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幼馴染と白猫

 明けて五月八日。


 職員室で担任に進路調査票を提出したのだが、


「うん。再提出だね」


「……」


 再び返された。

 これで六回目である。


 そんなこんなで進路希望の紙を乱暴に鞄へ突っ込んで家に帰るのだった。


「進路ねぇ」


 マンションの廊下を歩きながら、ふと揚羽の顔が脳裏に浮かぶ。


 あいつはそういえばどうするつもりなのだろうか。


 僕はぼーっとうわの空で彼女のことを考えながら、玄関に鍵を挿して開ける。


「ただいま」


 と、玄関を閉めて中へ入った。


 その時であった。


 脱衣所の方から揚羽の「うわぁ!?」という短い悲鳴が聞こえてきた。


 見ると、やや脱衣所の扉が開いていて「なんだろう?」と不思議に思った僕は靴を脱いで脱衣所の方へ進む。


 すると、脱衣所のわずかに開いた扉の隙間から黒い影が飛び出してきた。

 なにかと思ったら猫だった。


 見事なほど真っ白な白猫である。


 猫は元気よく僕の足元を通りすぎてリビングの方へと駆けて行く。


 僕は目を瞬き、


「なんでうちに猫が?」


 と頭上に疑問符を浮かべる。


 はて、うちは猫なんて飼っていなかったはずなのだけれど。


 一体どうして――などと首を傾げたタイミングで、遅れて脱衣所からバスタオル一枚というあられもない姿の揚羽が慌てたようすで飛び出してきた。


「あ〜勝手に出ちゃダメですよ猫ちゃ……ん?」


「……」


 脱衣所の前に立っていた僕と脱衣所から出てきた揚羽の目がばっちりと合った。


 水に濡れた金色の髪が、水気で細く白い首筋に張り付き扇状的な色気を放っている。


 バスタオル一枚で隠された肢体もまた細く、お風呂に入っていたのかやや火照った体が赤みを帯びている。


 ところどころに纏わり付いた滴が流れ落ちる度に、それは見事な曲線の軌跡を描いていく。


 もはや彫刻を思わせる完璧なプロポーション――自分で常々「可愛い」やら「美少女」やら、自称するだけのことはあって芸術的な造形に不覚にも見惚れてしまった僕がいる。


「……」

「……」


 目が合って数秒後。

 どちらからともなく目を逸らした。


 せめて見惚れていたことは悟られまいと、僕はできる限り平静を装う。


 揚羽は目を逸らした後もチラチラと僕を見るや否や、


「修太郎くんのえっち……」


「理不尽」


 これは完全に不可抗力だったということだけは言っておきたい。


 それから数十分後。

 僕はリビングの椅子に座っていた。

 対面には猫を抱えた揚羽が座っている。


「それで? その猫はなに?」


「拾いました」


「拾った?」


「はい。今日も暇だったのでご近所を散歩していたのですが」


 暇だったんかい、などと野暮なことは言わずに喉の奥へしまっておく。


「ちょうどマンションの近くにダンボールがありまして」


「その中にその猫がいたと」


「はい」


 揚羽の胸に抱かれた猫を見たところまだ子供の猫のようだ。


 体も大きくないし……。


「……で、その猫どうするつもりなんだ?」


「ここで飼いましょう」


 決定権が揚羽にあった。


「あのなぁ……猫を飼うにはいろいろと問題がだな」


 僕がその問題点を揚羽に説明しようとすると、それを遮るように揚羽が瞳を潤ませて懇願するような仕草で言った。


「ダメ……ですか?」


「もちろんいいに決まってるだろ? 式はどこで挙げる? 教会?」


「え? なんの話ですか?」


「あ」


 間違えた。


 あまりにも揚羽が可愛いものだから、いろいろと過程をすっ飛ばして結婚式を挙げるところだった。


 危なかった。


 「こ、こほん……もちろん猫の話だよ。別にいいよ。飼っても」


「い、いいのですか!? ありがとうございます! よかったですね。ハッサム!」


「にゃ〜」


 揚羽の胸に抱かれた猫はハッサムと呼ばれると嬉しそうに鳴いた。


 すでに名前が決まっていたらしい。

 僕はテーブルに肘を乗せて頬杖をつく。


「一応聞いておくけれど、なんでハッサム?」


「ほら、この子。ハッサムって感じがするじゃないですか?」


「僕にはお前の感性が分からない」


「ふふ。よかったですね〜ハッサム〜。今日からあなたはうちの子ですからね〜」


「にゃ〜」


「ったく」


 僕は嬉しそうに猫と戯れる揚羽を眺めながら苦笑を浮かべる。


「なあ、僕にも猫を触らせてくれよ」


「あ、はい。どうぞ」


 揚羽から僕がハッサムを抱くと、最初は寂しそうに揚羽の方をチラチラ見ていたハッサムであったが、やがて僕に慣れると「にゃ〜」と愛くるしい鳴き声を聞かせてくれるようになった。


