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第二章・少女は誇り、死刑執行人は惑う


「あ、あら?」

 少女は誇らしげに胸を張っていたが、俺から何の反応も無いせいか、不安げに瞳を揺らした。

 その様子だけ見れば、少しは落ち着いた気持ちになれたかもしれない。

 しかし、問題は先刻の彼女の発言だ。どう訂正したものか。

というか肝心のあいつは……どこかに消えたらしい。いつの間にか姿が見えない。

「えっと、あの、あなたは?」

「すまないが、俺は人間だ。この国の戸籍もある」

「人、間?」

 間の抜けた顔で呟いた瞬間、少女の両頬が赤く染まった。


「うにゅうぅぅ……そんなぁ……」

 少女は先刻の様子が嘘のように縮こまり、行き場の無い感情をぺちぺちと床にぶつけている。

 こういった場合、何と声をかければいいのだろうか。

 俺が一人で戸惑っていると、少女はいい加減気が済んだのか、深呼吸をしてからゆっくりと立ち上がった。

「……こちらの勘違いで、失礼なことを言ってすみませんでした!」

「いや、俺も紛らわしくてすまん」

 高位の魔物を理由に人払いされている場所に一人で立っていたら普通はそう思うだろう。

 俺のことを知らないよそ者ならば納得もいく。

 しかし、見過ごせないことが一つだけある。

「俺は新王国の死刑執行人、シリウスだ。ここの近辺は今俺以外の人は入れないはずだが?」

「え? そ、そうなの? 町の人達がここに魔物がいるって噂してたから、調査しようと思って来たのだけど……」

 調査と呼ぶには大分殺る気じゃなかったか?

