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273、湖上の街ワタガシ 〜 リュックが仕切る

 リュックくんが斬った赤い悪魔と呼ばれる女性から、妙な霧が吹き出してきた。


 その霧は、生きているようだ。何かの思念のようなものが、近くにいた僕の頭の中に入り込んできた。

 霧は何か言っている。何かを信じるなと言っている。すべてを破壊しなければ、安住の地は得られないと言っている。


「おまえ、洗脳されてんじゃねーだろーな」


「え? なんか霧がしゃべってるけど…」


「ライトの闇の方が、残忍だから大丈夫だ」


(へ? 残忍って…)



 カースは、漂う霧に、何かの術をかけた。すると、断末魔のような叫び声が僕の頭の中に大きく響いた。


「あとは、ライトの中に逃げ込んだ本体を消せば完了だ。俺がやろうか? 自分でできる?」


「えーっと…」


 僕は、どうやれば排除できるのかと考えていたら、足元に闇が漏れてきた。そして深き闇が矢を放つかのように、僕の頭をめがけて、無数の黒い棒状のものが飛んできたんだ。


(うわっ! な、何?)


 その黒い棒状のものは、僕の頭を通り抜け、空中に浮かんでいた。そこには、さっきの霧が黒い棒状のものに串刺しにされたような状態で浮かんでいた。


「へぇ、そんなこともできるんだ。おもしれぇ」


「残忍だろ? おまえの闇、その霧を食ってるぜ」


「ん? 串刺しなだけじゃないの?」


「ご主人様には、エネルギーが見えねーからな」



 僕には、霧に棒状のものが突き刺さっているだけにしか見えない。でも、みるみるうちに霧が消えていった。


 そして、霧が完全になくなると、闇はスゥ〜っと僕の中に戻ってきた。



『強い呪いの霧は、おまえの深き闇の格好のエサってことか。さっき使って減った分以上に、闇の量が増えたみてーだぜ』


(えっ? 僕、大丈夫?)


『あぁ、もう一人の「ライト」のエサになったようだな。もう一人の「ライト」の闇が増えたから、闇のバランスがかなり安定しているよーだぜ』


(そっか、ライトの闇の方が回復が遅いもんね。ときどきエサを食べればいいのか)


『強い呪いじゃないと、エサにならねーだろーがな』


(ふぅん、そっか)



 倒れている彼女のまわりには、驚いて固まっている赤毛の女性達がいた。いったん殺して蘇生するという申し出を受けた彼女達は、まさか、呪いや洗脳を受けているとは思っていなかったのだろう。


「おい、そろそろ蘇生してやれば?」


「あ、そうだね。もう大丈夫かな」


「あぁ、彼女からはもう何の違和感も感じない」


 僕は倒れている女性にスッと手をいれ、蘇生を唱えた。


 見ていた女性達は、僕の蘇生方法に驚いたようだ。倒れていた女性が上体を起こしたことで、ホッと安心した表情を浮かべ、大丈夫かと駆け寄る人もいた。



「じゃあ、次は私で…」


「いや、もう必要ない。おまえ達からは、もう違和感は感じないから」


「え、そうですか?」


 赤毛の女性達は、みな表情がパッと明るくなった。張り詰めた糸が切れたように、へたり込む人もいた。


「強い呪いを受けていたようだ。一族の何人かが、それを受け継いでいたんじゃないか? 同族を喰わないと滅びるかのような強迫観念だろう」


「確かに…。彼女が斬られ、彼女から吹き出した霧が消えたあとは、頭が軽くなりました。悪魔族なのに、まさか、呪いを受けていたなんて恥ずかしいこと…」


「俺にも違和感しか感じなかった。普通の呪いならすぐにわかるんだけどな。だから、恥じることはない」


「はい、ありがとうございます」


(カース、なんだかカッコいい。羨ましい…)





