痕
日記の続き
中学時代です。
今日の夜はこないだよりも居心地がいい。
居心地のいい夜はあなたは嫌いだったよね。
周りとは真逆なものを好むあなた
親友であったのに何もわからなかった
もらってばかりで与えられなかった。
今日もあなたの言葉を追っていく
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母に引き取られてからの毎日は
「痛み」とゆう言葉で表すしか出来ない。
前に書いた通り具体的に何があったかは
思い出せないのだ。
引き取られてから約1年最後の母との生活だった
今となったらおかしいのがわかるが、
母は私に性的な事も
求めてくることがあった。
中学になってからはそんなことも
周りに隠していた。
これもほかと同様具体的になにをしたかされたか
思い出そうとすると真っ白になる。
私は中学2年になり、学校外の友達が出来て
夜遊び、飲酒や喫煙を覚えた。
法律ではいけないこととわかっていたけど
正直その頃の私はこれが親への反抗であり
抵抗だったんだと思う。
家に帰ることをさけ、
友達とばかり居るようになった。
所謂非行少女だ。
大人からすれば馬鹿らしいと思うと思う。
今の私でさえ若気の至りだな、なんて思う。
でもその頃の私には大切な居場所だったりしてた
ある日帰ることなくよく遊んでいた横浜西口を
酔っ払って歩いていたら
見覚えのある男がこっちに向かって歩いてきた。
5年ぶりかの父との再会だった。
父に腕を掴まれ車に乗せられた。
どうやら母がしつこく頼んだらしく
私を連れ戻しに来たようだった。
父は車の中で無言だった。
何も聞かず、何も怒らなかった。
本当は怒って欲しかったのに
父はそのまま都内のビジネスホテルに私を連れた
「こんなになるまでごめんな。」
そう父は私に言ってホテルの部屋から出ていった。
その日から私のホテル暮らしがはじまった。
何も怒らない父、鳴り止まない母からの電話
セーラー服姿の自分を鏡で見た時泣き崩れていた
何が辛かったのか何が気に食わなかったのか
父が怒らなかったことへの悲しみなのか
母からの着信音の恐怖なのか
分からなかった。
今思えば、セーラー服の中学生が
ホテル暮らしなんておかしな話だ。
周りからの視線が痛かった。
校則違反の金髪の髪、校則違反のピアス
そんな小さなことがあの頃の私の唯一の反抗
それから次の日、父に連れられ実家に向かった
父はまた無言だった。
実家に着くとまるで仮面をつけているような母
「心配したのよ、大丈夫?ママといよう?」
母は何年も聞いてなかったような優しい声で
私にそう言ってきた。
もしもあの時母を選んでいたら
もしも私が母に寄り添ってれば
今でも後悔がある。
どんなに母を恨もうとしても恨むことはなかった
それならいっそ、支えてあげるべきだった。
でもあの頃の私は母を拒絶した。
そして荷物を詰めてホテルに父と戻った。
父は自分の家には私を呼ばなかった。
それを私は問いただすこともしなかった
父と会っていなかった期間のせいで
甘え方も話し方も忘れてしまっていた。
また1人ホテルで暮らした。
約半年以上都内のホテルで暮らした。
勿論その期間毎日のように遊んでいた。
派手な格好で
大人が見たら少し恥ずかしいと思うような
そんな反抗の象徴の様な私が出来上がっていた
彼氏もいた。
またその彼氏も酷いもので、
浮気症な上に暴力を振るう人だった。
私はそんなに殴られやすい体質なのかなと
自分を殺したくなった。
私のその頃一番仲良かった子と平気で浮気したり
浮気してるくせに別れようとすると
駅ど真ん中で殴られる。
段々私にも限界がきていた。
その頃から左腕には傷が増えて言った。
「リストカット」
最近はよく見かけるもの。
「メンヘラ」
これもまた最近何故かファッション化している。
何本切っても、私が望むものが得られるわけじゃないのにひたすら血を見て生きてる実感をしていた。
気持ち悪いと思われても仕方ない。
自分に酔ってると言われても仕方ない。
そんな自分が私は大嫌いだった。
全てを壊してしまいたかった。
そして、父はある日横浜の方に家を借りた。
私の為に借りてくれた。
そんなことでさえ喜んでいた。
父はその家にほとんど顔を出すことは無かった
何故かなんて聞きたくなかった。
母は昔から父の不倫を疑っていた。
でも私は疑っていなかった
父は普通で母がおかしいと思い込ませてないと
自分がされたことやいろんな辛かったことが
あふれでそうだったのだ。
だから父だけを信じていた
たとえ帰ってこなくても。
新しく借りた家には勿論友達が泊まりに来て
朝から夜まで呑み明かして楽しかった。
悪いことなのかもしれないけれど、
私は今でもその頃が楽しかったと思い出せる。
ただきつかったことがあった。
警察のお世話になってしまった時
引き取り人が私にはいなかった。
父に電話しても出てくれることは
ほとんどなかった。
周りが親に怒られつつも
迎えに来てもらってる姿を見ては
1人で泣いたりしていた。
そんな毎日の繰り返しだった。
私立の中学も中退して、籍は置いたものの
中学に顔を一度も出さず遊んでばかり。
今思えば とゆうことが沢山ある。
いい意味でも悪い意味でも。
この頃からだろうか
自傷行為が日に日にひどくなっていた。
自分で止められるものでもなかった。
かまってちゃんだ とか言われることもあったが
止められなかった。
苦しくて仕方なかった
なんて人生は不条理で苦しいんだって
今日はここまでかな。
美晴、親友でいてくれてありがとう。
あなたが中学の頃そばに居てくれたから
私は少しは寂しさを忘れられたんだよ