腐れ縁の同級生たち
※
翌日の朝。
ゴールデンウィーク明けの五月七日木曜日。
すでに時刻は七時半を回っており、そろそろ家を出て学校へ向かう時刻である。
朝食にピーナッツバターを塗った食パンを胃に流し、顔を洗って歯を磨き、一週間ぶりの制服に袖を通す。
さて、もう家を出ようかなという折になって、ようやく揚羽がのそのそとリビングに現れた。
「おはでーす……」
「おはよう。寝癖酷いぞ」
「うぃーす……」
うとうと。
揚羽は起き抜けだからか、ぼーっとした顔でリビングの椅子に座る。
「お前、相変わらず朝は弱いんだな」
「そんなことないですけどー?」
ぽわぽわ。
なんだかふわふわした雰囲気の揚羽を見ていると、妙あ庇護欲が湧いてくる。
素直に可愛い。
僕はぼーっとしている揚羽に苦笑しつつ、揚羽用に作っておいた朝食の食パンを彼女の前に置いた。
ついでに牛乳と一口サイズにカットしたリンゴも置いておく。
「ほら、ちゃんと食べておけよ」
「ふぁーい」
「……」
あくびなのか返事をしたのか定かではないが、とりあえず小動物染みた仕草が可愛かった。
揚羽は朝に弱い。
本人曰く、低血圧ではないらしい。
起床後、一時間前後は脳がまったく働かないとかなんとか言っていたが、よく分からなかったから「朝が弱い」で片付けている。
僕はむしゃむしゃと食パンを食べている揚羽を眺めながら、
「そろそろ学校に行かなきゃなんだけど、お前はこれからどうするんだ?」
「むしゃむしゃ……」
「家の鍵はそこの戸棚に置いておくからさ。もしも帰るなら、ちゃんと戸締りはしておいてくれ」
「うとうと……」
「おい。食べながら寝るな」
「こてん……」
「だから寝るなよ」
僕は食パンを口にしたまま寝てしまった揚羽を叩き起こした。
※
「まあ、あとでどうするかは電話でもなんなりして教えてくれ」
そう彼女に言い残して、僕はいつもと同じ時間に家を出た。
マンションを出て徒歩十分のところにある最寄り駅。
居酒屋やファストフード店のような飲食店が立ち並ぶ駅前のロータリーを抜け、改札から駅ホームへの階段を登る。
それから、電車に乗ること三〇分。
僕が通っている私立春風高等学校の最寄り駅に着く。
最寄り駅からさらに徒歩一五分のところに、件の春風高校は建っている。
やや住宅街から外れた緑の多い敷地の中央に建っているため、周囲に大きな木や生い茂った草が多い。
校内は整備されたロータリーと生徒の憩いの場となる休息場が設けられている。
ロータリーから昇降口前の階段を登ると校舎内へ。
校舎内は私立というだけあって綺麗に清掃が行き届いている。
といっても、掃除しているのは僕たち生徒なわけだけれど。
建物はアルファベッドの「H」に似ていて、東が教室等で西が実習棟と分けられた五階建てとなっている。
教室棟には僕たちのクラスがあって普段はこちらで授業を受ける。
実習棟には理科室や家庭科室のような教室があり、空き教室が多い。
その空き教室の一部を文化系の部活動が部室として利用している。
さて、そんな春風高校の二年生である僕は二年一組に在籍していて教室は三階にある。
八時半になる前くらいに教室へ入ると、すでにクラスメイトたちが集まってそれぞれのグループで談笑していた。
僕はその間を縫って窓際最後尾である自分の席に荷物を置くと、
「うーす。修太郎。久しぶりー」
声をかけられた。
顔を上げると僕の前の席に座っていた男子生徒が、首だけこっちに向けていた。
チャラそうな茶髪に穴を開けるタイプのピアス、制服も着崩していて軽薄そうな笑みを浮かべたこの人物は――辰威小吉。
僕のクラスメイトで数少ない友達である。
「よう。小吉。久しぶりって言っても、たかが一週間だろ」
「いやいや、俺には長い一週間だった……。ゴールデンウィーク明けの模試で良い点取るために勉強続きだったからなぁ」
と、小吉は遠い目を窓の外へ向ける。
彼は見た目に反して勉強がすこぶるできる。
学内順位は不動のトップに君臨し、模試の判定はオールA判定。
真面目にコツコツと勉強するタイプで、大らかな性格も相まって普通にいいやつなのだが、見た目のせいかい誤解されやすく友達と呼べるのは僕くらいしかいない。
そんな小吉とよく一緒にいるからか、僕も小吉しか友達いないんだけれど……。
「なあ、僕が友達少ないのはお前のせいだと思うんだけれど」
「え? めっちゃ急に酷いこと言うじゃん……。俺が思うに、修太郎が友達少ないのはそういうところだろ思うんだけれど」
「僕もそう思う」
