116、トリガの里 〜 暴走の代償
(ここ、どこだっけ?)
僕が目覚めると、そこは見覚えのない部屋だった。どこかの宿? にしては、生活感があるというか、どこかの民家のような雰囲気だ。
窓際に置かれたベッドの上で、僕は寝かされていたようだ。窓から見えるのは、澄んだ青い空だった。
僕は、とりあえず、水を飲みたいと思ったが、身体が異常にダル重い。背中も痛いし、なんだか身体が固まってしまったかのような…。
そこで僕は、ハッとした。また死んで、転生してしまったんじゃ…。
僕が名もなき集落に転生したときも、身体が固まってしまったような、すんごいダル重さがあったことを思い出した。
今は、あのときよりも、さらに体調が悪い。意識がハッキリしてくるにつれ、頭は割れそうに痛くなり、吐き気とめまいも、これ以上ないほどひどくなってきた。
僕は起き上がろうとしたが、あまりの気分の悪さに挫折した。このまま、また死ぬんじゃないかな…。いや、もしかしたら転生の途中? 目覚めが早すぎた? なら、もう一度眠ろうと思った。
(ダメだ、頭が痛すぎて眠れない…)
ガチャッ、ギィ〜
部屋の扉が開いたようだ。だが僕は、体調が悪すぎて、それを確認する気にもなれなかった。
何かが僕のそばに寄ってきた。ん? 何? なにかが吹きつけられたような気がして、うっすらと目を開けた。
キラキラしたものが僕の顔に降り注いでいる。すると、吐き気やめまいは、ほんの少しだけ緩和された。
魔法? また剣と魔法の世界に転生したのかな?
僕は、動かしたくない頭を、なんとか動かした。うぅ〜、めまいが……頭痛が……。あまりの気分の悪さに目をぎゅっと閉じて、少しおさまるのを待った。
そして、目を開くと目の前に、お気楽そうなゴムボールがあった。ん? 生首? あれ? 死んでないの? 僕…?
僕が、生首に気づいたのがわかると、奴はヘラヘラし始めた。相変わらず、お気楽だよね。ん? 相変わらず? そうだ、僕は……どうしたんだっけ?
「目が覚めた? ライト」
(この声は、もしかしたら…)
「女神様のおっしゃった通り、ほんとに今日、目覚めたわね。ふふっ、よかった」
僕は、返事をしようとしたが、話すことができなかった。あれ? 声が出ない。一体、どうしちゃったんだろう。
「ライトが目覚めたら、これを飲ませるようにって言われてたんだけど、飲めるかな?」
声の主は、僕のすぐそばまで、その何かを持ってきたようだ。僕は、必死にその声の主の方を向いた。
そして、クチパクで、その名を呼んだ。
(アトラ、さ、ま)
「ふふっ、はーい。ちゃんと、ここに居るから安心するんだよ?」
(はい)
「少し頭を起こすよ? 」
僕は、アトラ様に、抱きかかえられるような形で、上体を起こした。
頭痛とめまいと吐き気に加えて、身体がバラバラに砕けているんじゃないかと思うくらい、あちこちが強烈に痛かった。
アトラ様は、僕が不調すぎることも、わかっているようだった。
そして、彼女に、女神様から託されたという小瓶を飲ませてもらった。
おそらく何かの薬なんだと思うが、今の僕には味覚もないようだった。ただ、強い吐き気で飲み込むのが大変だった。
そして、僕が無事に小瓶を飲んだのを確認して、アトラ様は、僕を再びベッドに寝かせてくれた。
アトラ様の方を見ると、僕が聞きたいことがわかっているようだった。
「ふふっ、ここはどこだ? って思ってるかな?」
頷くのもツライ。頭が割れる…。
「無理に動かなくていいよ。ライトが思ってることは、天使ちゃんが教えてくれるから」
(えっ? 天使ちゃん?)
「あ、そこも知らなかったかぁ。ライトの配下の子達、いま、冒険者や玉湯を利用する人達に、天使ちゃんって呼ばれてるよ」
(なんで?)
「ふふっ、ライトがこの子達を使って、迷宮から遭難者を救出したでしょ? あの時の様子が、本物の天使かと思ったって言う人が、そう呼び始めたみたいだよ」
あ、そう言えば、天使の次は神が現れたとか言われたっけ? 僕は、迷宮に救出に行ったときに、遭難者から言われた言葉を思い出した。
「特に玉湯でね、気が向いたら治癒の息で、湯治に来た人の病状を緩和したりしてるみたいだよ」
(玉湯の火山が、コイツらのすみかだし)
「ふふっ、そうね。ロバタージュにも居るみたいだけど」
(そうなんだ。あの、ここは?)
「ここは、あたしの家だよー」
(えっ? 僕は、イーシアにいるの?)
「イーシアじゃないよ。イーシアと隣接してる、トリガの里っていうとこだよ。守護獣の里なんだ」
(え! アトラ様、イーシアを離れてもいいんですか?)
「いまは代わりの子達が、イーシアの森を巡回してるよ。守護獣見習いの子供達だけどねー」
(そうなんだ)
「普段から守護獣見習いの子が、イーシアの巡回してるんだけど、何かあると、あたしが呼ばれるんだよー」
(そういう仕組みなんですね)
「うん、里に隣接しているから、訓練地として使いやすいみたいだよ。あたしは大変だけど」
(えっ、ここにいて大丈夫なんですか?)
