幼馴染メイドと雨宿り
五月一二日、火曜日。
午後になって突然、雨が降ってきた。
午前中は雲一つない青空が広がっていたというのに、お昼から雲行きが一点した。
「これは思ったよりも降ってるな」
僕は窓際一番後ろにある自分の席で頬杖をつきながら、ぼーっと窓の外を眺めて呟いた。
教室の時計を確認すると、壁にかけられた時計の針は一五時ちょうどを指していた。
六限まである授業が終わり、掃除をして帰りのホームルームを終えた後だからクラスメイトはほとんど残っていない。
僕もいつもならすでに小吉と一緒に学校を出ている時間なわけだけれど、今日は残念ながら教室で居残りである。
というのも、いまだ提出できていない進路希望調査票の提出を担任から強要されたからである。
そういう理由で進路希望を書かなくてはならない僕を置いて、小吉は先に帰ってしまったのだった。
薄情なやつである。
「はあ……進路ねぇ」
「中々、決まらないみたいですね」
と、帰りのホームルームからずっと教卓に座っていた担任が見かねて声をかけてきた。
「まあ、簡単に決まったら苦労はしないですよね」
「そうだねぇ。ご家族の方と相談とかどうしているのかな?」
「僕が決めろの一点張りですよ」
「ははは。そうですか」
「他の先生とかに聞いても同じ回答しか帰ってこないので困ってます」
「けれど、進路のことはどうしたって自分で決めるしかないですよね。君の人生に責任を持てるのは君だけですから。修太郎くんの人生の選択権を誰かに譲ってはダメですよ」
「それは重重分かってます」
僕が肩を竦めて頷くと、担任は深い皺の刻まれた顔に朗らかな笑みを浮かべた。
「私は君が最後にどんな道に進むのか、とても興味があるんですよね」
「それってどういう意味ですか?」
「そのままの意味ですよ。最近の若い子は、ちょっと聞き分けが良すぎるんですよね。先生の時はもっと大人に反発していたので、とても不安を覚えますよ。今の子たちには」
「聞き分けがいいなら、その方がいいんじゃないですかね。というか、先生が大人に反発してたって意外ですね」
「そうですか? 先生はこう見えて、昔はツッパリだったんですよ?」
「つっぱ……?」
僕が首を傾げると担任は笑いながら、「気にしなでください」と言った。
「とにかく、世の中進路はたくさんありますからね。焦らず早めに提出してくださいね」
「とても矛盾してませんか」
「ははは。それでは、今日は大目に見ましょう。明日は提出するように」
担任はそう言って教卓から立ち上がって教室を立ち去る。
ぽつんっと一人だけ教室に残された僕は、机にある白紙の進路希望調査票に目を落としてため息を吐くのだった。
この空欄を埋めるのは一体いつになることやら。
僕はもう一度ため息を吐いた。
※
家へ帰るために下駄箱まで向かうと昇降口の門口で小吉が困った顔をして立っていた。
その近くには同じく委員長もぼーっと雨雲を見上げていた。
はて、この二人は一体なにをしているのだろうかとしばらく後ろから眺めていると、僕は自分の手に持っているものが原因だと気がついた。
今、僕の手には傘がある。
しかし、委員長と小吉の手には傘がない。
つまり――。
「二人とも傘を忘れたのか」
たしかに、午前中は晴れていたわけだし、家を出る時に傘を持っていかなかったのは不自然なことではない。
ただ、小吉はともかく小吉の想い人である委員長も傘を忘れて、同じ時間に同じ場所で立ち止まっているというのは中々運命的ではなかろうか。
そんなことを思いつつ、このままでは二人の運命とやらは動きそうにないなと考えた僕は、傘を片手に小吉へ近づく。
「よう。なにしてんだ」
「あ、修太郎。進路調査は終わったのか〜?」
「いんや。また明日」
「なーる」
「それで? 見たところ傘をお忘れみたいだな」
「そーなんだよー。バスで帰ろうか悩んでたんだけど、次に来るのが三〇分後でさ〜。ちょうどよかったぜ。駅まで修太郎の傘に入れてくれないか?」
「やだ」
「冷たっ!」
「男と相合い傘なんて冗談じゃないよ。この傘は貸してやるよ」
「マジで? 修太郎はどうするんだ?」
「僕は置き傘があるから大丈夫だ。それより、傘は貸してやるけれどその代わり――委員長と相合い傘して帰れ」
「うええ!? 無理に決まってるだろ!?」
「大丈夫だ。多分」
「多分!?」
僕は弱腰な小吉に「やれやれ」と首を竦めて見せる。
