第九話 ほんとうのものがたり
それは、突然やってきた。
「なんだ、あれ?! でかすぎるだろ!!」
京ちゃんの切迫した声が、横から聞こえてくる。
私は、声をあげることすらできなかった。
秋らしくない強い日差しが、一瞬にして遮られる。
マヨイモノという化けものを知ってからと言うもの、自分の目を疑ったことは少なくない。
巨大な牙をもったライオンに、歪に見える爪を携えた熊——その生物たちは、一匹たりとも常識で理解出来るものではなかった。
だからもう、なにが来ても驚かない。そんな不思議な自信が芽生え始めていた時だ。
それでも今、空を泰然と漂う『それ』を、現実のものだと認識するには、少し時間がかかった。
『どんどこ』の規則的で、変わらない音が、なぜか妙に心を落着かせる。
雪ちゃんの誕生日から一晩。
いつもの通学路を、いつも通り一人で歩いている時だった。
どん どん どん どん どん どん—————
「えぇ~朝から~??」
珍しくテスト勉強やったのに・・・・
多少の不満が顔にでる。そこで、パチンと頬を張って頭を切り替える。
「しっかりしなきゃね。やられたら、終わっちゃうんだから」
ポケットからケータイを取り出し、昨日の写真を画面に映す。
「いや~何回みてもおかしな顔だよね。これが終わったら、もう一回雪ちゃんと京ちゃんと写真とろう!」
二人とも写真が嫌いらしくて、って別に私も好きな訳じゃ無いけど。
それでも、やっぱり思い出は形にして残したい。
こんな世界を生きるからこそ——
「よし! ちゃっっちゃと終わらせて、二人とコスプレ写真とろっと!!」
決意あらたに。白い光が私を包み込む。
徐々に平衡感覚がなくなっていく————
「京ちゃん、おはよ!!」
親の敵の様に、小さな扉をにらみつけている京ちゃんに、手を振りながら近づいて行く。
「ああ、おはよ。ってなんでそんなテンション高いんだ?」
バカにするような、心配するような、どっちにもとれる表情で問いかけてくる。
「え~?? なんでもないよ~」
さっき固めた決意を、今伝える訳にはいかない。
だって、普通に頼んでも、絶対嫌だっ! って言うから。
「そっか・・・・ほんと、お前は強いよな」
「・・・・・・??」
いつもの強気で、勝ち気な京ちゃんじゃない。
変身するための結晶を握る手が震えている。
どん どん どん どん どん どん————
「京ちゃん?」
自虐気味に痛々しい笑みを作ると京ちゃんが口を開く。弱々しい声音で。
「情けないよな。真実を知って、最初はマヨイモノ、許せねえって思ったんだ。絶対に倒してやるって。それと同時に恐怖もあったんだ。怖くないわけ、無いよな?」
京ちゃんが同調を求めてくる。
私は大きく頷き、
「うん。怖いよ、すっごく怖い」
殺意だけが、広い空間で、でも常に向けられている世界。
一瞬の判断が、命に直結する。
怖くないわけ、ない。
「だよな。でも、世界がかかっていることを知って、守りたいって思ったのも事実だ。怖いけど、世界を守れるならって。でも、本当に死にかけて・・・・」
そこで京ちゃんの言葉が止まる。
どん どん どん どん どん どん—————
前回の闘い。
スカンク型のマヨイモノが放った攻撃が、京ちゃんを直撃した。
なんとか防御が間に合ったことで大事には繋がらなかった。
それでも、一歩間違っていれば。
「死んでいたんだ。それで心に身につけたメッキは簡単にはがれたよ」
なにが言いたいのか、なんとなくわかる。
そして、それは絶対に言わせてはならないんだということも。
「京ちゃん、それ以上は・・・・」
言ったらダメだ。そう言おうとして、京ちゃんの視線に封じられる。
どん どん どん どん どん どん————
「世界なんてどうでもいい。自分さえ生きてれば。あの戦闘以来、そんな感情が俺の心を占めた。怖い。死にたくない。・・・・例え世界が滅んだとしても、こんな思いをするくらいなら。なんで俺が命をかけなきゃいけない? 俺が、何をしたってんだよ!!」
語気を荒らげ、心の叫びの強さを、音にして表す。
どん どん どん どん どん どん————
「京ちゃん・・・・」
慰めの言葉が見つからない。
いや、慰められない。だって自分も、そう思ったことがあったから。
結局人って、自分中心なんだ。自分が怖い思いをするくらいなら、世界なんて滅びればいいって。そう思うのが、たぶん普通だ。
「それでも・・・・私達は、選ばれた英雄なんだよ。この世界を守る、義務がある」
「知らない。あんな怖い思いしたくない。・・・・世界なんて、どうなってもいいんだ」
「そんなの、許されないよ。例え命をなげうってでも、世界を守らないといけないんだ」
「どうせ世界は、いずれ死ぬのに・・・・か?」
どん どん どん どん どん どん————
ふっと言葉に込められた力が弱まる。
「な、どう・・・・いうこと??」
「こんな閉鎖された空間で、敵は無限にわき出てくる。こっちは守ることしか出来なくて、その上闘えるのは選ばれた新世代だけ。数は有限だ。放っておいても世界は死に向かう。そんな世界、守る必要あるのかよ?!」
こんなとこで言い合ってる場合でも、言いあう事に、意味が無いことも分かっている。
でも、京ちゃんの真っ直ぐな言葉からは、なぜか逃げる事ができなかった。
「なあ、大和。知ってたか??」
突然声音が優しくなる。
「な、にを・・・・?」
「その腕の怪我、全く塞がらないだろう?」
京ちゃんが私の右腕の、肘辺りを指さす。
初めての戦闘で、マヨイモノの表皮にかすり、擦り傷になっている所だ。
「うん・・・・」
あれから二ヶ月近く経つが、傷は今も赤く煌々としている。
「それな、一生治らないぜ」
「え・・・・?」
治らない? こんななんてこと無いかすり傷が??