「うん、大丈夫。今はね、担当を持たない長老達が、はりきってるから」
(ん? 長老って、エライ人なんじゃ…)
「ふふっ、イロハカルティア様がね、たまには爺や婆も働くのじゃ! って、おっしゃって」
(あー、女神様…。相変わらずのむちゃぶり)
「でも、そのおかげで、あたしは里でライトのお世話できてるから」
(す、すみません。でも、僕は、一体なんでこんなことに?)
コンコン、ギィ〜
「アトラ、お客さんだけど、どうする?」
「あ、すぐ行きます。ライト、話の続きは、またね」
(はい)
そう言い残して、アトラ様は、呼びに来た人と共にどこかへ行ってしまった。
僕は、ひとりぼっちに……じゃないか。
いつの間にか増えてるよ、生首達。ふわふわ、ヘラヘラと、お気楽そうに漂っている。あ! 族長さんは無事だったんだろうか。
アトラ様と話したからか、さっき飲んだ薬が効いてきたのか、ほんの少しだけマシになってきたような気がする。僕は、また、眠りに落ちていった。
「ライトさんの具合は、どうっすか?」
「うん、さっきね〜、目を覚ましたから、預かってた薬を飲ませたよ」
「あれ、鼻曲がりそうに臭いっすよね」
「正直、あたし、ニオイで、涙目になったよー」
「それをライトさんは、飲んだんっすね、根性あるっす」
「あはは。たぶん、ライトは、味覚も臭覚もないんだと思うよ。でも、ほんと、消滅しなくてよかった」
「俺が呼ばれたとき、やばかったっすからね」
「あたしも、天使ちゃんから聞いてたから……ちょっと覚悟したよ」
アトラを訪ねてきた客人は、女神の番犬のひとり、ジャックだった。
ジャックは、ライトに呪詛の除去をしてもらってから、ずっとライトと親しくしていた。
ライトが、暴走後に倒れてから、そろそろひと月になる。女神イロハカルティアの判断で、アトラに預けられたのは、暴走の翌日だった。
それからずっと、ジャックが、女神とこの里の連絡係をしている。
「ライトの様子、見ていくでしょ?」
「俺、お邪魔じゃないっすか?」
「ふふっ、いま、また眠ってるって、天使ちゃんが言ってるよ」
「また眠ってしまったんすか」
「まだ、声も出せないし、体調すごく悪いみたい。身体もあちこち痛そうだよ」
「よかったっす。痛いということは治ってきてるっす」
「うん、そうだね」
二人が、部屋の中へと入っていくと、部屋の中には驚くほど大量のワープワームが居た。部屋中、隙間がないほどひしめき合って、一定の高さで漂っている。
「うわぁ! こんだけいると……ライトさん、キモいって言いそうっすね」
「ほんとに、ちょっと入れないよー」
アトラが入れないと言うと、ワープワーム達は、スーッと天井近くまで舞い上がった。
「天井が、白赤黒のマダラ模様になったっす」
「はぁ、どこからこんなに来たのよー。この里、そう簡単に入って来れないはずなんだけどな」
ジャックは、窓際のライトのベッドへと近づいた。そして、ライトの様子を丁寧に『見て』いった。
「数日前と比べたら、随分、回復したみたいっす。クサイ薬が効いてるんすね」
「どういう状態になってる?」
「うーん、魔力自体は戻ってるみたいっすね。闇も今はおとなしいみたいっす。あとは体力っすね」
「そっか」
「それが一番大変っす。魔力循環もまだできない感じっす」
「まだ、魔法はかけちゃダメか」
「こんな不安定な状態だと、ライトさんのもうひとつの闇が、下手すると回復魔法で浄化されちゃいますからね」
「弱い魔法でも?」
「ダメっすよ。もし、もうひとつの闇が浄化されたら、バランスが崩れて、ライトさんは自分の闇にのまれて消滅するっす」
「うん、わかってる」
「でも、よくここまで治ったっすよね。愛の力っすね」
「な、なぁに? それー」
「はぁ、俺も彼女ほしいっす」
「ふふっ」
「イロハカルティア様、お呼びですか?」
「うむ。お呼びなのじゃ、ライトが目を覚ましたのじゃ」
「えっ……はぁ」
「なんじゃ? その残念そうな顔は」
「いえ、別に。で、なんですか?」
「クリアポーションの運搬じゃ。ライトから受け取って、警備隊に届けるのじゃ」
「は? なんで、そんな使い走りを俺が?」
「おぬしは一番新人じゃ。当たり前のことじゃ」
「でも、そんなこと、警備隊が取りに行けばいいだけじゃないですか」
「それが出来ないところに居るのじゃ」
「ということは、魔族の国ですか?」
「いや、守護獣の里じゃ。人族も魔族も、立ち入れぬ」
「えっ! そんな里があるのですか」
「あるのじゃ。地上で一番マナの濃い場所じゃ。治療には最適な場所なのじゃ」
「治療? 回復魔法で……あ! 闇の暴走?」
「うむ。アダンも、暴走すれば世話になるかもしれぬから、きちんと挨拶しておくのじゃ」
「俺は、暴走しませんよ。きちんと制御できている」
「ライトよりは、安定しておるじゃろが、他の闇の干渉を受けても闇竜は平気なのか?」
「いや、それは……暗黒神レベルに干渉されたら無理ですよ」
「ライトは、他の闇からの干渉は受けぬぞ」
「その代わり、勝手に暴走して、死にかけているじゃないですか。死ぬじゃないな、消滅か」
「まぁ、どっちもどっちなのじゃ。ってことで、行ってくるのじゃ」
「場所、知りませんけど…」
「妾が運んでやるのじゃ、安心せい」
「ええっ? いや、あの、げっ…」
そして、ライトの後輩、闇竜のアダンは、無理矢理、女神のおつかいに出されたのだった。