第二話 乃木雪と、神巫京のものがたり
放課後。二人がけの長机に、パイプ椅子を強引に置いて、三人で座る。
「こんなに狭かったんだ・・・空気、重くない? 窓もないのね」
左隣にすわる雪ちゃんがぼやく。
「そりゃこんな狭い部屋に、三人も居たらそうなるだろ」
右隣の京は、机に肘をついている。
「しょうがないよ~そういう部屋なんだから」
拷問部屋のような、狭い部屋。そう、今私たちが居るのは、生徒指導室。その名の通り、生徒を指導するための教室だ。
「反省文なんて、初めて書くわ」
「私も~何を書けばいいんだろう?」
雪と二人でため息を吐く。それでも、なんとか書き進める。
生徒指導室も初めてなら、反省文だって初めての経験だ。
そんな私たちとは対照的に、京ちゃんはスラスラと書き進めている。
「お前ら、反省文書いたことないのか・・・? そんな人類が存在するなんて・・・!!」
私たちの顔を見ながら驚愕とする京ちゃん。
「いやいや、書いたことのある人の方が少ないんじゃ無いかな~?」
「ええ、やまとちゃんに同意ね。そうとうのバカじゃない限り、反省文なんて書かないわ」
「また雪ちゃんはそうやって・・・・」
普段なら、雪ちゃんの挑発にのって、暴れ始めるはず。でも、今の京ちゃんは、なぜか不敵に笑みを浮かべるだけで、反論の一つも言ってこない。
「どうしたの、京ちゃん? バカにされてることにも気づいて無いの??」
「おい大和、お前が一番バカにしてねーか?」
「やまとちゃんって、たまに素で、ぶっ込むわよね」
二人から、非難ともとれる眼差しを向けられる。
「ええ~?? そんなつもりじゃ・・・」
なんで京ちゃん怒ってるんだろう?
「ったく。まあ、そこのキャワふわバカは後でお仕置きするとして」
「ええ?! それ私のこと?? あんまりだよ!!」
そもそも、キャワってなに?!
そんな私のリアクションも無視して、話を続ける。
「この場で、反省文を書いたことがあるのは、誰だ?」
「あなただけでしょ」
さぞつまらなそうに、それでも律儀に質問に答えを返す雪ちゃん。
「ああ、そうだ。この俺様だけだ。そうだろう?」
「ええ、そうよ。ねえ、だから、何が言いたい・・・・」
回りくどい京ちゃんの言い回しに、さすがに雪ちゃんが怒りかけて、何かに気づく。
「ど、どうしたの? 雪ちゃん?」
これでもか、というほどに目は見開かれ、京ちゃんを捉えて離さない。
「大和、まだ分からないか?」
「そんな、アホの子を見るみたいな目で見ないで!」
ちょっと悩んでるだけで、分からないとか、そんなわけじゃあ!
「よし、もう一つヒントをやろう」
京ちゃんは、からかうように、ニッと口角を上げて、悪な顔になる。
「俺が、礼拝を無視したことで反省文を書かされたのは、三回目だ」
「ま、まさか・・・・!!」
「そうだ。俺様は、反省文の書き方を熟知している。つまり、この窮地を抜け出す方法も知っているって訳だ」
ドヤ顔でそう言い切る。
「な、なんか、京ちゃんがまぶしい・・・・!!」
「だろだろ? しょうがないから、反省文の書き方をレクチャーしてやんよ」
「やった~!」
これで窮地を乗り越えられる! そう思ったのも、つかの間。
「そんなの許されるわけ無いでしょ。反省文とは自分の言葉で、自らの罪を懺悔し、言として残すことで、より一層精進する、という決意を表すものよ。他人にレクチャーされてかくものでは・・・・」
「どれどれ、ちょっと見せてみろ」
「ええ~まだ終わってないよ~」
「あんた達ね! まだ喋ってる途中でしょうが!」
「え? 雪ちゃん何か言った?? ごめんごめん、聞いてなかったよ~」
雪ちゃんの顔を覗く。
「えっと、阿修羅さま・・・・?」
「だれが阿修羅か!!」
「ご、ごめん!!」
あまりにも怖い顔をしていたから。
機嫌もさらに悪くなってしまった。
「いいわ、雪、とりあえずあなたの反省文、読ませて見なさい。やまとちゃんにレクチャーする力が、あなたにあるのか、見極めてあげる」
「小姑か、お前は。まあ、いいぜ、読ませてやるよ」
二人とも、口元は笑っているが、目は全く笑っていない。空気が張り詰めていく。
京ちゃんが、反省文を片手で押しつけるように渡す。
反省文を受け取ると、すかさず目を落として読み始める。
「こ、これは・・・・」
ざっと一ページ目を読んだ雪ちゃんが、目を見開いて驚く。
反省文を持つ手が震えている。
「雪ちゃん? どうしたの・・・? そんなにすごい文だったの??」
反省文を持つ手に、さらに力が入る。
「・・・・・」
「雪ちゃん??」
今にも、反省文がちぎれてしまいそうだ。
「・・・」
「お~い?? 原稿用紙に罪はないぞ~?」
と、何度か呼びかけ、やっと反応を示す雪ちゃん。
「反省文とは、こうやって書くのね・・・わかりやすかったわ」
「だろ~? 何枚書いたと思ってんだ。もう、プロの領域だかんな」
「ええ、さすが京ね」
いつになく京ちゃんを褒め称える。なにか違和を感じる。
そんなものには全く気づかない京ちゃんは、勝ち誇った顔をしている。
「ええ、初めての経験よ。・・・ごめんなさいの六文字で埋め尽くされた、原稿用紙を見るのはね!! ごめんなさい、がゲシュタルト崩壊するかと思ったわよ!!!」
雪ちゃんが吠える。
「しかも、次のページは、すみません。次はソーリー、って、教師バカにしてんのか!!」
「いやいや、そこは俺も迷ったよ? でも、ソーリーって綴り分からなくて・・・・だから、間違えるよりもカタカナのが良いかなって」
もじもじと恥ずかしそうに秘話を語る京ちゃん。
「そんなこと、どうでもいい!! こんなの、反省文として認められる分けがないでしょ!」
思いっきりだめ出しをする、反省文未経験者の雪ちゃん。
それに対し、幾度となくこの苦境を乗り越えてきた、京ちゃんは言う。
「反省の形は人それぞれさ。私の場合、その形が、原稿用紙を埋め尽くすほどのごめんなさい、だったってだけだ」
いたって安らかに、穏やかに持論を展開する。
それでも雪ちゃんの怒りは収まりそうにない。
それどころか、みるみる顔が赤くなっていく。
「なんて屁理屈を・・・! とにかく、文にすらなっていないのに、認められるはずが無いのよ! そうよね? やまとちゃん」
え? ここでふる?