「男なら当たって砕けろよ。前に言ったけれど、委員長のお前に対する好感度はプラマイ・ゼロだ。マイナスじゃなければ、なんとかなるよ」
「本当か……?」
「多分」
「できれば確約して欲しかった!」
「甘えるなよ小吉。自分の恋をどうにかできるのは自分だけだろ? 自分の恋の行末を他人に押し付けるな」
「おおー。修太郎っぽくない台詞だぁ」
「さっき僕が担任に言われた台詞だからな」
「俺らの担任ってマジでいい人だよな」
「だな」
僕と小吉は苦笑して頷き合う。
小吉はそれから照れた顔で僕から傘を受け取ると、
「それじゃあ……ちょっと頑張ってくる」
「ん……まあ、頑張れ」
小吉は意を決した表情で委員長に声をかけた。
委員長は驚いていたが、すぐに顔を真っ赤にして頷くと二人は一つの傘に並んで入って昇降口の階段を降りていった。
その後ろ姿を見送った僕は天井を仰いだ。
「なーにが頑張れだよ。自分の進路もままならないのになぁ」
いや、進路だけじゃないか。
「はあ……僕も帰るか」
小吉には置き傘があるなんて言ったけれど、本当は置き傘なんて持っていない。
学校から駅までは民営のバスでなんとかなるけれど、最寄り駅から自宅までは濡れるしかない。
駅前のコンビニで傘でも買おうかと思ったが、所持金的にバス代を払うことを考えたら傘を買うお金がなくなる。
「……濡れて帰るか」
走ればなんとかなるかもしれないし。
※
僕の考えが甘かった。
電車で最寄り駅まで着いた時、急に雨が豪雨に進化しやがった。
走れば自宅まで五分程度だが、五分でも相当ずぶ濡れの濡れネズミになりそうである。
「まあ、行けるだろ」
と、生クリームにハチミツを合わせるくらい甘い思考の僕は帰路を走った。
しかし、途中で豪雨がさらに進化して雷雨に発展。
雨が激しくなり、制服は全身びちゃびちゃ。
視界不良ということも重なり、僕は自宅近所の公園の遊具へ避難することに。
そこはかつて揚羽と雨宿りした出会いの場所だ。
またここで雨宿りすることになろうとは――などと思って遊具の中へ入ると、
「「あ」」
なぜか遊具の下で膝を抱えて座っていた揚羽と目が合い、お互いに間抜けな声を出した。
「お前……こんなところでなにしてんだ?」
「修太郎くんこそどうしてここに?」
「いや、雨と雷がすごいから雨宿りに」
「私も外を散歩していたら急な豪雨に襲われたので雨宿りに……」
そう言った揚羽の側には傘があった。
「雨の中散歩かよ……」
「雨の日の散歩も乙なのですよ?」
「ふーん?」
僕は相槌を打って揚羽の対面に腰を下ろした。
「修太郎くん。ずぶ濡れですね」
「まあな」
「傘を持っていませんでしたか?」
「なくした」
「貸したの間違いでは?」
揚羽はクスクスと笑う。
「なんで格好つけようとしたのにバレたんだ」
「修太郎くんのことなら六割はお見通しですと言ったではありませんか。どうせご友人が困っていたから、傘を貸してあげたとか……まあ、そのような理由でしょうか」
「こわっ」
エスパーかよ。
「それより、そのままでは風邪を引いてしまいますね。よかったらこのハンカチを使ってください」
「ん……悪いな」
遠慮することでもないので、ありがたく揚羽からハンカチを借りて顔や頭の水を拭き取る。
「というか、お前もびしょ濡れだな」
「そうですね。風が強かったので傘が無意味でした」
そう言う揚羽をよく見ると、メイド服が揚羽の肌に張りついて扇情的になっていた。
肩口まで伸びた金髪の毛先から水が滴り、より揚羽の魅力を際立たせている。
そんな揚羽を直視できず顔を背けると揚羽が「ふふ」と笑った。
「懐かしいですね。ここで雨宿りするのは」
「もう十年以上も前だからな」
「そうですね。あの日からずいぶんと長い付き合いになりましたね」
「そうだな」
相槌ついでに外のようすを確認する。
雨はまだあがりそうにない。
「くしゅんっ」
と、ふいに揚羽が小さなくしゃみをした。
「大丈夫か?」
「はい。けれど、早くシャワーを浴びないと風邪を引いてしまいそうです」
「……」
僕は少し考えて制服の上着を揚羽に羽織らせた。
「僕のもびしょ濡れだけど」
すると、揚羽は目をパチクリと瞬いた後、恥ずかしげに頬を赤らめた。
「あ、ありがとうございます……」
「……」
やめてくれ。
その反応は僕も恥ずかしくなってしまうから。
それから間も無く、雨があがって黄金色の空に虹がかかった帰路を二人で並んで歩いた。
疲れ気味




