モアイの感謝状
011001モアイの感謝状
十月に入ると熱い日々も終わり、やっと短いけど快適な季節となっていた。あたしは四季の中で秋が一番好きだった。住んでいる辺りは漁港で潮の香りがするけど、周辺には田畑も多くあり稲刈り後の藁を燃やす匂いが好きだった。
もちろん近場では煙たく息苦しい。けど遠くから漂う雰囲気に溶け込んだ状態は匂いで実りや収穫を感じることができる。
今日は土曜日で図書室も落ち着いており、少しの帳簿処理を終わらせ後は図書係りに任せて市原近くに最近出来たショッピングモールで買い物をすべく徒歩で向かった。
最近整地され整った田畑の中を幅の広い農道が一直線に伸びている。そこをひたすら歩いていく。周辺からは畑焼きの匂いが漂い牧歌的な感覚すらする。
道の左側を歩いていると横を異様な速度で追い抜いていく自転車があった。学生服を着ていることと方向から本校の生徒だろうと思った。しかし、その後ろ姿は自転車競技の選手が前傾姿勢でカッコ良く走るにはほど遠く、そう、モアイ像が直立のまま自転車と共に移動しているような感じで、少し可笑しくさえ思える。
なんと、その車輪付きモアイは、あたしの三十メートル前あたりで急停止し、方向を転換し再び接近してきたのであった。
「何やってんだお前。この歳で徘徊でも始まったか」
喋るモアイ、いえ、沖田君だった。あたしは頬を膨らませ不快感を表した。
「モールへ行くとこよ。あなたこそ、部活ばっくれたんじゃないの?」
「ハハハハ、今日はバスケが試合で体育館使えねーから終わったんだよ」
「あらそうなの。てっきり自分の素質の無さを実感して挫折でもしたのかと思った」
沖田君はそれには反撃はせず、自転車の向きを変え荷台を指差した。
(えっ何?乗れってこと?)
「送って行ってやるよ。早く」
あたしが奇怪な展開に驚きとまどっていると、カバンを取り上げ前籠に入れた。
「なんか悪いって言うか。もうしわけないって言うか・・・」
「まーお前には、色々気使ってもらったからな」
とりあえず素直に従った。横向きに座り、申し訳なさそうに後ろから沖田君の腰に手を回す。
(・・・少しだけ感謝か)
その意味がなんとなく判った。
モアイは自分の質量が比率的に、あたしの増加分を感じないのか一定のペースで快適に自転車を進めていった。
交差点で信号待ちをしていると、マフラーの消音機能を改造によって取り外し、爆音を轟かせながら一台のバイクが横に停止した。
「沖田じゃねーか、彼女連れて上手いことやってるなー」
そう言ってヘルメットのバイザーを上げる。
名前は覚えてないけど入学から間もなく退学になった元同学年の人だった。
「そんなんじゃねーよ」
「お前らには、そんなんが似合ってるよ。甘ちゃんにはな」
「お前まだ暴走族に入ってるのか?」
「ああ、お前のバレーと同じよ。クラブ活動ってやつか。またなー」
信号が青に変わって勢い良く再び爆音と共に発車していった。
「知り合い?」
「あー小学校からのな」
そこまで会話したときだった。金属が擂れる音の後、炸裂か破断した大きな音がした。その方向は今会話したバイクが交差点から脇道に入ったところで、大きくカーブした先だった。
「やりやがった。相原、自転車」
と言うなりあたしに自転車を預け、沖田君は猛然と駆けて行った。あたしも自転車をその場に立て走っていった。
そこはカーブの直前に生コンクリート会社のゲートがあり、アスファルトの道路には砂が堆積し滑りやすくなったところだった。
現場に近づくにつれ大変なことになっていることが判った。幼馴染の人は道路脇の水路に転落していて、その上に滑ってきたバイクが被さっている。そして漏れたガソリンに引火したのだろう。かなり派手に燃え上がり、更に広がろうとしていた。
それを沖田君が学生服で懸命に叩き消化しようとしている。しかし効果はあまり無いようだった。あたしが近くまで達すると。
「相原、来るな。救急車、警察、消防とにかく全部だ連絡してくれ。早く」
「うん。わかった」
あたしは来た道を逆に走りながら沖田君を見た。火が消えないので友人を水路から引き出そうとしていた。彼も火を浴びていそうだった。
コンクリート会社の中に飛び込むと事務所らしきものがあったので駆け込んだ。
「たいへんです。そこの門のところで事故です。救急、警察、消防に連絡してくれって。それと消火器が要ります。急いでお願いします」
半分叫ぶように言った。事務所に居た何人かが、すぐ行動を起こしてくれた。電話で連絡をする人。そして備え付けてあった消火器をもって飛び出した。あたしも続く。
事故現場ではバイクが行きよい良く燃えていたけど、沖田君と友人は少し離れたところで倒れていた。友人の下半身からは煙が出ていたし、沖田君の片足からも。
