凡
美晴と女の出会いと
高校時代について少し。
私が彼女に出会ったのは中学の時だった。
確かに友達は不良と呼ばれる子が多かったけれど
彼女だけは違った。
出会った時の彼女からは殺意さえ感じ取れた
この世界にあるもの全てを呪っているような。
話してみると最初は刺々しかったが
時間が経つにつれ優しいところもある事も知った
一般的に言う優しさとは違うかもしれないが
彼女は情に熱く心を開いた人には
全く違う態度なのだ。
私は彼女の変化にも苦しんでいた事にも
気づいていなかった
彼女が欲しかった言葉は何かと
真剣に考えたことは無かった
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高校は都内の通信に通い始めた
正直言うと凄くつまらなかった
また別の雰囲気を持った同世代の集まりで
うまく馴染めなかったかな。
学校の思い出はほとんどなく
高校時代も他校の人と横浜で毎日のように
遊び回っていたかな。
不毛だと言われたらそうなのかもしれない
中学時代同様、私は楽しかった。
高校生の時に付き合った彼氏は
別れた後三年間引きずった。
美晴は覚えてるかな?
私はよく周りにも同情されることが多かったが
彼は初めて色んな経験の話をしたら
私の代わりに泣いてくれて、
その後は同情することなく甘やかすこともなく
時にはひどく怒られたこともあった。
そんな彼を時間が経つにつれ私は
信用しはじめていた。
喧嘩は数えられない程したが
彼は私にとってはじめての異性の
味方のような存在だったんだと思う。
お酒に酔って自分を見失っても
私が狂ったように泣いても
彼は私を離さないでいてくれた。
ある日いきなり父にアメリカ留学を進められた。
それが原因だったのか
私に愛想を尽かしたのかわからないが
私の渡米日に彼とは別れてしまった。
「留学さえなければ変わっていたかもしれない」
私はそれから3年間彼を忘れることは無かった
同時に結局どんなに永遠を誓っても
別れは来てしまうと
その時に悟ってしまった。
それからは誰に対しても心にもないことを
平気でいうようになっていた。
「好きだよ」「愛してる」
この2つの言葉をどれだけ言ったか覚えていない
本当に欲しいものは手に入らないと思った途端
それでも一人になるのが怖くて仕方なくて
好きでもないのに嘘を並べて
一人になるのを避けていた。
誰と手を繋いでも
誰とキスをしても
誰とセックスしても満たされることもなく
ただどん底に落ちるような感覚だった。
思えば初めての失恋だったのだろう。
アメリカに渡ってからもすぐに彼氏を作り
嘘を並べて自分が嘘だらけになっていき
自己嫌悪にも陥っていた。
アメリカに渡ったその時の夏、
一時的に日本に帰ることにした。
夏祭りであの彼を見た時
自分でも驚くほど泣いていた。
見かけただけで胸の鼓動は早くなっていき
あっという間に目の前の視界はぼやけた。
友達のように接して話しかけると
彼は少し寂しそうに昔と変わらず私と話し始めた
そのまま一時帰国中私が借りていたホテルに
酔っ払った彼と帰った。
私と彼はいろんなことを話した。
何を話したかもう前のことすぎて覚えていないが
彼が泣いたのは印象的だった。
彼の大泣きする姿はそれ以来見ることは無い。
今となってはそんな彼とも普通の友人だが
やっぱり2人でいる時の空気感は
他には変えられないほど特別なもの。
お互いの彼氏彼女の話をする時流れる
寂しい空気感でさえ特別なもの。
時間というものは止まれと願うほど
早く進んでしまうようで私はアメリカに戻った。
アメリカに戻ってしばらくは
抜け殻のような、まるで自分を遠くから見ているようなそんな生活が続いてしまった。
それから何ヶ月が経ち、
私はフランス人と付き合うことにした。
その人は私とは真逆で
家族に愛され、周りに恵まれ
純粋で優しくて私には眩しいような人だった
私は彼の優しさや彼の持っているものさえ
妬んでしまうような人間なのに、
彼は私の無理難題なわがままにも攻めることなく
ただひたすら私に尽くしていてくれた。
なのに私は彼を本心から愛することは一度もなく
一年経つと二股さえかけていた。
彼は人を疑うことを知らなかった
私は彼を何度も傷つけていたと思うが、
一度も攻められることは無かった。
彼の優しさに触れる度に自己嫌悪に陥り
彼を傷つけての繰り返しだった。
アメリカでの生活は学校もろくに行かず
ただひたすら飲み明かしていた毎日だった。
日本と何も変わらなかった。
それでも英語は自然と少しは身につき
海外の人とのコミュニケーションや文化の違いは
面白いものだった。
美晴とは留学期間全然会えなかったよね
時差があるのに私が泣いて電話したりした時
優しく話を聞いてくれてありがとう。
もうすぐ薬が効く時間なので
続きはまた明日ね。