呪われた女
「ここは法治国家なの。人をむやみに傷つけちゃ駄目。何か困ったことがあったらまず私に相談して。力になるから」
鬼の前にすっくと立ちながら、私はゆっくりとそう言った。
「は? お前、正気か。俺はお前をひと捻りで潰せるんだぞ」
「……わかってる。でも、それは、人間というものを、よく知らないからだと私は思うの」
男、いや鬼は不思議そうな顔をしている。イケメン過ぎて表情が読みにくいのが困りものだが、そもそも私は感情を読むのが大の苦手だ。
推測したところで、外れている可能性が高いのだから、最初から諦めたほうがいい。
「いきなりそんな事を言われても信用できないよね。私、詠門市の仏と言われているの。あやかしにまつわる数々の難問を解決してきたから安心して。とりあえずファーストステップね。……あやかしの世界ではちょっとしたイタズラのつもりでも、人間は脆くて、壊れてしまうの。だから、優しくそっと扱うこと。それが、人間とあやかしとが仲良く楽しく暮らしていくコツよ」
お助けセンターなんて言われるけれど私に出来るのは、対話だけ。
陰陽師的な技は持ってないし、人間としての能力も運動音痴、方向音痴、計算音痴と三拍子揃った無能である。
しかし、案外、はったりが利くのだ。
自信満々に振る舞えば、凄いのか、と錯覚してくれるのがあやかしだと私は思っている。
案外単純。それが私の知るあやかしだった。
(このやり方が駄目なら、泣き落としにしよう)
説得の次は懇願である。
なんと小賢しい女なんだろう。
自分でもがっかりするが、これが私の処世術。
「ほう」
にやり、と鬼は唇を歪めて笑う。
「お前、教育するつもりなのか。日本最強のこの俺を」
「その通りです!」
私はブンブンと頭を縦に振る。話がはやい。
これは上手くいくかもしれない。
「つくづく面白い女だな。俺を楽しませたことに免じて教えてやろう。俺はな、命令されるのがこの世で一番嫌いなんだ」
「そ、そうなの?」
「ああ。ということで、血祭りに上げるのはお前からにしてやろう。光栄だろ?」
鬼は私の襟首を掴む。次の瞬間、私の体は地面から数センチの所に持ち上げられていた。
「く、苦しい」
「ふふふ。恐怖がその目に戻ったな。そう。それでいい」
美貌の鬼は、そう言って笑う。
ううう。
どうやら、はったりは利かないタイプだったらしい。
私は足をバタつかせる。
「こんな事して、何が楽しいの? 一つの命は地球より大事なのに!」
「俺の力を試せるだろう? 能力はただ持っているだけじゃ腐る。無価値になる前に使わねばな。だけど、そうだな。理由もなしに人間を壊すのは流石の俺も後味が悪い。だから、小生意気にも俺を操ろうとする奴から始めようか。つまり、お前とこの女だ」
ぞくり、と背中に震えが走る。
本物の危険を前に、アドレナリンが爆発しそうだった。
(何か、考えなきゃ。打開策……)
もう、鬼は手の内を明かしている。
ここからは、私が何か起こさなきゃ。
「えいっ」
私はもがきながらも、拍子木を思いっきり地面へと投げた。
それは姫山さんの頭にクリーンヒット。
「うっ」
呻く彼女に(お願い。起きて。今のうちに、逃げて!)私はそう念じると、男に向き直る。
「あのね。本当に強い男は、弱いものをわざわざ壊したりしない。あんたなんか何もわかってない赤ちゃんよ。話が通じないなんて、論外だわ。ばーーーーーーか」
怒るかと思ったのに、鬼は不思議そうな顔で、私を見た。
「……お前、この女を庇っているな?」
「え?」
「注意を自分に引きつけるため、わざと俺を怒らせただろう。何故そんな事をする?」
星をいくつも宿したような美しい瞳が、左右に揺れている。
「そ、それは……」
「そう言えば妖狐も同じ動きをしていたな。下級あやかしのくせに。解せん」
私は内心かなり驚いていた。
確かに今の私の行為は、姫山さんを庇ったのかも。
しかし、そんな無意識の行動にこの鬼はすぐに理由をつけ、何かを感じ取ろうとしている。
「あやかしは……私の管轄だから、よ」
私は言った。
やっと聞く耳を持ってくれたのが、嬉しい。この切り口を逃せない。
「管轄?」
「自分で言うのもなんだけど。私は弱いわ。でも、どんなに弱くても、無能でも、この街で、いいえ、きっと日本中を探しても、あなたたちとコミュニケーションをとれる人間は私しかいないの。だから私が、事件を解決しなきゃならないの!」
これが人間同士のトラブルなら、警察を頼るに決まってる。
だって彼らは犯罪解決のプロだから。
(そう。だから、私の初動は間違っていた。でも、結局あやかしだったから結果オーライ!)