「待って。その子猫みたいな、ビクって反応はなに?」
「え、い、いや、何でもないよ~?」
「あやしい」
ジト目で睨んでくる雪ちゃん。
まずい。この状況で、私の反省文を見せたりしたら・・・・
「ちょっと、やまとちゃんも反省文見せてみなさい」
「いやです」
絶対見せられない。
「なんで?」
優しく、笑顔を浮かべているが、追求はいっこうに弱まらない。
「なんでもだよ。ほ、ほら! さっき雪ちゃん、反省文はレクチャーされるものじゃ無いって・・・・あっ!」
「やかましい! 見せなさい!」
机の下に隠した反省文を強引に奪っていく。
「ああ・・・・」
「どれど・・・・ってあんたもか! ごめんなさい、がゲシュタルト崩壊している!!」
「ち、違うよ! 私のは、ごめんなさいじゃなくて、ごめんなさい。だから!」
「やかましいわ!!」
雪ちゃんの咆哮が部屋中に轟いたとき、外から先生の声が聞こえてくる。
「やかましいのはあなたです!! 乃木さん!!」
ガチャっという音と共に、厚底のぼってりとした眼鏡をかけた、女の人が入ってくる。
「おとなしく反省文を書いていなさいと言いましたよね?!」
「は、はい・・・・すみません。でも・・・・」
雪ちゃんは、納得いかない様子で先生につっかかろうとするが、
「でも、ではありません。反省文は終わったのですか?!」
「「は~い」」
私と京ちゃんは、その先生の質問に、元気に答え、原稿を持って、ドアの前に立つ先生のところへ移動する。
「待って、あれで終わったって言えるの?!」
雪ちゃんは、なんだか驚いているようだが。
「東雲さん、神巫さん。原稿用紙は?」
「あ、これです」
「はい、先生」
私たちは、魂のこもった玉稿を手渡す。
「なんで、神巫さんの原稿は、こんなにもボロボロなのですか・・・?」
先生が、雪ちゃんに、ボロボロにされた原稿を見て、不思議そうにこぼす。
「魂込めたからです!!」
「・・・・???」
要領を得ない回答に、先生も困惑してるけど。
「ま、まあ良いでしょう。・・・ふむ、東雲さんも、神巫さんもよくかけていますね。合格です」
やった! 頑張ったかいがあったな~
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
試練を乗り越えた充実感に浸る私たちの前で、雪ちゃんが何かを必死に訴えている。
「あれで合格ですか?! 納得いきません!! あんなの、落書きと同レベルですよ!」
「そんなことはありません。ストレートな反省の意が伝わってきます」
「そりゃそうですよね!? だってストレートな謝罪の言葉を連射してるだけなんですから!!」
むっ、確かに、文章を書く力は高くない。それでも全力は尽くしたのだから、あそこまで言われる筋合いはない。
「ちょっと、雪ちゃん! その言い方はひどくない??」
「ひどくないわ。むしろ抑えている方なのだけれど?」
ここまでの敵意を雪に向けられるのは、初めてだ。
少し、怖い。
視線がぶつかりあう。めちゃめちゃ高圧的だ。
「なあなあ雪さんよ~そこまで言うなら、あんたの反省文は、さぞすごい物なんだろうよ?」
先生とのやりとりを見ていた京ちゃんが、挑発するように言い放つ。
「そ、そうだよ! 読ませてよ!!」
「あんた達ねぇ、反省文は人に見せるものじゃ・・・」
先生が何かを言っていたようだが、誰一人聞いていない。
「い、いいわよ。私の完璧な反省文、読ませてあげるわ」
最初は乗り気では無かったのか、少し迷ったようだが、結局は見せてくれるらしい。
雪ちゃんから反省文を渡される。
ふむふむ。あれだけの口を叩くだけあって、確かに私達の文よりはすごいのだろう、ということは、伝わってくる。けど・・・
「なあ、言葉が難しすぎて意味が分かんねーよ」
隣で覗きこむようにして、一緒に読んでいた京ちゃんが、私の感想を代弁する。
「この、れんしゃ? とか、なにそつ? とか、初めて聞いたんだけど」
「れんしゃ、じゃなくて、ちんしゃよ。要するに、詫びの言葉を伴った謝罪のこと。反省文なんだから、謝罪よりは陳謝の方が適すでしょ」
「ほえ~雪はやっぱ、頭いいんだな」
京ちゃんが、素直に賞賛を口にする。
それに対して雪ちゃんは、
「当たり前でしょ?! あなたと一緒にしないでくださる?」
こんなリアクションをしてしまう。
これじゃあ・・・・
「ああ?! なんだと!!」
やっぱり・・・・まったくもう・・・・
「またまた、雪ちゃん一言余計だよ。京ちゃんも、照れ隠しなんだから、いちいち突っかからない」
「な、そんなんじゃ・・・!!」
顔を真っ赤にして私の言葉を否定する雪ちゃん。
やっぱり、こういう顔はずば抜けて可愛いんだよね。
「そうか、照れてたのか~」
京ちゃんが悪い笑みを浮かべて雪ちゃんを見つめる。
「はいはい、ややこしくなるからやめようね~」
そんな視線を遮るように前に立つ。
「乃木さん、終わっているなら、見せていただけますか?」
先生が、やはり私や、京ちゃんにかけるのとは、少し違う声質で話しかける。
何でだろう? どこか遠慮している様にも見えるけど。やっぱり、乃木家の家柄からだろうか。
「うん。よく書けています。でも、乃木さん」
「はい、なにか?」
原稿を手渡して、帰り支度をしていた雪ちゃんを呼び止める。
「書き直しです」
「ええ! なんで、ですか・・・?」
まさかの書き直し宣言。
「や~・・・・おい、やめろよ大和」
全力で煽りの体勢に入る京ちゃんの口を、力ずくで押さえる。
「京ちゃん、ここはやめよう。命に関わる」
防衛本能だろうか。ここはおとなしくしておけ、と何かに強く念押された気がする。
「なん・・・で。なんでですか・・・」
雪ちゃんは、文章に絶対の自信を持っていたこと、それで私達をさんざんバカにしたこと、反省文を書くことが想像以上に重労働だったことで、やり直しをくらい、相当なショックを受けているようだ。
「乃木さん。確かにあなたの書いた文は、とても中学校二年生のものとは思えません。よく文の書き方を勉強しているのが分かります」
「な、なら、どうして・・・」
消え入りそうな声で尋ねる。
「でも、それ故に、文としてまとめることが目的となっており、反省文として、あなたの心の中が何一つ描かれていない。こんなものを認めるわけにはいきません」
私と京ちゃんは、目を見合わせる。
雪ちゃんの立場だったら・・・・納得いかないだろう。
「・・・・ふふふ、分かりましたよ。書き直しますよ、先生」
そんな私達の心配をよそに、工場用機械のようなスピードで文を書き上げていく雪ちゃん。
ものの数分後。
「出来ました。先生」
自信満々といった顔で、反省文を手渡す。
先生は、一枚目にざっと目を通し、
「ええ、こんなの不合格に決まっているでしょ?!」
またしてもボツ宣告を下す。
「なんでですか!! 今回に関しては、本当に納得出来ません!!」
私だったら、一回目の時点で納得いかない。
「どれどれ、俺にも見せてくれよ・・・・って、これ!!」
その反省文を読んだ京ちゃんが、怒りに震えている。
「なになに? 何を書いたの・・・・ごめんなさい、がゲシュタルト崩壊する!!」
私達が書いた反省文と全く一緒じゃん!!
