21章 悩める生徒会長
雅人から、彼の関わっている仕事の話を聞いた。
それはとても危険の伴うもので、決して高校生がやるようなものではないと思う。
でも同時に、雅人なら大人に交じって立派にこなしていくのだろうとも思えた。
雅人は体が強い。
元々運動神経は良かったけど、小さい時からコツコツと鍛えていたのもあって、一介の高校生では及ばない運動能力を持っている。
普段は大人しいせいで学校の皆は知らないだろうけど、彼がその気になれば力比べで勝てる人はいないだろう。
雅人は頭もいい。
どんなときでも慌てず騒がず。
常に周囲を観察して臨機応変に対応する。
昔から厄介事に巻き込まれることが多かったけど、その度に雅人の機転が状況を好転させてきた。
そんな雅人なら、公にされていない国家機関の重要な仕事を任されることがあってもおかしくはない。
能力も十分で、ルーナという影も付き従っている。
有能で有望で、すごく頼りにされているということ。
でも…。
だからといって雅人は完璧な超人なんかじゃない。
それは幼いときからずっと側にいる私にしかわからないと思う。
雅人が誰も見ていないところでずっと頑張ってきたことも。
その努力の根底には大きな悲しみがあることも……。
普段は穏やかで紳士的な態度を崩すことがない雅人だけど、悲しいときは辛いし、悩みがあれば苦しい、普通の17歳の男の子だ。
私はそれを支えてあげたい。
子どものときから今まで、ずっとそう思い続けてきている。
そのはずなのに……。
「……ふぅ」
私は午後の現代文の授業中、小さなため息を漏らしてしまった。
担当教諭は先程から、今日の題材となっている文章の時代背景を長々と語っている。
この話は以前、同じ時期の別の作品のときにもしていたことを忘れているのだろうか。
前回、しっかりとその話を聞いていた私にとってこの時間は無為でしかない。
この先の予習はすでに昨日の夜に終わらせているし、別の授業の勉強をしているわけにはいかないし…。
こうなってくると、思案に暮れることしかやることがなくなってしまう。
私の頭にはさっきから二つ隣のクラスで授業を受けているだろう幼馴染の顔が浮かんでいた。
連休が明けてからというもの、立て続けに雅人に近しい女の子が増えてきた。
二条さんはこっちに来て初めて親しくなったのが雅人で、初日から誘拐事件に巻き込まれてしまい、そこを雅人に救われたという話だった。
彼女が雅人に恩義を感じているのは本当のことだとして、いつの間に親しくなったのだろう。
いや、天然な雅人のことだ。どうせいつもの通りさらっと優しくして本人も気付かぬ間に懐かれてしまったんだろうな。
あとは雅人が話していた「雪姫さんは料理が上手なんだよ」という理由だろうか。
雅人は料理が好きだから、同じく料理が上手い二条さんと話が合うんだろうな。
(私も料理はできるのに……)
そう思っても、雅人の料理の腕は家庭料理の域を超えている。
できると言っても普通にでしかない私では、彼のこだわりには及ばない。
その点、二条さんは雅人のこだわりを理解できるらしい。
どこかの高級料理店の一流シェフと言われても違和感のない程熟達した雅人の料理を同い年で理解できる少女がいるというのは驚きだ。
そんな二条さんだからこそ、雅人が特に親しく接する女の子なのかもしれない。
「………はぁ」
声を潜めて、また一つため息を吐いた。
未だ現代文の教諭は、明治時代のイデオロギーのなんたるかを語っている。
もはやその話を聞いている生徒は皆無に近く、七割方は机に突っ伏して夢の世界に入り込んでいる。
五時限目の授業時間はまだ残っているが、教諭の熱弁は勢い衰えず、おそらく五限が終わるまでしゃべり続けるだろう。
私は生徒にお構いなしで語り続ける現国教師を一瞥してから、今日転入してきたばかりの少女に考えを巡らせた。
弓月さんは雅人と同じ組織のエージェントなのだそうだ。
アメリカからの帰国子女で、雅人と同時期に組織に入り、いくつもの事件を雅人と一緒に解決に導いてきたらしい。
犯人と交戦してやむなく殺害することもあったりと、想像もつかない局面を共に乗り越えてきたために、お互いのことを理解しあえていると、雅人は言っていた。
私には雅人が彼女の考えを本当に理解できているのか疑問だけど、二人の間には強い信頼関係があるように感じられたのは確かかな。
対して私は一般的な高校生だ。