さあ、どう出よう。
泣き落としでいくか、それともこの強気のままか。
震えている事に気づかれちゃ駄目だ。きっと侮られて、対話が破綻してしまう。
彼はじっと私を見つめていた。
さっきから持ち上げられているのに、もう苦しくないのは何か術をかけられているからなのかもしれない。
ただ、瞳の位置が至近距離にあって……。
たった今私を捻り潰そうなんて言った恐ろしい男だとわかっているのに、その美しさに心臓が跳ねる。
彼の右手が私の前に伸びてくる。
(……っ)
恐怖に思わず目を閉じてしまった。
「……日々野日和と言ったな」
「はい」
私は頷く。
「いい名だ」
長くて繊細そうな指が私の顎をつまみ、くいと上向かせる。
血まみれの指にハッとした。
こんなに美しく動く指なのに、それが人を傷つけるために使われるなんて。
彼の指が、ゆっくりと私の唇に触れた。血のついた指先で丹念に私の唇をなぞる。
(今、何を?)
唇が、じんわりと熱い。触れてみると、血ではなく、桜の花びらが押し当てられていて、それは私の手の中にポツンと落ちる。
「俺の印だ」
鬼は謎の言葉を吐く。
ぽっと、頬が赤くなるのがわかった。
今のは何かの儀式?
とても怪しい行為なのに、何やらクラクラしてしまっているのは何故なのだろう。
「術をかけたの?」
朦朧としながら私は尋ねる。
「いや。だが、お前を俺に縛り付けた」
鬼は私をじっと見つめる。
ドキン、と心臓が大きく跳ねた。
(なんか変。絶対におかしい)
さっきまで恐怖にドキドキしていた胸がそれとは別な意味で早鐘を打っている。
鬼はふっと笑い、私の頬に片手を差し出した。
「知ってるか。男は、思い通りにならない女ほど……欲しくなるんだ」
ごくん、と私は唾を飲む。
こ、こ、こ、これは。
もしかして、殺戮宣言?
いや、でも……。
何故か空気が甘い。
桜の香りだけじゃなくて……鬼の香りも変わった気がする。
と、その時。
「きゃああああああああああ」
闇夜をつんざくような悲鳴が、上がりかけていた私の熱を吹き飛ばす。
見ると姫山さんが、さっきの私みたいに、両手で頬をはさみ恐怖の叫び声をあげていた。
この声量からすると、怪我はなさそう。しかし安堵は一瞬で
「ったく、うるさいな」
頬を撫でようとしていた手のひらが上向き、青白い炎が浮かび上がる。
ヤバい。現実に戻ったのは私だけじゃないようだ。
「ひ、姫山さん、大変。今すぐ、逃げて」
私の声はか細いけれど、今手元に拍子木はないし、出来る限りの注意喚起をするしかない。
姫山さんの顔はますます歪んだ。
「ば、ば、化け物」
ピッ、とこちらに指を向ける姫山さんに、私はハッとした。
「姫山さん、鬼がわかるの?」
「こっちを見るなッ。このっ。呪われた女があああ……!」
え?