「めっちゃ可愛い」


「ふふ。私よりも修太郎くんの方が可愛がりそうですよね」


「それはないだろ。お前の方が動物好きじゃないか。特に猫」


「まあ、そうですけど。修太郎くんだって猫好きじゃないですか」


「僕は猫より犬派だけどな」


 でも、この可愛さはいずれ猫派になってしまいそうな――ハッサムにはそんな魔性の魅力が備わっていた。



 翌日。

 五月九日の土曜日。


 午前授業のある土曜日でいつも通り学校に登校してきた僕は、猫を飼ったことを小吉に言った。


「へえ〜猫かぁ〜。今度、修太郎の家行って見せてくれよ〜」


「やだ」


「ケチくさ〜」


「そんなことより、委員長とはなにもないのか?」


「ちょ……だから声が大きいって」


「そのようすだと、特に進展なしか」


「う、うるさいなー」


 まあ、こう奥手なのも小吉らしいといえばらしいのだが。


「というか俺のことばっかだけど修太郎はどうなのさ?」


「どうって?」


「たしか修太郎って、好きな人いただろ? 黒髪の綺麗な……えっと、名前はなんだったけな」


「い、いいんだよ僕のことは別に」


「そんなこと言ってさ〜。修太郎は素直じゃないし無愛想でぶっきら棒だから、絶対自分から『好きだ』とか言えないだろ?」


「お前が僕をどう思っているのかは今ので大体分かった」


「冗談だよ冗談。お詫びと言っちゃなんだけど、これもらってくれ」


「ん? なにこれ? 映画のチケットか……?」


「おう。本当は委員長を誘ってみようと思ったんだけどさ……」


「え? マジで?」


 僕の預かり知らぬところで小吉が行動を起こしていたことに驚いた。


 それを言うと小吉は照れた顔で頭の後ろを掻く。


「いやぁ、修太郎がいろいろ協力してくれるじゃん? だから、俺もいつまでもくすぶってないで行動してみようと思ってさ……」


「そっか。それで? 誘えたのか?」


「き、緊張しちゃって無理だった」


「……」


「ちょ、そんなゴミを見るような目で俺を見ないでくれ!」


「いや、さすがにそんな目では見てないよ。意気地なしとは思ったけど」


「それはそれで酷い……でも、ちゃんと誘わなかった理由もあるんだ」


「誘わなかった理由?」


「ああ。よく考えたほとんど喋ったこともない男子に誘われても絶対に行かないなと思って……」


「あーそれはたしかに」


「で、直前になって思い止まって。だから、この映画のチケットは修太郎にあげるよー。役立ててくれよな!」


「まあ、そういうことなら」


 タダで映画を見れるなら僕も得だしと、小吉から映画のチケットを二枚もらう。


 チケットは最近コマーチャルでもよく見る恋愛映画であった。


 そんな感じで午前の授業が終わり、昼食を小吉と一緒に駅前の飲食店で済ませて家に帰った。


「ただいまー」


 と玄関を開けるとハッサムがリビングから玄関の方まで駆けてきた。


「にゃ〜」


 可愛い。


 つぶらな瞳で僕を見上げるハッサムに心を奪われていると、遅れて揚羽も玄関までやってきた。


「おかえりなさい。修太郎くん」


「おお……メイド服でそう言うと、本物のメイドさんみたい」


「ちょっと待ってください。“みたい”じゃなくて本物のメイドですからね? そこ忘れないでくれますか?」


「そんなことより、僕が学校に行ってる間にハッサムは病院に連れていったのか?」


「はい、連れていきましたよ。ハッサムを飼う上で必要な手続きは全てやっておきました」


 揚羽はそう言って偉そうに胸を張る。


「じゃあ、あとは必要なものの買い物をしなきゃだなぁ」


「そうですねー」


「明日にでも買いに行くか」


「ふふ。いいですね」


「ん? なにが?」


 僕は揚羽の言った意味がわからず首を傾げると、彼女は蠱惑的な笑みを浮かべた。


「だって、一緒にお買い物だなんてデートみたいでいいじゃないですか」


「……デート」


「あら? どうかしましたか? お顔が真っ赤ですよ?」