「てめー! 人のこと散々バカにしておいて!!」
さすがに今回は止める気にはならない。
「だって! 反省を表すには、こうするほか無かったから・・・・私の全てを否定されて・・・・」
涙目で語る雪ちゃん。
「い、いや・・・・泣くなよ」
京ちゃんも、まさかが泣き出すとは思っていなかったらしい。
「先生、もう・・・・もう私の、海よりも深く、山よりも高い反省を表す方法は、これしか無いんです・・・・。だから、許してください・・・・」
そのままの顔で懇願する雪ちゃん。ついには、頭を下げ始めた。
でも、私には分かる。あれ、嘘泣きじゃん。
「先生、もう、雪を許してやってよ」
京ちゃんは、そんな涙に騙されて、擁護をはじめる。
あ、頭下げながら笑ってる! 舌出してるよ!! 気づいて!! 先生!!
そんな私の願いが通じたのか? まあ、私ですら気づくのに、先生が気づかないわけ無いか。
「雪さん。お芝居の練習は、もう少し必要なのでは?」
「え??」
京ちゃんは、先生が何を言っているのか分かっていないようだ。
ややこしくなるからだろう。先生も、私も、真実を伝えようとはしなかった。
「おい、どういう意味だよ!!」
「はい、京ちゃん。アメだよ~」
「いらんわ! 子供扱いすんな!!」
なんとか気をそらす事に成功する。
「こんなやっつけで書いた反省文、認めません」
「なんであの二人は合格なのに、私だけ!! 不公平です!!」
雪ちゃんの顔が、どんどん強ばっていく。
東郷神社の入り口に、あんな顔をした銅像があったような??
「二人は関係ありません。とにかく、再々提出を命じます」
とりつく島も無い。
雪ちゃんは、観念したように———は全く見えない。
「あれは、納得いかへん。なんでうちだけ、って時の顔だね」
「ああ。触るな危険、だぜ」
小声で話していると、
「おい、なんか言うたか?!」
不機嫌丸出しで私達をにらみつけてくる。
「ああ、お前・・・・」
「ちょ、ちょっと! な、なんにも言ってないよ~? 時間かかりそうだし、先に帰るね~」
余計な事を口走る前に、京ちゃんの口を抑え、帰宅の申し出をする。
「ふん。勝手にすれば?? 私なんかとは、帰りたく無いんでしょ!!」
今度は拗ね始めてしまった。
これは、何を言っても無駄だよね・・・・
「ごめん、先帰るね~また明日。先生も、さようなら」
「はい。さようなら。寄り道しないようにね」
優しく見送ってくれる先生。これだけでも、安心出来るものだ。
指導室から解放され、二人並んで廊下を歩く。
「なあ、大和。昨日の続き、いかねーか?」
すると、早速京ちゃんが、いきなり先生の言いつけを破る提案をしてきた。
私も、それを注意するほど優等生ではない。
「いいよ~あっ、だったら———」
バタンと音がして、騒がしい二人の姿が見えなくなった。
さっきまでは、狭く感じていた部屋が、先生と二人きりになった途端、やたらと広く感じる。
あまり、この先生、好きじゃないんだよな・・・・
「乃木さんも、だいぶあの二人に毒されたようね」
先生が、唐突にそんなことを言い始める。
「毒されたって、その言い方・・・・」
いや、よくよく考えてみる。
たぶん、ここにいること自体、彼女達の影響を受けているのは否めない。
「そうですね。毒されたと思います」
二人の事を考えると、つい笑顔になってしまう。
「ええ、あなたも、そんな顔をするのですね」
先生がにやにやしながら、私の顔を見つめてくる。
「ちょ、何が言いたいんですか?!」
あわてて顔を、手で覆う。
これだから、この先生は好きじゃ無いんだ。
人を見ていないようで、しっかり見ている。でも、見られていることにも気づかないんだ。
「実をいうとね、先生心配だったの。ほら、あの二人って、ちょっと特殊じゃない? だから、クラスに馴染めないんじゃないかって」
確かに、特殊と言われれば。
「ええ、特殊ですね。それもあんまり良くない方に」
「そうなんですよ」
先生が、大きく首を縦にふって首肯する。
「東雲さんはボーっとしてて独特な雰囲気だし、神巫さんはヤンキーだし」
「ぷっ」
思わず吹き出してしまう。
「ヤンキーって。先生がそんなこと言って良いんですか?」
「乃木さんが、教育委員会にでも伝えない限り大丈夫です」
先生は、そう言って、優しく微笑む。
「先生って、そういう冗談も言うんですね」
意外な発見だ。落着いた色の長い髪と、少し太い・・・・もとい豊満な体から、あふれ出る母性は、落ち着きと安心をもたらす。その代わり、威厳や茶目っ気というのは・・・・あまり感じない。
「乃木さん、なにか失礼なこと考えていませんか?」
「いえ、滅相もございません」
だから好きじゃ無いんだ。
「まあ良いです。それで、何が言いたいかといいますとね」
そこで一拍おくと、続けて
「あなたのおかげで、あの二人は大きく変わりました。担任として、感謝しています」
「え・・・・?」
先生の言葉の真意が分からない。
「東雲さんは、あまり人付き合いが得意では無いでしょう? 神巫さんも一緒です。本来なら、クラスの半端者となっていたはずです」
そこで先生は、言葉を区切り、大きく息を吐く。そして、こう続けた。
「でも、あなたのおかげで、今では二人、クラスの人気者です」
私のおかげで・・・・?
