7章 作戦終了…。
『目標確認。迎撃開始します!』
雅人の声が、頭に装着したヘッドホン型通信機から流れてくる。
同時に、防護ゴーグルの向こう、私が見下ろすビルの下で、私が足を撃ちぬいた影持ちの襲撃者に、雅人が人間離れした速さで迫っていくのが見えた。
これでまずは一人。
雅人の腕は私が一番よく知っている。
まず討ち漏らすことはない。
だから私は他の十人を一刻も早く見つけて、契約者ならその足を、そうでなければその命を、迅速に止めなければいけない。
そんな思考の下、私が次なる標的を探すため木々の間に目を向けた瞬間、若い男の断末魔の叫びが聴こえてきた。
『契約者一名、沈黙しました』
タイムラグ無しで、雅人の報告も上がる。
その声は驚くほど冷たく響き、普段の彼の声とはまるで別人のようだ。
また無理して…。本当に貴方は優しいのね。
この場に相応しくない笑みを浮かべそうになって、表情を引き締める。
「さすがは蒼井少尉…。全く躊躇いなく敵の首を落とした……」
そう、今は一人ではない。
私の両脇には、今回の任務のために私の下に配属された隊員が、雅人の驚くべき手際の良さに恐々としている。
彼も(といっても、階級が下なだけで年齢は六つも上だ)私と同じように狙撃銃のスコープを覗いて、襲撃者を探している。
しかし、私も彼も、ついでに反対側に陣取る隊員も、未だ次なるターゲットを捕捉できずにいた。
『雅人君!二時の方向二十メートルに三人よ!』
そこでタイミングよく那智さんから情報が入る。
すぐさま私は銃口の向きを変えて、スコープ越しに襲撃者の姿を探した。
見つけた。
既に駆け出している雅人の先、およそ十五メートル離れたところに黒い人影が一つと、頭をヘルメットで覆い、アサルトライフルを持った若い男が二人走っていた。
一体どうやってあれだけの装備を持ち歩いていたのよ…。
人に見られれば一発で怪しまれる装備を見て、私はため息を吐きたくなった。
でも、ゆっくり眺めているわけにはいかない。
「私は影持ちを。福沢一等と石原一等は武装した二人をお願い」
私は両脇の二人に指示を飛ばしてから、武装者二人の前をゆっくりと走る契約者の足に、照準を合わせる。
そしてその右足の置かれる場所を読み、引き金を引いた。
消音装置によって限界まで発射音を抑制された銃弾が、寸分の狂いなく狙った場所にまっすぐ飛んでいく。
そして私が放った弾丸は、計算通りに置かれた襲撃者の右足ふくらはぎを捉えた。
普通の人間ならこの瞬間、右足は衝撃で膝から下、もしくは太腿以下が千切れるところだ。
でも、相手が契約者だとそうはならない。
私の一撃を受けた影持ちは、弾の勢いによって右足が浮かされる。
黒く影に染まった体を銃弾が貫くことはなく、ただその圧倒的速度によって、足を掬われるだけ。
(今よ、雅人)
もう目前に近づいていた少年将校に止めを任せ、私は二人の武装者に銃口を向け直す。
しかし、二人の男は揃って喉元を撃ちぬかれて倒れていた。
撃ち漏らしを警戒しての行為だったのだけど、必要なかったようだ。
さすがにSEFUの隊員に選ばれるだけあるわね。
部下とはいえ、年上の隊員に対してそんな感想を抱きながら、私は再度、索敵を開始した。
私が次なる標的を照準に捉えたのは、護衛対象を乗せた車両が駐車場に通じる道を走っているときだった。
那智さんのもたらす襲撃者の位置を基に瞬時に銃口を向ける。
そして走る車両に跳びかかった真っ黒な人影に照準を合わせ、射落として地面に倒す。
私が速度重視で撃った弾丸は契約者の左肩に命中したようで、男は回転しながら弾かれていった。
激しく地面を転がり、そいつの体が止まったときには、雅人が自分の間合いに詰めていた。
雅人は倒れ伏す影の真上から近づくと、同じように黒く染まり銀色の模様が浮かぶ腕を振り下ろす。
手刀を形作った雅人の手のひらは、銃弾を通さない影の鎧をいとも簡単に破り、男の左胸を貫いた。