 ようやく、広場の騒ぎも落ち着いた。野次馬達は、少しずつ散り始め、気づくと広場は通常どおりに戻っていた。


 ギルドミッションで、治安維持ミッションを受注している人達は、こういう騒ぎの後始末も仕事なのだろう。


 僕が赤毛の女性を蘇生したのをキッカケに、野次馬を解散させようと働きかけていたようだった。


 赤毛の女性達のことも、冒険者達が案内すると言って、どこかへ連れて行ってくれた。



「おまえ、ボーっとしてていいのかよ? 銅貨1枚ショップの開店準備は、もうできてるんじゃねーの?」


「えっ? まじ?」


「別に、バーの開店は、いつでもいいんじゃねぇの?」


「カース、でもバーがメインなんじゃねーの? ボランティア店だけ開店するって、どーなんだよ」


「あー、もう、大丈夫だから。銅貨1枚ショップの開店と合わせてバーも開店するよ」


「準備できてんの?」


「酒はある! 食器も揃ってるよ」


「調理用の道具や、おつまみの材料は?」


「あー……ないや。これから買ってくる!」


「はぁ、ほんと、世話がかかる…。イーシアの水で氷を作るとか言ってたけど、水は? 水を入れる器は?」


「わ、忘れてた…」


「それに、ケトラの服、買いに行くんじゃねーの?」


「行くよ」


「ケトラに店員教育は?」


「するよ」


「いつ?」


「うー……これからするよ」


「で、店はいつから開けるんだ? 銅貨1枚ショップはもう今夜からでも開店できるんじゃねーの?」


「へ? まじ?」


「あのお嬢さん、頑張ってるからな。開店を遅らせると、ヤル気も削ぐことになるぜ」


「あー、うーむ」


「はぁ、もう、ほんとに世話がかかる。カース、どっちやる? 水汲みか、買い出しか」


「水汲みは勘弁してくれ。買い物も何が必要かわからないんだけど…」


「ライトに聞けばいいだろーが。じゃあ、オレが水汲みな。アトラ貸せよ?」


「へ? なんで?」


「イーシアにオレだけで行ったら、精霊イーシアに排除されそーじゃねーか」


「あー、そうかも…」


「おまえは、ケトラの服を調達したら、すぐに開店準備に戻れよ」


「えっと…」


「のんびりしてる暇ねーぞ。虹色ガス灯は、緑色からもう次の色に変わりそうだぜ。もうすぐ夕方だ。バーは夜に開いてねーとおかしいだろーが」


「ほんとに今日、オープンするの?」


「だーかーらー、銅貨1枚ショップがさー」


「わ、わかったよ。がんばる」


「じゃあ、何色になったら開店するんだ?」


「えっと3時間ちょいごとに色が変わるよね? 水色から夕方だから、その次の青色かな? って、ちょっと待って。3時間? 無理じゃない?」


「飲み屋は、だいたい水色から開けてるけど、まぁ、バーなら青色でもいいか。水色になる頃には揃えておく。おまえの思考を読むぞ。気持ち悪いとか言うなよ」


「えっ!? あの、うぇー気持ち悪い…」


「時間ねーな。とりあえず解散だ」


 リュックくんが、解散を告げるとカースはスッと消えた。



 僕は、リュックくんとアトラ様達が待っている広場の片隅に移動した。ケトラ様は、僕の魔導ローブをぎゅっと握ったまま、うつむいていた。


「アトラ、時間ねーんだ。今夜から店、開店するから。おまえも手伝え」


「えっ? リュックくん、あたし、料理は…」


「料理じゃねーよ。氷の材料の調達だ。イーシアの水を使いたいみたいだから、水汲みに行くぞ」


「えっ? リュックくんが?」


「カースは、鍋とかおつまみの材料を買いにスーパーに行った。ライトがボーっとしてるから、手分けしてんだよ。オレだけだとイーシアの結界に引っかかるだろ? アトラ、案内しろよー」


