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東雲大和のものがたり  作者: 佐藤 一
2/19

第二話 乃木雪と、神巫京のものがたり

 放課後。二人がけの長机に、パイプ椅子を強引に置いて、三人で座る。

「こんなに狭かったんだ・・・空気、重くない? 窓もないのね」

 左隣にすわる雪ちゃんがぼやく。

「そりゃこんな狭い部屋に、三人も居たらそうなるだろ」

 右隣の京は、机に肘をついている。

「しょうがないよ~そういう部屋なんだから」

 拷問部屋のような、狭い部屋。そう、今私たちが居るのは、生徒指導室。その名の通り、生徒を指導するための教室だ。

「反省文なんて、初めて書くわ」

「私も~何を書けばいいんだろう?」

 雪と二人でため息を吐く。それでも、なんとか書き進める。

 生徒指導室も初めてなら、反省文だって初めての経験だ。

 そんな私たちとは対照的に、京ちゃんはスラスラと書き進めている。

「お前ら、反省文書いたことないのか・・・? そんな人類が存在するなんて・・・!!」

 私たちの顔を見ながら驚愕とする京ちゃん。

「いやいや、書いたことのある人の方が少ないんじゃ無いかな~?」

「ええ、やまとちゃんに同意ね。そうとうのバカじゃない限り、反省文なんて書かないわ」

「また雪ちゃんはそうやって・・・・」

 普段なら、雪ちゃんの挑発にのって、暴れ始めるはず。でも、今の京ちゃんは、なぜか不敵に笑みを浮かべるだけで、反論の一つも言ってこない。

「どうしたの、京ちゃん? バカにされてることにも気づいて無いの??」

「おい大和、お前が一番バカにしてねーか?」

「やまとちゃんって、たまに素で、ぶっ込むわよね」

 二人から、非難ともとれる眼差しを向けられる。

「ええ~?? そんなつもりじゃ・・・」

 なんで京ちゃん怒ってるんだろう?

「ったく。まあ、そこのキャワふわバカは後でお仕置きするとして」

「ええ?! それ私のこと?? あんまりだよ!!」

 そもそも、キャワってなに?!

 そんな私のリアクションも無視して、話を続ける。

「この場で、反省文を書いたことがあるのは、誰だ?」

「あなただけでしょ」

 さぞつまらなそうに、それでも律儀に質問に答えを返す雪ちゃん。

「ああ、そうだ。この俺様だけだ。そうだろう?」

「ええ、そうよ。ねえ、だから、何が言いたい・・・・」

 回りくどい京ちゃんの言い回しに、さすがに雪ちゃんが怒りかけて、何かに気づく。

「ど、どうしたの? 雪ちゃん?」

 これでもか、というほどに目は見開かれ、京ちゃんを捉えて離さない。

「大和、まだ分からないか?」

「そんな、アホの子を見るみたいな目で見ないで!」

 ちょっと悩んでるだけで、分からないとか、そんなわけじゃあ!

「よし、もう一つヒントをやろう」

 京ちゃんは、からかうように、ニッと口角を上げて、悪な顔になる。

「俺が、礼拝を無視したことで反省文を書かされたのは、三回目だ」

「ま、まさか・・・・!!」

「そうだ。俺様は、反省文の書き方を熟知している。つまり、この窮地を抜け出す方法も知っているって訳だ」

 ドヤ顔でそう言い切る。

「な、なんか、京ちゃんがまぶしい・・・・!!」

「だろだろ? しょうがないから、反省文の書き方をレクチャーしてやんよ」

「やった~!」

 これで窮地を乗り越えられる! そう思ったのも、つかの間。

「そんなの許されるわけ無いでしょ。反省文とは自分の言葉で、自らの罪を懺悔し、言として残すことで、より一層精進する、という決意を表すものよ。他人にレクチャーされてかくものでは・・・・」

「どれどれ、ちょっと見せてみろ」

「ええ~まだ終わってないよ~」

「あんた達ね! まだ喋ってる途中でしょうが!」

「え? 雪ちゃん何か言った?? ごめんごめん、聞いてなかったよ~」

 雪ちゃんの顔を覗く。

「えっと、阿修羅さま・・・・?」

「だれが阿修羅か!!」

「ご、ごめん!!」

 あまりにも怖い顔をしていたから。

 機嫌もさらに悪くなってしまった。

「いいわ、雪、とりあえずあなたの反省文、読ませて見なさい。やまとちゃんにレクチャーする力が、あなたにあるのか、見極めてあげる」

「小姑か、お前は。まあ、いいぜ、読ませてやるよ」

 二人とも、口元は笑っているが、目は全く笑っていない。空気が張り詰めていく。

 京ちゃんが、反省文を片手で押しつけるように渡す。

 反省文を受け取ると、すかさず目を落として読み始める。

「こ、これは・・・・」

 ざっと一ページ目を読んだ雪ちゃんが、目を見開いて驚く。

 反省文を持つ手が震えている。

「雪ちゃん? どうしたの・・・? そんなにすごい文だったの??」

 反省文を持つ手に、さらに力が入る。

「・・・・・」

「雪ちゃん??」

 今にも、反省文がちぎれてしまいそうだ。

「・・・」

「お~い?? 原稿用紙に罪はないぞ~?」

 と、何度か呼びかけ、やっと反応を示す雪ちゃん。

「反省文とは、こうやって書くのね・・・わかりやすかったわ」

「だろ~? 何枚書いたと思ってんだ。もう、プロの領域だかんな」

「ええ、さすが京ね」

 いつになく京ちゃんを褒め称える。なにか違和を感じる。

 そんなものには全く気づかない京ちゃんは、勝ち誇った顔をしている。

「ええ、初めての経験よ。・・・ごめんなさいの六文字で埋め尽くされた、原稿用紙を見るのはね!! ごめんなさい、がゲシュタルト崩壊するかと思ったわよ!!!」

 雪ちゃんが吠える。

「しかも、次のページは、すみません。次はソーリー、って、教師バカにしてんのか!!」

「いやいや、そこは俺も迷ったよ? でも、ソーリーって綴り分からなくて・・・・だから、間違えるよりもカタカナのが良いかなって」

 もじもじと恥ずかしそうに秘話を語る京ちゃん。

「そんなこと、どうでもいい!! こんなの、反省文として認められる分けがないでしょ!」

 思いっきりだめ出しをする、反省文未経験者の雪ちゃん。

 それに対し、幾度となくこの苦境を乗り越えてきた、京ちゃんは言う。

「反省の形は人それぞれさ。私の場合、その形が、原稿用紙を埋め尽くすほどのごめんなさい、だったってだけだ」

 いたって安らかに、穏やかに持論を展開する。

 それでも雪ちゃんの怒りは収まりそうにない。

 それどころか、みるみる顔が赤くなっていく。

「なんて屁理屈を・・・! とにかく、文にすらなっていないのに、認められるはずが無いのよ! そうよね? やまとちゃん」

 え? ここでふる?