「いやいや、そんなことは」
「そんなことあるんです」
先生が、私の言葉を遮る。
「今朝のことだってそうでしょ? あなたがクラス委員として、神巫さんの、ああいう性格を受け入れられるクラスにした。あなたが、彼女を受け入れさせた。すごい事ですよ」
次から次へと飛び出す称賛に、背中がむずがゆくなる。
でも。
「やっぱり、私のおかげなんかじゃありませんよ。むしろ・・・・」
助けられていたのは、私のほうだ。
「むしろ??」
先生が、次の言葉を律儀に待ってくれている。
「あの二人は、おバカで、天然で、ふわっとしてるけど」
そこで言葉を区切る。彼女達に抱いているこの感情。どんな言葉にしようか。
先生は、次の言葉を黙って待っている。私の心を観察するように、ジーッと見つめながら。
「でも、ほかの子の、心を救える、すごい子達なんです」
こんな言葉しかでてこない。
「う~ん? どういうことですかね??」
「・・・・ある少女の話です。その少女は、御三家とよばれている、名家に産まれました」
「乃木さん??」
唐突に例え話を始めた私に、困惑の表情を向ける。
「その少女は、名家の立派な跡取り娘になるべく、厳しい鍛錬に取り組みました。武術、武器術、歴史に神事。帝王学などというものまで学び、それはそれは立派なお嬢様として、成長したのです」
「乃木さん・・・・それって」
「はい」
私の産まれた乃木家は、『新』御三家と呼ばれる、名家である。
日本政府と共に、神事を司り、国民を導く組織『新』
「そして私は、小学校に入学しました」
五百年前の大災害。日本滅亡危機の中、乃木家を中心に、神の力を授かった者たちが、『新』という組織を作り、災害に立ち向かった。
「そこで私は知ったのです。乃木という家名の尊大さを」
なんとか災害を収めた『新』は、力を授けてくれた神様を東郷神社に祀り、神村という、神の宿場街を、人間界に作った。
「それと同時に、乃木の一族が、普通に生きることは出来ない。ということも」
それ以降、日本は、その神様の加護の元、復興を成し遂げ繁栄をし、今に至る。
神の加護ある国、日本。
そして、神様と日本を繋ぐ架け橋として、『新』は今も存在している。
「小学校に入学して三年。私は、生徒会長に立候補しました。当然最年少です。乃木という、日本を支配する家の跡取り娘が、街の学校一つ統べることが出来ずに、この先があるわけ無い。そんな幼い使命感が、私を飲み込みました」
気づけば一人称が私になっている。
ずっと、表には出してこなかった思いが、一度堰を切ると、あふれて、止まらなくなってしまう。
「当初、多くの人が私を応援してくれました。しかし、五年生を中心とする、他の立候補者を圧倒し、その地位に立ったとき、あることに気付いたんです」
先生は一言も発さず、私の昔話に耳を傾けてくれている。
あの時の記憶が、脳の中で濁流していく。
頭が痛くなる。心が、記憶を辿ることを拒否している。
でも、先生に、この人に、伝えたい。
「皆が見ていたのは、『乃木 雪』ではなく、乃木家だったことを」
「乃木の娘だから」
「乃木家の子なのだから」
「乃木家ならば」
当時の記憶が、鮮明に蘇る。
と同時に、乃木としての宿命を理解した日の——
「六年生を、さも当たり前のようにこき使う三年生。同級生は、どう感じると思いますか?」
黙って話を聞いていた先生に話を振ってみる。
無理につくった笑顔が、上手く出来ている気がしない。
「当然、畏怖するでしょうね。それと同時に・・・・」
即答した先生だったが、そこで言葉を詰まらせた。
でも、何を言いたいのかは分かる。
「その通りです」
あえて追求はしない。
あそこで言葉を止めてくれたのは、先生の優しさだ。
わざわざ無下にする必要はない。
「お昼ご飯、一緒にたべよ? と誘えば断られる事なんてなかった。でも、それは、私を友達として認めてくれたから。では無く、乃木家の娘の誘いだったから。分かるものなんですよ。私が、皆とは違うって事・・・・」
結局何が言いたいのか、話していて分からなくなってしまった。
「でも、敵だって少なからずいたんです。まだ、乃木の事を理解していない子や、理解していても、生意気な下級生を懲らしめたい。そう思う子は一定数いたんです。そしてそれを、私は虫を払うように、淡々とつぶしていきました。酷いときは、敵対派の上級生を、泣かしたこともありますよ」
今思えば、そんな敵がいた間は、まだマシだったのだと思う。
「ある日事件がおきました。上級生の元候補者五人が、私をリコールしようとしたのです。まあ、結局、賛同者などいるはずも無く、私は、支援者と協力し、即座に反乱を押さえ込みました。そして、敵対勢力がいなくなった私は、ますます権力を強くしたのです」
「概ね、把握していることです。ここまでは」
先生は、顔色一つ変えない。
私が何を言いたいのか。おそらくこの先生は分かっている。
「学校を手中に治め、様々な改革を行いました。平然と上級生を、同級生をこき使いながら。本当に、今思えば最悪の統治者だったと思います」
思わず漏れた苦笑は、奇しくも今日一番、違和感の無い笑みだった。
「乃木さん」
先生が優しく呼びかける。
「はい。まとめに入りますね」
あまりにもくどくど話しすぎた。このままでは、話さなくていいことまで、話してしまいそうだった。
「乃木家の娘としか見られていないことが分かって以降、私は人の感情が分からない事に気づきました。それと同時に、私は、乃木の娘なのだから、ということを言い訳に使って、他人を理解しようともしませんでした」
乃木の娘なのだから、学校を統べるのは当たり前。
乃木の娘なのだから、上級生を使役するのも当たり前。
乃木の娘なのだから、刃向かう者を排除するのも当たり前。
乃木の娘なのだから、同級生に支援されるのも当たり前。
乃木の娘なのだから、友達がいなくて当たり前。
乃木の娘なのだから、同級生とわかり合えなくて当たり前。
乃木の娘なのだから———
乃木の娘なのだから——
