280、イーシア湖 〜 永遠の約束
「ライトさん、大丈夫ですか」
「レンさん、はい。もう大丈夫です。ありがとうございます」
僕は、ぼんやりと、集落の中でまだキラキラと漂う、清浄の光を見ていた。やっと、涙は止まってくれた。
警備隊の隊員達は、撤収の準備をしていた。僕がボーっとしている間に、僕が何者かを聞いたのだろう。さっきまで僕を睨んでいた人達は、すっかり萎縮している。
「坊や、ロバタージュに戻るなら一緒に行くか?」
「レオンさん、僕はイーシア湖に薬草を摘みに行く途中で、ここに立ち寄ったので…。お気遣いありがとうございます」
「いや。あ、そうか。坊やは、馬車は必要ないんだよな。こっちこそ、なんだか変なことを言ってしまったな」
「あの頃は、馬車に乗せてもらって助かりました」
「あぁ、そういや、坊やは命の恩人でもあったな。イーシア湖で坊やと会わなかったら、俺は今頃ここにはいない」
「そんなことは…」
「まさかの青き大狼と遭遇したんだ。普通なら生きて帰れないよ。あの恐ろしい伝説の守護獣を怒らせたんだからな。そういえばハデナでも助けられたよな。坊やには足を向けて寝られないな」
「いえ、そんな…」
(その青き大狼と結婚したとは言えない)
「ライトさん、俺、ライトさんの街のギルド登録したんですよ。隊長も」
「えっ? そうなんですか」
「あの島のギルドポイントは、こっちのギルドの経験値としても認めてくれるらしいんです。逆はダメだそうですが。だから、島のギルドミッションを受けると、すごい得なんですよ」
「へぇ、知らなかったです。あ、僕、昨夜から店を始めたんです。城壁の内側にありますから、よかったら来てください」
「そうなんですか! ぜひ行きます。もしかしてバーですか?」
「はい。バーテンになれました。それから、行商人は廃業したんです。さっき、登録カードを返納してきました」
「じゃあ、ポーションも、店で売ってるんですか」
「そうなんです」
「坊やの店か〜、それは便利だな。店ならそこに行けば買えるんだからな」
「はい、ただ、売り切れてるときもあるんですけどね」
「そうか、まぁ、珍しい物は見つけると、買い占めたくなるからな」
「ライトさん、そのうち買い占めは減りますよ。楽しみだなー。今度の休みにハロイ島に行く予定だったから、絶対に立ち寄りますね」
「はい、レンさん、お待ちしてます。じゃあ、僕はこれで…。レオンさんも、また〜」
「おう。坊や、あまり無理するんじゃないぞ」
「はーい。レオンさんも〜」
警備隊の人達は、先に集落から出て行った。おそらく僕への配慮なんだと思う。
僕はもう一度、集落を見渡した。誰もいない。わかっているけど、なんだか後ろ髪を引かれるような思いだった。
僕はスゥハァと深呼吸をして、むりやり気持ちを切り替えた。そうだ、あのときのように、イーシア湖まで歩いていこう。
今の僕は、闇を漏らしてしまいそうだ。まさか精霊イーシア様のいるイーシア湖で、闇を漏らすわけにはいかない。気分転換には、もうちょっと時間が必要だ。
あのときと同じ門から、僕は集落を出た。そして、まっすぐ、道なりに歩いて行った。
この森は緑が鮮やかだ。たくさんの種類の木や草が生えている。今度、ゆっくりイーシアの森を散策するのもいいかもしれないな。
湖まではかなり距離があるかと思っていたが、意外に近かった。僕はまだ、さっきの出来事を引きずったまま、イーシア湖に着いてしまった。
(もう着いてしまった…)
僕は、とりあえず、薬草摘みを始めた。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……ふぅ。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……はぁ。
久しぶりに薬草摘みをすると、けっこう疲れる。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……うーん。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……うーむ。
星の再生魔法で、このイーシア湖付近も変わったんだ。湖の水量が増えて、湖自体が大きくなったことで、草原が少し狭くなった。
でも、その分、薬草は密集して生えるようになったから、摘む効率はよくなった。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……ちょっと暑いな。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……休憩しよう。
僕は、薬草を摘むのをやめて、湖に近づいた。少し、水を飲みたい。湖は、キラキラと輝いていた。湖面を見ていると、なんだか落ち着く。
湖岸にしゃがんで、手で水をすくって飲んだ。
(うおー、やっぱ美味しい!!)