「わ、わかった。急なんだね」


「銅貨1枚ショップの開店準備がもう整ってんだよ」


「あー、あれだけ人数いれば、そうだよね。同時に開店するんだ」


「あぁ、じゃないとおかしいだろー。一応、一つの店なんだからさ」


「確かに入り口は、一つだもんね。うん、わかった。ライトは?」


「僕は、あの…」


「ライトは、ケトラの服の調達と、開店準備だ。急げよ、時間ねーぞ」


「えっ?」


 ケトラ様が、自分の名が出たことで、やっと顔を上げた。その表情は、どんよりしていた。


「ケトラ様、聞いてのとおりです。急に今夜開店になっちゃって…。手伝ってくれるんですよね? 店のこと」


「うん、でも…」


「ケトラ、うじうじしてんじゃねーぞ。はよ行け! 時間ねーんだ。じゃあ、アトラ行くぞ」


「えっ、あ、うん。ライト、行ってくるねー」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 そう言うと、二人はスッと消えた。



「ケトラ様、じゃあ服屋に行きますよ〜」


「え……う、うん…」


「と言っても、僕、どこに服屋があるかわからないんですが…。ケトラ様はわかりますか?」


「うん、あっちのストリートが服屋がたくさんある」


「じゃあ、行きましょう」


「……うん」



 僕達は、服屋の並ぶ大通りへと移動した。ケトラ様は、ずっと、うつむいている。

 地下牢で会ったときのような、すさんだ目ではないが、元気はなく、どんよりしていた。


「ケトラ様、元気がないですね。何かありましたか」


 僕が問いかけると、彼女は何か言おうとしてやめたようだ。言いたくないことなら、無理に聞くわけにもいかないか。


「何かあったとしても、僕はケトラ様の味方ですからね」


「お兄さん……あたしのこと、どう思ってるの?」


「ん? 大切な妹だと思ってますよ」


「居ない方がいいんじゃないの」


(えっ? またうつ状態になってる?)


「どうしてそんなこと言うんですか」


「だって……あたしはダメだから」


「アトラ様がそう言ったんですか」


「お姉ちゃんは……言わないけど思ってるよ。あたしのことが邪魔なんだ」


「どうしてですか」


「だって、あたしが面倒なことばかり起こすって怒ってるし、お兄さんと一緒にいると嫌みたいなんだもん」


「ふふっ、なーんだ、そんなことでしたか」


「えっ! な、なにがおかしいの」


「ケトラ様、どうでもいい人が何をしているか、気になりますか?」


「ん? どうでもいい人? そんなの気にならないからどうでもいい人なんじゃないの?」


「でしょ? 怒るってことは大切だからですよ。邪魔な人ならそもそも関わらないし、何をしていても無視しますよ」


「うん……でも、お姉ちゃん嫌そうな顔をする…」


「もしかしたら、アトラ様は、ケトラ様に嫉妬しているのかもしれませんね」


「嫉妬?」


「はい、僕が妹と買い物をしたい願望があるって言ったからかもしれません。アトラ様は、僕の妹にはなれませんから」


「お姉ちゃんが嫉妬なんてするかな」


「僕も意外でしたけど…。誰かがアトラ様に、嫉妬かって言ってるのを聞いたことがあります」


「うそ」


「ホントです。あ、内緒ですよ?」


「そうなんだ。あたし、お姉ちゃんに勝ってるんだ。何かわからないけど、知らないうちに勝ってる」


「ふふっ、ケトラ様は、勝つのが好きですね」


「うん」


「絶対的にケトラ様が勝っていることがありますよ」


「えっ? 何?」


「子供っぽい愛くるしさですよ。やんちゃな顔も可愛いです。アトラ様にはどちらもありませんから」


「そうなの?」


「ええ、きっと店の仕事に慣れてきたら、お客さんにも同じことを言われると思いますよ」


「子供っぽいのはダメじゃないの?」


「ダメじゃないですよ」


「じゃあ、お兄さん、あたしと結婚する?」


「えっ!?」


(な、なぜそうなる?)



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