「そんなわけない!! 友達がいなくて、寂しくないわけない! 同級生の気持ちを理解出来なくて、辛くないわけない! 支援なんていらない! ただ、マンガの話をしたい。好きな子の話をしたい。分からない問題を、一緒にときたい。なんで皆、私に敬語を使うの?! 私は皆と同い年なんだよ?? 私は、皆と同じ、ただの女の子なのに!! なんで、なんで・・・・私を、見てくれないの・・・・」
結局、感情が全てあふれてしまい、支離滅裂になってしまう。
これじゃあ、本当に言いたいこと、全然伝わってない。
涙が視界を邪魔する。
頬を、温かい感触が伝い、スカートを掴んでいる拳へと落ちていった。
ふと、肩を抱き寄せられる感覚がする。
「辛かったですよね。乃木さん。本当に」
ひどく優しい口調で、先生は私の事をねぎらってくれる。
でもね・・・・
「せん・・せい・・・・・ちが・・うの。ほんと・・・に・・いいた・・かったのは・・・・ね」
「うん。ゆっくりで良いよ。初めてなんだよね。ずっと、蓋をしていた気持ちを誰かに伝えるの。だから、先生待つよ。乃木さんが、落着くまで」
この人は、本当になんなんだろう。
顔を押さえて、必死に涙を抑えようとする。先生は肩を抱き、ずっと背中をさすってくれていた。
何分ほどそうしていただろうか。少しずつ、呼吸が整っていく。
邪魔な涙を、袖で拭うと、目の前には、優しい笑顔を浮かべる先生の顔があった。
「先生、近いよ」
そういうと、慌てて距離をとる。机や椅子に脚を引っかけながら。
「ははは、先生、芸人になれるんじゃ無いですか?」
「う、うるさいです。からかうのはやめなさい」
そっぽを向いて、不機嫌になってしまう。
「ごめんなさいって、先生。笑ったらなんか元気でました。うん。話して、良いですか?」
それを聞くと、先生は、不機嫌な顔をさっと引っ込め、笑顔を浮かべる。
「ええ。お願いします」
そして、そのまま先を促す。
「はい。小学生時代。そう思っていたのは、生徒会長に就任して、しばらくの間だけでした。少しすると、慣れ始め、乃木の娘として生きるために、乃木 雪としての感情を捨てることにしました」
その話を聞いて、初めて先生が、苦痛に表情を歪めた。
そんな選択をした私に同情してくれているのであろう。
でも、もうその同情は必要無い。
「中学に入ってからも一緒です」
「あれが、乃木家の・・・・」
「御三家の一つか」
「逆らったら『新』にけされるぞ」
私が教室に脚を踏み入れた瞬間、朝の喧騒が一気に止む。
中学校に入学してから、今日で一週間。
未だに友達と呼べる人間もいなければ、まともに話をした人もいない。
・・・・というよりか
「避けられて、当然ね」
席に座り、一人つぶやく。
別に、もうどうでもいい。
乃木家の一員として、恥じない生き方をする。そのためなら・・・・
「ねえ京ちゃん、今日から授業はじまるんだよね~?」
左隣の席から、間延びした、それでいて通る声が聞こえてくる。
「知らねーよ。授業がなんだ。どうでもいいよ」
その声に、言葉遣いとは裏腹な、可愛らしい声が粗野に応じる。
なんて返答なの? せっかく話しかけてくれているのに。
思わず心の中で非難してしまう。
・・・・なんで、言葉にしないの・・・・
「そっか~」
そんな酷い対応をされたにもかかわらず、隣の女の子は、さして気にもせず・・・・
机に枕を置いて突っ伏していた。
?!?!?!?
なんで?! これから授業だよね??? なんで枕なんて??
理解不能だわ・・・・
さらに、その子の隣に座る女の子をみてビックリした。
ピンク髪のショートカットという、非国民な髪色だけでなく、Yシャツは第二ボタンまで開けており、その上から黒のパーカーを着るなど、徹底的に校則を違反している。
なんなの、この子は?? 西暦の言葉で言うと、ギャルとかいう奴なのかしら??
でも、目鼻立ちはハッキリしていて、顔はとんでもなく可愛い。
言葉遣いや格好とのギャップがすごすぎる・・・・
というか。こんな生徒がいながら、今の今まで気づかなかったとは・・・・
乃木の娘として、一生の不覚だ。
退屈な午前の授業が終わり、昼食に入る。
この学校では、みんなが弁当を持参し、屋上や、校庭などで友達と一緒に食事をする。
私は、いつも自分の席に座り、一人で、読書をしながら食べていた。
しかし、今日は違った。
弁当を持って、数人のグループで教室を出て行くクラスメイト。
それを、目で見送っていると、不意に声をかけられた。
「ねえねえ、雪ちゃん。お箸って持ってる??」
雪・・・・ちゃん??
生まれてこの方、そんな呼ばれかたをされたことはない。
驚いて声の方を向くと、隣の席でいつも眠っている女の子が、枕に側頭部をつけて、私の方を向いていた。
「東雲さん・・・・でしたっけ?」
「そうだよ~そんなことより、あのさ、雪ちゃんさ、お箸って持ってないかな??」
「えっと、一膳だけなら・・・」
「あ! じゃあさ、それ貸して!!」
なにを言っているの??
「それじゃあ、私の分が・・・・」
そう言うと、東雲さんは、そう言われれば・・・・という顔になり、
「ど、どうしよう・・・・京ちゃん!!」
今度は、自分の左隣に座っている、あのギャルに助けをもとめる。
「知らねーよ。忘れたお前が悪いんだろ」
そのギャルは、一度も東雲さんの方を見ずに、すげなく答えた。
その返答は、あんまりだと思う。
困っているクラスメイトを、ああも粉みじんに出来るとは・・・・
「あの、私が使った後でもいいなら・・・・」
思わず、こんなことを口走ってしまった。
友達でも無い人に、こんなこと言われても、気持ち悪いだけだろう。
「え?! いいの??!! ありがと~」
しかし、東雲さんは、嬉しそうに私の提案を受け入れた。
「いや~助かったよ~やっぱり雪ちゃんは、優しいね」
そう言ってにっこりと笑う東雲さん。
つられて、私も笑顔になる。
あれ・・・・こんなふうに、雑談したのって、いつぶりだろう。
こんなふうに、誰かと笑い合ったのっていつぶりだろう??