「待って。その子猫みたいな、ビクって反応はなに?」

「え、い、いや、何でもないよ~?」

「あやしい」

 ジト目で睨んでくる雪ちゃん。

 まずい。この状況で、私の反省文を見せたりしたら・・・・

「ちょっと、やまとちゃんも反省文見せてみなさい」

「いやです」

 絶対見せられない。

「なんで?」

 優しく、笑顔を浮かべているが、追求はいっこうに弱まらない。

「なんでもだよ。ほ、ほら! さっき雪ちゃん、反省文はレクチャーされるものじゃ無いって・・・・あっ!」

「やかましい! 見せなさい!」

 机の下に隠した反省文を強引に奪っていく。

「ああ・・・・」

「どれど・・・・ってあんたもか! ごめんなさい、がゲシュタルト崩壊している!!」

「ち、違うよ! 私のは、ごめんなさいじゃなくて、ごめんなさい。だから!」

「やかましいわ!!」

 雪ちゃんの咆哮が部屋中に轟いたとき、外から先生の声が聞こえてくる。

「やかましいのはあなたです!! 乃木さん!!」

 ガチャっという音と共に、厚底のぼってりとした眼鏡をかけた、女の人が入ってくる。

「おとなしく反省文を書いていなさいと言いましたよね?!」

「は、はい・・・・すみません。でも・・・・」

 雪ちゃんは、納得いかない様子で先生につっかかろうとするが、

「でも、ではありません。反省文は終わったのですか?!」

「「は~い」」

 私と京ちゃんは、その先生の質問に、元気に答え、原稿を持って、ドアの前に立つ先生のところへ移動する。

「待って、あれで終わったって言えるの?!」

 雪ちゃんは、なんだか驚いているようだが。

「東雲さん、神巫さん。原稿用紙は?」

「あ、これです」

「はい、先生」

 私たちは、魂のこもった玉稿を手渡す。

「なんで、神巫さんの原稿は、こんなにもボロボロなのですか・・・?」

 先生が、雪ちゃんに、ボロボロにされた原稿を見て、不思議そうにこぼす。

「魂込めたからです!!」

「・・・・???」

 要領を得ない回答に、先生も困惑してるけど。

「ま、まあ良いでしょう。・・・ふむ、東雲さんも、神巫さんもよくかけていますね。合格です」

 やった! 頑張ったかいがあったな~

「ちょ、ちょっと待ってください!!」

 試練を乗り越えた充実感に浸る私たちの前で、雪ちゃんが何かを必死に訴えている。

「あれで合格ですか?! 納得いきません!! あんなの、落書きと同レベルですよ!」

「そんなことはありません。ストレートな反省の意が伝わってきます」

「そりゃそうですよね!? だってストレートな謝罪の言葉を連射してるだけなんですから!!」

 むっ、確かに、文章を書く力は高くない。それでも全力は尽くしたのだから、あそこまで言われる筋合いはない。

「ちょっと、雪ちゃん! その言い方はひどくない??」

「ひどくないわ。むしろ抑えている方なのだけれど?」

 ここまでの敵意を雪に向けられるのは、初めてだ。

 少し、怖い。

 視線がぶつかりあう。めちゃめちゃ高圧的だ。

「なあなあ雪さんよ~そこまで言うなら、あんたの反省文は、さぞすごい物なんだろうよ?」

 先生とのやりとりを見ていた京ちゃんが、挑発するように言い放つ。

「そ、そうだよ! 読ませてよ!!」

「あんた達ねぇ、反省文は人に見せるものじゃ・・・」

 先生が何かを言っていたようだが、誰一人聞いていない。

「い、いいわよ。私の完璧な反省文、読ませてあげるわ」

 最初は乗り気では無かったのか、少し迷ったようだが、結局は見せてくれるらしい。

 雪ちゃんから反省文を渡される。

 ふむふむ。あれだけの口を叩くだけあって、確かに私達の文よりはすごいのだろう、ということは、伝わってくる。けど・・・

「なあ、言葉が難しすぎて意味が分かんねーよ」

 隣で覗きこむようにして、一緒に読んでいた京ちゃんが、私の感想を代弁する。

「この、れんしゃ? とか、なにそつ? とか、初めて聞いたんだけど」

「れんしゃ、じゃなくて、ちんしゃよ。要するに、詫びの言葉を伴った謝罪のこと。反省文なんだから、謝罪よりは陳謝の方が適すでしょ」

「ほえ~雪はやっぱ、頭いいんだな」

 京ちゃんが、素直に賞賛を口にする。

 それに対して雪ちゃんは、

「当たり前でしょ?! あなたと一緒にしないでくださる?」

 こんなリアクションをしてしまう。

 これじゃあ・・・・

「ああ?! なんだと!!」

 やっぱり・・・・まったくもう・・・・

「またまた、雪ちゃん一言余計だよ。京ちゃんも、照れ隠しなんだから、いちいち突っかからない」

「な、そんなんじゃ・・・!!」

 顔を真っ赤にして私の言葉を否定する雪ちゃん。

 やっぱり、こういう顔はずば抜けて可愛いんだよね。

「そうか、照れてたのか~」

 京ちゃんが悪い笑みを浮かべて雪ちゃんを見つめる。

「はいはい、ややこしくなるからやめようね~」

 そんな視線を遮るように前に立つ。

「乃木さん、終わっているなら、見せていただけますか?」

 先生が、やはり私や、京ちゃんにかけるのとは、少し違う声質で話しかける。

 何でだろう? どこか遠慮している様にも見えるけど。やっぱり、乃木家の家柄からだろうか。

「うん。よく書けています。でも、乃木さん」

「はい、なにか?」

 原稿を手渡して、帰り支度をしていた雪ちゃんを呼び止める。

「書き直しです」

「ええ! なんで、ですか・・・?」

 まさかの書き直し宣言。

「や~・・・・おい、やめろよ大和」

 全力で煽りの体勢に入る京ちゃんの口を、力ずくで押さえる。

「京ちゃん、ここはやめよう。命に関わる」

 防衛本能だろうか。ここはおとなしくしておけ、と何かに強く念押された気がする。

「なん・・・で。なんでですか・・・」

 雪ちゃんは、文章に絶対の自信を持っていたこと、それで私達をさんざんバカにしたこと、反省文を書くことが想像以上に重労働だったことで、やり直しをくらい、相当なショックを受けているようだ。