 少女と俺はお互いに首を傾げる。何かが絶妙に噛み合ってない、ような。

「なあ、立て札は見なかったのか?」

「立て札?」

 ああ、嫌な予感がする。


 役所は俺が予想した通り、立ち入り禁止の立て札を立て、さらには注意喚起の鎖を、裏の湖を含む範囲で廃教会の周りに敷いていた。

 そして俺がここで特別業務をしていると発表すれば、国民は誰も好き好んでは近づかない。

 日頃から死刑執行人には、処刑以外にも役所がやりたがらない多様なろくでもない仕事が課せられるものだとよく知っているのだ。

 少女によると、外から来る観光客には、廃教会の改修工事をしていると伝えているらしい。

「やはりか」

 先程俺が訪れた時は確かにあった立て札は、強引に抜き取られた跡を残して消えている。

 肝心の立て札本体は、この教会の周囲を探した結果、裏手の納屋の所に放り出してあった。「鎖もわざわざ正面玄関の辺りだけ切り取られてるな。変に細かい」

 ペンチのような物で切られて鎖は不自然に欠けている。

「わ、私じゃないわよ! 立ち入り禁止って知ってたら、ちゃんと役所に許可をもらいに行ったもの‼︎」

「そうだろうな」

 立て札を持ち上げることが出来なくて、ズルズル引きずるような奴が外にいたら、さすがに気がつくしもっと地面に跡が残るだろう。

 という本音は、彼女の名誉のために言わないおく。

「……調査に来たのはお前だけか?」

「ううん。本当は私より先に一人いたんだけど、私がここに来る途中で引き返して来たの。『あそこには何かいる!』って言って」

「そうか……」

 俺が吸血鬼の元を訪ねたのが數十分前で、今現在周りに人の気配は無い、となると。

 多分そいつのせいだろうな、この状況。

 少女は少しも疑っていないようだが、俺には町の人間が噂する魔物に対し、彼女をけしかけるための嫌がらせに思えた。

 まあ、俺に対する嫌がらせにもなってるんだけど。

 誰だか知らないが……余計な仕事を増やしてくれたものだ。

 俺がため息を吐いてから立て札を抱え上げると、少女は素早く手を貸してくれた。

「手伝うわ、シリウス……さん」

「ありがとう。敬語は使わなくていい。あーっと……」

「そういえばまだ名乗ってなかったわね」

 少女は先程のように不敵に笑いながら、力強い眼差しで俺を見上げる。

「私は吸血鬼ハンター、アミカ・ブレンヌス。かの『鬼狩り』の正統な後継者よ」

「……後継者?」

「私は『鬼狩り』本人じゃなくて、その孫よ。ほら、ちゃんと武器も譲り受けたんだから!」

 そう言うと、アミカは腰に下げていた短剣を俺に見せる。

 丁寧に鞣された革の鞘には竜の模様が描かれていた。

 許可を取って少し抜いて見ると、刃には『デモニオ』と彫ってあった。

 確かに、有名な彼の愛刀に違いない。

 立て札を地面に突き刺しながら、俺は彼女とさりげなく会話を続ける。

「なあ、さっきどうして吸血鬼だと断言したんだ?」

 魔物なら他にも選択肢があるだろうに。

「どうしてって、そうね……勘かしら」

「勘」

 末恐ろしい奴だ。



 釈然としない顔をして、アミカは廃教会を去って行った。

 彼女が参加している吸血鬼ハンターの団体と合流するつもりらしい。

 その背中が見えなくなってから、俺は再び廃教会に足を踏み入れる。

 軽く周囲を警戒してみたが、もう俺以外の気配は無かった。

 先程気がつけなかったのは、正直かなり痛い。

 どれほど気を抜いていたというのか。別に酒を飲んでいたわけでもないのに。

 俺が肩を落とすと、俺の影からぴょこんとヴェールの先端が覗いた。

「……なんだ。そこにいたのか」

「んぅ、シリウスー、もうあの子いなーい?」

 影の奥から声が聞こえてくる。

 大変気味の悪い状況だが、正体を知っているので呆れの方が大きい。

「いないぞ。出てこい」

「はぁい」

 明るい返事が聞こえたと思えば、俺の影に波紋が広がる。

 しかし水音は欠片も無く、あいつは俺の影から回りながら出て来た。

 完全に離れてからなんとなく影の表面に触れてみたが、それはもうただの固い地面だった。

「ふぅ、お邪魔してました」

「お邪魔されてました。オマエこんなことが出来たのか」

「一応、ね。今みたいに影に隠れたり、少しの間飛んだりとかなら出来るよ。影に潜るには本体との距離が近くないと難しいけど」

「本当に吸血鬼なんだな」

「今更再確認? シリウスぅ……もう出会ってから何ヶ月経ったと思ってるの?」

本気で呆れた様子で言われて、俺は静かに目を背けた。

『あっ』

 役所で報告書を提出しようと立ち寄った時、受付の前で昨日見たばかりの顔に会った。

 アミカは昨日とは違い、ポニーテールにしていた金髪を下ろして、シンプルな水色のワンピースを着ている。

 元々の小柄な造形も相まって中々に可愛らしい。

 思えば昨日着ていた格好は仕事着だったのだろう。

「こんにちは。昨日ぶりね、シリウス」

「どうも。今日はどうかしたのか?」

「別に? 昨日あの後で廃教会の魔物の件を聞いたんだけど、手出し無用って言われちゃったから、代わりに観光資料をもらいに来たのよ」

 不遜な態度で鼻を鳴らした彼女は、小さく言い訳を付け加えた。

「だって、わざわざ来たんだもの……ちょっとくらい、遊びたいじゃない」

 唇を尖らせてそんなことを言うものだから、ついつい頭を撫でてしまう。

「ちょっと、からかわないでよ」

「別にバカにしたわけじゃない。一国民としては自国を堪能してくれるのはありがたいことだ」

「そ、そうかしら」

「ああ」

 この国は東の大陸の船が来る港と他の国々との中継路の一つであるため、通商が発展するに伴い、物資や文化において東西が入り混じっている。

 それが周りからは興味深く感じるそうで、当然あの廃教会以外の観光名所はいくつもある。

 実はそうした観光産業で国庫の大部分を賄っていたりするのだ。

 居住者からすると面白くも何とも無い場所なんだが。恐らくは慣れの問題だろう。

「そうだ。この国で観光を楽しみたいなら、あまり俺には話しかけない方がいい」

 アミカに昨日言い忘れたことを伝えておく。

 稀に他国の処刑人仲間だと思われることがあるのだ。

 実際近隣の国々の死刑執行人は、大半が親戚同士だったりする。

 俺は両親の葬式以来会ったことがないけれど。

「あら、どうして?」

「この前俺が死刑執行人だと伝えたばかりだろう」

「たしかに聞いたわ。で、それがどうしたの?」

「……は?」

「よくわかんないわね」

 アミカに揶揄っているような雰囲気はさらさらなく、もう一度訝しげに尋ねてきた。

「——どうして、死刑執行人に話しかけちゃいけないの?」

 見上げてくる目をかすかに細めて、彼女は言葉を続ける。

「本来なら賎民扱いだから? でもこの国では貴族の地位にあるんでしょ? 大体、それを言ったら私だって吸血鬼ハンターよ。女子の職業としてはあまり歓迎されないわ」

「まあ、そうだが……」

 何も言い返せず、俺は口籠った。

 彼女はそんな俺と周囲の緊張に一切気がつかないで首を傾げている。

「すまんが、話をするなら場所を変えよう」

「別にいいけど……」

 受付の人間が観光資料を持って来たところで、俺達はその場を足早に離れた。

 街角のベンチに二人並んで座ると、俺は開口一番に切り出した。

「お前は本当に変わった奴だな」

「何よ失礼ね!」

「いや、こんな変人に二度も会うと思って無かっただけだ」

 もう一人とは勿論フェリペのことだ。あの吸血鬼は、魔物だから数えないでおく。

「死刑執行人に臆せず話しかけるなんて……どういう考え方をしてるんだ?」

 独り言を呟いて小さくため息を零すと、それを質問と思ったのか、アミカは空を仰いで自分の職業について話し始めた。


 吸血鬼ハンターは、魔物を排除したがる排外派の層からは「自分達の代わりに命をはってくれる奴等」逆に魔物を保護したがる共生派の層からは「残虐非道な荒くれ者達」と見なされ、よくその板挟みになるらしい。

 しかし、排外派の層の中にも良く思っていない人達はいて、報酬が当初の契約と違ったり、そもそも払って貰えなかったりするのだと。

「そういう扱いを受けてるとね、必然的に集団の輪から外されてる人間、つまりは周りから怖がられてる人間と接することが増えるの。その人達が気を使って助けてくれたこともあるわ」