あれ? 湖岸から水をすくえたっけ? いつもは、リュックくんの容器を使って汲んでいた。そういえば、なんだか湖面が膨らんでいるような気がする。
僕は、湖岸から草原に少し下がり、頭を地面につけるようにして、横から湖を見てみた。
うん、やっぱり、表面張力みたいな感じに湖面が少し膨らんでいる。イーシア様のチカラなのかな? それとも潮の満ち引きみたいな感じ? あ、太陽系が変わったからかな?
「ねぇ、さっきから、何してるの?」
「えっ!?」
(このセリフ…)
僕がパッと振り返ると、そこには愛しい人の顔があった。きょとんとして、首をかしげている。かわいい!
「アトラ様、どうしたんですか? 店で寝ていたはずでは」
「うん、寝てたけど、イーシア様がライトが来てるって言うから、あたしも来てみたのー」
「そうでしたか。驚きました、あのセリフ」
「ん? セリフ?」
「初めてここで会ったときにも、同じようなことを言われたから」
「ふふっ、そうだっけ? で、何をしてたの?」
「あ、はい。なんだか湖の水が膨らんでいるから、どうしたのかと思って…」
「あー、それは、太陽が黄色になったからだよー」
「やっぱり、太陽との距離が近くなったことで、引力の影響を受けてるんですね」
「ん〜? よくわかんないけどー」
「あ、そっか。この世界には引力って概念がないのかな? 重力はわかりますよね」
僕がそう言っても、アトラ様は、首をかしげている。説明しようかとも思ったけど、まぁ、いっか。せっかく、イーシア湖にいるんだもんね。
「ライト、湖を見に来たの?」
「いえ、ここには薬草を摘みに来たんですよ」
「そっかー。ポーションの販売機、すごく売れてるもんね。素材なくなりそうだね」
「はい、そうなんですよね。特に薬草はだいぶ少なくなってたので」
「じゃあ、あたしも薬草摘み、手伝うよー」
「ありがとうございます、助かります」
僕は再び、薬草摘みを再開した。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……チラッ。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……チラチラッ。
アトラ様とイーシアにいると、またいろいろなことを思い出してきた。なんだか、今日は変な日だなぁ。この世界に来たばかりの頃を思い出す。
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……ん?
ぷちぷち、ぷちぷち、ぷちぷち……ふふっ。
アトラ様は疲れたのか、草原に座って空を見上げていた。空には黄色い太陽が輝いていた。あの頃は赤い太陽だったよね。
「アトラ様、疲れちゃいましたか?」
「ん? 大丈夫ー。でも、なんだかライトと初めて話した日のことを思い出して…」
「あ、僕もです」
「そう? さっきのセリフって言ってたのは、湖で水汲みをしていたときのことかなー?」
「そうです。リュックの使い方がわからなくて、一緒に考えてもらいました」
「ふふっ、そうだったね。あのリュックが、まさかの魔人にまで進化するとは予想してなかったよー」
「あの頃は、僕はこの世界のこと、何も知らなかったから、アトラ様の話には驚かされました」
「別に特別なことは話してないと思うけど…。あ、あの日、制服を着た人族が来たんだった。イーシア様を狙ったのかと思ったけど、ライトの集落を焼き払った後だったんだよね」
「あー、そうでしたね」
「あ! ご、ごめん。思い出したくないことだよね」
「いえ、今、あの集落に立ち寄ってきたんです。なぜか、見に行きたくなって…。ちょうど警備隊も来たんです」
「ん? そうなんだ」
僕は、アトラ様に、名もなき集落の出来事を話した。あの集落の地下の石室が、僕の記憶の一番最初だということ。そして、自分の手で、アンデッド化した住人を消してしまったことも。
「それで、ライト、どんよりしてるんだね」
「えっ? どんよりしてるってわかります?」
「わかるよー。ライトの奥さんだもん」
そう言うと、アトラ様は照れたように少し頬を染めていた。かわいい!