「乃木さん。確かにあなたの書いた文は、とても中学校二年生のものとは思えません。よく文の書き方を勉強しているのが分かります」

「な、なら、どうして・・・」

 消え入りそうな声で尋ねる。

「でも、それ故に、文としてまとめることが目的となっており、反省文として、あなたの心の中が何一つ描かれていない。こんなものを認めるわけにはいきません」

 私と京ちゃんは、目を見合わせる。

 雪ちゃんの立場だったら・・・・納得いかないだろう。

「・・・・ふふふ、分かりましたよ。書き直しますよ、先生」

 そんな私達の心配をよそに、工場用機械のようなスピードで文を書き上げていく雪ちゃん。

 ものの数分後。

「出来ました。先生」

 自信満々といった顔で、反省文を手渡す。

 先生は、一枚目にざっと目を通し、

「ええ、こんなの不合格に決まっているでしょ?!」

 またしてもボツ宣告を下す。

「なんでですか!! 今回に関しては、本当に納得出来ません!!」

 私だったら、一回目の時点で納得いかない。

「どれどれ、俺にも見せてくれよ・・・・って、これ!!」

 その反省文を読んだ京ちゃんが、怒りに震えている。

「なになに? 何を書いたの・・・・ごめんなさい、がゲシュタルト崩壊する!!」

 私達が書いた反省文と全く一緒じゃん!!

「てめー! 人のこと散々バカにしておいて!!」

 さすがに今回は止める気にはならない。

「だって! 反省を表すには、こうするほか無かったから・・・・私の全てを否定されて・・・・」

 涙目で語る雪ちゃん。

「い、いや・・・・泣くなよ」

 京ちゃんも、まさかが泣き出すとは思っていなかったらしい。

「先生、もう・・・・もう私の、海よりも深く、山よりも高い反省を表す方法は、これしか無いんです・・・・。だから、許してください・・・・」

 そのままの顔で懇願する雪ちゃん。ついには、頭を下げ始めた。

 でも、私には分かる。あれ、嘘泣きじゃん。

「先生、もう、雪を許してやってよ」

 京ちゃんは、そんな涙に騙されて、擁護をはじめる。

 あ、頭下げながら笑ってる! 舌出してるよ!! 気づいて!! 先生!!

 そんな私の願いが通じたのか? まあ、私ですら気づくのに、先生が気づかないわけ無いか。

「雪さん。お芝居の練習は、もう少し必要なのでは?」

「え??」

 京ちゃんは、先生が何を言っているのか分かっていないようだ。

 ややこしくなるからだろう。先生も、私も、真実を伝えようとはしなかった。

「おい、どういう意味だよ!!」

「はい、京ちゃん。アメだよ~」

「いらんわ! 子供扱いすんな!!」

 なんとか気をそらす事に成功する。

「こんなやっつけで書いた反省文、認めません」

「なんであの二人は合格なのに、私だけ!! 不公平です!!」

 雪ちゃんの顔が、どんどん強ばっていく。

 東郷神社の入り口に、あんな顔をした銅像があったような??

「二人は関係ありません。とにかく、再々提出を命じます」

 とりつく島も無い。

 雪ちゃんは、観念したように———は全く見えない。

「あれは、納得いかへん。なんでうちだけ、って時の顔だね」

「ああ。触るな危険、だぜ」

 小声で話していると、

「おい、なんか言うたか?!」

 不機嫌丸出しで私達をにらみつけてくる。

「ああ、お前・・・・」

「ちょ、ちょっと! な、なんにも言ってないよ~? 時間かかりそうだし、先に帰るね~」

 余計な事を口走る前に、京ちゃんの口を抑え、帰宅の申し出をする。

「ふん。勝手にすれば?? 私なんかとは、帰りたく無いんでしょ!!」

 今度は拗ね始めてしまった。

 これは、何を言っても無駄だよね・・・・

「ごめん、先帰るね~また明日。先生も、さようなら」

「はい。さようなら。寄り道しないようにね」

 優しく見送ってくれる先生。これだけでも、安心出来るものだ。

 指導室から解放され、二人並んで廊下を歩く。

「なあ、大和。昨日の続き、いかねーか?」

 すると、早速京ちゃんが、いきなり先生の言いつけを破る提案をしてきた。

 私も、それを注意するほど優等生ではない。

「いいよ~あっ、だったら———」




 バタンと音がして、騒がしい二人の姿が見えなくなった。

 さっきまでは、狭く感じていた部屋が、先生と二人きりになった途端、やたらと広く感じる。

 あまり、この先生、好きじゃないんだよな・・・・

「乃木さんも、だいぶあの二人に毒されたようね」

 先生が、唐突にそんなことを言い始める。

「毒されたって、その言い方・・・・」

 いや、よくよく考えてみる。

 たぶん、ここにいること自体、彼女達の影響を受けているのは否めない。

「そうですね。毒されたと思います」

 二人の事を考えると、つい笑顔になってしまう。

「ええ、あなたも、そんな顔をするのですね」

 先生がにやにやしながら、私の顔を見つめてくる。

「ちょ、何が言いたいんですか?!」

 あわてて顔を、手で覆う。

 これだから、この先生は好きじゃ無いんだ。

 人を見ていないようで、しっかり見ている。でも、見られていることにも気づかないんだ。

「実をいうとね、先生心配だったの。ほら、あの二人って、ちょっと特殊じゃない? だから、クラスに馴染めないんじゃないかって」

 確かに、特殊と言われれば。

「ええ、特殊ですね。それもあんまり良くない方に」

「そうなんですよ」

 先生が、大きく首を縦にふって首肯する。

「東雲さんはボーっとしてて独特な雰囲気だし、神巫さんはヤンキーだし」

「ぷっ」

 思わず吹き出してしまう。

「ヤンキーって。先生がそんなこと言って良いんですか?」

「乃木さんが、教育委員会にでも伝えない限り大丈夫です」

 先生は、そう言って、優しく微笑む。

「先生って、そういう冗談も言うんですね」

 意外な発見だ。落着いた色の長い髪と、少し太い・・・・もとい豊満な体から、あふれ出る母性は、落ち着きと安心をもたらす。その代わり、威厳や茶目っ気というのは・・・・あまり感じない。

「乃木さん、なにか失礼なこと考えていませんか?」

「いえ、滅相もございません」

 だから好きじゃ無いんだ。

「まあ良いです。それで、何が言いたいかといいますとね」

 そこで一拍おくと、続けて

「あなたのおかげで、あの二人は大きく変わりました。担任として、感謝しています」

「え・・・・?」

 先生の言葉の真意が分からない。

「東雲さんは、あまり人付き合いが得意では無いでしょう? 神巫さんも一緒です。本来なら、クラスの半端者となっていたはずです」

 そこで先生は、言葉を区切り、大きく息を吐く。そして、こう続けた。

「でも、あなたのおかげで、今では二人、クラスの人気者です」

 私のおかげで・・・・?

