17章 高校生でスーツの似合う男はなかなかいません
雪姫さんが転入してきてから、最初の土曜日を迎えた。
秋鷹高校も他の一般的な学校と同様、土曜日にも授業がある。
それでも授業自体は半日で終了するため、午後は自由だ。
ちなみに僕は部活動には所属していない。
だから普段、土曜日の午後は割とのんびりとしているんだけど……。
「よし、帰って着替えないとな」
今日は違う。これから少し遠くまで出かけなくちゃならないんだ。
僕は帰り支度を整えて、まっすぐに家路についた。
『雅人、急いで。あまり時間がないわよ』
「うん、わかってるよ」
家に帰った僕は、すぐにシャワーを浴びて汗を流し、いつもの服装に着替えた。
皺一つ無いワイシャツに袖を通し、ダークブルーのスーツに身を包む。
えんじ色のネクタイを締め、必要な物を持つと玄関に向かった。
『雅人、ちょっと待って』
革靴を下駄箱から取り出し、足を入れようとしたところでルーナに声をかけられる。
「なに、どうしたの?」
振り返ってみると、彼女は姿を現してこちらを向いていた。
そして僕の胸元のネクタイを締め直してくれた。
『ネクタイ、少し曲がっていたわよ』
微笑んで優しい声をかけてくれる。
なんだろう……。
このやりとり、すごく恥ずかしいような……。
「あ、ありがとう」
思わず少し狼狽えてしまった。
ルーナはそんな僕を見てクスリと笑う。
『ふふ、それじゃあ行きましょうか。だいぶ時間も押しているみたい』
「え……?あ、本当だ!」
慌てて革靴を履いて玄関を飛び出す。
振り返って鍵をかけ、僕は足早に駅に向かった。
自宅の最寄り駅から電車を乗り継いで約一時間。
僕は日本の行政の中心地、霞が関の一角に立っていた。
周囲には日本政府の各省庁や警視庁庁舎などが並んでいる。
まさにこの国の中枢都市だ。
「………やっぱりここへ来ると少し緊張するな」
僕は誰にともなく呟き、ちらっと足元を見た。
一日で一番高い位置にある太陽に照らされた僕の影がそこにある。
その陰りが微動だにしないことをさりげなく確認した僕は、ゆっくりと歩道を歩き始めた。
十分程歩いて尾行がついていないことを確認した後、僕はある建物に向かう。
今まで尾行なんてされたことは一度もなかったけど、これから向かう先を第三者に知られては大変なことになる。だから念には念を重ねて尾行の確認をすることにしているんだ。
それからさらに五分程経って、僕は一つのビルに到着した。
入り口には二人の警備員が立って、入り口を通る人間に睨みを利かせている。
僕も二人の警備員の視線を浴びながらビルのエントランスへ入る。
五階までが吹き抜けの構造になっているこのビルには、各省庁のオフィスや委員会の事務局などが集められている。
そのため政治家や官僚といった、日本を実際に動かしている人々が集まる重要拠点なのだ。
表向きは……。
「あら、雅人君じゃない。久しぶりね」
エントランスを歩いてフロントに近づいていた僕に、一人の女性スタッフが気がついて笑顔で声をかけてきた。
その人、峯岸志穂さんに僕も微笑んで、しかし口調は丁寧に答えた。
「ご無沙汰しています。志穂さん」
すると周りにいる手の空いていた他の女性スタッフ達が名前を呼んできたり、手を振ってきてくれた。
僕は一度深めにお辞儀をして返した。
頻繁に来ているわけではないのに、僕のことを覚えていてくれて、声をかけてくれる。大人の、それも日本のトップクラスの人材の集まる場を、独りで訪れている高校生の僕は当然のごとく緊張している。
だからこそ、彼女たちのそんな気さくな態度はとても嬉しい。
そんなことを考えていると、僕のことをじっと見ていた志穂さんが口を開いた。
「う~ん……。やっぱり君は凛々しいわね~。ねえ、お姉さんと付き合ってみない?」
滑らかな茶髪をかき上げながら、色気のある流し目でそう言ってきた。
僕は自然と苦笑いがこぼれた。
「からかわないで下さいよ。高校生の少年は本気にしちゃいますよ?」
「もう……割と本気なのに……。それで、今日の用件もいつもの通りかしら?」
口をとがらせて拗ねる志穂さんは、少し投げやりな態度で話を進めた。
未だ苦笑いを浮かべたまま、僕は頷く。
志穂さんはカウンターの下から数字のキーがついたカードリーダーを取り出す。
「それじゃあいつもの通り、ここにあなたのゲストカードを通して、その後に12桁の暗証番号を打ち込んでね」
「はい」
僕は内ポケットから取り出した無地の黒いカードを、カードリーダーの溝にスライドさせた。一瞬の間をおいて電子音が発せられるのを聞いた後、12桁の番号を打ち込む。
一連の動作の後、カードリーダーの小さな液晶画面にOKの文字が表示された。
僕は装置を志穂さんに返す。彼女はそれを受け取ると液晶を見て、それから僕の方に向き直った。
「はい、これで手続きは終了。じゃあこれもいつものごとく、3番エレベーターに乗って地下2階の第1ラウンジに入って待っててね」
「わかりました。ありがとうございます」
僕はもう一度深めのお辞儀をして、フロントの左奥へと足を向けた。
このビルは地上24階、地下2階という設計が公にされている。
そのメインとしての機能は地上3階以上のオフィス群だ。
2階以下は待合スペースや食堂、カフェなどがあり、多くの人が利用している。
反面、地下の2つの階は半ば持て余し気味になっている。
地下にはこじんまりとしたバーが1つと、広めのラウンジが2つあるだけで、利用する人間はほとんどいない。
そんな地下2階の広いラウンジの1つで、僕は隅の席に着いてインスタントコーヒーを口にしていた。
室内には僕以外誰もおらず、地下であるために騒音もない。辺りには時計の針の音だけが響いていた。
そのまましばらくの間、ゆったりとコーヒーの味を楽しみつつ(インスタントなのでそれほど上等なものではないが)時間が過ぎるのを待った。
一杯を飲み終え、後始末を終えた際に壁に掛けられた時計に目を向ける。
時計の針は午後2時40分を指していた。
(そろそろ行こうかな。あんまりギリギリなのもよくないし)
心の内でそうつぶやいた僕は、ラウンジの中をぐるりと見回し、同時に外の気配も探る。
(誰もいないな)
そのことを確認した後、僕は先程のテーブルの中央に置かれた灰皿に手を伸ばした。
テーブルに固定された灰皿を、右に90度、左に180度、また右に90度回転させる。
すると小さくカチっと音が鳴り、テーブルとその周りの4つの椅子は滑らかに下に降り始めた。
直径3メートルくらいのパイプをそこそこのスピードで降下していく。
と、ここで頭上の穴が塞がった。これで地下二階のラウンジには何も残っていない。テーブルの数が1つ減ったところで、それに気がつくような人間もいないだろう。
リフトの降下は約2分足らずで終了した。
停止したリフトの壁、その一部が左右に開いた。
僕は椅子から立ち上がって、扉をくぐる。
眼前には、あるはずの無い、公にはされていない空間が広がっていた。
上のどんな階とも全く異質な造りをしており、働く人々もどこか風格を漂わせる。
この場所こそが僕の職場であり、日本を陰から支える組織である、特殊諜報戦闘部隊(SEFU)の本部なんだ。
矛盾点修正しました。




