3章 陰謀渦巻く(?)試食会
矛盾点修正しました。
学園祭まで一か月。
この時期になると秋鷹高校の学生は、迫る学園祭の準備と、目前に控える学期末試験の勉強、この二つに追われて死ぬほど忙しい思いをする。
部活動に加入している生徒は加えてそちらの活動まであるのだから、皆どれだけ忙しい思いをしているのかと感心してしまう。
とはいえ、久藤さんの思惑通り(?)料理長に選ばれてしまった僕も、今年は多忙を極めることを覚悟しなければならなかった。
僕に与えられた仕事は、大まかに三つ。
メニュー作り、技術指導、当日の厨房監督となっている。
今やっているのはその一つ、メニュー作りだ。
限られた予算の中で、誰もが作ることのできるものを、なるべく早く決めなければならない。
久藤さんからは、
「試験が始まるまでには揃えて欲しいな」
と言われてしまったので、大急ぎで試作を重ねているわけだ。
ちなみにその試験期間は十二月の二週目。
今日が十一月二十日なので、あと二週間ちょっとしかない。
試験に向けての勉強もしなくてはいけないし、ぎりぎりになるのは望ましくないから、今月中には品数を揃えて、必要な食材や調味料をまとめておきたい。
「雅人さん、取り敢えず私の作れるものをリストアップしてみたのですけど、いかがでしょうか?」
放課後の教室。
日が短くなってきたために、五時を回った現在でも、既に夕陽が差し込んでいる。
僕の向かいに座った雪姫さんが、真剣な表情で僕に一枚の紙を差し出してきた。
彼女も副料理長として、僕と一緒にメニューの選考に携わってくれているんだ。
僕は頷いてリストを受け取り、そこに書かれた品の数々に目を通していく。
「やっぱり雪姫さんはさすがだなぁ…。ざっと数えただけでも二十種類以上あるんだね」
「雅人さんも、それくらいは簡単に作れますよね?」
僕の感想に、彼女は笑顔で返してくる。
僕は紙を机に置いてから、苦笑いで応じた。
「雪姫さんみたいに和食だけでは無理だよ。色々含めればできるけど…」
「私は普段、和食ばかりですから。雅人さんみたいにフレンチ、イタリアン、和食に中華も、なんてできませんよ」
雪姫さんはそう言って笑う。
僕は何と言っていいかわからず、頭を掻いて一緒に笑うしかなかった。
それから改めて雪姫さんのリストを見直す。
肉じゃがや角煮のような家庭的なものもあれば、姿煮や茶碗蒸しのような料亭で食べるようなものまである。
これらをみんな、雪姫さんが自宅で作っているのかと思うと、どれも一度食べてみたいなと感じてしまう。
(でも、今はメニュー決めが優先だよね)
僕はリストを見ていてお腹が空いてきたような気がしたけど、気を取り直して彼女に向き直った。
「うん。雪姫さんの出してくれた料理はどれも良いと思うよ」
僕が一言そう言うと、彼女は笑顔を浮かべて一礼した。
「ありがとうございます。ですが、そこに挙げたもの単品では少々物足りなくなってしまうと思うんです…」
笑顔の後で少し不安そうな表情に変わって、雪姫さんは問題点を自分で指摘した。
丁度そこは僕も考えていたところだ。
そして僕には腹案が一つあった。
「それなんだけどさ。単品じゃなくてお膳で出したらどうかなって思うんだけど…」
「お膳ですか?」
雪姫さんは首を傾げる。
「うん。ご飯とお味噌汁を基本に、いくつか料理を準備しておいて小鉢を選べるようにしたらどうかなって思うんだ。まあ種類が増える分、少し割高になっちゃうと思うんだけど…」
「小鉢で…。なるほど、それは良いアイディアですね!」
僕の提案に、両手を合わせて顔を輝かせる雪姫さん。
その仕草はとても上品で、それでいて可愛らしくもあった。
僕も自然と笑顔になる。
「では、少しずつ作るものを何にするか、仮決めしておきましょうか?」
「うん、そうだね。明日、第二調理室を借りられることになってるから、そのときに試してみようか」
それから僕たちは、明日の試食会で作るものを絞り込む作業に移った。
雪姫さんの提案してくれた和食の他にも、パスタが三種類、シチューやハンバーグ、オムライスといった洋食が候補に挙がり、これらも明日の試食会で試してみることになった。
「それにしても……」
日もすっかり暮れて、大体の試作候補が決まったところで、僕たちは帰ることにした。