「いやいや、そんなことは」

「そんなことあるんです」

 先生が、私の言葉を遮る。

「今朝のことだってそうでしょ? あなたがクラス委員として、神巫さんの、ああいう性格を受け入れられるクラスにした。あなたが、彼女を受け入れさせた。すごい事ですよ」

 次から次へと飛び出す称賛に、背中がむずがゆくなる。

 でも。

「やっぱり、私のおかげなんかじゃありませんよ。むしろ・・・・」

 助けられていたのは、私のほうだ。

「むしろ??」

 先生が、次の言葉を律儀に待ってくれている。

「あの二人は、おバカで、天然で、ふわっとしてるけど」

 そこで言葉を区切る。彼女達に抱いているこの感情。どんな言葉にしようか。

 先生は、次の言葉を黙って待っている。私の心を観察するように、ジーッと見つめながら。

「でも、ほかの子の、心を救える、すごい子達なんです」

 こんな言葉しかでてこない。

「う~ん? どういうことですかね??」

「・・・・ある少女の話です。その少女は、御三家とよばれている、名家に産まれました」

「乃木さん??」

 唐突に例え話を始めた私に、困惑の表情を向ける。

「その少女は、名家の立派な跡取り娘になるべく、厳しい鍛錬に取り組みました。武術、武器術、歴史に神事。帝王学などというものまで学び、それはそれは立派なお嬢様として、成長したのです」

「乃木さん・・・・それって」

「はい」

 私の産まれた乃木家は、『新』御三家と呼ばれる、名家である。

 日本政府と共に、神事を司り、国民を導く組織『新』

「そして私は、小学校に入学しました」

 五百年前の大災害。日本滅亡危機の中、乃木家を中心に、神の力を授かった者たちが、『新』という組織を作り、災害に立ち向かった。

「そこで私は知ったのです。乃木という家名の尊大さを」

 なんとか災害を収めた『新』は、力を授けてくれた神様を東郷神社に祀り、神村という、神の宿場街を、人間界に作った。

「それと同時に、乃木の一族が、普通に生きることは出来ない。ということも」

 それ以降、日本は、その神様の加護の元、復興を成し遂げ繁栄をし、今に至る。

 神の加護ある国、日本。

 そして、神様と日本を繋ぐ架け橋として、『新』は今も存在している。

「小学校に入学して三年。私は、生徒会長に立候補しました。当然最年少です。乃木という、日本を支配する家の跡取り娘が、街の学校一つ統べることが出来ずに、この先があるわけ無い。そんな幼い使命感が、私を飲み込みました」

 気づけば一人称が私になっている。

 ずっと、表には出してこなかった思いが、一度堰を切ると、あふれて、止まらなくなってしまう。

「当初、多くの人が私を応援してくれました。しかし、五年生を中心とする、他の立候補者を圧倒し、その地位に立ったとき、あることに気付いたんです」

 先生は一言も発さず、私の昔話に耳を傾けてくれている。

 あの時の記憶が、脳の中で濁流していく。

 頭が痛くなる。心が、記憶を辿ることを拒否している。

 でも、先生に、この人に、伝えたい。

「皆が見ていたのは、『乃木 雪』ではなく、乃木家だったことを」

「乃木の娘だから」

「乃木家の子なのだから」

「乃木家ならば」

 当時の記憶が、鮮明に蘇る。

 と同時に、乃木としての宿命を理解した日の——

「六年生を、さも当たり前のようにこき使う三年生。同級生は、どう感じると思いますか?」

 黙って話を聞いていた先生に話を振ってみる。

 無理につくった笑顔が、上手く出来ている気がしない。

「当然、畏怖するでしょうね。それと同時に・・・・」

 即答した先生だったが、そこで言葉を詰まらせた。

 でも、何を言いたいのかは分かる。

「その通りです」

 あえて追求はしない。

 あそこで言葉を止めてくれたのは、先生の優しさだ。

 わざわざ無下にする必要はない。

「お昼ご飯、一緒にたべよ? と誘えば断られる事なんてなかった。でも、それは、私を友達として認めてくれたから。では無く、乃木家の娘の誘いだったから。分かるものなんですよ。私が、皆とは違うって事・・・・」

 結局何が言いたいのか、話していて分からなくなってしまった。

「でも、敵だって少なからずいたんです。まだ、乃木の事を理解していない子や、理解していても、生意気な下級生を懲らしめたい。そう思う子は一定数いたんです。そしてそれを、私は虫を払うように、淡々とつぶしていきました。酷いときは、敵対派の上級生を、泣かしたこともありますよ」

 今思えば、そんな敵がいた間は、まだマシだったのだと思う。

「ある日事件がおきました。上級生の元候補者五人が、私をリコールしようとしたのです。まあ、結局、賛同者などいるはずも無く、私は、支援者と協力し、即座に反乱を押さえ込みました。そして、敵対勢力がいなくなった私は、ますます権力を強くしたのです」

「概ね、把握していることです。ここまでは」

 先生は、顔色一つ変えない。

 私が何を言いたいのか。おそらくこの先生は分かっている。

「学校を手中に治め、様々な改革を行いました。平然と上級生を、同級生をこき使いながら。本当に、今思えば最悪の統治者だったと思います」

 思わず漏れた苦笑は、奇しくも今日一番、違和感の無い笑みだった。

「乃木さん」

 先生が優しく呼びかける。

「はい。まとめに入りますね」

 あまりにもくどくど話しすぎた。このままでは、話さなくていいことまで、話してしまいそうだった。

「乃木家の娘としか見られていないことが分かって以降、私は人の感情が分からない事に気づきました。それと同時に、私は、乃木の娘なのだから、ということを言い訳に使って、他人を理解しようともしませんでした」