「な、なんでもない」


「ふふ。そうですか」


 僕をからかうような揚羽の視線がなんとも居心地悪く、僕はハッサムを抱いてリビングへ逃げる。


 それから鞄をソファに投げ置き、制服の上着も背もたれにかけてどっさりと腰を下ろす。


 すると、ハッサムも器用にソファの上へ飛び乗って僕のすり寄ってきた。


「可愛い」


「人懐っこいですよね。どうして捨てられていたのでしょうか?」


「さあ、育てられなかったのかなんなのかは知らないけれど。なんにせよ無責任だ」


「そうですね」


 僕は揚羽と話ながらハッサムを撫で回す。


 猫は構いすぎるといやがると聞いたことがあるけれど、ハッサムはむしろ構ってちゃんであった。


 指先で首を撫で回すと、「ごろごろごろ」と気持ち良さげに喉を鳴らす。


 さらには寝そべってお腹を見せてきたので、お腹をわちゃわちゃ撫でるとまた可愛い反応を見せてくれる。


「にゃ〜」


 僕、今日から猫派になろうかな。

 と、内心でそんなことを考えていると。


「あのー? 聞いてますか?」


「え?」


 揚羽の声がした方に振り向くと、ソファの前に不機嫌そうな揚羽が床に膝をついて僕を凝視していた。


「えっと……なに?」


「先ほどから夕食をなににするのかについて尋ねていたのですが、猫ちゃんに夢中でまったく聞いていなかったんですね?」


「ああ、そうなの。悪かったな。今日はそうだなぁ……肉じゃがで」


「肉じゃがですか。いいですね。あとで買い物に行くのですよね? 私も一緒に――」


「なでなで」


「にゃ〜」


「あはは。そんなに手を舐めないでくれよ〜。くすぐったいだろ〜?」


「にゃ〜」


「あはは」


 僕は猫派になろうと思います。


 ふと、なにやら視線を感じて猫から視線を外すと揚羽がジト目で僕を睨んでいた。


 頬は不満げに膨らんでいたあからさまに不機嫌アピールをしてきている。


「えっと……なに?」


 尋ねると、揚羽はおもむろに「プイッ」と顔を背けた。


「別になんでもないですよー。私とお話しするより猫ちゃんと戯れる方が楽しいんですよねー? ふんっ」


「あれ? なんか怒ってる? 悪かったよ。なんか知らんけど」


「つーん」


 どうしよう。


 揚羽がツンツンしていてまったくこっちを見てくれない。


 はて、一体僕がなにをしてしまったのかと首を傾げた折に、ハッサムが僕の膝の上に乗って「にゃ〜」と鳴いた。


「可愛いな〜ハッサムは。ほーら、ここが気持ちいいかい?」


「にゃ〜ごろごろごろ」


「そうかそうか〜。あはは」


「むう〜! 修太郎くんのバカ! ハッサムの泥棒猫!」


「お前は急になにを言ってるんだ」


「別になんでもありませんけど!?」


「めっちゃ怒ってるんじゃん」


 よく分からないけれど、またストレスでも溜まっているのだろうか。


 あ、そういえば――と僕はあることを思い出した。


「なあ、揚羽さんや」


「つーん」


「実は友達から映画のチケットをもらったんだけどさ」


「つーん」


「明日、買い物のついでに行かないか? 折角の日曜日だし」


「行きます」


「食いつくの早いな……そんなに映画見たかったのか? まあ、最近有名な映画みたいだしな」


「べ、別に映画を見たいわけじゃないですけど……」


「ん? なにか言ったか?」


「なんでもありませんよ!」


「え?」


 なぜ揚羽は怒っているのだろうかと頭に疑問符が浮かんだのだが、そのすぐ後に鼻歌を口ずさみながら、


「どんな服を着ていきましょう」


 などと呟きながらリビングの方へ歩いて行った。


「……いや、お前メイド服しか持ってないじゃん」


「にゃ〜?」


 僕のツッコミも虚しく、こうして揚羽と日曜日に出かけることになるのだった。

最近、腰が痛いんですわぁ(゜∀。)アヒャヒャ

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