コンクリート会社の人が消火器を噴射して、火を消した。あたしは駆け寄った。
「ねぇだいじょうぶ?・・・じゃないよね」
沖田君は上半身だけ起き上がり、乱れた呼吸で言った。
「ああ、なんとかなった。こいつも助かったし。俺はちょっと足やられたかもな」
あたしは会社の人が持ってきた鎮火用の水が入ったバケツでハンカチを濡らさせてもらって沖田君の足にそのまま載せた。
程なくして警察と救急車が到着した。友人の人は意識はあるものの喋ることが出来ず重傷のようだ。沖田君も治療の為そのまま救急車に乗って発車した。
事故の内容は、あたしが目撃者と言うことで聞かれたが、転倒してからのことしか知らないので見たそのままのことを告げた。
沖田君の自転車が残それたので、それを押して家を探しながら歩いていった。住所は手紙をまだ持っていたのでそれを頼りにすることができた。
家に着いたけど、だれもいなかった。警察が住所等を聞いていたから、たぶん病因へ駆け付けたのかもしれない。しょうがないのでカバンを玄関のところへ置いて、ノートでメッセージを書いておいた。
そんなこんなで、その日はモールへ行く事など出来ず、そのまま帰ったのだった。
月曜日、沖田君は普通に登校し教室に現れた。但し右足に包帯を巻いていた。
「おぅ態々自転車届けてくれて、すまなかったな」
「だいじょうぶなの?その怪我」
「ちょっと火傷しただけだ。すぐ直る。部活は一週間休みになるけどな」
流石モアイだけあって火にも強いらしい。
「友達は?」
「あーヤツは肋骨二本ほど折れて、足も骨折してるから当分は務所暮らしだろうな」
「でも助かってよかったねぇ。だれも居なかったら、どうなっていたか・・・」
たしかに、あの状態なら自力で脱出すること等できず、最悪の事態に陥っていたにちがいないと思った。あたしは少しだけ感心した。
そしてその日の放課後から暇を持て余したモアイは図書室に居座り始めた。最初は大人しく新たに読む本を物色したり摘み読みをしていたが、どうも落着かない様子だった。
「おい相原―何か力仕事みたいなの、ねーのか?」
「あなた足怪我してるんでしょ。そんなの頼めないでしょ」
「別に骨折してるわけじゃないんだ。ただ皮膚が火傷しただけだから、なんともねーよ」
まあ屈強なのかバカなのか、よほど筋肉に刺激を与えないと窒息でもしそうなのだろう。
「じゃぁ悪いんだけど配本ならいけるかなぁ」
本のラベルの読み方を教え、積み重なった本を指定すると、嬉しそうに作業を行なっていた。
夕方閉館時間が近くなったとき、準備室でコーヒーを入れた。
「ここって相原の個室みてーだなー」
「いいでしょ。まっその対価は払ったけどね」
「図書委員ってことか。けどどうして相原がやることになったんだ?」
痛いところを突いてくる何の遠慮もないモアイだった。
「大失恋と引き換えよ。と言うか流れがそうなってたんだよね」
その経緯をかいつまんで話した。別に今となっては自分の中でも笑い話になっていたから、どうでもよかった。
「カッカッカッカ。お前そりぁマンガ並じゃないか。たまらん」
モアイもお腹を抱えて笑うことができることを知った。
「いいよ別に。もうネタにしかならないことだから。沖田君はどうなのよ。振られたり、失恋したりとか、そんな笑える不幸なんてないでしょ」
「あー無い。と言うか、その女の子を好きになるってどんな感覚なんだ?他のヤツは目の色変わっているよーな感じばっかりなんだが、俺には全然わからん」
やっぱり恋愛とかの感情の欠落が著しい。既に退化したのかもしれない。そうだモアイ像のように風や雨が吹き付けても、ただ整然と同じ姿勢を維持し何にも微動だにしない風景が彼には似合うような気がした。
そして四日目には、よほど欲求が限界に達したのか部活に復帰していったのだった。
その後、全校集会のとき、先の事件で警察から感謝状が届いたと言うことで、事の内容と共に全校生徒の前で沖田君が表彰されたのであった。
放課後図書室にいると、そのヒーロー沖田が現れた。
「これ、邪魔でなかったら、ここに飾っといてもらえないかなー」
そして貰った感謝状を差し出した。
「お前もいたし、重要な役目を果たした。おれだけじゃないからなー」
そう言って、置いて出ていってしまった。
見てみると沖田剛士殿の横にマジックか何かの汚い手書きで相原早苗殿と書き足してあった。
しょうがないので、事務の原田さんにお願いして額を一つ貰い、図書準備室の窓壁の空いたスペースに掛けた。
コーヒーを飲みながら、その感謝状を眺める。
「まっいいかぁー」
と、ため息をつくのであった。
ここは、だれにも邪魔されない、あたしだけの秘密基地。