「さすが奥さんです」
「ふふっ。そっかー、たぶんアンデッド達がライトを呼んだんだね」
「ん? どういうことですか」
「討伐隊が来るとわかって、ライトになんとかして欲しかったんだと思う。もう一人の「ライト」が思念を受信したから、なんだか急に行きたくなったんだと思うよ」
「そっか…。助けを求められていたんですね。それなのに、僕は彼らを浄化して消し去ってしまった…」
「それって、もう一人の「ライト」が提案したんでしょ? それなら、彼らの望みだったのかもしれないよ。もう一度、人族として生まれ変わりたいなら、アンデッドとしての生を終わらせる必要があるもの」
「それならいいんですけど…」
僕がまたどんよりしていると、アトラ様はあのときのように、頭をなでなで、ヨシヨシと、し始めた。
あのときはペット扱いされていると感じたけど、今はとても心地よかった。
「アトラ様、僕、子供じゃないですからね」
なぜか、僕は気恥ずかしくなって、思ってもいないことを言った。
「ふふっ、私の方がライトより、すっごくたくさん生きてるんだからねー」
「わかりました、お姉さん」
「うん、素直でかわいい、ふふっ」
アトラ様は、ずっと僕の頭をなでなでしていた。僕は、そのまま眠りそうになった。さっきまでの辛かった心が、少しずつ癒されていくような心地よさを感じていた。
「アトラ様、集落に行く前に、ロバタージュに行ってきたんです。コペル大商会で、行商人の登録カードを返納してきました」
「あ、うん。店で起きたとき、それは聞いたよ。カースは断ったけど、リュックくんは逃げたから決定じゃとか言ってた。意味はわからないけどー」
「あー、学校の教師の件です。魔族が暴れるのかな? チカラを持つ教師が必要らしいですよ。数を数えられない人も多いらしくて、僕は半年後からになりました」
「一般教養どころか、街での暮らし方から教えなきゃって言ってたよー。かなり魔族が集まってるみたいだもんね」
「魔族が集まって、一般教養を身につけていくと、妙な戦乱も減るかもしれませんね」
「どうかなー? 血が騒ぐとか、そういうとこもあるかもだよ。だから、闘技大会の開催をするみたいだしー」
「そうなんだ。うまく共存できる街になったらいいですけどねー」
「それは、街長がライトだから、大丈夫だよ」
「そ、そうかな? 不安しかないんですけど」
「人族も、精霊も、守護獣も、それに地底の魔族とも、対等に話ができる神族は少ないもの。どれかが嫌ってるからね」
「話はできます。そっか、話ができないから関係がこじれてきたのかな」
「うん、そんな気がするよ。言葉が通じても、話が通じないんだよー。だから、ライトなら大丈夫だよ」
「そっか」
アトラ様にそう言われると、僕はできそうな気がしてきた。うん、頑張ろう。いい街にしていきたい。
「ライト、行商人をやめたのは、街長になったから?」
「うーん、というより店を開店したからかな? ポーションは店で売ればいいし、自販機がめちゃくちゃ売れるから、行商人をする余裕がないかなって思って」
「そうだよね。ポーション、品薄になるねー」
「だから、思い切って、行商人は廃業しました。もう、リュックを背負って行商することはないです」
「なんだか、寂しい気もするけど、新しい出発だね」
「そうですね。ポーション屋さんって言われていたけど、これからは、バーのマスターって呼んでもらえるように頑張ります」
「ん? 街長は?」
「あー、そっちも、それなりに頑張る」
「学校の教師もだよね?」
「うー、それは適当に…」
「落とし物係は、辞めるの?」
