11話「終わらせるための願い」
白に戻された瞬間にナオは膝をついた。
息が浅い。
胸の奥がざわついて、吐き気に近い感覚が込み上げる。
隣ではサチも俯いていた。
肩が小さく震えている。
兄。
その存在が、今さら輪郭を持って戻ってきた。
なのに、思い出せることは少ない。
声も、表情も、もう曖昧になりかけている。
それが余計に苦しかった。
「……兄ちゃん」
サチが、ぽつりと呟く。
その一言だけで、空気がひどく痛んだ。
「お前、大丈夫か」
ナオが聞くと、サチは少しだけ顔を上げた。
目は赤いが、泣いてはいなかった。
「大丈夫じゃない」
「でも、止まってる暇もない」
そう言って立ち上がる。
強い。
いつものサチだ。
でも今は、その強さがぎりぎりのところに立っているのが分かる。
ナオも立つ。
『最終照合を開始します』
天井から声が落ちる。
今やもう、無機質さは薄れていた。
壊れかけた機械のような、不安定な響き。
『本ゲームの継続条件を再提示します』
床に光が走る。
でも、今度は何もせり上がらない。
ただ、白い空間の正面に巨大な文字だけが浮かんだ。
【再会の願いが存続する限り、ゲームは継続される】
ナオは目を細める。
やっぱりそこか。
予想はしていた。
でも、文字にされると重さが違う。
続けて、次の一文が浮かぶ。
【再会の願いを完全放棄した場合、本ゲームは終了する】
サチが息を止めた。
ナオの手も、無意識に強く握られていた。
完全放棄。
つまり。
もう一度会いたいという願いを……捨てる。
忘れたくないという執着を手放す。
そうすれば終わる。
けれど、それは。
「……終わらせるには」
サチが、かすれた声で言う。
「もう会いたいって思っちゃいけないってこと?」
『肯定』
ナオは奥歯を噛んだ。
あまりにも綺麗に、残酷だ。
会いたいから続いた。
忘れたくないから壊れなかった。
でも、それが地獄を延命させていた。
「ふざけんな」
ナオが低く吐き捨てる。
「そんなの、願った時点でもう負けじゃねえか」
『訂正』
『それは敗北ではなく、継続です』
「同じだろ」
ナオの声が少し荒くなる。
「何回会っても、何回失っても、また会いたいって思う限り終わらねえ」
「それって結局、永遠に削り続けるってことだろ」
返答はない。
その沈黙が、肯定みたいで腹立たしい。
サチが、文字を見つめたまま呟く。
「……お兄ちゃんは」
「こんな終わり方まで望んでない」
ナオもそう思った。
兄が願ったのはきっと、二人がもう一度会えることだった。
それだけだ。
こんなふうに、何度も出会って何度も壊し合うことじゃない。
願いは歪んだ。
優しさの形をしたまま。
『追加情報を提示します』
また文字が切り替わる。
【過去12回の最終選別において、両者は毎回“再会の願い”を選択】
【終了条件は一度も満たされていない】
ナオの喉が乾く。
毎回。
12回……全部。
終わらせるより、また会うことを選んだ。
その結果が今だ。
「……俺たち」
ナオが言う。
「毎回、分かってたのか」
『一部記録を開示します』
視界が揺れる。
白い空間の中央に、いくつもの断片映像が走った。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
ナオは見た。
サチが泣きながら笑っている場面。
自分が血を吐きながら、それでも何かを願っている場面。
逆もあった。
サチだけが残される場面。
ナオが一人で立ち尽くす場面。
そして、そのどの終わりにも共通していたのは――
願いだ。
最後の最後で、どちらも同じ顔をしていた。
終わらせられない顔。
もう会いたくないなんて、どうしても言えない顔。
映像が消える。
サチが、唇を噛んだ。
「……無理だよ」
小さい声だった。
「そんなの」
「無理に決まってる」
ナオは何も言わない。
言えない。
分かるからだ。
ここまで来て、もう会いたくないと本気で願えるか。
忘れて終わろうと、言い切れるか。
できるわけがない。
だから12回続いた。
だから13回目が来た。
サチが俯いたまま言う。
「ナオ」
「ん?」
「もし……私が」
「終わらせる方を選べなかったら、どうする」
ナオはすぐには答えなかった。
問いの重さを測るまでもない。
それはつまり。
また会いたいと願ってしまったら。
またこの地獄を回してしまったら。
そういうことだ。
「……お前は?」
逆に聞く。
「俺が選べなかったら」
サチは苦く笑った。
泣きそうな顔のままで。
「責められない」
「多分、私も同じだから」
その一言で、全部だった。
結局二人は同じところにいる。
相手を失うのが嫌で。
でも、その嫌さが地獄を続ける燃料になっている。
最低だ。
最低だけど、すごく人間らしい。
『最終選択へ移行します』
空間の中央に、二つの光が浮かぶ。
ひとつは淡い白。
ひとつは、薄い青。
意味は分からない。
でも、本能で分かった。
どちらかが“継続”。
そして……どちらかが、“終了”だ。
『選択は各自一度のみ』
『両者の意思が一致した場合、結果を確定します』
『不一致の場合、本ゲームは初期状態へ移行します』
ナオは目を見開く。
サチも同じだった。
「……初期状態」
「また最初からってことか」
『肯定』
サチが小さく笑う。
乾いた、ひどく疲れた笑い方だった。
「どこまで性格悪いの」
「最後までだな」
ナオが返す。
つまり、片方だけじゃ終われない。
片方だけじゃ続けられない。
二人とも同じ方を選ばなきゃいけない。
最初から最後まで、このゲームはずっとそうだ。
独りでは完結しない。
必ず二人を使ってくる。
「……ナオ」
サチが呼ぶ。
ナオは視線を向ける。
サチはまっすぐ見ていた。
もう逃げていない。
「私、怖い」
「ああ」
「終わるのも怖い」
「ああ」
「でも」
「また最初からになるのは、もっと怖い」
ナオは息を止める。
その言葉が、胸に深く刺さる。
そうだ。
終わるのは怖い。
でも、また何も知らないところから出会い直して、また失って、また傷ついて、それを何度も繰り返す方が――もっと残酷だ。
ナオはゆっくりと目を閉じた。
サチの兄の顔が、曖昧な輪郭のまま浮かぶ。
頼んだぞ。
あの声。
あれはきっと、何度でも会えと言ったんじゃない。
見失うなと、言ったんだ。
なら。
今、見失わないために必要なのは。
もう一度会うことじゃない。
……ここで、終わらせることだ。
ナオは目を開ける。
「サチ」
「何」
「俺、多分」
「お前にまた会いたいって、これから先も思う」
サチの目が揺れる。
「でも、それごと持って終わる」
静寂。
サチが、息を吸う。
「……うん」
「私も」
少しだけ笑う。
今までで一番、静かな笑い方だった。
「忘れたくないって思う」
「それでも、終わらせたい」
ナオは頷く。
他に言葉はいらなかった。
二人はゆっくり、それぞれの光へ視線を向ける。
同じものを選ぶ。
たったそれだけのことが、今までで一番難しかった。
『選択してください』
ナオは手を伸ばす。
サチも同時に手を伸ばした。
二つの指先が、別々の光に触れる直前。
そのとき。
空間の奥で、何かが軋んだ。
嫌な音だった。
まるで、向こう側がこの結論を拒絶しているみたいに。
ナオは目を細める。
そして、確信する。
ここから先、まだ何か来る。
このままでは終わらせてくれない。




