14章 「勉強会が真にその意義を完遂することは滅多にない」という話
一週間ぶりの投稿となってしまい、真に申し訳ありませんでした!
体調管理に努めていけたらいいな…。
追記:本文を若干修正しました。
まず、断固として先に言っておきたいことがある。
その日、僕たちは熱心に、真剣に、全力で試験勉強に打ち込んだ。
強調し過ぎだろうなどと言われたとしても本当なんだ。
例えほとんど戯れている描写しかされていないとしても、どうかそのことだけは知っておいてもらいたい。
僕たちは、ちゃんと勉強してましたよ!?
久藤さんの鬼のような発言に一同ショックを受けつつも、唸ってばかりでは何も進まない。
だからみんな、ノートを開いて各々問題と格闘し始めた。
まずは数学。
秋鷹高校の数学の試験問題は、そのまま大学受験の試験問題になり得るのではないかというほどに難易度が高い。
複雑な数式をどうにかして既知の定理や公式の当てはまる形に組み替え、これまで授業で学んできた知識(一年半分)を総動員することでどうにか解に至るものだ。
一問解くのに二十分以上かかることも珍しくない。
僕は問題集に書かれた試験範囲内となる数十問の問題の内、系統の異なるものを選び出して、とりあえず範囲全体を一つずつ解いていった。
およそ三十分かけて、今回の試験範囲に該当する問題の代表格を解き終える。
(うーん…。指数関数と対数関数がまだ少し甘いかな……)
そうして自分の未熟な単元を見つけて、また単元から一つずつ、重点を置く単元は複数の問題を見繕っては解いていく。
そんなやり方で勉強を進めていった。
「雅人さん、少しよろしいですか?」
そうやって僕が自分なりのやり方で進めていく間、雪姫さんや凛に教えを請われることもあった。
「うん、どうしたの?」
初めに久藤さんも言ったとおり、人に教えることで自分の復習にもなる。
そんな理由もあって僕は訊かれたことについてはしっかりと答えるようにしている。
「ここの問題なんですが、解まで辿りつかなくて……」
雪姫さんは申し訳なさそうな表情で、僕に問題集と自分のノートを差し出してくる。
僕は少し体を寄せて彼女のノートを見た。
そこにはシャープペンだというのにさすがの達筆な字が整然と並んでいる。
やっぱり綺麗な字だな――なんてことを考えながらも、僕は彼女が躓いてしまった問題に目を通す。
「ああ、ここか…。ここはね、ちょっと特殊な置き換えをしなきゃできないんだよ。いつも通りの置き換えでも途中までは解けるから、割とみんな引っかかっちゃうんだけどね」
幸い、同じ問題を三日前に一度解き終えていた僕は、クラスメイトも苦戦していたその問題の解法を教えることが出来た。
自分のペンを手にして、彼女のノートの余白に説き方のコツをメモしながら説明する。
「ほら、ここの置き換えをこっちにすると詰まっていたところが解決するでしょ?あとは他の問題と一緒で、置き換えた文字を元に戻して加法定理を利用すれば……」
「あ、本当ですね。これで解けるようになります」
一回の説明ですんなり理解できたようで、雪姫さんは明るい声を上げる。
彼女が納得できたようなので、僕はノートに落としていた視線を上げて雪姫さんに向けた。
「あれ、雪姫さん、どうしたの?部屋、暑いかな?」
そこで彼女の頬が赤く染まっているのに気がつく。
それを見た僕は、点けていた暖房が強すぎたのかと思い、そう言ったのだけど……。
「ハァ…」
対角の位置に座る仁が自分の手元に目を向けながらあからさまにため息を吐き、雪姫さんは「いえ、そうじゃないんです」と慌てて首を振って否定し、そんな彼女の向こうからは凛が白い眼を向けてきていた。
気のせいか久藤さんたち三人もこちらをじーっと見ている気がする。
でも、彼らの反応の意味が解らず、僕はただ眼を瞬かせることしかできなかった。
そんな僕に、呆れ顔で、呆れた声音で、心底呆れたようなため息を吐いてから、向かいの琴音が言ってくる。
「雅人、解き方を教えるのは構わないのだけど、あなたもう少し距離を考えなさい。今のなんて二条さんにくっつく程の近さだったわよ」
「えっ…」
僕は慌てて雪姫さんに振り向く。
彼女は恥ずかしそうに顔を赤くして、僅かに俯いていた。
そこでやっと僕は、自分のやったことに気がつく。
「うわああ、いきなりごめん、雪姫さん!」