 そういった中には、俺と同じ処刑人もいたそうだ。

「それで思ったのよ。結局みんな違う人間なんだから、その人の社会的な立ち位置はその人の人物像への評価には使えないって」

「それがお前の考えか」

「ええ。だから、あなたを避ける意味が私にはわからない。昨日のやりとりで、シリウスが怖い人じゃないってことは分かるもの」

 俺の役職は彼女にとって俺を避ける理由にはならないということか。

「簡単にそう言っていいのか?」

 その言葉は別に脅しでもなんでもなく、ある意味警告だった。

 俺自身は何もしないが、周りがどう判断してどういう態度をとるかはわからないのだ。

 フェリペは細身に見えて結構鍛えてる方だが、彼女はあまり力があるようには見えない。

 俺の警告という心配の表れは、軽く鼻で笑われた。

「かれこれ四年は吸血鬼ハンターやってるのよ、腕力が無いからって舐めないで頂戴」

 あ、腕力が無いのは認めるのか。

「なんなら魔物退治だって手伝ってあげてもいいのよ?」

「面倒なことになりそうだからいい」

「そう?」

 しかし四年ときた。新人とも達人とも言いづらい長さだな。

「……もしかして成人してるのか? その体躯で」

「あんたほんっとに失礼ね!! ふん! 残念でしたぁまだ十五歳ですぅ。伸び代だらけですぅ」

「なんだ、やっぱりまだまだ子どもじゃないか」

「んにゃー!! なんですってー!?」



「ありれ? 猫にでも引っかれたの?」

「……人間だ」

「へぇ。もしかして女の子かな?」

「ああ、よく分かったな」

 まさかあんな小さい爪に跡を残されるとは思わなかった。

 まだ少しひりひりする頰をさすっていると、なぜか吸血鬼が不満そうに唇を尖らせる。

「へー。そうなんだぁ」

「その言い方はなんだ」

「別にぃ?」

 ぷらぷらと両足を揺らしながら、吸血鬼は話を続けた。

「可愛い子だった?」

「いきなりどうした……でも、そうだな」

 先程会った彼女の顔を思い浮かべてみる。

「割と可愛いかった」

「……ふぅーん……あっそ」

 ぷいっと顔を背けたあいつの肩から、髪が一束零れ落ちた。

 思わず、その髪が流れていく首元から腰までの線に目がいってしまう。

 その先のなだらかで柔らかそうな太腿からは、必死で意識を逸らした。

 吸血鬼はそんな俺の苦戦を知らずに、思いっきり頰を膨らましている。

「なんかもやもやする」

「オマエ今何か言ったか?」

「ううん。何も」

「そうか」

 その日一日、あいつはなぜか不機嫌だった。



×××



 私の覚えている一番古い記憶で、その男性は片腕だった。

 立派に鍛え上げられた肉体は、大人ですら威圧感を感じる程で、私は小刻みに震えながら涙目で彼のことを見上げた。

 しかし彼は怯える私に何も言わず、私の頭を撫でようとして——


 ——触れるのを躊躇ってから、ただ泣きそうな顔で笑っていた。


 それが、鬼狩りデモニオ・ブレンヌスが生涯で唯一見せた、おじいちゃんとしての顔だった。



×××



 鬼狩りの後継者と出会った数週間後。俺はソファーに腰を落としていた。

 ゆっくり体の沈む感じを面白がる余裕は無い。

「仕事を依頼したい」

「お前が客として来るとはな。どういう風の吹き回しだ?」

「なんだっていいだろう」

「へいへい」

 俺の突然の来訪を、フェリペは驚きもせず迎え入れた。

 俺とて、出来れば野良猫情報館は使いたくなかったのだが、仕様がない。

 今朝国から突然依頼が来た。

「……今王都にいる吸血鬼ハンター達について、分かっている情報を全て買いたい」

 ——吸血鬼ハンターの団体を追い出せ、と。

 唐突としか言いようが無い。理由として書かれていたのは『社会規範を乱す存在をこれ以上留めておくのは損失である』とか何とか。

 適当な後付けの可能性もあるが、何にせよ、情報を得ないことには始まらない。

 アミカに直接話を聞こうにも、一度市場で見かけたっきり姿を見ていないからな。

「全て?」

「そうだ。お前の知ってる範疇は全て」

「急だなぁ。ま、いいか。報酬ははずめよ?」

「内容によるがな」

 俺は金貨の入った袋を揺らす。

「あいよー」

 フェリペは鼻歌まじりに資料を取りに行った。

 高さがバラバラな冊子の中から、二、三冊が引き抜かれる。

 彼の手元を覗き込むと、表紙には何も書いて無いようだ。

「えーと、まず……団体の代表者が鬼狩りブレンヌスの孫だってのは知ってるよな?」

「ああ。確か、十五だったか」

「そそ、未成年。そいつが団長なんだが、ハンター共が公共物を壊したりしても、責任が取りきれないんだと。言い方は悪いが、流浪者をこの国の法でガンガン裁くことも出来ないしな」

 国際指名手配犯なら話は別なのだけれど。

 フェリペの話によると、今王都にいる団体に前科持ちはいないそうだ。

 それはそれで、もみ消されてる可能性は否めない。

 まあ、現状では暴きようの無い話である。

「そいつらによる被害はそこまで多く無いから、後でリスト渡すわ。そうさな、お前が得づらい情報となると……」

フェリペは木製の椅子に軽く腰掛けて、声を潜めて話し始めた。

「元々ブレンヌスが貴族だったってのは知ってるか?」

「いや、知らない」

「ブレンヌス家は、鬼狩り――デモニオ・ブレンヌスの名が有名で霞んでいるが、随分長いこと続いてきた子爵家なんだ」

「第四位か……」

「地位だけなら、お前の一つ上だな」

 正直、俺自身は日々の生活でそんなに貴族であることを意識することは無い。

 強いて言うなら、最低限の衣食住には困らないことぐらいだろうか。

「悪いが、聞いたことは無いな」

「それ程、前々当主デモニオは目立ちすぎた」

 彼はどこか自虐的に鼻で笑う。

「こう言っちゃあれだが、貴族は家の歴史があってなんぼだ。その歴史が霞んじまうことをたった一人の男がやっちまった。その善悪は置いといて、彼の死後、後代が抱え込む重圧は相当のもんだったんだろうさ。炭鉱事業が失敗して、友人の融資で暮らしていたこともあってか」