「壁を作っていたのは、あなただけではなかった。そういうことですね」
口元に、薄く笑みを浮かべている先生。
「はい。友達なんかいなくても・・・私がそう思っていたのと同じで、あの人と、友達になんて・・・そう思われていたんです」
それに、気づきもしなかった。
気づこうともしなかった。
勝手に孤独になり、悲劇の王女を気取っていた。
たぶん、そんな私だから、他の皆も壁をつくったのだ。
結局は、乃木という家名の重さにつぶされ、周りのことなんて一切気にしなかった。
乃木という家名を汚さぬよう、乃木として、皆を導けるよう。没頭することで、自分の歪んだ生き方を正当化していた。
「友達が欲しい」
この気持ちが消えた事なんて、一瞬たりとも無かったのに。
「それぐらい、『乃木家』という重圧は、外にも、内にも大きかったという事ですか」
「ええ。それは、強力な呪いのようなものでした」
『乃木 雪』という個人を殺し、乃木として生きろ、という。
「だから、嬉しかったんです。月並みですけどね」
乃木の娘、ではなく、『乃木 雪』としての私を、見てくれていたから。
「雪ちゃんのお弁当、なんか、武士って感じだね。ていうか、これ、お箸必要なの??」
机をくっつけて、隣に座っている東雲さんが、私の弁当を覗いている。
たしかに、私のお弁当は、普通のそれとは異なる。
「デザートに、小松菜のおひたしがあるから」
そう言うと、東雲さんは、お化けでも出たかのように驚いて、
「それをデザートっていう人、初めてだよ」
「ええ?! そ、そうなの??」
すると、この会話を聞いていたのか、東雲さんの隣に座るギャルが、割り込んでくる。
「乃木の娘も、そこまでキャラ作りに必死になると、気持ち悪いぜ?」
な、初対面で、なんてことを!!
「京ちゃん! さすがに言いすぎだよ!! 雪ちゃんだって、悪気は無いんだから!」
東雲さんがフォローに入ってくれるが、なぜか少しイラッとくる。
「あ、あなたね。そんな格好で学校に来るなんて、校則違反でしょ?!」
このまま言われっぱなしじゃ終われない!
「は! 反論できないからって、話題変えようってか! 乃木の娘もたいしたことねえな」
この、良く口のまわる・・・・
「乃木は関係ありませんでしょ? あなたの格好は、クラス委員として見過ごせませんから!」
こう言っても、全く意に介さないのは分かっている。
「クラス委員ごときの言うこと聞くかよ。この格好が好きだからする。文句あっか!」
自信満々に持論を展開する。が———
「もっと、なにか理由は無いんですか?! それただのわがままじゃ無いですか!」
あまりに身勝手な主張に度肝を抜かれた。
激しい言い合いに、クラスに残っていた人たちの注目も集ってしまう。
「そうだよ? 好きだからする。何が悪い!」
「悪いも何も、だから校則で・・・・」
「その校則は、誰が、何を基準に、何の目的で作った?」
「え? そ、それは・・・・」
そう言われると、そこまでは答えきれない。
「ほら、こたえられねえだろ。そんな曖昧な基準で、尺度で人をはかんなよ! 縛るなよ!」
心の奥底にある本心なのだろう。
真摯に向き合わないといけない。気がする。
「で、でも! 黒以外の髪色は多々良様によって禁止されています!」
正確には、多々良様を奉っている、『新』によってだが。
さすがに今のは効いたのか、悔しそうに奥歯をギュッと噛み、私の顔をにらみつけてくる。
この問題児が・・・・
バチバチと、火花が散りそうな程に、視線と視線がぶつかり合う。
胸に手を当て、どうなるかを心配そうな表情を浮かべるクラスメイト達。
気づけば、外に行っていたはずのクラスメイトの多くも、教室に戻ってきている。
学校一の不良ギャルと、日本の御三家、乃木の一人娘による一騎打ち。
注目を集めるのも当然か・・・・
そんな、一触即発の空気の中、のほほ~んとした声が、耳に入ってくる。
「あのさ~ちょっといい?? さっきから京ちゃんが言ってる、乃木の娘って何のこと?」
「「「へ??」」」
まさかの一言に、クラス中の、張り詰めていた緊張感が、一気に解けていく。
うん??? ええ???
「おい、大和、お前乃木家のこと知らないのか?」
呆気にとられ、言葉を発せずにいると、私と言い合っていたギャルの子が、神巫さんだっただろうか? 問いを返す。
「えっとね~乃木家っていうのはなんとなく分かるよ? でも、それが雪ちゃんとなんの関係があるのかが・・・・??」
??? あの子がなにをいっているのか理解できない。
乃木という性を名乗ることが許されている人物は、この日本において数名しかいない。
言わずもがな、御三家の乃木一族のみだ。
「関係があるも何も、こいつは乃木家の跡取り娘だぞ?!」
神巫さんが驚いたようで、思わず声を荒げる。すると、
「えぇ!! そうだったの?!」
東雲さんは東雲さんで、驚愕を全身で表現した。
「当たり前だろうが! だから皆こいつには・・・・」
続きを言いかけて私の方を向き、言葉を止める。
粗悪な子だと思っていたけど。
意外と優しい子なのかもしれない。
教室にいる他の子達も、神巫さんの言いたいことが分かったのだろう。一斉に口をつむんでいる。
久方ぶりに声をかけられて、舞い上がってしまっていたけど現実はこうだ。
乃木家の人物に容易に関わるなんて———
「へえ~でもさ、雪ちゃんは雪ちゃんじゃん? 乃木さんとか、関係ないし」
「え・・・・?」
思わぬ一言に一瞬思考がとまる。
「正直乃木さんがどう、とか言われても良くわかんないし。でも、雪ちゃんなら良く知ってるよ! 日本史の時、毎回眠気と闘って、結局負けちゃうこととか。数学の問題、すっごく速く解けるのにケアレスミスをしちゃうこととか。天然でおっちょこちょいな雪ちゃんが、乃木さんの関係者とか言われても・・・・」
これを聞いていたクラスメイト達の表情が、少し曇る。
動物園のパンダさながら、色眼鏡で私を見ていたことを、一人の女の子に暗に糾弾されたのだ。