突然至近距離に顔を寄せられた雪姫さんの心境は如何程なものだろうか。
羞恥に頬を染めているくらいだから、余程近づいてしまっていたに違いない。
「いえ…大丈夫です……」
雪姫さんはそう言いつつ、赤い顔を逸らしてしまう。
(やってしまった…。琴音以外の人と一緒に勉強するなんて今まで無かったからな……)
経験不足(?)な自分の過ちを感じて、僕はいそいそと元の位置に戻った。
仁はまた一つため息を吐いていたし、久藤さん、竹内さん、笘篠さんもどこかつまらなそうな表情だ。
そのまま声のない静寂が場を支配する。
しかし、そんな少しシラケたような空気になった和室だったが、続く凛の言葉がそれを破った。
「ほら雅人。折角の雪姫に触れる機会を逃して残念なのはわかるけれど、そんな風にうじうじしてないで、この問題も教えて頂戴」
「り、凛さん!?」
「そんなんじゃないよ!?」
すかさず僕と雪姫さんの声が上がる。
同時に上げられた僕らの声に、凛はふっと笑みを浮かべると、もう一度僕に眼を向けて口を開いた。
「ここの問題よ。頭から最後まで、しっかり教えてもらいたいわ」
理不尽極まりない要請だけど、僕らが二人して声を荒げたのを受けて、久藤さんたちも仁も、琴音までもが可笑しそうに笑っていた。
ダシにされたのはちょっと気に食わないけど、和やかな雰囲気を取り戻すためになのであればいいかな。
僕はそんなことを内心呟きながら、立ち上がって凛の後ろへ歩いて近付く。
「どれどれ…?」
肩越しに、彼女の着手している問題を覗く。
が、先程のこともあってあまり近づいていないために見え辛い。
「あなた、そんな高いところからで見えるの?」
そこへ凛の、尤もな声がかけられる。
しかし、今さっきの一幕の所為で僕は簡単に彼女の近くへ顔を寄せることができない。
近づかないと教えられないのに、近づくと先程の二の舞になる。
そんな板ばさみ的なジレンマに悩まされた僕は、自分でもわかるほど情けない顔で苦笑いを浮かべて、ちらっと凛の顔を窺う。
すると彼女には僕の言いたいことがすぐに解ったようで、微笑んだ後僕を見上げていた顔を前に戻した。
「今更あなたの顔が至近距離に来たところで、何も恥ずかしくないわよ」
言外に、「任務では茶飯事でしょ?」というニュアンスを匂わせて、凛はそう言い放つ。
確かに凛とは、肩を合わせるような距離で暗視スコープを覗きあったりしたこともあるので、今更な気もする。
任務中はそんなことを気にする余裕がないというのもあるけど。
「確かにそっか。それじゃあ……」
彼女の言葉に納得して膝を折る僕は、直前の凛の一言がみんなにどう解釈されるのかを失念していた。
膝立ちになって凛の左側に座った僕は自分よりさらに左側、顔を赤くした笘篠さんが驚きの色を浮かべているのが目に入った。
そんな笘篠さんの反応に違和感を覚え、僕はふと周囲に注意を向ける。
そこにはある意味で言えば当然の表情を浮かべたみんなの顔があった。
仁でさえ、多少呆気にとられている。この部屋ではただ一人、凛だけがすまし顔で微笑んでいた。
僕はこの時点でようやく、さっきの凛の言葉が異常なものであったことに気がついた。
「あ、あの、さっき凛が言ったことは別に変な意味じゃなくて…」
「ええ、以前から何度か、至近距離で話す機会があったというだけよ」
僕が慌ててみんなに弁明しようとしたところで、凛が躊躇うことなく爆弾を投下する。
そして当の本人はこの状況を楽しんでいるようにニヤニヤと笑っていた。
当然、彼女のこんなセリフを流せるはずもなく、すぐさま相応の反応が返ってきた。
「大胆発言キター!!」
「弓月さん、いつの間に雅人くんとそんな親密に!?」
「まさか弓月までもが手遅れな域に達していたとは……」
「うふふ…。どんどん面白くなってくるわね。全く…飽きなくていいわ」
「雅人さん……。凛さんとそんなことが……」
「雅人、一度じっくりと、二人きりで話をしたいのだけど」
凛の悪戯心とそれに起因する笑みはともかく、彼女の発言を聞いた面々はそれぞれ盛大に勘違いしてしまったようだ。
僕が引き攣った笑みを浮かべる横で、凛は何故か満足げに微笑んでいたのは、まるでいつも通りの光景だった。
結局、そんな誤解を解くのにお昼までかかってしまった僕は、買い出しに歩く道すがら、ため息を吐いていた。
えっ…?
鬱陶しい……?