 乃木の娘なのだから、学校を統べるのは当たり前。

 乃木の娘なのだから、上級生を使役するのも当たり前。

 乃木の娘なのだから、刃向かう者を排除するのも当たり前。

 乃木の娘なのだから、同級生に支援されるのも当たり前。

 乃木の娘なのだから、友達がいなくて当たり前。

 乃木の娘なのだから、同級生とわかり合えなくて当たり前。

 乃木の娘なのだから———

 乃木の娘なのだから——

「そんなわけない!! 友達がいなくて、寂しくないわけない! 同級生の気持ちを理解出来なくて、辛くないわけない! 支援なんていらない! ただ、マンガの話をしたい。好きな子の話をしたい。分からない問題を、一緒にときたい。なんで皆、私に敬語を使うの?! 私は皆と同い年なんだよ?? 私は、皆と同じ、ただの女の子なのに!! なんで、なんで・・・・私を、見てくれないの・・・・」

 結局、感情が全てあふれてしまい、支離滅裂になってしまう。

 これじゃあ、本当に言いたいこと、全然伝わってない。

 涙が視界を邪魔する。

 頬を、温かい感触が伝い、スカートを掴んでいる拳へと落ちていった。

 ふと、肩を抱き寄せられる感覚がする。

「辛かったですよね。乃木さん。本当に」

 ひどく優しい口調で、先生は私の事をねぎらってくれる。

 でもね・・・・

「せん・・せい・・・・・ちが・・うの。ほんと・・・に・・いいた・・かったのは・・・・ね」

「うん。ゆっくりで良いよ。初めてなんだよね。ずっと、蓋をしていた気持ちを誰かに伝えるの。だから、先生待つよ。乃木さんが、落着くまで」

 この人は、本当になんなんだろう。

 顔を押さえて、必死に涙を抑えようとする。先生は肩を抱き、ずっと背中をさすってくれていた。


 何分ほどそうしていただろうか。少しずつ、呼吸が整っていく。

 邪魔な涙を、袖で拭うと、目の前には、優しい笑顔を浮かべる先生の顔があった。

「先生、近いよ」

 そういうと、慌てて距離をとる。机や椅子に脚を引っかけながら。

「ははは、先生、芸人になれるんじゃ無いですか?」

「う、うるさいです。からかうのはやめなさい」

 そっぽを向いて、不機嫌になってしまう。

「ごめんなさいって、先生。笑ったらなんか元気でました。うん。話して、良いですか?」

 それを聞くと、先生は、不機嫌な顔をさっと引っ込め、笑顔を浮かべる。

「ええ。お願いします」

 そして、そのまま先を促す。

「はい。小学生時代。そう思っていたのは、生徒会長に就任して、しばらくの間だけでした。少しすると、慣れ始め、乃木の娘として生きるために、乃木 雪としての感情を捨てることにしました」

 その話を聞いて、初めて先生が、苦痛に表情を歪めた。

 そんな選択をした私に同情してくれているのであろう。

 でも、もうその同情は必要無い。

「中学に入ってからも一緒です」


「あれが、乃木家の・・・・」

「御三家の一つか」

「逆らったら『新』にけされるぞ」

 私が教室に脚を踏み入れた瞬間、朝の喧騒が一気に止む。

 中学校に入学してから、今日で一週間。

 未だに友達と呼べる人間もいなければ、まともに話をした人もいない。

 ・・・・というよりか

「避けられて、当然ね」

 席に座り、一人つぶやく。

 別に、もうどうでもいい。

 乃木家の一員として、恥じない生き方をする。そのためなら・・・・

「ねえ京ちゃん、今日から授業はじまるんだよね~?」

 左隣の席から、間延びした、それでいて通る声が聞こえてくる。

「知らねーよ。授業がなんだ。どうでもいいよ」

 その声に、言葉遣いとは裏腹な、可愛らしい声が粗野に応じる。

 なんて返答なの? せっかく話しかけてくれているのに。

 思わず心の中で非難してしまう。

 ・・・・なんで、言葉にしないの・・・・

「そっか~」

 そんな酷い対応をされたにもかかわらず、隣の女の子は、さして気にもせず・・・・

 机に枕を置いて突っ伏していた。

 ?!?!?!?

 なんで?! これから授業だよね??? なんで枕なんて??

 理解不能だわ・・・・

 さらに、その子の隣に座る女の子をみてビックリした。

 ピンク髪のショートカットという、非国民な髪色だけでなく、Yシャツは第二ボタンまで開けており、その上から黒のパーカーを着るなど、徹底的に校則を違反している。

 なんなの、この子は?? 西暦の言葉で言うと、ギャルとかいう奴なのかしら??

 でも、目鼻立ちはハッキリしていて、顔はとんでもなく可愛い。

 言葉遣いや格好とのギャップがすごすぎる・・・・

 というか。こんな生徒がいながら、今の今まで気づかなかったとは・・・・

 乃木の娘として、一生の不覚だ。


 退屈な午前の授業が終わり、昼食に入る。

 この学校では、みんなが弁当を持参し、屋上や、校庭などで友達と一緒に食事をする。

 私は、いつも自分の席に座り、一人で、読書をしながら食べていた。

 しかし、今日は違った。

 弁当を持って、数人のグループで教室を出て行くクラスメイト。

 それを、目で見送っていると、不意に声をかけられた。

「ねえねえ、雪ちゃん。お箸って持ってる??」

 雪・・・・ちゃん??

 生まれてこの方、そんな呼ばれかたをされたことはない。

 驚いて声の方を向くと、隣の席でいつも眠っている女の子が、枕に側頭部をつけて、私の方を向いていた。

「東雲さん・・・・でしたっけ?」

「そうだよ~そんなことより、あのさ、雪ちゃんさ、お箸って持ってないかな??」

「えっと、一膳だけなら・・・」

「あ! じゃあさ、それ貸して!!」

 なにを言っているの??

「それじゃあ、私の分が・・・・」

 そう言うと、東雲さんは、そう言われれば・・・・という顔になり、

「ど、どうしよう・・・・京ちゃん!!」

 今度は、自分の左隣に座っている、あのギャルに助けをもとめる。

「知らねーよ。忘れたお前が悪いんだろ」

 そのギャルは、一度も東雲さんの方を見ずに、すげなく答えた。

 その返答は、あんまりだと思う。

 困っているクラスメイトを、ああも粉みじんに出来るとは・・・・

「あの、私が使った後でもいいなら・・・・」

 思わず、こんなことを口走ってしまった。

 友達でも無い人に、こんなこと言われても、気持ち悪いだけだろう。

「え?! いいの??!! ありがと~」

 しかし、東雲さんは、嬉しそうに私の提案を受け入れた。

「いや~助かったよ~やっぱり雪ちゃんは、優しいね」

 そう言ってにっこりと笑う東雲さん。

 つられて、私も笑顔になる。

 あれ・・・・こんなふうに、雑談したのって、いつぶりだろう。

 こんなふうに、誰かと笑い合ったのっていつぶりだろう??




