45、二クレア池 〜 優しい雨
「あの! 池はこのままでいいのですか。解毒しないと!」
いま、僕のまわりには、困り果てた住人達と、盛大に兄妹げんかをしているナタリーさんと大魔王様がいる。
ナタリーさんが悪魔族だったことも、お兄さんがいることも、そのお兄さんが魔族の国を統べる大魔王であることも、そしてふたりがこんなにも仲が悪いことも、僕は知らなかった。
「発生源が居なくなったのだから、そのうち自然に元に戻るだろう」
「何言ってるのよ。住人達がいくらアンデッドだからって、ここの毒は強すぎるわ。弱めてあげないと辛いわよ」
「ゼリー化したものを分解するには、かなりの魔力が必要だ。効率が悪い。数週間もすれば元に戻る」
「その数週間、彼らはずっと辛いじゃないの! ほんと冷血漢ね!」
「じゃあ、女神様がなんとかしていただけますかな?」
「わ、私は、クリア系魔法は…あまり使えないもの…ってわかってて言ってるでしょ!バカ兄貴!」
僕は、早くイーシアに戻りたかった。
でも、アトラ様に…僕が寝てるときにキスをしたのかなんて聞けない。前にキスされたときは、単にかわいかったから、って言ってたっけ? 今回も…そうなのかな。でも…でも、もしかしたら…僕のことを…。
「あの…ライト様、ちょっとそろそろマズイ雰囲気で…」
「えっ? あ、そうですね。ちょっとヒートアップしてますね…」
ナタリーさんと大魔王様は、あーでもない、こーでもないと…。この兄妹げんかは永遠に続くんじゃないかと思えてきた。
そうなると、僕も永遠に、イーシアに戻れない。
(はぁ、もう、いい加減にしてー!って叫びたい)
僕は、イライラしてきていた。こんなとこに連れてきて、言われたように変な魔物を引きずり出したのに、当の本人は、兄貴と絶賛大げんか中だし…。
別に僕は、だから褒めてとか言うつもりはないけど、でも、この状況はあまりにもあんまりだと思う。
僕は、彼らを放ったらかして、さっさと池を浄化しようと考えた。霊体化を解除し、自分へのバリアを全て張り直した。
そして、池の方へと向かっていった。
(さて、シャワー魔法は弱すぎるし、毒消し魔法かな。でも、聖魔法の方が早いかな? いや、聖魔法は、アンデッドには即死魔法だからマズイか…)
僕が、池の水を眺めながらアレコレ考えていると、慌ててナタリーさんが駆け寄ってきた。
「ライトくん、ダメよ!」
「ん?何がですか?」
「何がって、その闇…。二クレア池は死者達の闇の溜まり場よ。そんなのぶつけたら闇の反射が起こるわ! ここはアンデッドの村なのよ?」
「わかっていますよ。聖魔法は撃ちません」
「で、でも、その闇が触れると…」
(ん?あれ?僕、黒い霧に包まれてる?)