「それはそうと、修太郎はちゃんと勉強したのか? もう高校二年生だし、勉強をあと回しにしない方がいいぞ〜」
「大丈夫だ」
「お、今回は自信があるみたいだね〜」
「数学は赤点だから」
「諦めてるだけかい」
小吉はそう言ってケラケラと楽しげに笑う。
まあ、今回は期末テストと違って模試だから赤点とかはないけれど。
「はあ……どうして僕は頭が悪いんだろう」
「いや、別に修太郎は頭が悪いわけじゃないと思うけど? ちゃんと勉強すれば」
「……ちゃんと勉強ねぇ。僕は小吉みたいに、まだやりたいことがないからいまいちやる気が出ないんだよなぁ」
小吉とはかれこれ中学からの付き合いになるわけだけれど、彼はそのころからある夢に向かって勉強に勤しんでいた。
それに比べて特に夢も希望もない僕は、なんとなく勉強に身が入らないでいた。
「まあ、まだ時間はあるしこれからゆっくり決めていけばいいんじゃねえかな〜」
「他人事みたいだな」
「俺にとっては他人事だからなぁ〜」
「……」
僕が恨みがましい目を小吉に向けると、そのタイミングで再び声をかけられた。
「千葉くん」
振り向くと、僕の隣に黒髪おさげの大人しめな女子生徒が立っていた。
丸い縁のメガネをかけた地味目な女子――このクラスの委員長をやっている村崎さくらだ。
「おはよう。村崎さん」
「おはよう。千葉くん。これ、先生から。再提出だって」
そう言って手渡されたのは、四月の頭に配られた進路調査票だった。
配られたその場でしっかり提出したものの、適当に書きすぎて再提出を何度も受けていた。
ちなみにゴールデンウィーク前に提出して、今回で五回目である。
僕が進路調査票を見て、「うげぇ」としていると委員長が呆れ混じり声音で口を開く。
「書いたら先生に渡してね」
「うん。わざわざありがとう」
委員長は用が済んだとばかりに踵を返して自分の席へ戻っていく。
僕はその背中を見送った後に返された進路希望調査票に目を落とす。
そこには第一希望から第三希望まで記入する欄があり、僕はその全てに「未定」の文字を記入していた。
進路ねぇ。
ふと、小吉に視線を移すとなにやら自分の席に戻って読書をしている委員長をぼーっと眺めていた。
「おい、小吉。友達である僕の進路よりも想い人の方が気になるのか」
「なっ!? ちょ……声が大きいって……!」
小吉は僕の発言に顔を真っ赤にして慌てる。
僕は頬杖をついて、
「お前、中学の頃からずっと委員長のこと好きだよな」
「だ、だから声が大きって!」
「誰も聞いてねえよ。多分」
僕は慌てる小吉を他所に委員長の方に目を向ける。
クラスメイトたちが楽しそうに談笑しているなか、教室の真ん中の席で読書に耽る彼女の姿は勇ましさすら感じられる。
それは中学の時からあまり変わっていない。
僕と小吉、委員長は中学の同級生だが――委員長とはほとんど交流がない。
ただ、同級生というだけだ。
小吉も委員長とはほとんど喋ったことがないはずだけれど、なぜか彼女に恋心を抱いている。
小吉曰く、「一目惚れ」とのこと。
「僕、一目惚れって信じないタイプだけど小吉のは信じられる気がする」
「お、俺の話はいいじゃんかよー。それより、修太郎の進路だろ?」
「いいよ、進路なんて。誰かに聞いて決めるもんでもないし」
「そりゃあそうだけど」
「小吉はそういえばなんて書いたんだ? 進路希望に」
「知ってるだろー? 俺はお医者さんだよ。昔からの夢だしな。医学部のある大学に行くつもり〜」
小吉はそう言って照れ臭そうに笑った。
この見た目で医者と言ったらたいていの人間が笑うだろう。
本当に人は見かけで判断してはいけないという模範例である。
「で、修太郎はなにかやりたいこととかないのか?」
「ない」
「即答かい」
「まあ、本当のことを言うとないこともないけれど」
「へえ、それって聞いていいのか?」
「大学行かずに就職」
「ベタだねぇ〜」
建設的と言ってもらいたい。
「早く自立すれば、母ちゃんに余計な心配かけなくて済むからな。それにうちで大学に通うってなったら奨学金は必須だ。となると、後々返済地獄が待っているわけだ」
「借金作るくらいなら働いた方がいいって感じかぁ。ただ、学業特待制度とか使えば返済なしの奨学金給付もあるだろ?」
「そうまでして大学に行くモチベーションがない」
「なーる」
そんなこんなで小吉と取り止めもない将来の話をしていたら担任が教室に入ってきて、朝のホームルームが始まる。
談笑していたクラスメイトたちは各々自分の席に戻った。
