大凹み
本作品は、前作『リトライ』の外伝に位置するものです。よりまして本編を読んてから、当作をお読み頂くほうが、より周辺ストーリーに厚みがでるものと考えます。が、単独でも支障のないようにもなっていますので、そのあたり選択にて考慮頂きたくお願い致します。
早苗ちゃんの場合[リトライ]外伝
作 相原由紀
監修 海砂松水
010401大凹み
あたしは後悔と共に大きく凹んでいる。もちろん自分自身に。夢と希望を膨らませ、やっとたどり着いた結果が、こんなに予想外な展開になろうとは思ってもみなかった。
自分が、そう選択をしたのだから、だれかのせいなんかではない。だからこそ余計に悔しく情けなく悲しい。
あたしの目の前には憧れの先輩が居る。二年間も我慢して、やっと同じ時間を過ごせると思った矢先の突然な展開。
図書準備室の作業部屋で先輩は、何かを一生懸命あたしに説明している。けど、そんな内容なんか全く頭に入らない。ただ先輩の口がパクパク動いてる無音の動画のようだ。
事の始まりは、半年くらい前の三者進路懇談だった。
「相原は、市高でいいんだよな?」
この学区、いえ、あたしの住む地区には事実上通える公立高校は二校ある。一つは今上がった市原高校、そして、もう一校は志賀高校。他は私立が一校。
当然このような場合、中学の成績で上位三分の一が市原、中間の三分の一が志賀、そして残り三分の一が私立となる。
その分割は何かの申し合わせが出来ているかのように鋭利な刃物で切るが如くあっさりと、そして容赦なく行なわれる。
幸いあたしの場合は上位三分の一だったことから、この懇談でも当然の如く市原への進学であるとの確認程度になるはずだった。しかし。
「すいません。あたし、志賀高にしちゃダメなんでしょうか?」
「えっ志賀って、お前の成績なら、まったく問題無く市原で通るぞ」
「でも、志賀高がいいんです。なんとか、ならないでしょうか?」
「そう言ってもなー・・・これが、お前の今までの成績だ。これだと志賀にするとだなー試験が零点でも余裕で合格になってしまうなー」
先生も予想外なあたしの希望に混乱しているようだ。母は何も言わない。ただ以前から好きなようにと言ってくれている。感謝しかない。
「あっそうか、相原の姉さんは由紀だったよなー志賀でがんばったらしいな。卒業の時、優秀だったって、特別に表彰されたんだってなーそれでか。なるほど」
そんなことは、これっぽっちだって思ってない。実のところ、お姉ちゃんは、たしかに凄かったようだ。でも、あたしも、そんなふうになれるなんて思ってもいないし、なろうとも思わない。
あたしには口が裂けても言うことができないような本当の理由があるのだから。
「はい。そこまでってことはないんですけど、姉から志賀高って、いいところだって以前から聞いて、あたしも憧れるようになって・・・」
「そっか、まあ本人の希望だったら、別にどうこう言うことは無いんだがな。ただ知ってるだろうと思うが、市原と志賀じゃぁそれだけで周りの評価も違う。敢えて損なほうを取ることも無いんだがな。お前が、それでいいって言うなら止めはせんが」
「はい、ありがとうございます。志賀高で、お願いします」
「わかった。お前なら志賀でトツプを取れるだろう。姉さんみたいに、おもいっきり、やったらいい」
そんなやり取りの末、不純な志望動機は闇に閉ざしたまま、あたしはこの春から志賀高一年として桜満開の名物坂を登り新たな高校生活を踏み出したのであった。
ついに念願叶っての新しい世界の幕開け。何もかもが新鮮だったし、初めての出来事ばかり。地区の様々な中学から集まった新入生。知らない人のほうが圧倒的に多く、既にそんな中から、新たな集合体がぽつりぽつりと形成されつつあった。
また、新入生の課題として大きなものに部活の選択がある。もちろん帰宅部を選択することも出来るけど、志望動機と同様に計画に入っている明確な希望とするクラブがあった。
中学の時はテニス部であったので、と言うエスカレーター的動機ではない。もしかしたら、全く経験したことの無いクラブでもいい。とにかく目的を達成する為と言うか、必要なら相撲部でもいいとさえ思うくらいだった。その場合もちろんマネージャーだし、この学校に相撲部は無いが。