 深呼吸を挟んで、彼は淡々と事実を告げる。

「まだ幼かったデモニオの孫娘を残し、一家は心中。その後ブレンヌス家は爵位を剥奪された」

俺はどこか硬くなった口元を無理に動かした。

「その娘が、跡を継いだのか」

「貴族の令嬢として生きてきて、突然居場所を無くした子どもには、他に選択肢が無かったのかもしれない」

 ……それでも、祖父を憎みも逆恨みもせずに、あんな誇らしげに名乗りをあげるのか。

 子ども一人、大人から押し付けられた職業で生きねばならぬ上、周囲の人間から畏怖されてもなお、あんな風に、笑顔で生きることが出来るというのか。

「どうして」

 俺の呟きは幸いにして、フェリペには聞こえなかったらしい。

 彼は受付の黒猫の置物を弄りながら、控えめに嘆息した。

「ま、生き方の選択については憶測だから参考にすんな。他人の頭は覗けねぇ」

「わかっている」

「ならいい」

 彼から現状の被害報告のリストを受け取り、それに対して金貨の袋を投げ渡して、俺はソファーから立ち上がった。

 壁にかけておいたシェイドに手をかけると「遅い」と言わんばかりに少し震えられる。

「おーい、シリウス」

「なんだ?」

「くれぐれも、重ねるんじゃないぞ」

「……勿論だ」

 それが、誰と誰をだと問う程惚けてはいない。

 何も言わずただしかと頷いて、俺は裏路地を後にする。

 ちょっと前に雨が降ったのか、地面が濡れていて空気も少し冷たい。

 重苦しい足元を見つめていると、なぜか、あいつに会いたくなった。

 いつまで経っても前に進めない俺を、あいつのいつもの笑みで迎えて欲しかった。

 でもきっと、それは甘えなのだろう。



 まず、肝心の団体に一度掛け合ってみないことには始まらない。

 俺は彼らが停泊している宿に足を運んだ。

 宿の主人に聞くと、今の時間は数人が依頼を受けつけるために残っていると分かった。

 ある程度発言権のある副団長が残っていたので、主人を通して会わせてもらう。

 宿の応接間を借りて、俺は副団長と向かい合った。

「シリウス殿でしたな。して、何のご要件で?」

 彼はかなり恰幅の良い紳士で、着てる服も上等なものだ。吸血鬼ハンターには見えない。

 もしかしたら、戦闘よりも資金集めが担当なのかもしれない。

 もしくはこの団体のパトロンの一人か。

「急なご無礼をお許しください。市民から苦情がいくつも寄せられておりまして。ましてや魔物討伐も、基本私一人で済ませますので、この国であなた方に与えられる職が無いのです」

 嘘は苦手なので、直接的に立ち退きの意図を含ませる。

 彼はそれを受け、小さく声を漏らしながら苦笑した。

「苦情は私の耳にも届いています。問題行動を起こした団員には、厳重注意はしているのですが……どうも言うことを聞いてくれなくてですね」

 どこかわざとらしく首を左右に振る。

「ところで。いつもお一人で魔物を狩ってらっしゃるようですが、助手は要り用ではありませんか? うちのものはみな腕が立ちますよ」

「いえ結構です」

「そうですか……」

 その後も、しつこく新しい火器だの集団だからできる討伐方法だのを吹き込まれたが、正直全く興味をそそられなかった。

 ただ、これ以上話してもこちらの申し出に応える意思は無いことは確かだ。

 苦情の写しを手渡して、簡素な挨拶を済ませてから、大人しく宿を出た。

「……わざとだな」

 途中まではそういう性格なのかと思ったが、苦情の件を突っ込んで聞くと、それは団長に責任があると逃げられた。

 どう考えても副団長の方が年上だったが、忠言したりはしないのだろうか?