担任である初老の男性教員が朗らかな笑みを浮かべて、
「みなさんおはよう。朝のホームルームを始めますね。今日の日直は……千葉くんと村崎さんですね。号令をお願いします」
と、担任が僕と委員長の名前を読んだ。
黒板にある日直の欄には、たしかに僕と委員長の名前が書かれていた。
今日は委員長と日直だったか……。
こうして、ゴールデンウィーク明け一週間ぶりとなる学校生活が再び始まるのだった。
※
テストの結果はまずまずといったところ。
昨日、その場凌ぎ的ではあったが揚羽から教えてもらったのがよかった。
普段、僕の前ではだらだらとしている揚羽だが腐っても完璧超人。
人にものを教える術も一流であった。
そんなわけで全てのテストを終えた放課後。
日直の仕事である黒板の清掃と、その日の出来事を記載する学級日誌を、人のいなくなった教室で淡々と片付ける僕と委員長。
もとより、お互いにあまり会話を得意とするタイプでもないし、中学の同級生といってもほとんど接点がない。
委員長からしたら腐れ縁と言えるような輩なのだ。
だから、この教室は沈黙が支配していた。
僕は黒板を雑巾で拭きながら、尻目に自分の席で学級日誌を書いている委員長を一瞥する。
「……」
じっと委員長を見ていると、ふいに小吉の顔が脳裏を過った。
まあ、別に……小吉のためになにかしてやるつもりとか一切ないけれど、一応唯一の友達なわけだし。
少しだけ探りを入れてみる分には問題ないだろう。多分。
そう考えた僕は委員長に話しかけることにした。
「なあ、村崎さん」
「……なに?」
「今日は天気がいいですね」
「はい?」
とても訝しんだ視線を向けられた。
「えっと、急にどうしたの……?」
「いや、村崎さんとは中学から一緒だったけどあんまり話したことなかったなと」
「ふーん」
委員長は学級日誌を書いていた手を止める。
話をしてくれるようだ。
「それはそうと村崎さん。実は小吉……辰威も同じ中学の同級生だったんだけど」
「うん。知ってる。辰威くんも千葉くんも中学の時は有名な人だったし」
「有名?」
「辰威くんはあの見た目だったし。その辰威くんと一緒にいたから千葉くんも」
「ああ、そういうこと」
やっぱり、僕に友達が少ないのはあいつのせいかもしれない。
「辰威くんはあんまり良い噂は聞かなかったから」
「……」
見た目が見た目だからか、中学の頃はヤリなんとかだとか、よく陰で言われていたことを知っている。
ちなみに、噂の出所は小吉を妬んだ男子生徒の仕業だった。
「はあ……」
僕はため息を吐いた。
この様子だと委員長は小吉の悪い噂を聞いているはずだ。
となると、印象はマイナスもマイナスだろう。
残念だったな小吉……委員長はもう諦めるしかないみたいだぞ。
などと僕が勝手に諦めていると、
「千葉くんは――辰威くんと友達なんだよね?」
「え? いや……友達じゃないけど」
「違うの?」
「うん。僕は一方的に親友だと思っているけれど」
「あ、そうなんだ……」
僕の返答に委員長がなぜか若干引いていた。
解せぬ。
委員長はシャーペンを顎に当てて考える素振りを見せる。
「……ねえ、少し聞いてもいいかな?」
「どうぞ」
「辰威くんって噂通りの悪い人なの?」
「んー……?」
はて、この質問はどういう意図から出たものなのだろうか。
「えっと、少なくても僕が見る限りではどうして彼女がいないのか不思議なくらいには良いやつだけれども」
「ふーん。彼女……いないんだ……」
「???」
僕はこの時、頭上に疑問符しか浮かばなかった。
この彼女の反応を見るに――もしや、それほどマイナスではないのでは?
そうは言っても僕はそこら辺の機微を敏感に察することができるほど器用な人間でもない。
「……」
僕は黒板をふきふきしながら、
――よく分からないからプラスマイナス・ゼロでいいか。
という結論に至ったであった。
そうして日直の仕事を終えて校門まで行くと、僕を待ってくれていた小吉と一緒に最寄り駅まで並んで歩く。
そこで僕は先ほどの出来事について小吉に話した。
「さっき小吉のことについて、村崎さんに軽く探りを入れてみた」
「マジで!?」
「まあ、マイナスっぽいなと思ったけどプラスもあったから……差し引きなしでプラマイ・ゼロって感じ」
「んー? ちょっとなにを言っているのか分からないんだけど俺」
「プラマイ・ゼロだよ」
「だからどういうこと!?」
そんな感じで僕たちは途中で駅前のコンビニに寄ってから電車に乗った。