あたしは見学の為、まず目的とする女子硬式テニス部に向かった。お姉ちゃんもここに所属していたけど、当然それが何かの理由では無い。
志賀高にはテニスコートが六面ある。男女のテニス部が使用し、隣のコート同士となる。あたしの真の目的は、その横の男子テニス部にあった。
何人かの見学者に混じってコート横にてその部活の内容を観察する。流石に中学でやっていた軟式テニスとは違い、スピードも迫力も格段に勝っていた。
そして、ついに不純な動機そのものの瞬間が訪れたのだった。
「おっ相原じゃないか。志賀に来たのか、てっきり市原とばっかり思ってたが」
「おひさしぶりです先輩。あはは、あたしそんなに頭良くないですよ。それに、ここだって何一つ不自由無い立派な高校ですから」
「まあそうだけど、またテニスやるんだろ?」
「はい。あたしヘタだから、まだ決めてないんですけど、どうかなぁーって、取り合えず見学です。けど先輩はずっとテニスやられてたんですね。だったら、決めちゃってもいいかもしれないですね」
「おいおい、俺がやってるからって、まあ悪い気はしないが・・・」
先輩は少し複雑な顔になって、言葉を詰まらせた。
「何か、問題あります?」
「実はなあ、ちょっとな。まあ相原には関係ないけど残念だなー」
その時は何のことか全然判らなかったし、想像もできなかった。けど次の日の放課後、先輩は、わざわざ教室に尋ねて来てくれて、あたしを在るところに案内した。
そこは図書室の隣で、貸し出しカウンターの奥に間仕切りで仕切られ多くの書籍整理棚の合間に作られた空間だった。
作業机や椅子があり、簡単な食器棚やポットまである秘密基地だった。
先輩は、自らインスタントコーヒーを入れてくれ、座るあたしに勧めてくれたのであった。
「相原、頼みがあるんだが。ムリにとは言わない。もしよかったらでいいんだ。検討してくれないかなー」
「はい、何でしょう。先輩の頼みなら、あたし、けっこうムリできますよ」
そんな後になって、とんでもないことになることなど判らず、その時は舞い上がったがごとく、ただ先輩の役に立てる嬉しさから次の言葉を待った。
「実はなあ、図書委員ってのがあって、ここを管理運営するヤツが必要なんだ。お前は勉強もできるし、適任だと思ってな。もちろんテニス部の合間って言うか、サブでいいんだ。やってもらえないだろうか?」
あたしは更に喜んだ。テニス部で先輩と横のコートで練習やその他色々・・・できる。それ以上に、ここでも図書委員として、もっと接近でき、二人の時間だって持てるかもしれない。こんないい頼みごとなど断るはずが無いと。
「はい。まだよくわからないし、慣れてないから大丈夫なんて言えませんけど、先輩が勧めてくださるんでしたら、あたし、がんばります」
今思えば、なんと思慮に欠けていたことか、盲目と言うか、自分でも呆れる。
「そっか、すまん、さすが三代目図書委員相原先輩の妹だ。これで姉妹そろって図書委員か。すごいすごい」
と、言いながら先輩は天井の写真を指差した。そこには初代からの図書委員の写真が順番に貼られていて、おねえちゃんは三代目として写っていた。
高校で図書関係の雑務もしているとは聞いていたけど、ここまで同じになるとは思ってもいなかった。
「あっお姉ちゃんと、智史さん・・・」
もちろん、お姉ちゃんの横には婚約者の智史兄さんの姿もあった。そっか、二人はここで愛を育んでいったんだと、このときは納得したものだった。
そして次の日から、正式な図書委員としての認定を学校の事務室で行い、図書室で業務のレクチャーを受けるべく先輩と帳簿や資料を前にしたのだった。
「いやー相原が快く引き受けてくれてたすかったよ。なかなか候補がいなくってなー時間も迫ってきて、ほんと慌ててたんだ。ありがとう相原。感謝するよ」
「いえいえ、少しでもお役に立てれば、うれしいです。でも時間って何かあるんですか?」
「ああ、それなんだが俺、来月転校するんだ。家とこ、色々あって両親離婚したんだ。母のほうが体少し弱くって、実家の大阪に帰ることになって、俺、心配だから付いていくことにしたんだ。本当は学年の変わる春休みになってたんだけど、新しい住まいとかの関係で少しズレ込んでしまったんだ」