 まあ、責任感に年齢は関係無いか。

 さてどうにかして穏便に追い出すとしよう。

 あくまでも、穏便に。

 大陸中を回っている集団に、国の悪評を流されるわけにはいかないからな。

 そんなことが起きたら、俺が国の上層部からお叱りを受けるのは目に見えている。

 ため息を吐く気力も無いままに、俺は真っ直ぐに廃教会を目指した。

 この件に関しては、あいつの助けがどうしても必要だ。



 俺がただ口で説明するのではなくて、団体の責任者が自身の目でもうここに仕事は無いと判断すれば立ち去ってくれるはずだろう。

「なぁ、オマエここに——」

「やだ」

「……まだ何も言っていないんだが」

「ふん。『ここに吸血鬼ハンターを連れて来てきたら、退治されるフリをすることはできるか?』ってところでしょ?」

「う、正解だ」

 再生速度はある程度操れるようだから、どうかと思ったんだが。

「ほらー。絶対やだぁー」

 吸血鬼はゴロゴロと地面を転がりまわる。おいそこ汚いぞ。

「そこまでやるか」

「だって……シリウス以外の人は、嫌なんだもの」

 なぜそこまで嫌がるんだと、文句でも言いたいところだが、元より無理強いする気はない。

 俺以外がこの美しい吸血鬼に傷をつけると思うと、不愉快になるのは俺も同じだ。

 その傷がすぐに消えるとわかっていても。極力こいつに痛い思いはして欲しくない。

 自慢できることでは無いしやらないが、人を苦しませる方法も苦しめない方法も、少なくともこの国においては俺が一番熟知している。

「それなら他の代案を考えるから、手伝え」

「わかったー!」



×××



 とある寒い冬の朝のことだ。

「お父様! とっくに騎士団長様がいらしてるのよ! さっさと支度を終えてください!」

 父の友人である騎士団長が訪ねてきたのだが、父も母も寝室から出てこようとしない。

「もう! お兄様も見つからないし……」

 憤る私の元に執事が予備の鍵を持って来た。

「開けてよろしいですか? お嬢様」

「ええ、お願い」

「失礼します」

 そう言って扉を開いた彼は、私が中を覗く前に、勢いよく閉じてしまった。

「……なんてことだ」

「ちょっと、どうして閉めちゃうの?」

「お嬢様は……見ない方が、よろしいかと」

 そうこうしている内に他の使用人達が集まって来て、私は自分の部屋に帰された。

 しばらくして、蜂蜜入りのホットミルクを持って来てくれた侍女だけが教えてくれた。


 両親と兄は、首を吊って亡くなったのだと。



×××



「思いつかないな」

「思いつかないね」

 情けないことだが、もう日が傾き始めているというのに計画の一つも出てこない。

 吸血鬼は飽きてきたらしく、小石を指で弾いて遊んでいる。

「オマエ幻術とか使えないのか?」

「ごめん。わたし、他の同胞達と違って幻覚や変化(へんげ)はできないの……」

「そうか」

 人を騙すという普段なら決してしないことを考えるのがこうも困難だとは。

 シェイドも流石に処刑器具以外の姿にはなれない。

 高位の魔物の偽物を用意するのは厳しいか。

「……知恵を借りてくる」

「お友達の?」

「まあ、そんなものだ」

 借りられる相手は一人しかいないんだがな。



 裏路地を進み老朽化した階段を登ると、ちょうど外に出て看板をしまっているところだった。

「暇か? 暇だろう? 暇だな? よし、ちょっと手伝ってくれ」

「こっちの返答ぐらい待てや」

 フェリペは俺の事情を問わずに、すぐ店内へ入れてくれた。

 持つべきものは話の早い友である。

「で? いきなりどうしたんだよ」

「いや、ハンターの団体を追い出す方法が思いつかない」

「結構重大じゃねぇか」

 苦笑する彼に、吸血鬼ハンターを穏便に追い出すために、彼らを騙したいのだと話をした。

 聞き終えた彼は、腕を組んで何やら考え始めた。

「騙すねぇ」

「ああ」

「そんな難しいこと考えなくて良くね?」

「そうか?」

「追い出したいんだろ? じゃあ、他所に仕事作ってやりゃいいだけだ。そうだな……どっかに隠れてた魔物が別の国に逃げたとか情報を流すだけでも、効果はあると思うぜ。ま、この程度ならわざわざお前がやる意味はねぇけど」

