19章 波乱の合宿~一日目・破~
遅くなってしまい、申し訳ありません。
区切りを良くしたら長くなってしまいました…。
「「「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」」」
「駄目よ。みんなあと五度は頭を下げて。貴方達が思っているほど、深いお辞儀にはなっていないわよ。もう一度、『いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました』ハイ!」
「「「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」」」
「もっと自然な笑顔でお迎えしないと、とてもウェイトレスとウェイターとは言えないわ!ハイ、もう一度!」
「「「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」」」
えー……皆さん、こんにちは。蒼井雅人です。
突然奇怪な様子をお見せすることになってしまってすみません。
でも、これはれっきとした接客訓練なのだそうです。……久藤さん曰く。
「たかが高校生の学際だと思って手を抜かないでね。利用されるお客さま方は一般の方なのだから、街のお店よりも劣っていたら不満に思うのは当然よ」
久藤さんの言葉はいつも的を射ている。
確かに、いくら学生のお祭りとはいえ、質の悪い接客や料理を不満に思うのは間違いないだろう。
「二条さん、まだ少し恥ずかしがっているわ。現場ではそんな余裕はないのよ!」
「は、はい。すみません…」
「弓月さんも動きが硬いわよ。もっと柔らかく滑らかに!」
「え、ええ。気を付けるわ…」
「それと堺くん、フィクションの役柄を演じるのは構わないけど、やるならもっと完成度を高めないと中途半端に見えるわよ」
「……わかった。俺も本気でやろう」
接客担当の列の中央に立つ雪姫さんと凛、そして仁が久藤さんの厳しい指導の標的にされている。
それもそのはず、三人は接客集団の中心となる存在なのだそうだ。
僕としては、凛や仁は肩書があるからともかく、雪姫さんまでもがどうしてという気がしないでもないんだけど……。
「二条さん、まだ少し声が小さいわ。大きな声で、とは言わないけど、ハッキリと聞き取りやすい声でお願い」
「は、はい!」
……なんだか雪姫さん自身も真剣な顔をしてるからいいのかな。
カフェテラスのホール、広々とした空間にいくつものテーブルとイスが並ぶ中、男女合計十三人が久藤さんの指導の下接客訓練に励んでいる。
僕はその隣、カフェテラスの厨房で調理担当の十人に指導を行っているところだ。
具体的にどんな指導をしているかというと……。
「蒼井、玉葱の微塵切りって、細かさはこのくらいでいいのか?」
「蒼井君、ソースの味はどう?」
「ハンバーグって、一個の大きさはこれで大丈夫かしら?」
お店で出すメニューを一度僕がみんなの前で作って見せ、その後にこうやって飛んで来る質問に答えながら各人が一斉に同じものを作る、という形だ。
当日は作業を分担してやることになるのだけど、全員がどの作業に回っても滞りなく完成できるようにしておかなければならないからね。
「うん、細かさはこれで十分だけど、出来るだけ形を揃えるようにしてくれるかな」
「うーん……少しコクが足りないかな。あと大匙一杯ぶんだけソースを足してみて」
「えっと……大きさは大丈夫だけど、きれいな円形になるようにしてね。お客さんに出すものなら見た目の良さも大事だから」
今みんなに作ってもらっているのは、家庭料理の定番とも言えるハンバーグ。
それほど難しい作業もないし、同じ材料を使っている限り、ソースさえしっかりしていればそれほど味に違いがでない比較的作りやすい料理だね。
今現在調理の真っ最中な十人は、久藤さんが料理経験のある者として選抜したメンバーだ。
そのためか僕が思っていたよりも手際よく工程を進めてくれている。
(想定していたよりも重い負担にならなくて済みそうだな)
僕がそんな軽い安堵感を覚えていたところ、不意に声をかけられる。
「雅人くん、ちょっと来てくれないかしら」
背を向けていたホールからの呼びかけに、僕は振り向いて応える。
「久藤さん、どうしたの?」
「少し手伝ってもらいたいことがあるのよ。こっちに来てくれない?」
しきりに手招きして呼び寄せる久藤さんに、僕はなんとなく嫌な予感を感じながらも従う。
まあ、従わないという選択肢はありえないんだけど……。
「ちょっと離れるから、みんなは作業を進めて。焼きあがったら僕が味をみるから、お皿に盛りつけないで置いておいて」
調理班の十人には自由進行を告げて、僕は厨房からホールへ出る。
制服の上にエプロンという恰好のままホールへ出た僕は、こちらを向いた久藤さんの後ろに何故か接客班全員がズラリと並んでいるのを目にした。
その立ち姿は今朝初めて集合した時よりも遥かに堂に入った雰囲気のあるものだったけど、ただ一人、雪姫さんだけが少し頼りなさそうに見えた。
「えっと……。久藤さん、僕に何か用かな?」
取り敢えず正面の久藤さんに用件を尋ねる。
これから何をするのだとしても、それは恐らく久藤さんの企みなんだろうから。
「雅人くん?今何か、少し失礼なことを考えていたのではない?」
(鋭いっ!?)
