最終章(下)・死刑執行人と吸血鬼の約束された結末
——俺はぼうっとしたまま、あいつの遺体を見下ろして立っていた。
俺を正常な思考回路に戻したのは、あの出会いの日と同じで、相棒のシェイドだった。
地面がボスボスと鈍い音を立てる。
「……あ、そうだ。墓を……」
作ってやらないと。
そう思って、スコップを取りに納屋へと向かう。
両手が埋まると困るので大鎌は先ほどの岩に立てかけておいた。
どこかふわふわした足取りで納屋に入り、スコップを探し出した。
金属部がべこべこに凹んでいるがまだ使えそうだ。
俺が納屋の戸を閉じようとした時、岩が砕け散る大きな音がその場に轟いた。
驚いて湖の方に走ると、シェイドが立てかけておいた岩をまっ二つに割って地面に突き刺さっている。
その状況に突っ込む余裕は、俺には無かった。
だって、
「——しりうす?」
呆然とした顔のあいつが、そこにいたから。
気がつけば、俺はスコップを投げ出していた。
情を完全には移さぬようずっと避けていたのに、俺の口からこぼれたのはその一言だった。
「ノエル!!」
しっかりと腕の中に抱きとめた体は温かく、心臓の拍動もある。
たったそれだけのことがたまらなくて視界が滲んだ。
「うぇ、えっと、わたしなんで、というか名前、 ——痛ッ!」
その言葉に慌ててノエルを解放すると、どうも振り回した指先を草で切ってしまったらしい。
「す、すまん」
慌てて小柄な体を引き離す。
じっとその小さな切り傷を見つめていたノエルが、信じられないとでも言うように呟いた。
「傷が……治らない」
俺は弾かれたようにシェイドを手にした。
そこに浮かぶ数字は、数を確認するまでもなく——白だった
「人間に、なってる」
「え、え?」
ぐるぐると混ざる思考の中で、押し込めきれない思いが溢れそうになった。
「魔物としては死んだから……今更出てきたっていうの? わたしの元の魂が……?」
小さく呟かれた言葉は聞こえなかったが、ノエルが泣いていることはわかった。
「なあ」
「ん、んぅ? なぁにシリウス」
擦って赤くなってしまったあいつの眉尻を、そっと指で撫でる。
「……俺はもう、誰も殺したくない」
何年ぶりかに流す涙で視界が滲んでいて、ノエルの反応が見えない。
不安で仕様が無いが、それでも、やっと言葉に出来た。
——俺の仕事を無理に正当化する必要なんて最初から無かった。
間違っていると、やりたくないと、そう主張してよかったんだ。
例えそれが自分のしなければいけないことでも、自分にしかできないことでも、嫌だと思うことは俺の自由だと、ようやく気がつけた。
だからこそこいつに、ノエルに、伝えられる感情がある。
「お前の命はあと一度きりだが、俺にはお前を殺せない……だから俺は、お前が人として寿命を迎える日まで、生きて欲しい。これは俺のわがままだ」
散々命を奪った男にもし神が慈悲を与えてくれるなら、どうか今だけは見逃して欲しい。
心の奥底に閉じ込めて、ごまかし続けた感情に、今やっと名前がついたのだ。
うるさいぐらいに喚く心臓を押さえつけて、俺はノエルの瞳をまっすぐに見つめる。
「俺と一緒に生きて下さい」
短い告白。
それでも、「シリウス」の泥沼から這いずり出た俺が、やっと彼女に伝えられた意思。
続く沈黙。
その数秒間が信じられないほど長く感じる。俺は耐えきれずに視線を下げた。
緊張で震える俺の両手に、温かい掌が重ねられる。
弾かれたように顔を上げると、俺の惚れた彼女の笑顔に迎えられた。
「不束者ですが、喜んで」
館で、俺は人生初めての荷造りをしていた。
トランク一個に収めようとするものの、入れ過ぎて全く閉まらない。
強情なトランクを踏みつけていると、窓をノックする音がした。
「よっすー」
「フェリペか……」
「いーれーろー」
急いで部屋の窓を開けてやる。
ついでだ。荷造りを手伝って貰おうじゃないか。
「パンッパンじゃん。どう見ても詰めすぎだぜ。旅でもすんの?」
「ああ……多分ここには戻らない」
彼に嘘をついても仕方ない。
素直に告げると、彼はどうしてか楽しげに笑っていた。
「一人じゃねぇな?」
「なぜわかる」
「荷物の量と、二本の新品の歯ブラシ」
……いつの間にか勝手にトランクの中身を物色されている。
素早い。
「参考までに聞くけど、さっきここの館から出てきた美女と関係ある?」
「……ある」
人目に気をつけて出ろと散々言ったのにあいつ……。
渡したマントはちゃんと着たのか?
「あのお姫さんと逃避行?」
「なんでそんなに楽しそうなんだ」
「いやぁ、実際さどういう関係なわけ? 売らねぇから教えてくれよ」
「……そうだな」
死刑執行人では無くなった俺と、人間になったあいつとの関係に、まだ名前は無い。
きっと、いつかわかるだろうが。
今言えるのは、
「俺の、大切な人だ」
「ところで、シェイド持ってくのか?」
「お前に預けて行こうか本気で悩んでいたら全力で暴れられた……」
「そりゃあな」
裏口を出て、フェリペに対して握手を求める。
彼はすぐに応えてくれた。
「色々とありがとう。フェリペ」
「ちげぇよ。フィリップ」
「……は?」
「フィリップ・スコットだよ。俺の本名」
それは、情報を売り他人を探ることを生業とする彼が、ずっと隠していたものだった。
しかも、
「スコット、って、あの隣国の」
「……そ、あの無駄に土地だけ持ってる公爵家」
戸惑う俺を尻目に、フェリペもといフィリップは言葉を続ける。
「もし大陸を回って、そろそろ定住しようかな〜、なんて思い始めたら、うちに来たら? 屋根ぐらいは貸してやるよ」
「……熱でもあるのか?」
「失礼だな」
「冗談だ」
冗談なんて生まれて初めて言った。
けれど、それぐらい嬉しかったのだ。
「いつかまた会おう、フィリップ」
「必ず、な。シリウス」
親友との別れにしては端的だが。
きっとこれで十分だろう。
フェリペと別れて、街中の大通りを歩く。
俺の周りにできた空間から寂しさを感じることは、もう無い。
顔を上げると、数歩先にいるマントで身を隠した怪しい影が目に写った。
その影は出店で串焼きか何かを買ったらしく、満足げな顔でこちらに駆け寄ってくる。
俺はそれに精一杯の笑みで応えた。
こちらに手を振るそいつの指先には、白い包帯が巻かれていた。