だから雅人を支えたいと思っても、彼と一緒に危険に立ち向かうことはできない。
雅人が危ない目に遭って、命の危険に晒されても、私が彼を守ってあげることはできない。
そんなとき、弓月さんなら雅人の背中を守ってあげられるのだと思う。
冷静に、確実に、お互いをフォローしあっていけるのだと思う。
私がなれなかった、雅人の相棒という立場で、ルーナと一緒に雅人を守ることができる。
雅人が気心の知れた相棒と親しくするのは当然のことなのだろう。
「………」
もうため息すらでない。
私は雅人を支えたいとずっと願ってきたけど、結局何もできていない。
ただお節介なほどに世話を焼いて、彼が親しい女の子をつくると自分勝手に怒ってきただけだ。
支えるどころか邪魔をしているようにさえ思えてくる。
我慢できなくなり、私は周囲のクラスメイト達と同じように顔を伏せる。
授業中だというのに、私の眼からは涙がこぼれてきてしまっていた。
そして結局、私はこの授業中に再び顔を上げることはできなかった。
放課後。
普段私は授業が終わっても、毎日生徒会の仕事があるので学校に残っている。
生徒会に入ろうと思ったきっかけは、雅人の隣に立つに相応しい存在になりたいと思ったこと。だけど、今ではこの仕事自体が気に入っている。
秋鷹高校に通う生徒たちの役に立てると思うと、忙しさなんて苦にならない。
でも、今日に限っては仕事もほとんど手に着かなかった。
副会長の子が気を遣ってくれて早めに切り上げることになったが、私情で仕事を切り上げるなんて他の役員の子に申し訳ない。
そう思ったけど、今日の私にはもう頑張る気力が残っていなかった。
いつもよりずっと早く下駄箱で靴を履きかえ、帰路に着く。
昇降口から正門までの通りを歩いていると、途中にある噴水の水が夕陽で輝いているのが目に入った。
きらきらと白く光る水面はとてもきれいで、思わず足を止めて見入ってしまう。
思えば生徒会に入ってからは暗くなる前に帰ることはほとんどなかったので、こんな光景はあまり見たことがない。
「きれい……」
誰にともなく呟く。
私はそのまま噴水の縁に座って、しばらく水面を見つめていた。
五分程見つめていただろうか。
ふと、昇降口から歩いてくる人影が目に入った。
「あれ、琴音?そんなところで何してるの?」
雅人が私を見つけて声をかけてくる。両隣には二条さんと弓月さんを連れて。
無意識のうちにムッとしてしまう。
「別に…。夕焼けが水に反射して綺麗だったから眺めてただけよ」
ついキツイ言い方をしてしまい、言った後で後悔した。
確かに雅人が可愛い娘で両手に華の状態だったとしても、彼はそれで鼻の下を伸ばしたりはしない。
傍から見たらすごく羨ましい状況で、私からしたら気持ちのいい状況ではないとしても、当の本人にはその自覚は無いのだろう。
それなのに、私は独りで勝手にイライラしている。
雅人が二人にデレデレしているのだと勝手に決めつける。
そして結局雅人を困らせてしまう。
最低だ……。
私の身勝手なわがままでしかない……。
私は視線を落として自己嫌悪に陥ってしまう。
雅人はそんな私に、変わらず言葉をかけてくれた。
「えっと……今日は生徒会の仕事は?」
「……今日は早く終わって…もう帰るところよ」
「そうなんだ。じゃあ琴音も一緒に帰らない?」
そう言う雅人へ顔を向けると、彼は穏やかに微笑んで私を見ていた。
それだけで、私の心は軽くなる。
それだけで、先程のもやもやは影をひそめる。
我ながら、なんと単純なんだろう。
雅人の笑顔を見ることができただけで、あれほど渦巻いていた葛藤や悩みがスーッと晴れていくようだった。
「雪姫さんも凛も、琴音が一緒でもいいよね?」
雅人は私の返事も聞かずに、振り返って二人へ伺いを立てている。
「もちろんです」
「ええ、いいわよ」
二条さんも弓月さんも、そんな雅人へ笑みを向けて首肯する。
彼女たちは二人とも私の意地の悪さに振り回されたのに、そんなことは感じさせない程あっさりと受け入れてくれた。
「さあ琴音、二人もこう言ってくれてるし、一緒に帰ろう?」
もう一度こちらに振り返った雅人が、私へ向かって手を差し出してくる。
もう…。
これだから雅人はズルい。
こんなふうにされたら……断れないじゃない。
私は目を閉じて一度深呼吸をすると、雅人の手を取って立ち上がる。
雅人も二条さんも弓月さんも、皆笑顔で私を迎えてくれた。
こうして私たちは4人で家路に着いた。