「壁を作っていたのは、あなただけではなかった。そういうことですね」

 口元に、薄く笑みを浮かべている先生。

「はい。友達なんかいなくても・・・私がそう思っていたのと同じで、あの人と、友達になんて・・・そう思われていたんです」

 それに、気づきもしなかった。

 気づこうともしなかった。

 勝手に孤独になり、悲劇の王女を気取っていた。

 たぶん、そんな私だから、他の皆も壁をつくったのだ。

 結局は、乃木という家名の重さにつぶされ、周りのことなんて一切気にしなかった。

 乃木という家名を汚さぬよう、乃木として、皆を導けるよう。没頭することで、自分の歪んだ生き方を正当化していた。

「友達が欲しい」

 この気持ちが消えた事なんて、一瞬たりとも無かったのに。

「それぐらい、『乃木家』という重圧は、外にも、内にも大きかったという事ですか」

「ええ。それは、強力な呪いのようなものでした」

『乃木 雪』という個人を殺し、乃木として生きろ、という。

「だから、嬉しかったんです。月並みですけどね」

 乃木の娘、ではなく、『乃木 雪』としての私を、見てくれていたから。




「雪ちゃんのお弁当、なんか、武士って感じだね。ていうか、これ、お箸必要なの??」

 机をくっつけて、隣に座っている東雲さんが、私の弁当を覗いている。

 たしかに、私のお弁当は、普通のそれとは異なる。

「デザートに、小松菜のおひたしがあるから」

 そう言うと、東雲さんは、お化けでも出たかのように驚いて、

「それをデザートっていう人、初めてだよ」

「ええ?! そ、そうなの??」

 すると、この会話を聞いていたのか、東雲さんの隣に座るギャルが、割り込んでくる。

「乃木の娘も、そこまでキャラ作りに必死になると、気持ち悪いぜ?」

 な、初対面で、なんてことを!!

「京ちゃん! さすがに言いすぎだよ!! 雪ちゃんだって、悪気は無いんだから!」

 東雲さんがフォローに入ってくれるが、なぜか少しイラッとくる。

「あ、あなたね。そんな格好で学校に来るなんて、校則違反でしょ?!」

 このまま言われっぱなしじゃ終われない!

「は! 反論できないからって、話題変えようってか! 乃木の娘もたいしたことねえな」

 この、良く口のまわる・・・・

「乃木は関係ありませんでしょ? あなたの格好は、クラス委員として見過ごせませんから!」

 こう言っても、全く意に介さないのは分かっている。

「クラス委員ごときの言うこと聞くかよ。この格好が好きだからする。文句あっか!」

 自信満々に持論を展開する。が———

「もっと、なにか理由は無いんですか?! それただのわがままじゃ無いですか!」

 あまりに身勝手な主張に度肝を抜かれた。

 激しい言い合いに、クラスに残っていた人たちの注目も集ってしまう。

「そうだよ? 好きだからする。何が悪い!」

「悪いも何も、だから校則で・・・・」

「その校則は、誰が、何を基準に、何の目的で作った?」

「え? そ、それは・・・・」

 そう言われると、そこまでは答えきれない。

「ほら、こたえられねえだろ。そんな曖昧な基準で、尺度で人をはかんなよ! 縛るなよ!」

 心の奥底にある本心なのだろう。

 真摯に向き合わないといけない。気がする。

「で、でも! 黒以外の髪色は多々良様によって禁止されています!」

 正確には、多々良様を奉っている、『新』によってだが。

 さすがに今のは効いたのか、悔しそうに奥歯をギュッと噛み、私の顔をにらみつけてくる。

 この問題児が・・・・

 バチバチと、火花が散りそうな程に、視線と視線がぶつかり合う。

 胸に手を当て、どうなるかを心配そうな表情を浮かべるクラスメイト達。

 気づけば、外に行っていたはずのクラスメイトの多くも、教室に戻ってきている。

 学校一の不良ギャルと、日本の御三家、乃木の一人娘による一騎打ち。

 注目を集めるのも当然か・・・・

 そんな、一触即発の空気の中、のほほ~んとした声が、耳に入ってくる。

「あのさ~ちょっといい?? さっきから京ちゃんが言ってる、乃木の娘って何のこと?」

「「「へ??」」」

 まさかの一言に、クラス中の、張り詰めていた緊張感が、一気に解けていく。

 うん??? ええ???

「おい、大和、お前乃木家のこと知らないのか?」

 呆気にとられ、言葉を発せずにいると、私と言い合っていたギャルの子が、神巫さんだっただろうか? 問いを返す。

「えっとね~乃木家っていうのはなんとなく分かるよ? でも、それが雪ちゃんとなんの関係があるのかが・・・・??」

 ??? あの子がなにをいっているのか理解できない。

 乃木という性を名乗ることが許されている人物は、この日本において数名しかいない。

 言わずもがな、御三家の乃木一族のみだ。

「関係があるも何も、こいつは乃木家の跡取り娘だぞ?!」

 神巫さんが驚いたようで、思わず声を荒げる。すると、

「えぇ!! そうだったの?!」

 東雲さんは東雲さんで、驚愕を全身で表現した。

「当たり前だろうが! だから皆こいつには・・・・」

 続きを言いかけて私の方を向き、言葉を止める。

 粗悪な子だと思っていたけど。

 意外と優しい子なのかもしれない。

 教室にいる他の子達も、神巫さんの言いたいことが分かったのだろう。一斉に口をつむんでいる。

 久方ぶりに声をかけられて、舞い上がってしまっていたけど現実はこうだ。

 乃木家の人物に容易に関わるなんて———

「へえ~でもさ、雪ちゃんは雪ちゃんじゃん? 乃木さんとか、関係ないし」

「え・・・・?」

 思わぬ一言に一瞬思考がとまる。

「正直乃木さんがどう、とか言われても良くわかんないし。でも、雪ちゃんなら良く知ってるよ! 日本史の時、毎回眠気と闘って、結局負けちゃうこととか。数学の問題、すっごく速く解けるのにケアレスミスをしちゃうこととか。天然でおっちょこちょいな雪ちゃんが、乃木さんの関係者とか言われても・・・・」