「マヨイモノに受けたダメージは、体に永遠と刻み込まれる。人間の力では治癒できない」
「そんなこと! ・・・・」
「あるわけ無い、とは言えないよな。俺も、ずっと気になってたんだ。最初の戦闘で受けた傷が、全く塞がっていないこと。火傷とは言え、軽度なモノにもかかわらず、熱がとれないこと。どれも普通なら二週間もあれば治る。でも、この傷は全く治らない。それで、先生に聞いてみたんだよ」
スカンク型のマヨイモノと戦闘をした翌日の放課後。教材を重そうに運んでいた先生を呼び止める。
先生は、何かを察して、指導室に来るよう促した。
「なあ、先生。この傷、この間の戦闘で出来たんだけど、全然治らなくって・・・・って先生? どしたん?」
険しい顔で、京の傷を見つめている。
「この傷は、どうやって出来たんですか?」
温度のない、冷たい声で聞かれる。
不穏な空気を感じた京は、少し空元気を回して答える。
「あいつの牙がちょっとかすっちゃって。でも、ただのかすり傷だろ? それが塞がりもしないなんてさ、おかしいよな」
しかし、そんな工夫もむなしく、先生は大きなため息を吐くと視線を床へと落とす。
「せん・・・・せい??」
「神巫さん。落着いて聞いてくださいね。・・・・その傷は、二度と塞がりません」
肩を抱かれ、さっきとは一転、穏やかで、その声には温もりが混ざっていた。
「ふさ・・・・がらない・・・・? なにを言ってんのさ、ただのかすり傷だぜ?」
うす暗い指導室の中、京の体が小刻みに震えている。
「・・・・マヨイモノとの戦闘で受けた傷は、人間自身が直すことは出来ない。神様の力によってしか、治すことは出来ないの」
「そ、そんな!! じゃ、じゃあ! 治してくれってお願いすれば・・・・」
「無理よ。結界の中が、戦闘によって破壊されても、次の戦闘時には元通りになっていることは、分かっていますよね?」
「あ、ああ。でも、それとこれは・・・・!!」
「神様の理なのです。結界が破られれば治す。海が穢されれば清める。山が荒らされれば直す。だが、人間の損傷は治さない。ずっと、古くは多々良様の時代から続く理なのです」
「そんな・・・・なんで・・・・なんで!!」
そう叫んで詰め寄ろうとする京を、視線で御す。
また、冷酷な表情が垣間見える。
「それが、神様の道理なのですよ」
先生は、同じ内容の言葉を繰り返す。
「ただし、神様は、治癒を行わないかわりに、『反力』と呼ばれる力を英雄たちに与えました」
「はん・・りょく・・・・?」
「ええ。攻撃を受ければ受けるほど、傷を負えば負うほど、体内に宿る新世代因子が強固となる。そして、圧倒的な力を手に入れる事となるのです」
「意味が・・・・わからない」
傷は治さないけど、強くはしてやる?
傷は治癒されないけど、力は授ける?
「そんなのって・・・・」
英雄
新世代
多々良
神
反力
マヨイモノ
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・
そんな単語だけが、頭の中をグルグルと駆け回る。
「そして『新』は、その『反力』に着目し、身体能力を引き上げるだけでなく、それに応じた装備の顕現を・・・・」
・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
先生が一生懸命話しているが、それは意味をなさないノイズにしかならない。
こんなことを隠していた『新』も。
わかっていて、なお闘わせようとする先生も。
英雄という役割に持っていた誇りが、熱が、ろうそくの火の様に、簡単に吹き消えた。
もう、嫌だ。
「だから、もう・・・・闘いたくない」
あまりの事実に、頭がついていかない。
神? 理? 『反力』?