黒い身体の奥から、鮮血が飛び散る。
声もなく絶命した影持ちの血が、雅人の体に返り血となって降りかかる。
雅人はそれを意に介す様子もなく、ゆっくりと腕を引きぬく。
彼の表情は冷たく、自分の殺した相手が人だとも思っていないかのようだった。
(…いえ、そうじゃない)
私には彼の口元がかすかに歪んだのが見えた。
でも雅人はすぐに表情を引き締めると、大佐たちの乗った車両を追いかけていく。
私はそんな雅人の姿に、またしても笑みが浮かびそうになるのを堪えなくてはならなかった。
(私も負けてはいられない…)
既に無力化させた襲撃者の人数は五人。
那智さんの報告によれば、敵方の勢力は初め十一人だったから、残りは六人ということになるのだけど…。
これまでは少数が別々に攻撃してきたのだけれど、ここまでこちらは損害ゼロだ。
相手も今度は一斉に襲い掛かってくるかもしれない。
そうだとすれば……。
「福沢一等、石原一等、大佐たちの乗る車両を常にマークしておいて」
私は部下に命じてスコープ越しに三台のワンボックスを追う。
予定では、三台の車両は駐車場内を最短ルートで目的地の入り口前まで向かうことになっている。
だから次の攻撃が来るのは、三台が停車したときだろう。
私はいつでも撃てるように、引き金に指をかけて構えていた。
大佐の運転する三台の内の真ん中の車両が目的のポイントに到達する直前、左耳から通信の声が入った。
『残りの六人が動いたわ!放射状になって一斉に来る!』
那智さんが相変わらずの索敵能力で、敵の奇襲を許さない。
その声を合図に、車両から複数の隊員が、車が止まりきる前に躍り出た。
直後、残りの六人が一斉に飛び出してくる。
「武装者は放置、影持ちを優先して!」
私は疾走する契約者の一人を追いながら、両脇の二人に呼びかける。
二人は端的に返事を返すと、各々人並み外れたスピードで走る契約者たちを追い始めた。
雅人が三人の契約者の内の一人に、横合いから迫る。
黒に染まった男は彼の接近に気が付くと、高く跳びはねた。
雅人を避けるための咄嗟の跳躍だったのだろうけど、それは一番の悪手だ。
空中で単調落下する契約者を、石原一等が撃ち落す。
背中に被弾した男はもろにコンクリートの上に叩きつけられ、転がる。
そこへ、待ち構えていたかのように雅人が襲いかかり、また一人、敵契約者の命を奪った。
雅人はそこで止まることなく駆け出し、福沢一等が転がした契約者を手刀で貫いた。
ゆっくりと体を起こす雅人。
そこへ襲撃者の内、最後の影持ちが背後から襲いかかった。
小さく跳躍して、黒い刃のように変質した右腕を雅人に向かって振り下ろす。
だがそれは、彼に届く寸前で、私が放った弾丸に阻まれた。
「そんな単純な攻撃、私が許すわけないでしょ」
軽く呟いてスコープから顔を離し、肉眼で事の顛末を確認する。
私の眼には、丁度三人の武装者を全滅させ、囲むようにして雅人を眺める政宗少佐とその部下、そして衝撃で地面を転がる契約者に、雅人が腕を振り下ろす光景がハッキリと映った。
『目標全滅。任務完了しました』
右腕を振って付着した血糊を払い、冷たく押し殺した声で襲撃者の壊滅を伝える雅人の表情は、遠目からでも歪んでいるのが判った。
『全員ご苦労だった。護衛対象は無傷だ』
大佐の変わらぬ声が耳に入る。
『こちらの死傷者はゼロ。損害も軽微です』
状況を俯瞰している那智さんからの報告も上がる。
それらを聞き、私はようやく体を起こして楽な姿勢をとった。
これでこの護衛任務は終わり。意外と大したことなかったわね…。
一つ大きな息を吐いて、緊張を解く私の耳に予想だにしていない声が届いたのは、そんなときだった。
『ああ?なんだお前は?』
初めは大佐の訝しむ声が聴こえた。
目の前の人間が怪しく、不気味な存在であることがまざまざと伝わってくる。
(何かあったのかしら…?)