しかし、いざ片づけを終えてさあ帰ろうというとき、雪姫さんが感心したように声を漏らしたのだ。
「どうしたの?」
僕は振り返って彼女に問いかける。
「いえ、雅人さんはやっぱりすごく料理がお好きなんだなと思ったんです。あれだけの量のレシピを、お一人で候補に挙げられたのですから」
先に教室の入り口まで来ていた僕を追って、雪姫さんは歩いてくる。
「そうかな…?確かに料理は好きだけど、まだまだ作れるものもそんなに多いってほどじゃあ…」
「そこまでです。あまり謙遜をし過ぎるのはかえってよくありませんよ?雅人さんでもまだまだですと、世の中の女子高生は軒並み料理がほとんどできないことになってしまいます」
雪姫さんは僕の口元に指を当てて遮った後、そんなことを言った。
僕は一瞬顔が熱くなるのを感じて身を引く。
焦った僕の行動を見て、雪姫さんは少し笑った後、笑みを残したまま言葉を続けた。
「雅人さんがたくさんの料理を作れるようになった理由、何かあるんですか?」
雪姫さんが僕の顔を覗き込むようにして訊いてくる。
僕は何もない天井を見上げて、料理作りが好きになった理由を思い返してみた。
「理由かぁ……」
いつの間にか今のようになっていたから、あまりはっきりとは思いつかないけど、理由としてあげるなら恐らく一つだ。
「多分、自分の料理を『美味しい』って喜んでくれる人がいたからだよ」
中学時代の日々を思い返して、僕は雪姫さんに振り向いてそう言った。
一瞬、雪姫さんは呆気にとられたような顔をしていたけど、すぐに微笑んで「そうですか」と、前に向き直った。
そのまま教室を出る。
「雅人さんはそういった方に出会えていたのですね…」
廊下を少し先行する雪姫さんは、顔を向けることなくそう呟いた。
その声は、心なしか寂しく響いた。
次の日。
昼休みの間に、学校の敷地内にある商店で、放課後の試食会用の食品を買い込んでおき、六限の授業が終わってすぐ第二調理室に向かった僕は、そこにあった光景に目を疑った。
「あ、雅人くん。待っていたわよ。今日はよろしくね」
「お前の料理の腕、しかと見届けさせてもらう」
「私もあなたの作る料理はあまり食べたことがないから楽しみだわ」
「雅人くんの料理が食べ放題って……」
「こんなイベントは見逃せないでしょう!」
そこには総支配人の久藤さんの他、仁や凛、竹内さんと笘篠さんを始めとしたクラスメイトの約半数がいた。
そして…。
「私も、生徒会の人間として学園祭で販売を許可できるものかどうか、確かめに来たわ」
どういうわけか琴音の姿もあった。
ていうか、琴音は生徒会の仕事はいいのだろうか?
「……色々と突っ込みたいことはあるけど、一つだけ良いかな?」
僕は我慢できなくなり、すぐ近くの久藤さんに訊ねる。
彼女は首をすくめる動作で発言の許可をくれる。
「今日はただの試食会のはずなんだけど……。どうしてこんなに人が多いのかな?」
「あら、人数が多い方がより正確な審査ができると思うのだけれど?」
久藤さんが、さも当たり前とでも言うように即答する。
その回答に、僕は渇いた笑いを漏らすことしかできず、内心で大きなため息を吐いた。
「あはは…。仕方ないですよ、雅人さん。たくさんの方に食べてもらえる方が、色々な意見がもらえるのは確かですから」
制服の上にベージュのエプロン姿で現れた雪姫さんが、苦笑いを浮かべながら僕をたしなめる。
「おお…」
「二条さんのエプロン姿……素敵だ…」
彼女の可愛らしい姿は、調理室の端で僕らを窺う男子たちに大好評のようだった。
僕はその正直な男子の態度に小さくため息を本当に吐いてから、雪姫さんに向き直った。
「エプロン、すごく似合ってるね」
現実逃避気味に、雪姫さんに笑いかける。
彼女は少し頬を赤く染めて俯いた。
「あ、ありがとうございます…」
「……はぁ」
照れて赤くなる雪姫さんに笑顔を向けていると、後ろから低い声でため息が聞こえた気がした。
誰が放ったものか、大体は見当がつくけど、敢えて振り向くことはしなかった。
「うふふ。場も暖まったところだし、早速取り掛かってもらおうかしら」
結局、空気は読めるはずだが、全く読む気のない久藤さんの一言で、僕は雪姫さんと一緒に、試食してもらうべきメニュー候補の調理を開始した。
一時間後…。
「う~ん…このハンバーグ美味しい!」
