ、俺の新年」
「何だよ、その感じだと、あまりいい夢じゃなかったみたいだな」
「ああ、最悪だよ。経幸の方こそ、そんな寝起きだと、お前もじゃないのか?この寒いのに寝汗が酷いじゃねーか」
「ああ、俺も最悪だよ。苦しすぎて飛び起きちゃったよ。だってゆきが関之尾の滝に消えてゆく姿がさ、俺はそれを止めようと手を差し伸べるのに全く届かないんだ」
「ええ!う、嘘だろ、何だよそれ。俺と全く一緒じゃねーかよ。俺も滝壺に消えてゆくしずに手を出すんだけど、届かなくて。行くなー、しずーって叫んだところで目が覚めた」
「本当か、真助。参ったな、双子の俺達がシンクロしてこんな不吉な夢を見るなんて。それも年明け早々、初夢でだ。はあ、何か嫌な感じだな」
「ああ、何か新年早々、いくら能天気な俺でも気持ちが沈むぜ。しずに関わる変な夢だからな」
「全くだ。ああ!まさか、もうゆきとしずがいなくなってるとか」
「嘘だろ、そんなこと・・・」
「だって、ゆきとしずはあの神話の美女だぞ。その美女が俺達の目の前にいること自体、ミラクルなんだぞ。突然、そういうことになっても不思議じゃないだろ」
「おい、急げ!二人の部屋に見に行くぞ」
俺達は早朝、六時前にも関わらず、大声でゆきとしずの名前を呼びながら、二人の寝てる部屋のドアを開けた。
「しずー」
「ゆきー」
俺達がそう言って、二人の寝てる部屋の扉を勢いよく開けると、その音に目を覚ました二人が悲鳴を上げた。
「きゃあ、いやーー」
俺達はその二人の悲鳴を聞いてホッとした。悲鳴だったのにも関わらず。
「はあ、良かった。いたよ、しずもゆきも」
「本当だよ、いた、無事で良かった。しずもゆきも」
「な、何、真助も経幸も、こんな早くに」
「そうよ、突然、扉を開けて入ってきて、何をしに来たのよ」
「あ、いや、それは、その、な、経幸」
「ああ、ゆきとしずがいるかな?って確認をしにね」
「もう、いるに決まってるでしょ」
その背後には悲鳴を聞きつけて、二階に駆け上がってきた両親が立っていた。その状況を見て俺達は父に殴られた。ガシッ!
「痛!」
「コラー、お前ら、二人して、新年早々、何を!いきなり夜這いか」
「本当よ、あなた達がこんなことをする息子だと思わなかったわ。実の息子ながら情けない。ごめんね、しずちゃん、ゆきちゃん」
「いや、父さん、母さん、これは違うんだ。そんなしずとゆきに俺達がそんなことをしようとした訳じゃなくて。これはその、何というか、しずとゆきがいるかどうかの確認をしたかっただけというのかな」
「そうなのよ、ママ。真助も経幸もね、私たちがいてホッとしたって言ってね。当たり前なのに、寝てるに決まってるのにね。本当に変な二人」
「ねえ、あなた、こんなことがあるからやっぱり、考えましょ」
「そうだな、やっぱり、こんなことがあると真剣に考えないとな」
「な、何だよ、親父、お袋、何を考えるんだよ」
「しずちゃんとゆきちゃんのプライバシーを守るんだよ。お前らがこんなことする可能性がある以上、正月休み明けにしずちゃんとゆきちゃんの部屋には鍵を付けることにする。文句は言わせないぞ。こんな決断をさせたのはお前たちだからな」
「仕方ないな。真助、しずとゆきは無事だったから、部屋に戻ろうぜ」
「ああ、そうだな」
「もう、本当に変な二人だね、姉さん。寝てるだけなのに、無事だったとか」
そんな不吉な出来事に新年早々、不安な正月休みを過ごしたが、それもこの後、特に大きなハプニングもなく、平凡な日常をしずとゆきと楽しく過ごし、俺はしずとゆきと共に年を越せた記念に家族全員にあるサプライズを企画し、それを一月末のある日の晩御飯の食卓で発表した。
「はあ、美味しかった。ご馳走様、ゆき、しず。とても美味しかったよ。凄いよな、もう完全に母さんの味を再現できるようになってるもんな」
「本当よ、もう私が何も言う必要なんてないのよ。今はもう二人とも自分で料理本見て、どんどん色んな料理を作っちゃうんだから」
「ううん、まだまだ、ママには絶対に勝てない、と言うか、ずっと私たちにはママは憧れ。だって、こんなに可愛くて、料理も凄く上手で、凄く家族思いの完璧なお母さんだもん」
「そう、ゆきの言う通り。私たちはママみたいな素敵な奥さんになることが目標なんだから。それに私たちがママみたいになれたら、ママも少しは楽できるでしょ」
「本当に、しずちゃん、ゆきちゃん、ありがとうね。本当の娘でもないのに、そんなに私のこと気遣ってくれて」
「ううん、ママ、私たちは今はもうママとパパの本当の娘だと思ってるよ。迷惑かもしれないけどね」
「嬉しいこと言ってくれるな、しずちゃんとゆきちゃんは。パパも凄く嬉しいよ」