僕は、知らない間に、深い闇を放出していたらしい…。それに僕が気づいたら、闇はスーッと消えた。
「はぁ、びっくりしたわー。もう、心臓に悪いわよ」
「すみません…ちょっとイライラしていたから…」
「えっ、あ…。ごめんなさい、そうよね。ヤツを引きずり出してくれたのに、ありがとうも言ってないわよね」
「いえ、それよりケンカ、いい加減にしてくれませんか? 住人の皆さん、困ってますよ」
「あ、うん、そうね、ごめんなさい」
少し離れたところで、大魔王様が、こちらの様子を面白そうに見ていた。ナタリーさんが謝ってるのがそんなに楽しいのだろうか。僕は、またイライラしてきた。
「大魔王様! 」
「なんだ?ライト」
「この池、元に戻してください。皆さん困っています」
「それには魔力がかなり取られるからな…」
「大魔王様の魔力の何十パーセント使うのですか?」
「おいおい、池の解毒で何十パーセントも使う訳ないだろ?せいぜい2〜3パーセントってとこだ」
「じゃあ、大したことないじゃないですか! 今すぐやってください。もしかして、ハッタリですか?出来ないのがバレたくないとか?」
「はぁ?なんだと?」
僕は、大魔王様の目の前に、魔ポーションを1本出した。魔法袋に入れておいてよかった。
「僕は、ポーション屋です。これは僕が作った魔ポーションです。10%回復します。池の解毒を今すぐやってくれたら差し上げます」
「は?俺に命令する気か?」
「何をおっしゃってるのですか?取引ですよ」
「なんだと?」
「僕は、さっさと池を元に戻して、地上に戻りたい。ここはアンデッドの村だから聖魔法は使えない。だから、僕は魔ポーションという対価を貴方に支払うから、僕がさっさと帰れるようにしてくださいって言ってるんです」
「おまえ、ナメた口を…」
大魔王メトロギウスは、僕を、殺気のこもった目で睨んだ。ナタリーさんとケンカしていた時とは明らかに違う怒りに、僕は背筋が凍るような恐怖を感じた。
だが、ここで屈するわけにはいかない。チカラこそ全てなり!という魔族の国では、ハッタリも重要なんだ。
「貴方には僕は殺せませんよ。逃げる能力だけは高いんですよ、僕」
僕は、霊体化!透明化!を念じた。バリアもさっきから完全完備してある。そして、僕は、大魔王様の頭の真上に移動した。彼は僕を察知しようと何かを唱えていた。
「ナタリー、あのガキはどこへ行ったんだ? 地上に帰ったのか?」
「帰るわけないわ。ライトは途中で頼まれごとを放り出したりしないもの」
「じゃあ、どこに行った? なぜ感知レーダーにかからない?」
「ライトくんが隠れると、女神様でも探せないらしいわよ」
「もしかして、この状況でいきなり心臓を凍らせたり……できるということか」
「そうよ。彼に暗殺する気があれば、狙われたら防げないわ。霊体化したまま、相手の身体に手を入れて魔法を使うもの。バリアも全てすり抜けるわ。それに基本魔法全種持ちだからね」
「なんだと? くっ…バケモノだな」
「僕は、暗殺なんて出来ませんよ」
僕が話すと、大魔王様はギョッとして上を向いた。もう僕は、横に移動してるんだけど…。
そして、透明化、霊体化を解除した。すぐ横に現れた僕に、また少しギョッとされたようだったが…。
「なるほど、女神の番犬か。門番達が騒いでいたのはこういうことか」
「僕との取引に応じていただけますか?」
「断わる!と言えば、どうする気だ?」
「別にどうもしません。僕は、地上へ戻るだけです。ナタリーさん、もう僕の用事は済みましたよね?」
「ふふっ。そうね、もう、ここのことは放っておいて戻りましょ〜。お姉さん、お腹すいちゃったわ〜」
「はい! では、皆さん、失礼します」
「あとは、よろしくねー」
僕達は、この村の皆さんに挨拶した。すると、皆、少し戸惑いつつも、挨拶を返してくれた。
「はい、女神様もライト様も、ありがとうございました」
「また、何かあればお願いします」
池からは少しずつ、毒が放出され続けていた。だんだん、毒が抜けていけば池は元に戻るのだろう。ただ、その間は、この村付近は、毒の空気に侵されたままということになる。