「仕方がないだろう。雑用でも仕事は仕事だ」

「雑用の自覚はあったのか」

「まあな……」

 本職と関係が無さ過ぎるだろう。これなら深夜に道路掃除させられた時の方がましだ。

 しかし偽の情報を流す、か。

 その発想は無かったな。

「戻ったぞ」

 ありがたい助言を持ってあいつの元を訪れると、

「んぅ……シリウス、あのさ」

 吸血鬼は、形の良い指先で唇を軽く撫でて呟いた。

「わたしが、ハンターさんの目の前で逃げればいいんじゃないかな」



 数日後、いつもの廃教会に、いつもとは違う人物を連れて来た。

「依頼は嬉しいけど、私でよかったの?」

「他によく知ってる奴がいなかった」

「そう。まあ、精一杯やらせてもらうわ」

 アミカはそう言って髪の毛をきつく結んだ。

 俺は密かに団体を訪ね、廃教会を閉鎖している原因は倒せたが、別の高位の魔物が潜んでいたことがわかったので手助けして欲しいと依頼した。

 当然魔物はあの吸血鬼しかいないので嘘である。

「俺は建物の裏で見張っている。何か問題があったら叫んでくれ」

「了解よ」

 アミカを正面の扉に残して、俺は裏の納屋に向かった。

 納屋の内側にある扉は、廃教会の避難通路に繋がっている。

 足音を立てないよう慎重に通路を進み、避難扉をわずかに開く。

 よし、ここからなら中の様子が見える。

 しばらくして両扉が勢いよく開くと、不気味な声が響き渡った。

「あらあらあらあら」

 抑揚がないのに、感情が込められているように聞こえる矛盾。

 恐らくそれが不気味さの正体だった。

「新顔ね。こんにちはお嬢ちゃん」

 仮面とマントで身を隠した吸血鬼が、静かに少女の方へ近寄っていく。

 こんな演技できたのか、あいつ。

「あの坊ちゃん一人じゃ退屈だったの。お姉さんと遊んでちょうだい?」

 ここからだとあいつの顔は見えないが、きっと仮面の下で笑みでも浮かべているんだろう。

 というかさりげなく坊ちゃん呼びするな。

「遊びになるか、試してみなさいよ吸血鬼!」

 アミカがブレンヌスの愛刀を抜いた。

 即座に吸血鬼は彼女の目の前に立ちはだかる。

 避難扉の隙間からではよく見えないが、アミカは吸血鬼の死角に入り込んで攻防を繰り返しているようだ。

「ううん……筋はいいけど、まだまだ若いわね」

「くそっ!」

「あらら。そんなこと言っちゃダメよ?」

 アミカの動きは吸血鬼の言う通り悪くない。

 興奮していて周りの見えていない魔物ならすぐ仕留められるだろう。

 しかし、そこはやはり経験の差というのか、動きが素直なために先を読まれてしまっている。

 それと、

「あの短剣……向いていないな」

 技量とかではなく、彼女が使う上では少し重量が多いようだ。

 後継者としてこだわるのもいいが、武器は変更した方がいいかもしれない。

 灰色のマントの後ろから赤いヴェールがひょっこりと覗いた。

 合図だ。

 慌てて避難通路から納屋に戻る。

 廃教会の裏手に到着したと同時に、アミカの叫び声が聞こえて来た。

「コラー! 待ちなさーい!」

「やぁよ。いつかどこかで会えたなら、その時はまた遊びましょうね。お嬢ちゃん」

 予定より少し早いが、二人揃って外に出てくることは成功したらしい。

 翼をあらわにして、吸血鬼が飛び立つ。

 俺は何食わぬ顔でアミカの隣まで走った。

 手にしていたシェイドを軽く掲げ、

「弓矢」

 ただ一言。それで希望通りの武器が現れる。

 矢をつがえて照準を定めるが、俺が矢を放つ前に、確かに上空にしたあいつは姿を消した。

「消えた!?」

「……」

 シェイドを元の大鎌に戻し、アミカと目を見合わせる。

 さて、うまくいけばいいんだが。


 教会の中で、アミカから頭を下げられる。

「お役に立てなくてごめんなさい。料金はいらないわ」

「そういうわけにはいかない。正直、この国から追い出せたなら十分だ」

 騙したのはこっちだしな。

「それより、アミカが目をつけられてしまったようだが……大丈夫なのか?」

「次会った時は、絶対に負けないわ! まずは近隣の国での聞き込みを始めないと……」

 やる気で燃えている彼女に少しためらってから話しかける。

「なあ、アミカ」

「あら、どうしたの?」

「お前は、あの……吸血鬼はんたーの団体の団長なんだよな?」

「一応よ。本当はただの団員がよかったのだけどね」

「団員にはなれなかったのか?」

「参加するための面接に行った時、私があの『鬼狩り』の孫だってことがわかった途端、団長になってくれって頼まれたの」

「それまた、なんでだ?」

「……子どもを自分の保身の盾にする大人は、割とどこにでもいるものよ」

 アミカはどこか冷めた表情で笑った。

 慣れているとでも言うように。



「じゃあねシリウス」

「ああ、気をつけて」

 首都の中心部と教会の間で彼女とは別れ、俺は廃教会に戻る。

 あいつにどうしても聞いておきたいことがあった。

 白い扉を音を立てて開くと、吸血鬼は俺に気がついた。

「どう? 演技うまかったでしょ?」

「完璧な悪役だった」

「ふっふーん」

 ドヤ顔する要素あったか?

