1章 “策略家”久藤の始動~前篇~
凛が転入してきた日から一夜明けた。
秋深い11月もそろそろ下旬に差し掛かろうかという頃、僕はいつものように余裕を持って家を出て学校へ向かっていた。
まだ日差しだけは暖かいけど、吹く風はだいぶ冷たくなってきている。
ふと大通りへ出る交差点に琴音が立っているのが見えた。
歩道の脇に一人で立って、その顔は少し微笑んでいるように見える。
「おはよう、雅人」
僕が彼女に近づいて行くと、途中で気が付いてこちらを向く。
そして嬉しそうに笑みを浮かべた。
「うん、おはよう琴音」
僕も挨拶を返した後、そのまま学校へ向けて歩いていく。
すると、彼女はぴったりと僕の横に並んで歩き始めた。
どうやら僕が来るのを待っていたみたいだ。
「一緒に学校行くの久しぶりだよね?」
隣で笑顔を浮かべている琴音にそう呼びかけてみる。
「うん…。一年半ぶりくらいかな」
そう言う琴音の表情は昔から変わらない幼馴染のそれで、長い間見ることが出来なくなっていたものだった。
中学生のときは毎日一緒に学校へ通っていた僕達だけど、高校へ入って、琴音が生徒会役員になってからは別々に行くようになっていった。
それまで僕は常に彼女と一緒にいたような気がするし、それを心地いいものと思っていた。
だからというわけではないけど、高校に入ってからというもの、琴音が少し離れていってしまったことに寂しさを感じていた節もある。
でも昨夜、琴音の想いを聞いて、寂しかったのは僕だけではなかったのかもしれないと感じた。
一緒に夕食を食べて、おしゃべりして、想いを伝えあって…。
本当に久しぶりに、僕たちはまた以前の近しい仲に戻れたのだと思う。
だから並んで歩くこの距離感もまた昔のものと同じで、とても快く感じられた。
「これからは昔みたいに、一緒に学校に行こうね」
そうやって微笑みかけてくる琴音も、どうやら僕と同じように感じているらしい。
「そうだね。その方が楽しいし」
だから僕も正直に答えた。
僕の答えに、琴音は少し頬を赤くして前を向く。
子供っぽいと感じて恥ずかしかったのかもしれない。
こうして僕の登校風景は、独りのものから琴音と二人のもの変わることとなった。
学校の正門を抜け、教室棟に到着する。
僕のクラスはA組で琴音はC組なので、彼女とは廊下で別れる。
琴音が手を振ってきたので、僕も振り返してから2ーAの教室に入った。
「おはようございます、雅人さん」
最後列の端から2番目、その場所にあてられた自分の席に近づくと、隣の席の雪姫さんが笑顔で朝の挨拶をしてくれた。
「おはよう、雪姫さん。いつも早いね」
特定の部活動に所属していない僕には当然朝練などはないのだけど、朝練のない生徒にしては、僕は早く学校に来ている方だ。
しかし、雪姫さんも部活に入っていないにもかかわらず、いつも僕より早く学校に来ている。
彼女が言うには、
「毎日が楽しいですから」
という理由らしい。
本当にそれだけなのだとしたら彼女はこの学校とこのクラスが気に入ってくれたということだろう。
友人として、それはとても嬉しいことだ。
「気に入ってもらえたようで嬉しいよ」
だから僕はそう言って笑いかける。
すると彼女も笑顔を返してくれる。
朝一番でここまでいい気分にさせてくれる雪姫さんは、やっぱりいい人なんだな。
それからしばらく持参した本を読んでいると、よく知る人物が登校してきた。
「おはよう雅人、雪姫」
「おはよう、凛」
「凛さん、おはようございます」
僕と雪姫さんに声をかけて自分の席に着いた凛は、いつもの感情の読み取りづらい無表情で鞄を開き、そこから一冊の本を取り出した。
「はい、雪姫。これが昨日話していたものよ」
そう言って手に持った本を、僕の前を通して差し出す。
気になった僕がちらっと視線を下に向けてどんな本なのか見ようとすると、凛が手首を返して縦にした本に顎を打たれた。
「うっ」
「勝手に見ないで頂戴」
僕の前を通しておきながら理不尽な言葉を吐いた凛に、僕は恨みがましい視線を投げる。
しかし彼女は全く気にした様子もなくすまし顔だ。
「あ、ありがとうございます、凛さん」
苦笑いで本を受け取る雪姫さん。
彼女は受け取ったそれを、そのまま自分の鞄に仕舞った。
僕は顎をさすりながら凛のことをじーっと睨んでいたが、そんなことをしても無駄だと悟ってため息を吐いた。
それから気を取り直して雪姫さんに一つ質問をする。
「それにしても、昨日の今日で二人は随分仲良くなったんだね」
そう言うと、雪姫さんは笑顔になって頷いた。
「はい。凛さんは優しくてとても頼りになる方です」
「雪姫……おだてても何もでないわよ?」
臆面もなく語る雪姫さんに、少し恥ずかしかったのか、頬を赤くして凛が口を挟んだ。
雪姫さんはそんな凛を見て尚も笑顔を浮かべている。
「そっか、二人の気が合ったみたいで僕も嬉しいよ」
「別に雅人のおかげではないけどね」
僕は素直に思ったことを口にしただけなのに、凛が水を差す。
「む……」
