7話「最後に残るのは」
静かだった。
さっきまでいたはずの三人目は、もうどこにもいない。
白い空間だけが何もなかったみたいに広がっている。
ナオはその白さが妙に腹立たしかった。
「……二人……か」
口に出してみても実感は薄い。
残ったのは、ナオとサチだけ。
サチは少し離れた場所で立ち尽くしていた。
泣いた跡は薄れていたが、完全には消えていない。
「……サチ」
呼ぶと、サチが振り向く。
「何?」
「大丈夫か」
変な質問だと思った。
こんな場所で大丈夫なわけがない。
けれど、聞かずにいられなかった。
サチは少し考えてから、小さく息を吐く。
「大丈夫じゃない」
「……だろうな」
「でも」
「さっきよりは、少しマシ」
ナオは目を細めた。
「俺がいるからか」
半分、冗談のつもりだった。
サチは否定しなかった。
「……多分」
それだけで、胸の奥が痛んだ。
思い出したわけじゃない。
それでもまた、自分に引き寄せられている。
何度忘れても、何度でも。
そんな呪いみたいな関係が、もう二人の間にある気がした。
『最終ゲームを開始します』
天井から声が落ちる。
空気が一変した。
『第六ゲーム。「最後の願い」』
床の中央に2つの台座がせり上がる。
向かい合うように。
『プレイヤーは互いに向き合って立ってください』
逆らえない。
ナオとサチはゆっくり歩き、向かい合った。
手を伸ばせば届く距離。
『このゲームの勝者は一名です』
サチの目が揺れた。
ナオは無言のまま立つ。
『敗者は消滅します』
『勝者は願いを1つだけ叶える権利を得ます』
願い?……そんな言葉が、こんな場所ではやけに軽く聞こえた。
『なお、勝者は敗者に関する全記憶を喪失します』
ナオの思考が止まる。
サチも息を呑んだ。
『敗者に関する記録、感情、記憶はすべて消去されます』
『勝者は“何を失ったか”も理解できません』
「……ふざけんな」
ナオが低く吐き捨てる。
生き残っても、意味がない。
忘れるなら、それは勝ちじゃない。
忘れたまま生きる方が、よほど残酷だ。
『それぞれ、相手に1つだけ質問を行ってください』
『相手の答えが本心だと判断した場合、承認を押してください』
『互いに承認した場合、より“願いが強い”方が勝者となります』
『承認しなかった場合、両者敗北となり、消滅します』
沈黙する。
最後に必要なのは、信じること。
殺し合いの果てに、それを要求してくる。
「……最低だな」
ナオが言うと、サチがかすかに笑った。
「今さらでしょ」
「質問しろってよ」
「……じゃあ、私から」
サチはナオをまっすぐ見た。
「ナオ」
「ん?」
「私が消えても、生きたい?」
ナオの呼吸が止まる。
鋭かった。
それは質問の形をした刃だった。
生きたいか。
普通なら、答えは決まっている。
サチが消えて、忘れて、それで残る自分に何の意味がある。
「……分かんねえよ」
やっとそれだけ出た。
「生きたいか死にたいかなんて、もうそんな簡単じゃねえ」
「でも、お前が消えるのは嫌だ」
喉が詰まる。
「忘れるのも嫌だ!」
「それを勝ちって呼ぶなら、俺は多分、そんなもんいらねえ」
サチは何も言わなかった。
ただ、ナオを見ていた。
「次、俺だ」
サチが頷く。
聞きたいことは山ほどあった。
でも、今この場で聞くべきことは一つしかない。
「サチ」
「何」
「お前は、俺を信じられるか」
サチの表情が止まる。
長い沈黙だった。
ナオは急かさず、ただ待った。
やがてサチが顔を上げると、その目は少し赤かった。
「……分からない」
ナオの胸が沈む。
けれど、サチは続けた。
「記憶はない」
「本当に……ない」
「だから“昔のあなた”を信じてるのかは分からない」
「でも」
サチは自分の胸に手を当てた。
「今の私は、あなたを信じたいと思ってる」
ナオは息を呑む。
「理由はない」
「理屈もない」
「それでも、そう思ってる」
声が震えていた。
「分からないままでも、あなたを選びたい」
それだけで十分だった。
記憶の外側で、サチが自分を選んだ。
なのにその先にあるのが別れだなんて、あまりにも悪趣味だった。
『承認を行ってください』
光が二人の手元で点滅する。
押せば、一人が消える。
押さなければ、二人とも死ぬ。
サチを見る。
サチもこちらを見ていた。
「……ナオ」
「何だ」
「私……多分」
「前にも、あなたにこういう顔した気がする」
ナオは苦く笑った。
「どんな顔だよ」
「どうしようもないのに、手放したくない顔」
ナオは承認ボタンを見る。
それから、ゆっくり手を上げた。
けれど――押さない。
その代わり、一歩前に出る。
「……ナオ?」
「これ、最後までルール通りにやる必要あるか?」
サチの目が見開かれる。
承認しないと、二人とも消える。
それがルール。
でも、そのルールごと壊せたら。
「できると思うの?」
「知らねえよ」
ナオは笑った。
「でも、今まで全部“従う前提”で作られてた」
「だったら1回くらい、壊しにいってもいいだろ」
サチは数秒、ナオを見つめていた。
それから、今までで一番やわらかく笑った。
「……ほんと、危ない人」
「今さらだろ」
「うん」
「でも、そういうとこ……嫌いじゃない」
ナオは透明な板に手をつく。
サチも向こう側から、同じ場所に手を重ねた。
触れられない。
でも、確かにそこにいる。
『承認を確認できません』
『規定時間まで残り十秒』
警告音が鳴る。
白い空間が、わずかに軋んだ。
ナオは目を細める。
初めてだ。
この空間が揺れた。
「……いけるかもな」
ナオが言う。
サチが小さく頷く。
「ええ」
残り七秒。
六秒。
ナオは息を吸う。
「サチ」
「何」
「忘れても、また見つける」
サチの目が揺れる。
次の瞬間。
彼女は泣きそうに笑った。
「……遅いのよ」
その声と同時に、空間が大きく軋んだ。