「本当にありがとうな、ゆき、しず」
「何で経幸がお礼を言うのよ。感謝してるのは私と姉さんよ」
「いや、俺は本当にしずとゆきに感謝してる。本当に俺、今のしずとゆきが傍に居てくれる生活が幸せすぎてな。それは多分、真助も同じことを思ってるはずだ。なあ、真助」
「ああ、その通りだ」
「でね、だから、俺さ、いつも真助に素敵な気遣いが出来ないって、良く言われるからさ、それを凄く反省しててね。だから、色々、自分なりにみんなが喜んでくれることを考えてみたんだ」
「な、何?経幸、何を考えたの?」
「ああ、実はね、母さん。しずとゆきと一緒に生活するようになってもう六か月くらいが経っただろ。しずもゆきもかなり今の生活に馴染んできたと思うんだ。それでね、もっとしずとゆきも含めて、家族の絆を深めたいと思ってね。まだ、この六人で旅行したことないだろ。だからね、俺、温泉旅行を企画してみたんだ」
「う、嘘!経幸、本当なの?」
「ああ、父さんと母さんには感謝してる。しずとゆきのこと、こんな突飛由もない出会いから始まったのに当たり前のように一緒に暮らす生活を受け入れてくれたし、この六人でもっといっぱい楽しい思い出を作りたくて。温泉旅行を企画したんだ。もう旅館も予約したんだ。だからさ、父さん、二月最終の土日、必ず、空けておいてね。休日出勤なんてしないでよ」
「ああ、分かった。で、どこなんだ、目的の温泉は?」
「ああ、それはね、霧島温泉郷にした。本当はね、九州の温泉の大本命、別府温泉にしようとも思ったんだけど、別府は十分に全国レベルの温泉街だろ。それよりももっと九州には他にも愛されるべき温泉もあるから。だからこの近くで俺が個人的に父さんと母さん、それとゆきとしずを連れていきたい温泉旅館を予約したから」
「うわあ、経幸、素敵。もしかして、旅をするの?どんなところに旅するの?」
「あ、うん、でも何か旅なんて言われると、凄く遠くへ行くような感じになるけど、ごめん、ゆき、しず、そんな大層なものじゃないんだよ。ここから凄く近いんだ。二人にブレスレットを渡した時に連れて行った愛宕山より近くだから。でも凄くいい温泉だし、泊まる旅館も凄くいいところなんだ」
「ねえ、経幸、先程から出てくる温泉って何?」
「え、しず、温泉、知らないの?」
「うん」
「ゆきも?」
「うん、もちろん」
「温泉て言うのはね、地中から自然に出てきたお湯を使ったお風呂と言えばいいかな?」
「へえ、そんなものがあるんだ。私たち一度も旅なんてしたことないから、ずっと家の近くで過ごしてきたから。だって遠くに旅みたいなことしたのは、領主様から声がかかった関之尾の滝での宴に同行したのが最初で最期だったから」
「そうか、そうなんだ。ごめん、何かゆきとしずに嫌なこと思い出させてしまったね」
「ううん、いいの。大丈夫だよ、だってその温泉て気持ちいいんでしょ、凄く楽しみだよ」
「うん、そして温泉旅館というのはね、その温泉を使って大きなお風呂を宿の中に作ったものだよ。ほら、2人に出会ってすぐに行っただろ、温泉じゃないけど、かどがわ温泉心の杜。あの施設を御食事も一緒に楽しめるのが温泉旅館だね。予約した旅館はネットでのクチコミ評価も凄く高い宿なんだ。俺も泊まったことはないけど、期待はできると思うんだ」
「そうなんだ。またママと大きなお風呂に一緒に入れるんだね。楽しみだね、姉さん」
「うん」
「あ、でも経幸、お前、その旅館の六人分もの宿泊代、大丈夫だったのか?私も出そうか?」
「そうだぞ、経幸、俺だって」
「いいよ、宿泊代は俺が全部持つから。俺が勝手に企画したものだから。旅館の宿泊費に関わる部分は俺に任せて。父さんと母さん、真助は旅行当日のそれ以外のことでゆきとしずが楽しめるようにお金を使ってほしいんだ。だから真助、お前も何とか料理長に頼み込んで来月末の土日、空けておいてくれよ」
「ああ、分かった。それにしても今回のこの旅行は、いいタイミングの企画だな。初めて実の弟ながら最高の気遣いができたと思う。褒めてやるよ」
そう言って俺は真助に頭を撫でられた。
「止めろ、真助。何が褒めてやるだ。お前に褒められても嬉しくないんだよ」
「照れるな照れるな。嬉しいくせしてよ」
「うるせー、お前に褒めてもらうために企画したんじゃねー」
「ああ、経幸、顔が赤くなってる。可愛い」
「本当だ、可愛い」
「何だよ、ゆきも、しずまで。可愛いって何だよ」
でもそんな少し冗談めいた冷やかしの後にゆきとしずは俺の手を握ってお礼を言った。
「ありがとう、経幸、私、今、ここで生きてることが凄く幸せだよ」
「私も、真助も私のこと凄く大切にしてくれるし、もちろん、経幸もパパもママもね」