「う、ううん。そんなことないよ。僕に協力できることなら喜んで……」
「そう?それならいいわ」
危ない危ない…。
どうして琴音にしろ、凛にしろ、久藤さんにしろ、女性ってこう、勘の鋭い人ばかりなんだろうか……。
「雅人くんに手伝ってもらいたいことというのはね、接客班の訓練のために、お客様役を演じてもらいたいのよ」
(あれ?思っていたよりもまともな用件だった……?)
「雅人くん…。また何か失礼なことを考えていなかったかしら?」
「い、いや!そんなことないって!」
慌てて否定する僕。
そんな僕を、久藤さんはじーっと見定めるように眺めると、最終的にニヤッと笑って身を引いた。
「ふーん……わかったわ。そういうことにしておいてあげる」
「あはは……」
渇いた笑いしか出ない僕に、意味深な笑みを向けてくる久藤さん。
(ますます逆らえなくなってしまったな……)
取り敢えず、そんな感想だけが浮かんできた。
「……以上でご注文の品はお揃いでしょうか?」
「はい。大丈夫です」
「ごゆっくりどうぞ」
淑やかな笑みで一礼して下がるウェイトレス。
「はい、そこまで。福浦さん、お疲れ様」
「ふぅ…。緊張した…」
「なかなか良かったわよ。合格点ね」
久藤さん、なかなか厳しいんだな。
声の通り方も態度も笑顔も、僕の目から見たら十分満点といって良いと思うんだけど……。
「今のと同等以上のものを見ず知らずのお客様にできれば満点ね。雅人くん相手ならこれくらいは出来てくれなきゃ」
と思っていたら、相手が僕だからという理由で評価点を厳しくされていたらしい。
どういうこと……?
「そうね。雅人が相手では全く緊張しなかったわ」
既に僕をお客に見立てた訓練を終えている凛が、つまらなさそうに息を吐いた。
「こいつはどっちが店員なのか判らなくなるほど丁寧な対応をするからな。練習台としては些か難易度が低すぎる」
こちらも既に訓練を終えている仁が、腕を組んで頷いている。
(まったく……。二人とも呑み込みが早いんだから……)
僕は先程凛や仁の相手をしたときのことを思い出して、少し拗ねていた。
凛は妙に色っぽいというか艶めかしいというか…。
洗練された動きの中にも妖艶さを感じるような雰囲気となっていた。
……妙に体が近かった気がするし。
そして仁の方は、出だしから跪いてお客役である僕を迎え、まるで執事がご令嬢をエスコートするかのような空気間で同じ接客担当の女子たちを騒がせていた。
……でも、どうしてそれを僕相手にやるかな。
そして、さっきの女生徒で十二人が訓練を終えた。
残るはあと一人、雪姫さんだけだ。
「じゃあ最後は二条さん。貴女よ」
「は、はい!」
呼ばれて僕と久藤さんの前に進み出た雪姫さん。
心なしか少し表情が暗く、緊張していることが窺える。
「雪姫さん、大丈夫?」
「え、ええ。大丈夫です…」
笑顔が引き攣り、とても大丈夫には見えない。
僕は何か言って彼女の緊張を解せないかと思い、口を開きかけたのだけど……。
「二条さん、少しいいかしら?」
先んじて久藤さんが雪姫さんを連れて行き、ホールの端で何かを耳打ちする。
「ええ!?そ、そんなこと…」
直後、雪姫さんが悲鳴を上げた。
だけど久藤さんはもう一度彼女に何かを囁き、しっかりと頷いて見せた。
二人が戻ってくる。
雪姫さんの表情は、先程の暗いものから晴れやかに変わっている。
…が、何故か頬が真っ赤だ。
「さあ、それじゃあ始めるわよ。雅人くん、もう一度お願いね」
久藤さんはそんな雪姫さんをそのままに、僕に目配せしてくる。
「う、うん。了解」
僕はそのままでいいのか少し迷ったけど、顔を赤くした雪姫さんが小さく頷いたのを見て立ち上がった。
そのまま一度カフェテラスから出る。
ここまで十二回繰り返した動作を、もう一度だけ行うのだ。
扉から外へ出た僕の頭上には、日が高い位置に輝いている。
そろそろ正午になろうかという時間だ。
少しの間カフェテラスの扉の前で待った後、扉が開いて久藤さんが合図をくれる。
「さあ雅人くん、始めるわよ」
僕は頷いて振り返り、久藤さんが戻るのを待って扉の取っ手に手をかけた。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」
柔らかく、澄んだ声が僕を迎える。
それは決して大きくはないのに、不思議と聞き取りやすい、耳に心地い声だった。
「お客様は一名様でのご来店でよろしいですか?」
穏やかな微笑みを湛えた雪姫さんが、両手のひらを腰元で揃え、しゃんとした姿勢で立っている。
カフェテラスに挿し込む光の加減も相まって、その姿はとても美しく、思わず見惚れて何も言えなくなってしまった。
「お客様?」
固まっている僕に、雪姫さんは不思議そうな表情で訊ねてくる。
「あ、は、はい。一人です…」
ようやく我に返った僕は、慌ててそう捲し立てる。
「かしこまりました。それではお席の方にご案内させていただきます」