 これを聞いていたクラスメイト達の表情が、少し曇る。

 動物園のパンダさながら、色眼鏡で私を見ていたことを、一人の女の子に暗に糾弾されたのだ。

 天然で、周りの事なんて気にしない。だからこそ、周りの人々に、強く深く突き刺さる。

 彼女が、なんの意図を持ってこんなことを言ったのかは分からない。

 でも、この言葉が、私の環境を変えてくれたのは事実だ。

「東雲さん」

 私を、乃木 雪を見てくれている人がいた。

 行き場のない、捨てられた感情に、居場所を与えてくれた。

 涙が一滴、頬を伝う。

「えっ? どうしたの雪ちゃん、なんで泣いてるの?! 私なにか悪いこと言っちゃったかな??」

 二滴、三滴・・・・大粒の滴が、あふれてきて止められない。

 乃木 雪としての感情を捨てて数年。

 自分すら見ていなかったものを、ちゃんと見てくれている人がいた。

 教室で号泣する私を見て、他の皆はどう思っただろうか。

 乃木の娘のくせに、国を背負う人間のくせに。

 そう思うだろう。

 私も、そう思っている。

 でも、

「大丈夫だよ、雪ちゃん。大丈夫だから」

「ああ、乃木の娘が、だらしねえ。ほら雪、しっかりしろ」

 両手を包む温かさを感じると、さらに涙が止まらなくなった。

 キーンコーンカーンコーンという無機質な音が響き始め、昼休みの終わりを知らせる。

 午後の授業、まともに受けられる気がしないな。

「授業サボっちゃおっか」

 普段なら絶対に断る。でも、今はこの両手を離したくない。

「うん。さぼっちゃおう・・・・」

「京ちゃんは?」

「いや、こいつが・・・・ああ、そうだな。もとからサボるつもりだったし」


 山と海に挟まれたこの街のロケーションは、最高だ。

 山側には、異質の存在感を示す巨大な鳥居が立っている。

 屋上の柵にもたれ、未だ涙の止まらない私を、二人は何も言わずに支えてくれる。

「本当に、ありがとう」

 風になびかれ数分、やっと涙が止まり、二人の顔を交互に見る。

「やまとちゃん、ありがとう」

 東雲さんは、照れくさそうに、でも、笑顔で応えてくれる。

「京ちゃんも、ありがとう」

「なっ・・・・ちゃん付けはやめろ」

 そう言って、照れくさそうに、景色へと視線を移す。

「二人が仲良くなれて良かった! これも雨降って地固まるってことかな?」

「雨なんて、そんな迷信信じてるんですか?」

「い、いや違うよ! なんか、ことわざとか使ったら、かっこよくまとまりそうだったから」

 そんなやまとちゃんを見て、ぷぷっと噴き出してしまう。隣のギャルも、なにかツボに入ったようで、腹を抱えて笑っている。

 昼下がりの屋上で、私は初めて授業をサボった。

 初めて友達と笑い合った。

 ———初めて、友達が出来た。




「ねえ、乃木さん。ここの問題なんだけど、分かる?」

 昼休み、三人でお弁当を食べようと机を動かしていると、私の席の前に座る女の子が、話しかけてくる。

「ああ、ここはね、普通に計算しても面倒くさいから、解の方式に当てはめるのよ」

「ああ~そっか! ありがとう、乃木さん!!」

「ううん、それくらいなら」

 未だに、誰かに声をかけられると緊張してしまう。言葉も上手く出てこない。

 家の大人や、『新』の関係者なら、何も恐れず、感じずに話せるのに。

 クラスの子と、喋るのが怖い。

 嫌われたらどうしよう。

 嫌な思いをさせてしまったらどうしよう。

 でも、それは友達を失いたくない、という強い気持ちの裏返しなんだと思う。

 だから、こんな気持ちになれること、それ自体が幸せなのだと思う。

「あ、乃木さん。私もここ教えて!!」

「あ、私も、国語ちょっと分からなくて・・・」

「ねえ、こっちで一緒にお弁当食べない?」

 さっきの一人を皮切りに、多くのクラスメイトが私の机を取り囲む。

「ごめん、また後でいいかな??」

「大丈夫だよ~ていうか、お弁当私達も一緒に食べていい??」

 二人の顔を見る。

 やまとちゃんは、もちろんオーケー! の顔。

 京は・・・・すっごい嫌そうだ。

「別に、勝手にしろよ」

 そういうと、一人少し離れてしまう。

 視線はこっちから全く動かないが。

 素直になればいいのに。

「それ、雪ちゃんのお弁当?!」

「ええ、そうだけれど」

 私のお弁当を見て、目を見開いている。

「お弁当というか、お重というか・・・・一人分じゃないよね?」

 うっ、まあ、バレるわよね・・

「うん・・・・やまとちゃんに食べてもらおうと思って。そしたら、作りすぎちゃって」

「ええ! これ、乃木さんの手作り?!」

「うん。一応、全部」

「す、すごい・・・・」

 一緒に食べようと席を移ってきた子達も、若干引いているように見える。

 やり過ぎてしまっただろうか・・・・

「うんま~い!! なにこれ!! プロの味だよ!! すごいよ雪ちゃん!」

「え? そ、そう?」

「うん!! 止まらないね~」

 その言葉通り、お弁当の中身がどんどん減っていく。

 料理は鍛錬の一貫で、小さいころから教え込まれてきたから、苦手ではない。

 むしろ、腕前は相当なものだと思う。

 でも、誰かに食べてもらうのは、初めてだった。

「良かった・・・・」

「どれどれ? ほんとだ! まじでおいしい!」

「何これ? 輝いてる・・・・!!」

 ものの数分でお弁当が空になってしまう。

 誰かに自分の作った料理を食べてもらうのが、こんなに嬉しい事なんて・・・・

「雪ちゃんは良いお嫁さんになるね~」

「お、お嫁・・さん??」

 顔がかぁ~と赤くなるのがわかる。

 結婚なんて、考えたことも無い。

「うん! 雪ちゃんの旦那さんは幸せものだろうな~」

 まだ見ぬ幸せな食卓が頭に浮かぶ。

 私が腕を振るって料理を作り、それをやまとちゃんの様に笑顔で食べる旦那。

 小松菜のおひたしがデザートだ。子供は嫌そうな顔をしている。

「な~にをニヤニヤしてんのかな~?」

 突然の声に、ハッと我に返り、顔を上げると、下卑た笑みを浮かべる京がいた。

「う、うるさいです! い、いつの間に・・・・」

「いんや、弁当が旨そうだったから、つい。唐揚げ、旨かった」

 鼻をポリポリかきながら照れくさそうに。絶対に目は合わせてくれない。

「そ、そう。ありがとう」

「で、なんでニヤニヤしてたんだよ」

「か、関係ありませんでしょ? 何でもありません」

 そんなに表情崩れてたかな・・?