「隠居させてくれないんです」
「じゃあ、ライト、忙しいね。行商人までやってられないね」
「そう思って、返納してきたんですよ」
ふと、アトラ様は、僕をなでる手を止めた。そして突然、きゅっと抱きしめられた。
「ライト、忙しくても、たまにはここで、ゆっくりしたいよ…」
アトラ様の顔を覗いた。なんだか不安そうな顔をしている。もしかしたら、また、僕が遠い人になってしまうと考えているのかもしれない。
「アトラ様、僕も、ここでアトラ様とのんびり、お昼寝したいです」
「ふふっ、よかった」
僕が彼女の不安を察知したことに気づいたのか、アトラ様は、しまったという顔をしていた。
僕は、彼女にそっと、キスをした。
「約束します。僕は、ずっと永遠に、あなたを大切にします」
「うん! あたしも、ライトのこと大切にするよ」
彼女の瞳が揺れていた。そんな顔をされると、僕は…。
『何をしておるのじゃ! もう、虹色ガス灯は水色になっておるのじゃ!』
(えっ……なぜ、邪魔をするかな…)
「女神様が、怒ってるねー」
「はぁ……そうですね」
『店主がフラフラ遊んでいるとは何事じゃ! はよ戻ってくるのじゃ。妾はリッチなパフェが食べたいのじゃ』
「パフェなら、カフェに行けばいいのに…」
「でも、ライト、もう夕方だから戻らなきゃね」
「そうですね…。この続きは、店が終わってから…」
「ふふっ、もうっ、ライトってば〜」
「戻りましょうか。僕達の家に」
「うん!」
僕は、ふわふわ漂っていた生首達を呼んだ。そして、生首達のワープで、湖上の街ワタガシへと戻っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
僕の、魔道具「リュック」を背負って行商する物語は、ここでおしまい。
これからも、忙しい毎日が待っている予感がするなぁ。でも少しずつ、これからも成長していけるように、僕は頑張ろうと思う。
それに、女神様のワガママを断る話術も身につけなければならない。はぁ、やることがいっぱいだ。
だけど、急ぐ必要はない。適当に息抜きをしながら、たまにはサボりながら、マイペースで、この世界を楽しんでいこうと思う。
ーーーーーー 【完】 ーーーーーー
これにて【本編完結】いたしました。
皆様、ここまで読んでいただきありがとうございます。ブックマークや評価もありがとうございます。たくさんの元気をもらったおかげで、完結させることができました。ほんとにありがとうございます♪
【次回予告】1年後のライト
投稿予定……9月5日(木)
あと少し閑話を書こうと思います。月曜木曜の週2更新の予定です。一年後のお話を3〜4話書いて、その後、地名の法則の謎解きをして完結予定です。
もし、この人の一年後が知りたいというリクエストがあれば、感想欄にコメントください。すべて採用は難しいかもしれませんが、可能な限りリクエストにはこたえたいと思います。
それと、新作を先程、投稿しました。
「闇夜の虹色花束は怪盗を呼ぶシグナル〜アイツに恋するなんてありえない!〜」
そう、まさかの異世界恋愛ジャンルです。
メイン舞台は、ハロイ島の湖上の街ワタガシです。本作のキャラも一部登場します。
もしよかったら、新作も読んでいただけると嬉しいです。
後書きが長くなりましたが……よかったら、閑話をあと少し、お付き合いくださいませ。
『カクテル風味のポーションを〜魔道具「リュック」を背負って行商する〜』の本編を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




