274、湖上の街ワタガシ 〜 ケトラの買い物
僕はいま、困っている。めちゃくちゃ困っている。
服屋が並ぶ大通りをケトラ様と一緒に歩いている。彼女は、ショーウィンドウを一切見ないで、僕の返事を待っている。ジーっと僕を見ている。
ここで返事を間違えると大変なことになる。でも、適当にごまかすと彼女を傷つけてしまいそうだ。
ただでさえ、ケトラ様は不安定な人なんだ。僕は一体どうすればいいんだ。
「ねぇ、お兄さん、あたしと結婚する?」
「ケトラ様、僕はアトラ様と結婚していますよ」
「うん、だから、あたしも結婚する?」
「こないだも話したように、僕は複数の人と結婚するつもりはありません」
そう答えると、ケトラ様の表情が苦しそうにゆがんだ。これ、まずい。不安定な彼女は、完全に拒絶されたと受け取っている。
ショーウィンドウに僕達の姿が映っていた。あ、そうだ。遠い将来の話をしよう。
「ケトラ様、ショーウィンドウを見てください。僕達の姿が映っています」
ケトラ様は、チラッとだけショーウィンドウを見て、うつむいてしまった。
「こんなに背が違うんですね」
「ん? あー、うん」
「僕、人からどう見られるのかって、すごく気になるんです。ケトラ様は、僕の肩くらいまでしかない。明らかに大人と子供ですよね」
「……ん」
「僕、この世界に来てまだあまり時間が経っていないから、前世の感覚が強いんです。でも、時間とともに変化するかもしれません」
「ん?」
何を言ってるのかわからないのか、ケトラ様は僕の顔を見上げた。
「僕は、不死だそうです。でも姿は成長していくようです。爺さんの状態で止まるのか、おじさんの状態で止まるのかはわからないけど…」
「ふぅん」
「ケトラ様は、大人の姿になるのは、何年後ですか」
「えっ? お姉ちゃんみたいな?」
「はい」
「うーん、たぶん900年後くらいかな…。お姉ちゃんとは1,300歳くらい離れてるけど」
「そっか。だいぶ先のことですね。僕はその頃には爺さんになっているかなぁ」
「そんなのわかんないよ」
「僕は、今後、価値観が変わったとしても、恋をした人としか結婚はしないと思います」
「えっ?」
「僕は、男尊女卑も女尊男卑もおかしいと思っています。男女は対等であるべきです。だから、対等に意見を言い合えて、肩を並べられる人がいいんです」
「ふぅん」
「もし将来、アトラ様以外にも結婚したいと思う人が現れたら、アトラ様が許してくれるなら、僕は妻を増やすかもしれません」
「えっ、あたし?」
「今のままのケトラ様なら、僕は恋をしないです」
「やっぱり、あたしがダメだから…」
「肩を並べて歩けないからですよ。ショーウィンドウを見てください。大人と子供でしょ? アトラ様は、僕とほとんど背は同じです。僕の方が幼く見られますけど…」
「背? あたしが背が低いから? 子供っぽいから?」
「はい。子供っぽいケトラ様はとても可愛いですが、恋愛の対象にはなりません。僕は、大人の女性にしか恋はしません。だから、今のままのケトラ様に僕が恋をすることはありません」
「じゃあ、あと900年経ったら、お兄さんは、あたしに恋をする?」
「うーん、先のことはわからないけど、恋をするかもしれませんね」
「じゃあ、じゃあ、900年経ったら、あたしと結婚する?」
「そのときに、僕がケトラ様に恋をしていたら、もしかすると僕の方から申し込むかもしれませんね」
「じゃあ、じゃあ、じゃあ、900年経ったら、お兄さんが旦那さんになる?」
「900年後に、僕が申し込んだら、ケトラ様は僕と結婚してくれるのですか?」
「うん! してあげる」
「でも900年後には、僕は、よぼよぼの爺さんになってるかもしれませんよ?」
「爺さんになってても、お兄さんはきっとカッコいいから、いいよ」
「ふふっ、嬉しいな。そう言ってもらえると元気が出ます。あ、そうだ。早く服を買って、開店準備しなきゃ」
「うん! あたし、がんばるから」
「ん?」
「あたし、お姉ちゃんには負けないんだから!」
「ふふっ、負けてませんよ。あ、今の話は内緒ですからね」
「うん、わかった! お兄さん、早く服を買おう」
ケトラ様は、いつものやんちゃな顔に戻っていた。よかった〜、僕はホッとした。ただ、僕の心には、ほんの少し罪悪感が残った。
でも、僕は嘘はついていない。900年後には、もしかしたら、本当に、僕はケトラ様に恋をしているかもしれないんだから。
「じゃあ、ここに入ってみましょうか」
「うん!」
僕達は、このショーウィンドウの店に入った。ショーウィンドウ前で立ち止まって話をしていたからか、すぐさま店員さんが近寄ってきた。
「いらっしゃいませ。どのような服をお探しですか」
「あたしの服!」
「あ、この子の服がぼろぼろになってしまったので、いくつか見繕ってもらえませんか」
「かしこまりました。お嬢さん、どのような服がお好きですか?」
「うーん…」
「結構やんちゃなので、動きやすい服でお願いします」
「ふふっ、元気な方なのですね。かしこまりました」
「お兄さん、やんちゃって…」
「ん? おしとやかでしたっけ?」
「あぅ……やんちゃでいいよっ」
「ふふっ、仲のいいご兄妹ですね」
「うん! 仲良しなの」
ケトラ様は、店員さんが出してくれた服をキラキラした目で眺めていた。髪色に合わせて、赤や濃いピンクの服が多い。
彼女が悩んでいる間に、僕は店内をウロウロしていた。あ、エプロンがある。これ、店には必須だよね。