「あはは…」
雪姫さんもまた苦笑いすることしかできなかった。
それから朝の始業時刻十分前まで、三人で喋って過ごした。
そして、そろそろりさちゃんが来てHRが始まるだろうという時間になって、教壇に一人の人物が立った。
「みんな、ちょっと私の話を聞いてもらってもいいかしら」
教壇に立ったのは久藤さんで、彼女はとても真剣な表情でクラスを見渡していた。
誰もが彼女の剣幕に圧倒され、文句を言うことなく静かに自分の席に着く。
彼女は全員が席に着いたことを確認した後、ゆっくりと語り始めた。
「今年もあの季節がやってきました。クリスマスに向け、秋鷹高校が最も盛り上がる季節…」
教室のみんなが息を呑む。
もうみんな彼女が何を言いたいのか判っているのだけど、ざわめきの一つさえ発せられる空気ではなかった。
久藤さんは言葉の途中で間をとると、厳かに言い放った。
「そう、文化祭です」
誰かが喉を鳴らす音が聞こえた気がした。
「そこで突然ですが、今年の我々2ーAの出し物は既に決定させていただきました」
言葉通りの突然な発表に、クラス中でブーイングの嵐が起きた。
大事なことを勝手に決めてしまったのだからそれも当然だろう。
「話は最後まで聞いてください!」
しかし、久藤さんの真剣な声に、クラスは再び大人しくなった。
表情こそ不満が表れているが、口を開いている者はいない。
久藤さんは静かになるのを待って再び語り始めた。
「例年、日本全国でも稀にみるほど盛り上がる我が校の文化祭ですが、今年の2ーAは今までと次元が違う逸材が揃っています」
(そうなの…?)
僕は疑問に思い首を傾げていたけど、クラスの皆は意味が解るようでうんうんと頷いていた。
加えて仁が最前列でため息を吐いているのも見えた。
「ですから私は、迅速な決定によるアドバンテージを得るため、先程生徒会長に出し物の内容と希望する会場を報告してきました」
久藤さんの眼が眼鏡越しに光る。
クラス中が息を潜めて話に聞き入っていた。
「今年の2ーAの出し物、それはレストランです!」
(……えっ?)
僕は思いの外普通なそれに呆気にとられた。
しかし…。
「なるほど…」
「うちのクラスでレストランって……」
「最強じゃないか!?」
クラスメイト達は大歓声を上げる。
先頭では仁がやれやれと首を振っているが、なにやらまんざらでもなさそうな雰囲気だ。
教壇の久藤さんは勝ち誇っている。
「みんなもう気付いてると思うけど、一応選考理由を述べておくわ」
久藤さんは晴れ晴れしい表情のまま言葉を続けた。
理由のわかっていない僕としては、それを話してくれるのは嬉しい限りだ。
「私がこれを選んだ理由……それは雅人君、二条さん、弓月さん、そして堺君がいるからです!」
(……はっ?)
そんな理由、と僕が理解できずにいたのに、クラス中はまたも歓声が上がった。
隣の雪姫さんもちらちらと僕のほうを窺い、凛も「なるほどね」と呟いている。
「ちなみに生徒会長は二つ返事で快諾してくれました。会場の方もなんとかしてくれるそうです」
久藤さんは尚も誇らしげに語る。
(琴音まで噛んでいるのか!?)
何が何だかわからないが、とにかく嫌な予感だけはひしひしと感じていた。
「今は時間がないのでここまでだけど、昼休みに細かい計画を報告するのでそのつもりで。私からは以上です。では解散!」
久藤さんは途中からノリでそんな言い方をしていたのだろうけど、そんなことを咎めようとする人間は今このクラスにはいなかった。
先程の久藤さんの発表について、話が盛り上がっている。
僕は一人だけ理由がわからず取り残されているように感じ、取り敢えず理由を知っていると思われる生徒会長に訊いてみることにした。
一限目の始業まであと五分程あるので大丈夫だろう。
すぐに教室を出て、C組の教室に駆け込む。
一人で授業の準備をしている琴音の机まで足早に近づき、彼女の前に回って質問をぶつけた。
「琴音、文化祭でうちのクラスの出し物に、即OK出したって本当?」
「雅人?ええ、さっき久藤さんが生徒会室に来た時に了承したけど…。何かあったの?」
「彼女、それを独断で通して事後報告でさっき聞かされたんだよ。なのに誰も反対しなかったんだ。僕や雪姫さん、凛や仁がいるからって理由だったんだけど……」
すると琴音は「ああ…」と軽く笑って僕を見つめてきた。
「雅人。あなたは気付いてないかもしれないけど、あなたたちは学校中で人気者なのよ。それにあなたは料理がすごく上手だし。だからあなたたちが料理店を開いたら大人気でしょうね」
「……そうなの?」
「ええ。私も行ってみたいくらい」
(大人気?本当にそうなのだろうか?確かに雪姫さんや凛はとても美人だけど…)
琴音は笑みを浮かべると、呆気にとられる僕に発破をかける。
「雅人、期待してるよ?」
そう言われ、僕は苦笑いを浮かべた。
それから時間も時間だったので自分の教室に戻る。
席に着いた僕は、これからのしかかるであろう重圧にため息を吐いた。