「意外と疑われないものだな……」

「まあね。言ったでしょ? 影に隠れられる吸血鬼は希少だから、吸血鬼ハンターもこの能力を知らないことが多いって」

 こいつが提案して来た逃げるフリという案の肝はそこだった。

 飛んで行った先で木の影や鳥の影に潜ってしまえば、突然消えたように見える、と。

 そのため廃教会の周りの木々の影が増える時間帯を狙う必要があり、大分緊張した。

「なあ、一つ聞きそびれていたんだが」

「んぅ?」

「なぜ、俺以外の奴だと嫌なんだ?」

「え?」

 オマエの最終的な目的を考えれば、俺でなくともいいはずなんだ。

 どうして俺にこだわるのか、それがどうしても気にかかった。

「なぜって、わたしを看取ってくれる人はシリウスがよくて……それは」

「それは?」

「多分、わたしにとって、シリウスが」

 言い淀んだ数秒後、

「え、嘘ぉ」

 吸血鬼は耳まで赤くなった。

 即座に手のひらで両頬を覆って、気まずそうに視線を泳がす。

「……もしかして」

「どうした」

「ど、どうもしない! シリウス以外が嫌なのは、その、なんとなくだよ! なんとなく!」

 納得しがたい理由を口にして、吸血鬼は赤面したまま俺の影の中に潜って行った。

「おい。俺はもう帰るぞ。いいのか」

「ちょ、ちょっと待ってて」

 仕方なくため息を吐いて一番近くの長椅子に座る。

 さて、あいつの言うちょっとはどれぐらいなのだろうか。

 なるべく早いといいんだが。

 帰りが遅くなるから。



 報告書をまとめて役所に向かっている最中、急に袖を引っ張られた。

「赤毛のおにーちゃん!」

 原因はいつだったか市場で見かけた子どもだった。

 恐れを知らない行動に、周囲の人間が心配した目でこの子を見ている。

 俺はとりあえず、彼を怖がらせないように膝を折って目線を近くした。

「シリウスだ。何か用か?」

「シリウスにーちゃん、あのね、あっちでけんかしてる人たちがいるの」

「喧嘩? あの路地で?」

「うん」

「そうか、教えてくれてありがとう」

「どういたしまして!」

 元気よく返事をしたその子どもは、母親に手を引かれていなくなった。



 言われた通り路地を進んでいくと怒鳴り声が聞こえてくる。

 慎重に近づくと、知っている顔が二つ程見受けられた。

 大柄な団員らしき人物と副団長が、アミカと何やら言い合っている。

 近づいてみると、どうやら今まで団員が起こしていた問題についてアミカに一切報告が行ってなかったらしい。

「一体どういうことなのよ!」

「失礼。必要ないかと思い、伝えておりませんでした」

「はあぁ!? なんでそんなこと」

「お飾りの団長に報告なんて、不必要ですよね?」

「ふざけないで!」

 副団長に殴りかかろうとした彼女の拳は、男性団員に止められた。

「ちょっと大人しくしてな」

「う、ぐっ」

 そのまま乱雑に押さえこまれる。腰につけている短剣も落とされてしまった。

 そろそろ出て行って止めた方がいいか。

「我々は、ブレンヌスの名前を使ってやってるのですよ。感謝されてもいいぐらいです。いくら自身の祖父とはいえ、貴方も彼の悪名には悩まされて来たはずでしょう?」

「……めろ」

「あの吸血鬼退治以降の武勇伝も、ほとんど噂だったらしいしな。実際はそんな大したこと無かったんじゃねぇのか?」

「やめろ!」

「はて、今何か言いましたかな?」

 高慢な態度を崩さない副団長に対し、少女は鋭い眼光を向けた。

「あの人を、世界一の英雄を、お前ら風情がバカにするな‼︎ それは絶対に許さない‼︎」

 近くの窓ガラスが怒号の振動で揺れる。

 側から聞いているだけなのに、彼女の殺意が滲んだ怒りに押し切られそうだ。

「きゅ、急に何を」

「他人の名を借りねば集団にもなれないくせして、借り受けておきながら嘲笑するなんて…………本当、恥ずかしい人達ね」

 アミカは心の底から哀れんだ声で、彼らを煽った。

 沈黙の後、彼女は鼻で笑って言葉を続ける。

「あら、豚の間違いだった? でもそれじゃ豚に失礼だもの」

「こんの、クソガキが!」

 青筋を立てた副団長は、抑え込まれたままの少女に拳を振り上げる。

 同時に、アミカの手の中で何かが光った。

 まずいな。

「そこまで」

「シ、シリウスどの」

「やりとりが大通りまで聞こえていましたよ。暴れたいのですか?」

「いえ、あのこれは身内の問題で」

「もしよろしければ」

 彼の腕に巻きついて止めていた鞭を解いて、シェイドを大鎌の形に戻す。


「私がお相手いたしましょう」



 一般団員の方は渋っていたが、俺が役人であることを伝えると引いてくれた。

「……助かったわ。ありがとう」

「国外の人間まで傷害罪で裁きたくない。その毒針はしまっておけ」

 アミカは小さく舌を出し、手にしていた三本の針を袖口に隠した。

 腕力勝負をする気は最初から無かったようだ。

「針が主要な武器だったんだな」

「仲間と一緒の時は短剣を使うわよ。こういう時に油断させるためにね」

 その強かさには感心するばかりだ。

 気づけば、彼女が自分の掴まれていた腕をさすっていた。

「赤くなってるな。冷やした方がいい。氷を貰ってくる」

「そ、そこまでしてもらわなくても」

「俺がしたくてしてるだけだ」

「本当にいいのに」

「その代わり、俺が戻ってきたら」

 俺の知らないデモニオ・ブレンヌスについて、

「お前の世界一の英雄について、教えてくれ」

「……ええ。いいわ」



「面白くもなんとも無い、平凡な話だけど」

 氷嚢を当てながら、彼女はそう切り出した。

 平凡だと、そう自嘲したわりには——全て初めて耳にすることだった。


 彼女の祖父、デモニオ・ブレンヌスは吸血鬼を退治した。

 それは間違いなく事実である。

 しかし、有名なその方法、彼が「鬼狩り」と畏怖される理由は、全て創作なのだと。

 燃やされたという村々は、デモニオが率いるハンター達が発見した段階で、村人が全員吸血鬼に殺されており、彼らはその地方の慣習通り遺体を火葬してから墓を作ったらしい。

 その火葬のために木製の家の壁を使ったことが誇張され、「村全体を燃やした」と誇張した表現が広まったのだとか。

「なら、どうやって退治したんだ」

「一番簡単な方法よ」

「簡単?」

「——その吸血鬼との、一騎打ち」

 黒い巨大な狼に化けたそいつに対し、爆薬を握りしめて腕ごと食わせることで、なんとか動きを止められたそうだ。

 退治し終えたデモニオは、自身に関する根も葉もない噂話を聞いた。

 しかし、彼はそれを訂正するどころか、むしろ推奨した。

「……そんな人間がいると広まれば、東から西に移動してくる吸血鬼のような高位の魔物が減るかもしれないから、他の仲間が悪く言われないなら構わない、ですって」

 祖父の遺書を彼の唯一の友人、祖国の騎士団長から受け取った孫娘だけが知る、真実。

 そのことを知った彼女は、騎士団長からの養子縁組を断り、吸血鬼ハンターになる道を選んだのだという。

 デモニオ・ブレンヌスが守りたかったものを守るために。

「世の中に出回っている話を訂正する気は無いわ。だってそれは、あの人の願いに反する」

 淡々と思いを告げた彼女は突然立ち上がり、初めて出会った時のように胸を張った。

「だから! 私一人だけはせめてでも、彼の味方であり続けるの‼︎ それが、吸血鬼ハンターとして生きて死んだ祖父に対する、私の敬意よ」

「そう、か」

「そうよ」

 勝気な笑みが眩しくて、俺はただ俯く。

 それ程自分が恥ずかしかった。

 なぜ俺の一族が処刑人なのか。それはシェイドに選ばれたからだ。

 しかし、「なぜ」シェイドはうちの一族を選んだ?

 今までの処刑人達は、一体全体どうやってこの職業と向き合ってきた?

 俺自身は、この先どう向き合うべきなのか?