あたしは先輩が何を言っているのか全然判らなかった。と言うか頭の思考がほぼ停止してしまったみたいになっていた。
「後、十日ほどしかないけど出来る限り教えるよ。その後は事務の原田さんが何かとサポートしてくれるから心配ない」
もう何も聞こえない。何もわからない。いったい、これって現実の出来事なのかも。
先輩と二人での図書委員。それを当然とイメージしたのが間違い。そして、いかにも簡単に引き受けてしまった。いえ、図書委員はまだいいとしても、態々進学高校のランクを下げてまで不純な動機の為にやってしまったこの行為。他の人が聞いたら、家族が知ったら、なんて言われることか。
いえ、あたしが喋らなければバレることは無い。けど、このバカさ加減は自分自身の愚かさを示すと共に、何倍にもなって自分を卑下するごとく跳ね返ってくる。
これこそ長く生きたとしても人生最大の大失敗として、堂々ランクインする出来事となったのだった。
先輩は当然そんなことに陥ってるなど思いもしない。親切丁寧に、あたしのペースに合わせ手順や内容を説明してくれている。
憧れてた先輩との学園生活。それが、あとたった数日で崩れ去る。そのカウントダウンが更に追い討ちをかけてくる。
「相原、何か体調悪いのか?以前と違うと言うか、ちょっと焦点が定まってないような感じだぞ」
「はい先輩。あたし元はこんな感じなんです。酷いでしょ。あははは」
そんな簡単にこの凹みから立ち直るなんでできない。でも、なんとか教わることは把握した。いえ、そのつもりだ。
クラブの選択。そんなものは重要事項のベストテンから遠く見えないほどの下位ランクに転落していた。当然テニスなんか、やれるはずもないし意欲も無くなっていた。
そして、最後の日が来た。先輩は、その日は手続きと挨拶だけで授業は受けないとのことだった。あたしは、朝からずっと図書準備室で待った。
昼前になって先輩は現れた。
「あれ相原、授業出なくっていいのか?」
そんなの出れるわけないでしょ。心の中で叫びながらも、態度では平静を装う。そうすると涙が自然と出てきてしまった。感情の制御が効かない。ただ先輩の姿を涙で歪んだ映像で、この世の見納めみたいな感じで心に焼き付けていた。
「相原ごめんな、大変な役押し付けて逃げていくようで」
「先輩、そんなことは、どうだっていいんです。あたし、あたし・・・中学の時から・・・大好きだったんです。ごめんなさい。不純なあたしで・・・」
何もなければ、とんでもない大告白だ。先輩も戸惑うはずだ。けど、崩れ落ちたあたしを椅子まで持ち上げてくれた。そして、その全容を把握してくれたのだろう。横に並んで、泣きつづけるあたしの顔を胸に抱きかかえ頭を摩ってくれていた。
「相原、ほんとごめんな。お前のそんな気持ち全然判ってやれなくって。鈍感だった」
しばらく、何もない時間だけが過ぎていった。お昼のチャイムが鳴った。それが、終了の合図だと、あたしも理解していた。
「先輩、ありがとうございます。もう満足です。落ち着きました。ほんと情けなくって、ごめんなさい」
「今、俺は相原になんて言ってやっていいか判らない。けど、これでお終いってことはないんだ。俺は都会へ行くけど、またいつか会えるかもしれない。まーお前も、これからなんだから、ここでもっといい恋愛があるかもしれない。次会える時は、また笑顔で会おう」
「はい、そうですね。あたしもっと成長します。こんなのだったら次の恋もできませんよね」
「そうだ相原。次いでだが、もう一つ頼みがある。俺と写真撮ってくれないか?ほら、ここの天井に貼るやつ、俺だけ一人ってのはなんだか変だろ。短かかったけど相原と一緒にここで時間を過ごした想い出に」
「はい、いいですよ。ただ変な顔になっちゃう」
図書準備室に常備しているカメラのセルフタイマーで並んで写真を撮った。先輩は、凛々しくあたしの肩に手を回し、あたしは、なんだか歯を食いしばっているような、ちょっぴり変な写真が・・・今は天井の最後の列に五代目図書委員として飾られていた。
あたし的には失恋記念写真だった。
そして今日も図書準備室でコーヒーを飲みながら、その写真を眺め、
(あたしってバカだなぁー)
と、もう何年も過去の出来事のように、ため息を付くのだった。