姫山さんが怯えているのは鬼ではなくて、
(もしかして私?)
実は今更ながら、この私、仏以外にニックネームがある。
恥ずかしながら「呪われた女」だ。
時折あやかしと対話しているのが、とっても不気味に見えるらしい。
今年初めて同じクラスになった姫山さんも、きっと私の前評判は知っていたのだろう。
あやかしの見えない彼女にとって、今目の前で展開されているのは、謎に空中に浮いているクラスメイト。
(そりゃ、ホラー体験だよね……)
気持ちはわかるが腰を抜かしている場合じゃない。
あなたの敵は他にいて、今、照準を合わされている最中なんですよ、と訴えたかった。
と、その時、まばゆい人工的な光が、歪な空気を一瞬で変えた。
「どうしましたー? 何かありましたかー」
聞き覚えのある声と共に、見慣れた姿の人物が現れる。
隣に住んでいる警察官のおじさんだ。
パトロール中らしく、懐中電灯をこっちに向けながら近づいて来る。
「助けてっ。おまわりさんっ!」
姫山さんが立ち上がり脱兎のごとくおじさんの背後へと回り込む。
「おやおや、高校生がこんな時間に……あれ、どうしたんだい、君、血がっ」
「そんなことより、ほらっ。あれっ!!!!」
姫山さんが指をさし、おじさんはやっと私に気づいたらしく。
「日和ちゃん? はっ」
浮いた体に絶句している。
「お、おじさん、あのね、これには深いわけが」
あたふたする私。
「邪魔が入ったな」
鬼の声が聞こえ、ゆっくりと体が地面に降ろされた。
「なかなか面白い時間だった。お前の恐怖も、そして的外れな使命感も俺にはとても珍しく……そして好ましいものだった」
そう言われ、顔をあげると、男はニッと笑いかけてきた。
あまりにも……美しい笑みに、言葉をなくす。
何か憑き物が落ちたかのような、シンメトリーな、どこか人懐っこさを感じられる笑顔。
「俺の名は紫苑。また会おう。詠門市の仏、日々野日和」
どん、と大きな音がして、次の瞬間、彼は目の前から消えた。
「えっ?」
見ると、夜空に小さくなっていく彼が見える。
(空を飛んだ……)
どくん、どくん、と心臓の音が激しくなる。
目にも止まらぬスピード、そして迫力。全てにおいて、圧倒的で、彼が自他ともに認めるあやかしの王、鬼なのだと改めて思わされた。
「はあああ……」
へなへなと全身の力が抜け、私は空を見上げたまま、その場にへたりこむ。
感動屋としては、ものすごいものを見た興奮は当然あるものの、安堵も大きい。
恐ろしい鬼と対峙して、ずっと気を張っていた。
「おまわりさん。あの女を逮捕して! そして牢屋に閉じ込めて!」
背後から姫山さんの声がした。
(……そうだった。この問題が残ってた)
小さくため息をつくと、できるだけ安心してもらえるよう笑顔を作って振り向いた瞬間、
メキメキと鈍い音がして、桜の木がだん、と倒れた。
「ひっ」
それは、姫山さんの体をかすめるようにして地面へとめり込む。
きっと、さっきの鬼――紫苑のせいだ。
最初は血祭りにあげてやる、と言ってたくらいだから、これでも譲歩した方なのだろう。
それにしても。
(……くっ。余計なことをっ)
私は唇を噛み締めた。
「いやあああ。殺されるう! おまわりさん。助けて!!」
姫山さんが悲鳴をあげておじさんにしがみついている。
おじさんは、どうどう、と彼女をなだめながら、腰を落とし猫なで声で言った。
「日和ちゃん、君がいい子だって事はおじさんが一番知ってる。おじさんは何があっても君の味方だ。だからね、ゆっくり手をあげて、こっちへ歩いてきてくれるかな……」
ナチュラルに猛獣扱いのおじさんに、私は深いため息をついた。