天然で、周りの事なんて気にしない。だからこそ、周りの人々に、強く深く突き刺さる。
彼女が、なんの意図を持ってこんなことを言ったのかは分からない。
でも、この言葉が、私の環境を変えてくれたのは事実だ。
「東雲さん」
私を、乃木 雪を見てくれている人がいた。
行き場のない、捨てられた感情に、居場所を与えてくれた。
涙が一滴、頬を伝う。
「えっ? どうしたの雪ちゃん、なんで泣いてるの?! 私なにか悪いこと言っちゃったかな??」
二滴、三滴・・・・大粒の滴が、あふれてきて止められない。
乃木 雪としての感情を捨てて数年。
自分すら見ていなかったものを、ちゃんと見てくれている人がいた。
教室で号泣する私を見て、他の皆はどう思っただろうか。
乃木の娘のくせに、国を背負う人間のくせに。
そう思うだろう。
私も、そう思っている。
でも、
「大丈夫だよ、雪ちゃん。大丈夫だから」
「ああ、乃木の娘が、だらしねえ。ほら雪、しっかりしろ」
両手を包む温かさを感じると、さらに涙が止まらなくなった。
キーンコーンカーンコーンという無機質な音が響き始め、昼休みの終わりを知らせる。
午後の授業、まともに受けられる気がしないな。
「授業サボっちゃおっか」
普段なら絶対に断る。でも、今はこの両手を離したくない。
「うん。さぼっちゃおう・・・・」
「京ちゃんは?」
「いや、こいつが・・・・ああ、そうだな。もとからサボるつもりだったし」
山と海に挟まれたこの街のロケーションは、最高だ。
山側には、異質の存在感を示す巨大な鳥居が立っている。
屋上の柵にもたれ、未だ涙の止まらない私を、二人は何も言わずに支えてくれる。
「本当に、ありがとう」
風になびかれ数分、やっと涙が止まり、二人の顔を交互に見る。
「やまとちゃん、ありがとう」
東雲さんは、照れくさそうに、でも、笑顔で応えてくれる。
「京ちゃんも、ありがとう」
「なっ・・・・ちゃん付けはやめろ」
そう言って、照れくさそうに、景色へと視線を移す。
「二人が仲良くなれて良かった! これも雨降って地固まるってことかな?」
「雨なんて、そんな迷信信じてるんですか?」
「い、いや違うよ! なんか、ことわざとか使ったら、かっこよくまとまりそうだったから」
そんなやまとちゃんを見て、ぷぷっと噴き出してしまう。隣のギャルも、なにかツボに入ったようで、腹を抱えて笑っている。
昼下がりの屋上で、私は初めて授業をサボった。
初めて友達と笑い合った。
———初めて、友達が出来た。
「ねえ、乃木さん。ここの問題なんだけど、分かる?」
昼休み、三人でお弁当を食べようと机を動かしていると、私の席の前に座る女の子が、話しかけてくる。
「ああ、ここはね、普通に計算しても面倒くさいから、解の方式に当てはめるのよ」
「ああ~そっか! ありがとう、乃木さん!!」
「ううん、それくらいなら」
未だに、誰かに声をかけられると緊張してしまう。言葉も上手く出てこない。
家の大人や、『新』の関係者なら、何も恐れず、感じずに話せるのに。
クラスの子と、喋るのが怖い。
嫌われたらどうしよう。
嫌な思いをさせてしまったらどうしよう。
でも、それは友達を失いたくない、という強い気持ちの裏返しなんだと思う。
だから、こんな気持ちになれること、それ自体が幸せなのだと思う。
「あ、乃木さん。私もここ教えて!!」
「あ、私も、国語ちょっと分からなくて・・・」
「ねえ、こっちで一緒にお弁当食べない?」
さっきの一人を皮切りに、多くのクラスメイトが私の机を取り囲む。
「ごめん、また後でいいかな??」
「大丈夫だよ~ていうか、お弁当私達も一緒に食べていい??」
二人の顔を見る。
やまとちゃんは、もちろんオーケー! の顔。
京は・・・・すっごい嫌そうだ。
「別に、勝手にしろよ」
そういうと、一人少し離れてしまう。
視線はこっちから全く動かないが。
素直になればいいのに。
「それ、雪ちゃんのお弁当?!」
「ええ、そうだけれど」
私のお弁当を見て、目を見開いている。
「お弁当というか、お重というか・・・・一人分じゃないよね?」
うっ、まあ、バレるわよね・・
「うん・・・・やまとちゃんに食べてもらおうと思って。そしたら、作りすぎちゃって」
「ええ! これ、乃木さんの手作り?!」
「うん。一応、全部」
「す、すごい・・・・」
一緒に食べようと席を移ってきた子達も、若干引いているように見える。
やり過ぎてしまっただろうか・・・・
「うんま~い!! なにこれ!! プロの味だよ!! すごいよ雪ちゃん!」
「え? そ、そう?」
「うん!! 止まらないね~」
その言葉通り、お弁当の中身がどんどん減っていく。
料理は鍛錬の一貫で、小さいころから教え込まれてきたから、苦手ではない。
むしろ、腕前は相当なものだと思う。
でも、誰かに食べてもらうのは、初めてだった。
「良かった・・・・」
「どれどれ? ほんとだ! まじでおいしい!」
「何これ? 輝いてる・・・・!!」
ものの数分でお弁当が空になってしまう。
誰かに自分の作った料理を食べてもらうのが、こんなに嬉しい事なんて・・・・
「雪ちゃんは良いお嫁さんになるね~」
「お、お嫁・・さん??」
顔がかぁ~と赤くなるのがわかる。
結婚なんて、考えたことも無い。
「うん! 雪ちゃんの旦那さんは幸せものだろうな~」
まだ見ぬ幸せな食卓が頭に浮かぶ。
私が腕を振るって料理を作り、それをやまとちゃんの様に笑顔で食べる旦那。
小松菜のおひたしがデザートだ。子供は嫌そうな顔をしている。
「な~にをニヤニヤしてんのかな~?」
突然の声に、ハッと我に返り、顔を上げると、下卑た笑みを浮かべる京がいた。
「う、うるさいです! い、いつの間に・・・・」
「いんや、弁当が旨そうだったから、つい。唐揚げ、旨かった」
鼻をポリポリかきながら照れくさそうに。絶対に目は合わせてくれない。
「そ、そう。ありがとう」
「で、なんでニヤニヤしてたんだよ」
「か、関係ありませんでしょ? 何でもありません」
そんなに表情崩れてたかな・・?