仕方ないじゃないか……。
僕と凛の仕事のことを仁や久藤さん、竹内さんや笘篠さんに話すわけにはいかないんだから。
どうしても大事な部分をぼかして説明しなければならないんだから、簡単に納得してくれるわけがないよ。
まあでも、察してくれた琴音や雪姫さんのおかげで、お昼までには四人ともなんとか納得してくれたし、大事にならなくて安心したよ…。
「雅人。まさか久藤さんたちを抑えたからって、安心しているわけじゃないわよね?」
そんな僕が一息吐こうとした丁度そのとき、まるで心の声を聞かれていたかのように隣を歩く琴音が訊ねてくる。
買い出しに付き添ってくれたのは、(何故か)久藤さんの指定で琴音一人だけだった。
恐る恐る視線を向けた彼女の表情は、清々しい程に晴れやかで、それがまた彼女のいつにない不機嫌さをひしひしと感じさせた。
「あのー…、琴音さん?納得してくれたんじゃなかったの?」
渇いた笑いしか浮かべることができず、力のない声で訊ねる僕に、琴音は微笑みを崩すことなく答えた。
「ええ、なんとなく察したつもりだけれど」
全ての表情の中で笑顔が一番怖い女性というのは、僕の知る限り琴音だけだ。
「えっと……それなら……」
「言ったわよね?“なんとなく察した”と。納得したつもりは全く以てこれっぽっちもないから、安心してね」
(それこそ、これっぽっちも安心できないんですけど…!)
言いながら、まるでカップルであるかのように腕を組んでくる琴音。
その顔には依然として微笑みが張り付いているが、それが内心の憤怒を覆い隠す仮面であるのは言わなくてもわかることだし、言ったら言ったで大変なことになりそうだったから言わないでおいた。
(……左腕も人質に捕られていることだし)
僕は大人しく、琴音のやりたいようにさせ、彼女から投げかけられる質問に素直な答えを返していった。
買い物が終わるころには、琴音の僕に対する質問タイムはようやく終わりを告げていた。
先程は話せなかった凛との一幕の詳細を事細かに説明することで、ようやく解放に至った訳だ。
事実、左腕は買い物の間中捕虜となっていたのだから、解放という言い方はあながち比喩ではないかもしれない。
まあ考えても特に意味のないことだけど。
さて、そんなことはさておき、食材を買って自宅に戻ってきた僕は、家主不在の中穏やかに進められていた勉強会を尻目に、みんなの分の昼食を作り始める。
しかし、全部で八人分の食事を作るのは大変だ。
ということで、雪姫さんと琴音が手伝ってくれることになった。
昼食のメインはパエリア。
海老にイカ、アサリを使い、底の浅い鍋に白米を敷いてパプリカと玉ねぎを散らして、サフランで色付けした水で炊きだしたものだ。
三人で協力して八人分の材料を捌き、蓋をせずに火にかける。
黒コショウとコンソメを少し加えて味を調え、炊き上がるのを待っておこげを混ぜたら、有名なスペイン料理、パエリアの完成だ。
付け合せにはオニオントマトスープを作っておいた。
弱暖房をかけている室内は暖かいとはいえ、座っているとやっぱり足下は冷えてくるので、胡椒の効いたスープで芯まで暖まって欲しい。
でないと午後の勉強に集中できないからね。
「さあみんな、お昼できたわよ」
壁に掛けた時計の短針が丁度“一”を指した頃、パエリアの炊き上がりを確認した琴音が慣れた動作で棚から取り出し、和室へ足を向ける。
その後ろを、雪姫さんが濡れ布巾を手に追いかけ、先に和室の段差を上がる。
家中に良い香りが漂う中を、我慢して机に向かい続けていた凛、仁、久藤さん、竹内さん、笘篠さんは、待望の言葉を聞いて口々に喜びを表した。
「待ってましたー!」
「お腹空いたよー!」
「いい匂いばかり寄越して……まるで拷問だったぞ」
「三人共、お疲れ様。とってもいい香りね」
「そうね。雪姫、琴音、ありがとう」
みんなは思い思いの言葉を発しながら、テキパキと机を片付けていく。
教科書や参考書などの冊子は脇に退かし、机上に残ったゴミはそれぞれ各人がくずかごへ。
物を退かした机の上を雪姫さんが台拭きできれいにして、琴音がお皿を並べた。
そして最後に、出来た料理を机の中央に据え、全員が揃って座る。
「じゃあ食べましょうか。いただきます」
みんなのもとにお皿やスプーンが行き届いたのを確認して、久藤さんが音頭を取った。
それに続いて全員が「いただきます」と口にし、束の間の昼食休憩が始まった。