恭しく一礼した雪姫さんは、「こちらへどうぞ」と言って僕を指定された席に連れて行く。
どうしたのだろう……。
先程までの少し恥ずかしがっていた雪姫さんとは、まるで別人のようだ。
とても優雅で、それでいて無駄のない完璧な動き。
一体久藤さんは彼女に何を吹き込んだのだろうか……。
「こちらへどうぞ、お客様」
雪姫さんはカフェの比較的奥の方に位置するテーブルへ僕を案内し、椅子を引いて待っている。
「ど、どうも…」
この動きは仁もやっていたものなのに、雪姫さんがやると破壊力が全然違う。
顔が赤くなっているのが、自分でも判るほどだ。
「こちらがメニューでございます。お決まりになりましたら、お声をお掛けください」
仮のメニュー表(段ボールの切れ端にコピー用紙を張り付けたもの)を差出し、僕が受け取ると一礼して一歩身を引く。
一挙手一投足すべてが上品に感じられる動きだ。
とてもさっきまで訓練していたときの雪姫さんの動きとは思えない。
(と、注文を決めないとな…)
僕はメニュー表に眼を落して、どれを頼むか考える。
注文に関しては特に久藤さんから指定は無いので、ここまでの十二人は僕が適当に決めていた。
だから今回も、それまでと同じように適当に決めようと思っていたのだけど……。
「雅人くん、さっき厨房でハンバーグを作っていたわよね?」
突然脇に久藤さんが現れて、そんなことを訊いてくる。
「う、うん。さすがにみんなもう完成させてると思うけど……」
「雅人くんの作ったものは、もうお皿に盛りつけてあるの?」
「出来てるよ。そのままお客様に出せるレベルのものをと思ってやったから」
「ふふ。それは面白いわね」
僕が自分の作ったハンバーグの状態を告げると、久藤さんはニヤッと笑って立ち上がった。
「注文はハンバーグにするわ。厨房にいる人、誰かお皿にご飯を盛りつけて頂戴。二条さんは盛りつけられたご飯と雅人くんのハンバーグを給仕してね」
「は、はい!」
厨房からこちらを覗いていた調理班のみんなが、慌てて動き出す。
一方雪姫さんはというと、お盆に水の入ったグラスを載せて歩み寄ってきていた。
「お待たせいたしました。お冷でございます」
そう言って、何事もなかったかのようにグラスを僕の前に置き、持っていたお盆をお腹の前で抱えて笑みを向けてくる。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
どうやら、彼女の中で何かスイッチが入ってしまっているようだ。
久藤さんの指示を、聞かなかったことにしている。
僕はそんな彼女の流れに乗って、指定された注文を口にすることにした。
「それじゃあハンバーグディッシュを一つ。あとライスもお願いします」
「かしこまりました。それではご注文を確認させていただきます。ハンバーグディッシュとライスがお一つずつでお間違いございませんか?」
「はい」
「かしこまりました。それではお料理が出来上がるまで、今しばらくお待ちください」
そこでもう一度一礼した雪姫さんは、すっと身を引いて立ち去る。
そしてその足で厨房前まで歩いていき、立ち止まってオーダーを伝える。
「オーダー入ります。ハンバーグディッシュ一つとノーマルライス一つ。以上です」
「は、はい!」
全く予想もしていなかった雪姫さんの声に、厨房内は騒然とする。
確かに実践においては必要不可欠な件なのだけど、まさか自分からそれを取り入れていくとは思わなかったな。
慌てた厨房だったけど、事前に久藤さんから言われていたお蔭でもう準備は出来ていたようだ。
すぐに雪姫さんの前にライスとハンバーグを揃える。
雪姫さんはそれらを危なげない手つきでお盆に載せると、淀みない足取りで僕の座る席まで歩いてくる。
「お待たせいたしました。こちらハンバーグディッシュとライスでございます」
そして傍に立って止まり、お盆の上の品々をテーブルに並べていった。
料理の後にナイフとフォークをそれぞれ僕の左右の手元に置いていく。
顔の前に手を伸ばすなどという愚を犯すことなく、落ち着いて回り込んで。
そしてすべてを並べ終えた彼女は、僕の傍らでもう一度お盆を抱えて立った。
「ご注文の品はすべてお揃いでしょうか?」
慈愛に満ちた微笑みを終始絶やすことなく、言い切る。
「はい、大丈夫です」
僕も自然と笑みが浮かんでいた。
「それでは、ごゆっくりお寛ぎください」
雪姫さんは最後に深くお辞儀をすると、席を離れていく。
これで訓練の流れは終了。
誰の眼から見ても、最初から最後まで完璧なものだった。
と、不意に眺めていたクラスメイト達が手を叩き始める。
凛も仁も久藤さんも…。
一部始終を見ていた人たちは、全員が彼女の見事な接客動作に惜しみない拍手を送った。
もちろん、僕も心からの拍手を送ったよ。
雪姫さんはほーっと長い息を吐くと、それまでの毅然とした表情から一転して顔を赤くし、恥ずかしそうに身を縮めていた。