でも、そんな家庭を築ければ、どんなに楽しいだろう。
しかし、残念ながらそんな未来は訪れない。
乃木の一族である以上、平凡で幸せな家庭など、築くことは不可能だ。
「不可能じゃ無いよ!」
「え?」
まるで私の心を読めているかのようなタイミングで、やまとちゃんが声をあげる。
「雪ちゃん、また諦めてる顔してた! 入学した時と同じ顔してた!!」
入学したとき・・・・友達なんて、他人との関わりなんて要らない。そう思っていた時だ。
「なにに悩んでるのかは分からないし、分かっても、支えてあげられるとは思わない。でも、これだけは言える。諦めたら、そこで試合終了なんだよ!!」
無責任で、無鉄砲で、投げやりで。でも、その言葉には力があって。
「なんで、西暦のマンガなんて知ってるんですか」
説得力なんて全くない。
根拠なんてどこにも無い。
やまとちゃんや、クラスメイトに囲まれて過ごす普通の日々。
一度は諦めたものだ。
でも、諦めたものですら手に入るんだ。
諦めなければ———
「普通の旦那を捕まえて、平凡な家庭を築く。必ず叶えて見せます」
「うん! 全力で応援するよ!!」
「普通のお嫁さん、ですか」
指導室。机を挟んで正面に座る先生が私の言葉を反芻する。
「はい。おかしいですかね?」
言っていて恥ずかしくはあるんだ。
「おかしいなんてことはありませんよ。立派な夢の一つだと思います。・・・・あなたが乃木家の人間で無ければ」
最後の言葉だけは、冷たく感情がこもっていなかった。
「いえ、むしろ乃木の人間だったからこその夢なんです」
そう。乃木に産まれたからこそ。
「普通に結婚して、普通に家庭を築く。毎日ご飯を作って、洗濯をして仕事で疲れても掃除を頑張って・・・・そんな家庭を築きたい。そう思えたのは、それが許されない乃木に産まれたからこそなんです」
「乃木さん・・・・」
「でも、この夢も皆に出会えてなかったら、持つことは出来なかった。だから、絶対に叶えたいんです。私のためにも、こんな私に、素敵な夢を与えてくれた、皆のためにも」
先生の顔をしっかりと見据え、もう一度ハッキリと宣言する。
「私は、普通のお嫁さんになって見せます。その上で、乃木の責務を果たして見せましょう」
「そこは、譲れないんですね」
「はい。そもそも、簡単に譲れるのなら、とっくに捨てています。乃木の誇りは、そう簡単に捨てられるものじゃない」
たとえそれが、多くの苦しみを与えるのだとしても。
「乃木家に産まれ、幼いころから厳しい鍛錬をこなしました。おおよそ幼い少女が行うものとは思えないものまで。また、乃木の家名のせいで、周りからは畏れられ、人間関係は破綻した。それでも、乃木という家名は、私の誇りで、支えだったのです」
選ばれたものにしか、名乗ることの許されない家名。
日本の中枢を担う重圧。
神の加護ある国で、神に仕える家の一人。
こんなにも光栄で、誇りある家に産まれたことは、私の人生一番の幸運なのだ。
「だから、決めたんです。乃木の誇りは汚さない。でも、乃木 雪としての人生も捨てない。どちらも完璧に守ってみせる、と」
あの日、屋上から眺めた景色が、ぽうっと浮かんでくる。
「案外、自己中なんですね」
「言い方の問題ですよ。私はただ、欲張りなだけですから」
先生はそれを聞き、ふっと笑みをこぼす。
「変わったように見えたけど、根っこは変わってないんですね。でも、あなたらしいです」
「なんですか、それ?」
「なんでもありません。もうこんな時間ですし、帰りましょうか」
そう言われて時計を見ると、もう短い針は5と6の真ん中を指している。
「はい。って、あれ、反省文は??」
話すのに夢中で全く書き直せてない!!
「ああ、あんなのどうせ私しか読まないから、良いんですよ」
ええ、じゃあ私なんで残されたの・・・・?
「乃木さんとは、少し話してみたいと思ってたんです。先生のわがままですみません」
深々と頭を下げる先生。
・・・・そういうことだったか。
「謝ることはありませんよ。私も、とても有意義な時間だったと思いますので。それではまた明日。さようなら」
ギイーと音のする扉を開けて外に出る。
「さようなら・・・・乃木の誇りも、みんなとの日々も、守る・・・か。それは、もっとも酷な選択かも知れませんね」
扉が閉まる瞬間、先生の口が動いているのが見えた。
??なんていったんだろ・・・・
「おっそ~い!! やっとでてきたか~」
一気に意識が、別方向からきた声に向かう。
「やまとちゃん?? 京?? 待っててくれたの??」
振り向くと二人が、部屋をでた私の方に駆け寄ってきている。
正確にはやまとちゃんだけだけど。
「うん! 京ちゃんとゲーセンよろうって話になったんだけど、私達だけでいったら、また雪ちゃんすねるかな~って」
「だから、大和が待とうってな。にしても長すぎだろ。優等生が聞いて呆れるぜ」
「う、うるさいですわね。待っててなんて言ってないですから」
なんでツンデレ?! すっごく嬉しいのに。
「私達が待ってたかったから待ってたの! 迷惑だったらごめんね?」
やまとちゃんに気を遣わせちゃった?!
「い、いや、迷惑なんて!! 誰かに待っててもらうとか、はじめてだったから・・・・」
「はあ? お前学校帰りによく迎え待たせてんじゃん?」
この人、ほんと空気の読めないわね。
「そう言うんじゃなくて・・・・友達が、待っててくれるのって・・・・」
「は、友達待つなんて、そんくらい当たり前だろ」
「友達なら、当たり前」
「アルシンドか」
「ア、アルなんて?」
「ごめん。忘れてくれ」
「もう時間なくなっちゃうよ?? そうだ! 今日は二人と出会って一年と半年! 鳩形クッキーパーティーしようよ!!」
「いや、まだ半年はたってねえよ。一年と三ヶ月くらいだろ」
「えへへ。まあ、細かいとこは良いじゃ無いか!! しよう! 鳩形クッキーパーティー!!」
「それ言いたいだけだよな?」
そんなくだらない話をしながら、ゲームセンターへと向かって歩き出す。
平凡で、何にも無い一日がすぎていく。
なんか、コメディーっぽくない気が、、、、次は思いっきりやります!!