「角煮もトロトロ!」
「ヒレカツ……間にシソを挟んでいるのか…。美味いな」
「このナポリタンもいいよ!」
「雅人も雪姫も、かなりの腕前ね」
こんな感じで、雪姫さんと二人がかりで作ったメニュー候補の料理を、皆が一口食べては感想を漏らしている。
どれも好印象なものばかりで、たとえこんな状況だろうと、美味しいと言ってくれるのは素直に嬉しかった。
隣で一緒に様子を眺めていた雪姫さんも、とても嬉しそうに微笑んでいる。
僕らはそれからしばらく、嬉々として試食を続けるクラスメイトを見続けていた。
皆が大体すべての料理を一口ずつ食べ終えて口々に感想を言い合っていると、ようやくというべきか、久藤さんが場を収めた。
「はい、ちょっと静かにしてくれるかしら?」
その一言で、全員が口を閉じて彼女に目を向ける。
久藤さんは全員の視線が自分に集まっているのを確認すると、振り返って僕たちの方を向いた。
「雅人くん、二条さん、お疲れ様。二人の料理、とっても美味しかったわ」
彼女は僕たちに労いの言葉をかける。
後ろのクラスメイト達も、それに追従するように「美味しかった!」だったり、「お疲れさん!」などと言葉をかけてくれる。
「今日食べたものは、どれも店に出すに相応しいクオリティだったわ。それはみんなも同じように感じていると思う。あとは値段の設定をすれば……」
「久藤さん、ちょっといいかしら?」
久藤さんの言葉の途中で手を上げて口を挟んだのは、琴音だった。
(琴音は別のクラスのはずなんだけど、うちのクラスのことに首を突っ込んでは良くないんじゃないか…?)
そんなことを感じた僕と同じように、久藤さんもあまりいい気分にはならなかったようだ。
眉をひそめて琴音を振り返っている。
「なにかしら?」
琴音はそんな彼女の視線をものともせずに近づくと、久藤さんに何かを耳打ちした。
「……それ本当…?」
「ええ。……」
所々聞き取れるが、基本的に彼女たちが何を話しているのかはわからない。
僕の隣では雪姫さんも、首を傾げていた。
二人の近くにいた仁と凛は聞こえたようで、二人して意地の悪い笑みを浮かべている。
琴音との密談も終わり、久藤さんがこちらに視線を戻す。
彼女の表情は先程までと何ら変わりがないように見えたが、その目つきだけは、獲物を見つけた猛禽類のような鋭いものになっていた。
「……前言を撤回します。雅人君、二条さん、二人はメニュー候補をさらに挙げてください。今回のものは既に決定ということで、あと数種類、追加をお願いします」
久藤さんは微笑みすら湛えてそう言った。
「えっ?まだ他に必要なの…?」
思わず訊ね返してしまう。
雪姫さんも困惑顔をしている。
「はい。小鉢和膳とパスタ三種、シチューにハンバーグ、オムライスだけでは、やはり種類が足りません。聞けば、雅人君は中華も作れるそうですね?中華であと三種ほど、あとは子供向けのものもお願いします」
(高校の学際なのに、そこまでするの…?)
久藤さんの指令にため息を吐きそうになったけど、彼女の後ろで皆が頷いていたのを見て了承せざるを得なかった。
その脇には、したり顔で僕を見る琴音の姿があった。
あれは絶対、自分が食べたいから言っただけだな、などと思いながら、精一杯のジト目を琴音に向ける。
(いっそ『青椒肉絲』以外で三種類にしてみようか…)
そんなことも考えたけど、いざそうすれば琴音は確実に泣き出すと思う。
理由はどうあれ、女の子を泣かせるわけにはいかないので、脳内で却下しておいた。
「雅人さん、大丈夫ですか…?」
雪姫さんが隣から心配そうに覗きこんでくる。
「うん、大丈夫。中華で三種類ならすぐ用意できるし、そんなに大変じゃないと思うよ」
僕は苦笑いで応じて、久藤さんに向き直る。
「それじゃあ、来週の月曜にもう一度試食会を開くよ。ここの手配はお願いできるかな?」
僕の要望に、久藤さんは微笑んで頷く。
こうして、第一回目のメニュー候補料理の試食会はお開きとなった。
第二回を開くつもりはなかったのだけど、まあ期待されてると思えば悪い気はしないかな。
雪姫さんも熱心に動いてくれてるし、マイナス要素は無いと思う。
(それにしても、琴音と久藤さんのコンビは恐ろしいな……)
そんな感想を抱きつつ、僕は片付けを手伝ってくれた皆と一緒に、帰宅の途についた。