 そんなこと、疑問にさえも思ってこなかった。



 館に帰ると、机の上にあった写真が床に落ちていた。

「額縁に入れるのをすっかり忘れていたな」

 ポケットに入れた時ついてしまった折り目を撫でて伸ばす。

 ふと、母の笑顔に目が止まった。

 よくよく見ると目の色は違うが髪の色は青で、何よりも全体的な雰囲気というか、記憶に残る表情が——あの美しい吸血鬼とよく似ていた。

 否、母がではない。

 俺があいつに母の面影を勝手に見出していた。

「まじか……」

 どうしてあいつにこんなにも心を動かされるのか、それはきっと単純で、かつ、俺にとっては重大な欠乏がきっかけだったのだ。

 わかっている。あいつは俺の母親ではない。

 どこか遠い存在として夢見るような相手でもない。

 あいつは、無邪気で明るくて、そのくせどこか寂しそうな顔をする、俺が人生で見た中では一番綺麗な……。

「いや何を考えてるんだ俺は」

 自分で自分に呆れながら、写真を机に戻す。

「ん?」

 不意に、写真の中の時計に違和感を感じた。

 まだ現役で使っている時計なのだが、何かがおかしい。

「……この写真撮る時、そういえば」



『あら、シリウス。時計が止まっちゃってるわ』

『本当だ。後で直しておくよ』

『外しておく?』

『そのままでお願い』

『あらそう? まあ、あなたがいいならいいのだけど』



「なんで父さんは……『そのままでいいよ』って言わなかったんだ?」

 写真の中で、時計は十二時五十分を指していた。

 この写真を撮ったのは午前中だったから、少し混乱する。

 なぜわざわざ写そうとしたのだろうか。

「数字か?」

 その一言を呟いた時、急にある存在を思い出した。

 その存在のせいで、初めて会った親戚達のことが苦手になったのだ。

 それは、

「これかよ……」

 父の書斎に隠されていた、小さめの金庫のことだった。


「一、二」

 遺書には両親共に全ての財産を俺に遺すとあったのだが、実はこの金庫に関しては特筆されておらず、親戚がこぞって欲しがった。

「五、ゼロっと」

 なにせ金庫だ。金目の物の一つぐらいはあると思ったらしい。

 しかし、実際分厚い壁で守られていたのは——一冊の本だった。

「『生活記録』か」

 どうやらこの本は父の日記のようだ。

 何気無く捲ってみると、毎日数行程度の文章が書かれている。

 俺は書斎の椅子に腰を下ろして、本格的に読み始めた。

 綴られている文章から浮かび上がる像は、俺の知る穏やかで無口な父とは全く違う。


 そこにいたのは、いつか来る死を恐れ、それでも一つでも多くのものを残そうともがいた、一人の人間だった。



『国がシェイドを積極的に使いたがっている。権力を示す、一番簡潔で強力な象徴だからだ』


『シェイドの基本の形状が、所有者によって変化する理由がわかった。おそらくだが、その時のシリウスの寿命を表している。大鎌は大往生した命を回収する死神が持つ物で、わたしのこれはきっと……。多分わたしの残り時間はもう少ない。少ないなりに、何をしていくべきか』


『酒の飲み過ぎで倒れて妻に怒られた。飲んでなきゃやってられないのだ。けど彼女に泣かれるのは困る。どうしたものか』


『今日診療所に来た女性は、古い時代のことをよく知っていた。確かに処刑人自体は忌避されるが、その人の身につけていた物などは魔除けとして死後に売りさばかれる。だが、流石にわたしはまだ生きているので何か物品を求めるのは遠慮願いたい。あと関係ないと信じたいが診療後に妻の機嫌が急激に悪くなった。責められることは何もしていないんだが……後で機嫌をとっておこう』


『いくつもの死刑廃止を訴える書面を提出したが、何も反応が無い。せめて、せめて生まれてくる子どもの番になる前には、現状を変えたい。できるだけ良い方向に』


『酒もタバコもやめて数年たった。外部の医者にかかっても健康体だと言われる。しかし、わたしは自分の相棒が明示する未来がすでにわかっている。何を言ってもらっても気休めだ。鬱々としていたら、妻から子守を頼まれた。息子が最近歩けるようになった。ただそれだけで、泣きそうなほど嬉しい』


『妻と久々に出かけることになった。とはいっても、近所の本屋に行くだけだ。妻と話し合ったところ、書斎にもっと文学作品を増やすことになった。息子と語れる日が楽しみだ』



 両親が亡くなる前日の分で、日記は終わっていた。

 そっと本を閉じて表紙に触れる。

「……父さん」

 遺してくれた本は、全部読んだよ。

 俺もあなたと一緒に語りたかったな。

 ……俺も、父さんみたいに行動できるかな。



 翌日、こちらの都合に巻き込んだお詫びになるかもわからないが、俺は吸血鬼にデモニオ・ブレンヌスのことと、俺の現場での悩みを吐露した。

「ふぅん。どう向き合うか、かぁ」

「そうだ」

「ねぇ、現状ではどう思ってるの?」

 そっと背後を盗み見る。いつもと違って、あいつは一切笑っていなかった。

「自分と死刑執行人の折り合いは全くついてないの?」

「まだ、よくわからないな」

 今の所それがまぎれもない本心だ。

 自分の仕事に責任は感じている。

 しかし、どこか言語化することもできない部分が、また俺の中で増えたような気がした。

「ただ、オマエとの約束を果たすまでは、俺はシェイドを手放さない。絶対に」

 そう言うと、吸血鬼は目を見開いてから、滑らかな膝小僧の間に顔を埋めた。

「……ありがとう」

 弱々しくか細い呟きは、聞かなかったふりをした。


 断頭台で切り落とされた受刑者の頭部は、回収役がすぐさま籠にしまうものだ。

 だから、俺以外の国民は知る由がない。

 胴体から切り離された普通の人間の目玉が、たまにゆっくりと瞬きをすることを。

 それを知った時に覚えた嫌悪感が、今日、よりはっきりと形を成した。






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