アンデッドは多少の毒は気にしないし逆に毒を好む個体もいるようだ。だが、猛毒だとそうはいかない。毒に耐性のある者でも、まとわりつくひどい不快感に悩まされることになってしまう。
「おい、ちょっと待て!」
ナタリーさんが、飛翔魔法を使おうとしたとき、大魔王様が、近づいてきた。
「何かしら?」
「俺には挨拶なしか?」
「はい、さようなら〜」
「おい! ライト」
「はい。なんでしょうか」
「さっきの魔ポーション、置いていけ」
「…取引成立…ですか?」
「おまえ、ほんとにアンデッドらしい姑息な手を使いやがる。多くの住人の前でこんな騒ぎを起こして、そのまま俺が何もしなければ、神族の評価が上がるばかりか、断った俺の評価がガタ落ちじゃないか」
「…アンデッドらしい…ですか」
「不満か?」
「行商人らしいと言われる方が嬉しいですね。ポーション屋ですから」
「は?まさか、この国でも行商させろと言う気か? そんなクソ不味い人族の飲み物を、魔族に売る気か?」
「とりあえずは試供品のつもりです。僕は、欲しいという方に売るだけです。種族なんて気にしていません」
「傲慢だな、神族だからっていい気になりやがって」
「そんなことより、早く池の解毒をしてください」
そう言って、僕は、大魔王様に魔ポーションを渡した。カルーアミルク風味…甘すぎるかなと少し心配しつつ…。
大魔王様は、受け取るとラベルを確認し、すぐさま蓋を開けた。一瞬、怪訝な顔をしてもう一度ラベルを確認した後、一気に飲み干された。
「な、なんだこれは?」
「魔ポーションです。10%回復します」
「そんなことは確認済みだ。こんな味、どうやって作った?おまえ、そこまで…いや…能力を隠しているのか?どれだけ魔法力が高いんだ?」
「そのあたりは、お話できません」
「回復したなら、さっさと池の解毒をしなさいよ!」
「チッ、うるさい女神様だな」
その言うと、大魔王様は両手を上に挙げ、何かを詠唱し始めた。すると突然、霧のような雨が降ってきた。そして、空気中の毒が一瞬で解毒され、霧雨は池や大地にどんどん吸収されていった。
「すごっ、雨で解毒するなんて…」
「こんな派手なことをするから、魔力を消耗するのよ」
「でも、アンデッドにも優しい雨みたいですよ。村の皆さんも浄化の雨に濡れても平気そうですし」
「浄化というか、毒消しね。まぁ確かに優しい雨ではあるけど…」
その優しい雨が、少しずつ池の毒を消していった。池の色が、ぶどう色だったのが、だんだん鮮明な赤色に変わってきた。
「池の水って、こんな血のような色だったんですね」
「ここは、特殊な場所なのよ〜。屍を入れたらしばらく待てばアンデッドとして生まれ変わるのよー」
「でもアンデッドには血肉はないのに、血の色なんですね」
「ふふっ。そういえばそうよね〜」
「これで、文句はないな」
「メトロギウス様、ありがとうございます。すっかり元の池に戻りました」
「これで、また、再生待ちの魂が、我々の村の住人になれます」
「あぁ」
「じゃあ、今度こそ帰るわよ〜」
「はい、皆さん、失礼します」
ナタリーさんは、来たときと同じように飛翔魔法を唱えた。黒い光に包まれ、そしてふわっと空中に浮かんだ。
何か、大魔王様がおっしゃっているようだが、聞こえない。ナタリーさんを見ると、無視しましょうと言うので、それに従うことにした。
そして、来たときと同じく、魔族の国の遊覧飛行を楽しんだ。
出入り口の門は、閉まっていた。ナタリーさんが開けるように呼びかけると、煩そうに門番が出てきた。
僕達だとわかると、怯えたような表情で、すぐに通してくれた…。
「ナタリーさん、なんかめちゃくちゃ怖がられてますよ?」
「ん?ライトくんが怖がられているのだと思うわよ〜」
「なんだか、複雑です…僕」
「ふふっ。でもライトくん、上出来だったわよー」
「はい、めちゃくちゃ頑張りました。ほんと疲れた…」
(もう絶対来たくないな。慣れないポーカーフェイスで、なんだか顔が変な感じ…)