私は何事かと思い、屋上の淵に立って三台のワンボックスの向こうに視線を向けた。
しかし、隊員が囲んでいるせいでその向こうはよく見えない。
『大佐、気を付けてください!その男は普通じゃありません。突然そこに現れました!』
那智さんの焦った声が通信機から流れる。
一瞬で緊張感が戻った私は、まだ置いてあったM24のスコープを覗きこんで、隊員が囲むエントランスの、窓の向こうを見た。
一人の若い男が立っていた。
黒い、中世の神父のような服を着て、両手を後ろで組み、長い黒髪をまっすぐに流している。
背が高く、ひょろっとした体格ながら、何故か弱々しくは見えない。
男はその顔に柔和な笑みを湛えていた。
その笑みを見た瞬間、体に震えが走った。
非常に穏やかに見えるのに、どうしてか無性に悪寒が止まらない。
本能が、あの男を拒絶しているかのように。
『やあみなさん、こんにちは』
聴こえるはずのない男の声が、通信機から耳に入ってくる。
優男の声はその顔と同じように、私の衝動的な恐怖を呼び起こした。
『何者かと聞いている』
大佐が白衣を着た、見るからに研究者然の男を背中に庇い、目の前の青年を睨む。
建物の入り口を固める隊員たちも、突如聴こえてきた男の声に驚いているようだ。
『いやだな~。そんなに怖い顔しないで下さいよ』
両手を広げて首を振る男は、飄々としながらも全く隙を見せる様子がない。
大佐が腰に提げた拳銃を抜こうと、左手を持っていく。
その様子を、青年は嬉々として見ていた。
そんな予想もつかない状況の中、入り口の隊員たちの間を割って抜けていく姿があった。
先程までの黒い装甲を消し、ジャージ姿に戻った雅人は、大佐の脇に出て男を見る。
『あんた…!?』
左耳に、雅人が息を呑む声が聴こえた。
でも、私からは雅人の表情は見ることができない。
男は雅人の姿を認めると、先程までの穏やかな微笑みは消え、狂気じみた笑いを浮かべた。
『あははは、雅人君じゃないかっ!久しぶりだねぇ…』
気味の悪い声に、体が震える。
恐らく、今の私は青ざめた顔をしているだろう。
『なんで……。なんであんたがここにいる!?』
雅人が声を荒げて、目の前の男を怒鳴りつける。
雅人がこれほど激昂しているところを、私は未だかつて見たことがない。
『なんで、ねえ…。さあ、なんでかな。ククク』
眼を見開いて笑う男の顔は、同じ人間だと思えない程に崩壊していた。
雅人はここからでもわかるほど震えていて、両手の拳が握られている。
そして気持ちの悪い笑いを上げ続ける男に、耐えきれなくなったかのように、雅人は叫んだ。
『ルーナ!十年……いや、二十年分だっ!』
(二十年…!?)
私は耳を疑った。
雅人があの力を使うときに、自らの寿命を捧げているということは知っていたけど、それほど一気に寿命を消費しようとしたところは見たことがない。
『何してるんだ!早く!』
雅人は焦っていた。尋常じゃない程に。
ルーナが躊躇っていることすら気づけない程に。
『アハハ!駄目だよ、雅人君。命を粗末にしちゃ』
男は歪んだ顔のまま、雅人に呼びかける。
『黙れ!あんただけは絶対に許さない!』
ルーナはまだ躊躇しているようだ。
それは当然の事だろうけど、雅人はルーナの協力を得られないままにでさえ、男に跳びかかりそうだ。
政宗少佐が彼を羽交い絞めにして、どうにか抑えている。
そんな雅人の様子を心底楽しそうに見ていた男は、笑いながら背を向けた。
そして仲間に抑えられている雅人を嘲笑うかのように手を振ると、
『今日の所は、君とあの娘に免じて見逃してあげるよ…。じゃあね…』
そう言って突如、自分の影の中に沈み、消えた。
残された雅人は息も荒く、これまで一度も見たことがないくらいに取り乱していた。




