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思考の旅路

色のない場所

作者: 椎名円香

ご閲覧頂き誠にありがとうございます。

 ここではないどこかへ行こうと思った、と、月子は自白する様に言った。日曜日、仄かに霞みがかった晴天の下である。どこへともなく、ただふらりと、彼女はひたすら歩いてゆく。道中、様々なことを考えた。ワンピースの水玉模様のように、些末な考え事が浮かんでは消えていく。ちょうど、月が満ち欠けする様に、同じ問いが脳裏を旋回した。

 しばらく歩いて、知らない町についた。月子は達成感と脱力感に襲われて、そのまま河原の草むらに座り込んだ。しかしそこには先客がいた。

 先客の名は、斗真といった。月子と同じ町から、同じ理由で、ここまで来たらしかった。二人は親近感を感じて、そのまま一緒に座って思い思いに話しはじめた。

「たまに、空に見下されてる、って思うとき、あるよ」

「擬人法?」

「うん」

 月子が頷く。

「でも、なら、空はおれたちに見上げられてるよな」

「そうだね」

「もしおれたちがいなかったら、空って存在しないのかな」

 心底疑問そうに、斗真は首を傾げた。そのまま、空を見上げる。空は知らないうちに霞みが晴れて、眩しいほどの輝きを放っていた。

「どうしてそう思ったの?」月子が聞く。

「なんとなく」斗真は即答した。

「でもさ、思わないかな。たまに、今自分がここにいて、隣にお前がいるけど、もしお前がいなかったっら、今ここにいるおれってなんなんだろー、って」

「なんか、アリバイみたいね。一緒に誰かがいなかったら、ほんとにその時そこにその人がいたって証明できないんだ」

「そうそう、そういうことだよ」

 斗真は草むらに手をついて、少し嬉しそうに月子のことを見た。灰色のパーカーが草だらけになっていた。

「それとおんなじでさ、いまここにおれたちがいなかったら、今おれたちが見てるこの空って、ないよな」

 両手を広げて空を表現する。実際はこれよりも大きいけどさ、と、当たり前のことを呟く斗真に月子は少しだけ笑った。

「そうかな」

「なんか否定的だな」

 斗真が唇を尖らせる。月子は少しだけむっとして斗真から目をそらした。

「批判的と言ってよ。まぁ、否定的な意見を言うことには変わりないけれど」

 言って、月子はため息をついた。一拍置いて、再び口を開く。

「私たちは、それは、そうだと思うよ。誰かいないと、きっと存在できないよ。でも、それは疑うからだと思うの。私たちがいなかったとして、今ここに空があることを疑う人って、いるかな。それに、今私たちが空を見てなくったって、他の誰かが空を見てるよ。だから、誰にも見られてない空なんてない。いつだって空には証人がいるよ。もし証人がみんないなくなったら、空があるってことを疑う人だっていない」

「だけど、おれたちが今見てる空と、他の誰かが見てる空は違う空だ。今おれたちが見てる空があるって証明できるのは、おれたちだけだと思うけど」

 食い気味に斗真が反論する。反抗的というよりは純粋に議論を楽しんでいるようだった。

「違くないよ。天気とか、まあそういうのはあるかもだけど、空って一個しかない。人間と違ってね」

「空は一個だから誰がどこで見てたって証明できるけど、人間は一人じゃないから、誰か一人の存在が証明できたってそれで別の場所にいる別の誰かの存在までは証明できないって、そういうこと?」

「そう」

 月子が頷く。斗真は面倒そうな顔をして眉を顰めた。

「一人じゃないって、面倒なことなんだな。よく、孤独とか、孤立とかいうけど、案外悪くないのかもしれない。だっておれたち、一人じゃないから、一人なんだ。そりゃ、まあ、集団だけど、孤独が集まって一つなんだよな」

「今も、孤独が二つ集まって二人だ。あなたと私、とてもよく似ているけれど、一緒じゃない。私がここにいることの証明は、あなたがここにいることの証明とイコールじゃないんだ」

 少し寂しそうに、月子が言った。それからしばらく、沈黙が続く。時間が止まってしまったようだと、二人は思う。それでも雲が流れていくのを見ると、時間の経過を感じられた。

「そういえばさ」先に斗真が口を開いた。

「お前、ここじゃないどこかって、心当たりとか、具体的なのとか、あるのか?」

「あるよ」月子は小さく答える。

「どんなとこ?」

「色のないところに行きたいの。ないっていっても、白と黒だけって意味でね。そういうところを探してるの。ここじゃない」

 月子は膝を抱えて顔を埋めた。長い睫毛が光を反射して輝く。しかし月子はその輝きさえ煩わしかった。

「マリーの部屋?」

「うん、そうだね。そこならとっても理想的」

 月子は繰り返し頷いた。再び沈黙が流れる。それを破ったのは、またしても斗真のほうだった。

「もう行こう。ここじゃ空に見下されっぱなしで息が詰まる。おんなじ町だ。戻ろう。そんで、いつか、一緒に色のない場所を探しにいこう。二人でいれば、いつでもお互いの存在を証明できるだろ」

 真剣な顔をして、斗真が言った。色のない場所など、きっとどこにもない。それを分かった上で、終わりのない旅路を提案する。問いかけばかりの冒険だ。空に見下され続ける選択だ。それでもいいかと、斗真は視線で念を押した。月子は少しだけ驚いた。

「それ、本気で言っているの? だとしたら、面白い。すごく面白いわ。うん。そうだね。帰ろう。それで、いつか絶対、二人で行こう。約束」

 月子は右手を差し出すと、小指を立てて小さく微笑んだ。約束、と再び呟く。斗真はそれに驚きつつ、呆れたような顔をして指切りをした。

「ああ、約束。絶対だ」

 斗真は優しく微笑んだ。それを見て月子は嬉しそうに表情を緩める。二人はそのまま手をとって立ち上がると、青い空を見上げた。見下されている。しかし、見上げている。

「帰ろうか」

「うん」

 青空の下、二人の小さな背中が光の中に消えていった。

お読み頂き誠にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 初めまして、拝読させて頂きました者です。 この作品の良いところは、美しい言葉での表現と、思考のプロセスだと思います。 結末に繋ぐ二人の会話は、色々なことを考えさせてくれます。優しい雰囲気の…
2014/06/07 18:28 退会済み
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