僕は、バーテンがよく付けている腰から下だけの黒いエプロンを数枚、選んだ。
あ、でも店員さん用のもある方がいいかな。普通のエプロンも数枚選んだ。これも黒に統一しようかな? 白は汚れが目立つもんね。
こっちはサイズがいろいろあった。ケトラ様用の小さいサイズと、あとは普通サイズと少し大きなサイズのものをそれぞれ選んだ。
(エプロン大量買いだな…)
僕は、大量のエプロンを手に持って、ケトラ様が悩んでいる鏡の前まで戻った。
そして、店員さんにエプロンを渡した。
「お店でもされているのですか?」
「はい、今夜開店なんですが、いま足りないものを慌てて買い揃えていまして」
「じゃあ、魔法袋や、釣り銭入れのケースも一緒にいかがですか?」
「あ、魔法袋は買わなきゃと思ってたんです」
店員さんが、用意すると言って奥へと入っていった。僕は、まだ服を迷っているケトラ様に声をかけた。
「決まりそうですか?」
「お兄さん、あたし、わからなくなってきたの」
「ふふっ、どれを悩んでいるんですか?」
ケトラ様は、ショートブーツのような靴は即決したけど、赤いワンピースか、グレーのワンピースかで決まらないようだった。
どちらも、フリフリのデザインだ。ケトラ様は、今までは赤のストンとしたシンプルなワンピースを着ていたから、少し意外な気がしたが、確かにフリフリは似合っている。
「じゃあ、そのふたつ、買いましょう」
「えっ? いいの?」
「仕事のときは、エプロンが黒なので、こっちのグレーの方が合うと思います。仕事じゃないときは、この赤のワンピースが可愛いですよ」
「うん! じゃあ、今から仕事だから、グレーの方に着替えてくるね」
「はい、あ、魔導ローブは返してもらっていいですか」
「あ、そうだった。はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ケトラ様は、ふわっと飛び上がり、僕の肩に魔導ローブをかけてくれた。重力魔法なのかな?
「お客様、魔法袋は、今はこれだけしか種類がなかったです」
「じゃあ、この大きい方をください。何個ありますか?」
「在庫は10個ですね」
「じゃあ5個ください。エプロンと、服と靴も合わせて、おいくらですか」
「ありがとうこざいます。魔法袋が1個金貨10枚ですので5個で金貨50枚、妹さんの服と靴が銀貨4枚、エプロンが20枚なので銀貨6枚になります」
僕は、金貨50枚と銀貨10枚を支払った。オマケで、さっき言っていたお釣り入れをつけてくれた。レジの代わりかな? 銅貨1枚ショップに置こうかな?
お会計が終わった頃に、ケトラ様が着替えて出てきた。なんだか、めちゃくちゃ照れていて可愛らしい。
フリフリのワンピースだが、グレーなので落ち着いて見える。どこかのお嬢様のようだった。
「お兄さん、どうかな?」
「めちゃくちゃ似合ってますよ。どこかのお嬢様みたいです」
「えっ?」
「いつもよりも、少し落ち着いてみえますね」
「大人に見える?」
「ふだんよりは、お姉さんっぽいですよ」
僕がそう言うと、ケトラ様は少し得意げな表情をみせた。でも、鏡に映る自分の姿を見ると、恥ずかしそうにしていた。
「お嬢さん、とてもよくお似合いですよ。お姉さんっぽくて、12〜13歳に見えますよ」
「さっきのは何歳くらいに見える?」
「うーん、10歳くらいなのかなと思ってましたけど…」
「そう。あたしは16歳くらいに見られたいの」
「あら、もったい。今を大切にする方がいいですよ? 大人になったら、いまのお嬢さんのような愛くるしさは消えてしまいますから。いまの姿に合ったオシャレを楽しんでください」
店員さんにそう言われ、ケトラ様は、目を見開いていた。何かをひらめいたのか? 目がキラキラしている。
「あたし、愛くるしさは、大人に勝ってる?」
「はい、もちろんですよ。大人はお嬢さんのような可愛らしい服を着ると、逆に、いやらしく見えますから」
「そっか。あたし、勝ってるんだ」
「また、お嬢さんに似合いそうな服を仕入れておきます。よかったら、立ち寄ってくださいね」
店員さんは、僕にそう言うと営業スマイルを浮かべた。ケトラ様が、それを聞いて、めちゃくちゃワクワクしている。
「ふふっ、はい。彼女には店を手伝ってもらうので、お給料代わりに、また立ち寄らせてもらいますね」
「お待ちしております」
僕達は、服屋を出て、来た道を戻った。ケトラ様の表情は、来たときとは別人のようだった。
彼女は、あちこちのショーウィンドウを眺めては目をキラキラさせていた。
そして、グレーのフリフリワンピースを着たケトラ様は、すれ違う人にたまに視線を向けられていた。
これまでとは違う好意的な目で、あら可愛らしい、などと声をかけてくるオバさんもいた。
すると、どう返事をすれば良いのかわからないらしく、僕に隠れるように左から右へと移動していた。
「ケトラ様、ありがとうってニコッと笑ってあげればいいんですよ」
「えっ? あ、あぅ…」
「恥ずかしがり屋さんですね〜」
「う、うん…」
ようやく店に戻ってくると、店の前には人だかりができていた。また、何かあったのかと驚いたが、若い子達がキャッキャと楽しそうに騒いでいる。
僕達は、人だかりをかき分けるようにして、店の扉の前にたどり着いた。女性が多いけど、何の集まりだろう?
そして扉を開けようとすると、突然、ケトラ様の雰囲気が変わった。明らかに警戒している。
「ケトラ様、どうしました?」
「招かれざる客が来てる!」
(ん? まだ開店準備できてないのに)