 でも、そんな家庭を築ければ、どんなに楽しいだろう。

 しかし、残念ながらそんな未来は訪れない。

 乃木の一族である以上、平凡で幸せな家庭など、築くことは不可能だ。

「不可能じゃ無いよ!」

「え?」

 まるで私の心を読めているかのようなタイミングで、やまとちゃんが声をあげる。

「雪ちゃん、また諦めてる顔してた! 入学した時と同じ顔してた!!」

 入学したとき・・・・友達なんて、他人との関わりなんて要らない。そう思っていた時だ。

「なにに悩んでるのかは分からないし、分かっても、支えてあげられるとは思わない。でも、これだけは言える。諦めたら、そこで試合終了なんだよ!!」

 無責任で、無鉄砲で、投げやりで。でも、その言葉には力があって。

「なんで、西暦のマンガなんて知ってるんですか」

 説得力なんて全くない。

 根拠なんてどこにも無い。

 やまとちゃんや、クラスメイトに囲まれて過ごす普通の日々。

 一度は諦めたものだ。

 でも、諦めたものですら手に入るんだ。

 諦めなければ———

「普通の旦那を捕まえて、平凡な家庭を築く。必ず叶えて見せます」

「うん! 全力で応援するよ!!」




「普通のお嫁さん、ですか」

 指導室。机を挟んで正面に座る先生が私の言葉を反芻する。

「はい。おかしいですかね?」

 言っていて恥ずかしくはあるんだ。

「おかしいなんてことはありませんよ。立派な夢の一つだと思います。・・・・あなたが乃木家の人間で無ければ」

 最後の言葉だけは、冷たく感情がこもっていなかった。

「いえ、むしろ乃木の人間だったからこその夢なんです」

 そう。乃木に産まれたからこそ。

「普通に結婚して、普通に家庭を築く。毎日ご飯を作って、洗濯をして仕事で疲れても掃除を頑張って・・・・そんな家庭を築きたい。そう思えたのは、それが許されない乃木に産まれたからこそなんです」

「乃木さん・・・・」

「でも、この夢も皆に出会えてなかったら、持つことは出来なかった。だから、絶対に叶えたいんです。私のためにも、こんな私に、素敵な夢を与えてくれた、皆のためにも」

 先生の顔をしっかりと見据え、もう一度ハッキリと宣言する。

「私は、普通のお嫁さんになって見せます。その上で、乃木の責務を果たして見せましょう」

「そこは、譲れないんですね」

「はい。そもそも、簡単に譲れるのなら、とっくに捨てています。乃木の誇りは、そう簡単に捨てられるものじゃない」

 たとえそれが、多くの苦しみを与えるのだとしても。

「乃木家に産まれ、幼いころから厳しい鍛錬をこなしました。おおよそ幼い少女が行うものとは思えないものまで。また、乃木の家名のせいで、周りからは畏れられ、人間関係は破綻した。それでも、乃木という家名は、私の誇りで、支えだったのです」

 選ばれたものにしか、名乗ることの許されない家名。

 日本の中枢を担う重圧。

 神の加護ある国で、神に仕える家の一人。

 こんなにも光栄で、誇りある家に産まれたことは、私の人生一番の幸運なのだ。

「だから、決めたんです。乃木の誇りは汚さない。でも、乃木 雪としての人生も捨てない。どちらも完璧に守ってみせる、と」

 あの日、屋上から眺めた景色が、ぽうっと浮かんでくる。

「案外、自己中なんですね」

「言い方の問題ですよ。私はただ、欲張りなだけですから」

 先生はそれを聞き、ふっと笑みをこぼす。

「変わったように見えたけど、根っこは変わってないんですね。でも、あなたらしいです」

「なんですか、それ?」

「なんでもありません。もうこんな時間ですし、帰りましょうか」

 そう言われて時計を見ると、もう短い針は5と6の真ん中を指している。

「はい。って、あれ、反省文は??」

 話すのに夢中で全く書き直せてない!!

「ああ、あんなのどうせ私しか読まないから、良いんですよ」

 ええ、じゃあ私なんで残されたの・・・・?

「乃木さんとは、少し話してみたいと思ってたんです。先生のわがままですみません」

 深々と頭を下げる先生。

 ・・・・そういうことだったか。

「謝ることはありませんよ。私も、とても有意義な時間だったと思いますので。それではまた明日。さようなら」

 ギイーと音のする扉を開けて外に出る。

「さようなら・・・・乃木の誇りも、みんなとの日々も、守る・・・か。それは、もっとも酷な選択かも知れませんね」

 扉が閉まる瞬間、先生の口が動いているのが見えた。

 ??なんていったんだろ・・・・

「おっそ~い!! やっとでてきたか~」

 一気に意識が、別方向からきた声に向かう。

「やまとちゃん?? 京?? 待っててくれたの??」

 振り向くと二人が、部屋をでた私の方に駆け寄ってきている。

 正確にはやまとちゃんだけだけど。

「うん! 京ちゃんとゲーセンよろうって話になったんだけど、私達だけでいったら、また雪ちゃんすねるかな~って」

「だから、大和が待とうってな。にしても長すぎだろ。優等生が聞いて呆れるぜ」

「う、うるさいですわね。待っててなんて言ってないですから」

 なんでツンデレ?! すっごく嬉しいのに。

「私達が待ってたかったから待ってたの! 迷惑だったらごめんね?」

 やまとちゃんに気を遣わせちゃった?!

「い、いや、迷惑なんて!! 誰かに待っててもらうとか、はじめてだったから・・・・」

「はあ? お前学校帰りによく迎え待たせてんじゃん?」

 この人、ほんと空気の読めないわね。

「そう言うんじゃなくて・・・・友達が、待っててくれるのって・・・・」

「は、友達待つなんて、そんくらい当たり前だろ」

「友達なら、当たり前」

「アルシンドか」

「ア、アルなんて?」

「ごめん。忘れてくれ」

「もう時間なくなっちゃうよ?? そうだ! 今日は二人と出会って一年と半年! 鳩形クッキーパーティーしようよ!!」

「いや、まだ半年はたってねえよ。一年と三ヶ月くらいだろ」

「えへへ。まあ、細かいとこは良いじゃ無いか!! しよう! 鳩形クッキーパーティー!!」

「それ言いたいだけだよな?」

 そんなくだらない話をしながら、ゲームセンターへと向かって歩き出す。

 平凡で、何にも無い一日がすぎていく。





なんか、コメディーっぽくない気が、、、、次は思いっきりやります!!

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