「何をいってるの・・・・かな・・? 私、バカだから、よく・・・・よく・・わかんないよ!!」
この場から、逃げてしまいたい気持ちになる。
漠然と感じていた恐怖が、ハッキリと形をなしたようで。
でも、脚が動かない。
そんな話を聞かされた直後だというのに、
心はもう、背を向けて逃げ出したいと、声高に主張しているのに。
なのに、体は意に反し、地上へと向かう小さな扉に向いている。
なお恐怖よりも、世界を守りたいという心が勝ったのだろうか・・・・
自分でも、よく分からない。
それでも一つ言えるのは、雪ちゃんを守るためには、3人でコスプレ写真を撮るためには、闘わないといけないという事だけ。
そんな私の様子を見ていた京ちゃんは、自嘲気味に笑うと、
「ほんとに、なんでお前はそんなに強いんだろうな・・・・俺だって、立ち直るのに少し時間かかったってのに」
「うん・・・・って、え?!」
「な、なんで驚く??」
「え、だって、すっごいセンチメンタルな感じだったから、今から慰めたりしないといけないのかな・・・・って」
「うん、なんでちょっと面倒くさそうなの?」
納得いかない、と口を尖らせる京。
「そりゃ、完全に立ち直った訳じゃ無いし、なんかモヤモヤしてる所はいっぱいあるよ。でも・・・・昨日誕生日会をして、思ったんだ。別に、世界なんか守らなくてもいい。・・・・こいつらさえ、守れれば・・・・って。そしたら、なんか怖いとか、どっか飛んでった!」
そういってはにかむ京の笑顔には、迷いや恐怖の感情は、一切見て取れなかった。
「でもさ、いざ闘いが始まるってなったら、やっぱりちょっと怖くって。それで、少し弱音吐いちゃった」
「そうだったんだ」
初めてかも知れない。京ちゃんが弱音を吐いているのを聞いたのは。
京ちゃんは、なんだかんだ言いながら、ひょうひょうと何でもこなしちゃうから。
「ごめん、大和。闘いの前に、余計なこと言って。でも、これでもう迷ったりしない!」
真っ直ぐに、暗く、小さい本殿の中で胸をはる。
「やっぱり京ちゃんは、格好いいよ」
「な、いきなりなんだよ・・・・それより、大丈夫か・・・・??」
神妙そうな顔になって、私の顔をのぞき込む京ちゃん。
「大丈夫って、何が??」
「何がって・・・・」
さっと京ちゃんの顔が曇ったのが分かる。
いじわる、しちゃったかな?
大丈夫じゃ無い。
闘いたくない。
怖い。
逃げたい。
のどまで出かかった弱気を、つばと一緒に飲み下す。
「大丈夫だよ。だって、怪我しなきゃ、良いんでしょ?」
笑顔と一緒に強気な言葉で心を奮い立たせる。
どのみち、やられる訳にはいかないんだ。
・・・・
「ていうか、京ちゃんがあんなこと言うとは、驚きだな~」
すると、京ちゃんは、ボッと顔を赤くして、
「う、うるさい!! 忘れろよ!!」
テンプレな反応を返してくる。
「こいつらさえ、守れれば・・・・って」
「お前、マジで覚えとけよ??」
「いや、ほんとごめんなさい。調子のりました。ほんとすんません」
「とにかく、そう思ったもんは、思ったんだよ。文句あっか!」
「ううん。嬉しかったよ。これからも、よろしくね」
そっと、背中を向けている京ちゃんに抱きつく。
「や、やめろ! うっとうしい!!」
「とかいいつつ、全然引き剥がそうとしないんだから~」
「う、うっさい!」
「ごめんって~・・・・さあ、そろそろ、行こっか」
なんだかんだで、ここに来てから結構な時間が経ってしまっている。
マヨイモノの進撃も始まっているかもしれない。
「ああ」
京ちゃんの短い返事が聞こえる。
右手に持った結晶に、闘う意志を込める。
瞬間、先ほどの様に、世界が眩く光り、平衡感覚が失われる。
光がおさまり、目を開けると、そこはもう四度目、見慣れた景色が広がっている。
「本当は何度も見てる景色だってんだから、驚きだよな」
横には、真っ赤な西洋式の鎧に身を包んだ京ちゃんの姿がある。
「うん。ここが、オリジナルの神村街なんだよね」
木々が生い茂り、所々は絶壁に。
険しい山々と、穏やかで壮大な海とのコントラストに心が揺さぶられる。
生まれ故郷ながら、なんて美しい風景だろうか。
「化けものに、壊させてたまるか!」
「いや、わりと毎回ぶっ壊されてねえ?」
「そこは空気読んでよ、京ちゃん」
「え?」
ほんとに、この人は・・・・
神様が毎回治癒してくれているというのには、薄々気づいていた。
だって、毎度毎度抉られたはずの木や、削られた崖が、次の戦闘にはまるで差し替えられた様に、綺麗さっぱりしているのだから。
あれだけの戦闘の痕跡を、「なかったこと」にするなんて、さすがに人間の力とは、思えない。
その代償が私達の治療だとは思わなかったけど・・・・
とにかく、闘うしかないんだ。
一度目を瞑り、弱い私を心の外に追い出す。
ふっーっと息を吐き、崖下、小さく見える、黒い鳥居を見据える。
必ず、生きる。