第6話:騎士の登場
正式な錬金術師となって一か月が過ぎた頃、リナは医療棟で初めての単独治療を任されていた。王国第二位の地位は伊達ではなく、複雑な症例も彼女一人で対処できるまでになっていた。
「すみません、急患です」
慌てた様子の従者が医療棟に駆け込んできた。その後に続いて現れたのは、一人の若い騎士だった。
黒髪に青い瞳、整った顔立ちに意志の強さが宿っている。しかし、その左腕からは血が流れ、顔色も青白かった。
「どうされました?」
リナが駆け寄ると、騎士は苦笑いを浮かべた。
「訓練中の事故です。魔獣の牙で……」
「魔獣の牙?」
リナの表情が引き締まった。魔獣の牙による傷は、単なる外傷では済まない。毒や呪いが込められている場合が多く、適切な処置が必要だった。
「こちらへ」
治療台に騎士を案内したリナは、まず傷の状態を確認した。深い裂傷から黒ずんだ血が流れ、周囲の皮膚が異常に腫れている。
「毒が回り始めています。すぐに治療を」
「よろしくお願いします」
騎士は痛みを堪えながらも、礼儀正しく頭を下げた。その誠実そうな態度に、リナは好感を抱いた。
「少し痛みますが、我慢してください」
リナは傷口を清拭しながら、毒の種類を特定していく。彼女の直感鑑定が、魔獣の正体を告げていた。
「『鋼牙狼』の毒ですね。筋肉を麻痺させる毒です」
「さすがですね。正確な診断だ」
騎士の声に感心の色が滲んでいた。
「お名前は?」
「セドリックです。宮廷近衛騎士を務めております」
「セドリック様」
リナは解毒薬を調合しながら、患者との会話を続けた。緊張をほぐすことも治療の一環だった。
「近衛騎士でいらっしゃるなら、お忙しいでしょう」
「ええ。でも、こうして怪我をすれば、どうしても医療棟のお世話になります」
「申し訳ありません。痛くありませんか?」
「全然。むしろ、丁寧に治療していただいて感謝しています」
セドリックの誠実な返答に、リナの頬が僅かに赤く染まった。宮廷の人間は皆、錬金術師を道具のように扱うことが多い中、こんなに礼儀正しい人がいるとは思わなかった。
「解毒薬ができました」
淡い緑色の液体を傷口に塗布すると、腫れが目に見えて引いていく。
「すごい。痛みも和らいできました」
「毒が中和されました。あとは傷の治療です」
リナは治癒薬を調合し始めた。彼女の手際の良さに、セドリックは見入っていた。
「錬金術師の方は皆、こんなに器用なんですか?」
「いえ、人それぞれです」
「では、あなたは特別に優秀なんですね」
素直な賞賛の言葉に、リナは困惑した。
「そんなことは……」
「いえ、本当です。これまで多くの錬金術師にお世話になりましたが、これほど丁寧で確実な治療は初めてです」
治癒薬を傷口に塗り、包帯を巻きながら、リナは胸の鼓動が早くなるのを感じていた。セドリックの真摯な眼差しが、何故か心を乱した。
「完了です」
「ありがとうございました」
セドリックが立ち上がろうとした時、包帯が僅かにずれた。リナは慌てて手を伸ばし、包帯を直そうとする。
その瞬間、二人の手が触れ合った。
「あっ」
リナの頬が真っ赤に染まった。セドリックもまた、驚いたような表情を浮かべている。
「す、すみません」
「いえ、こちらこそ」
気まずい沈黙が流れる中、セドリックが口を開いた。
「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「リナ=ヴァルメリアです」
「リナ様」
名前を呼ぶセドリックの声が、何故か特別に響いた。
「もしよろしければ、治療のお礼をさせていただきたいのですが」
「お礼などは……」
「いえ、ぜひ。今度お時間のある時に、お食事でもいかがでしょうか」
リナの心臓が激しく鼓動した。騎士からの誘いなど、農家出身の自分には不釣り合いに思えた。
「でも、私なんかが……」
「あなたなんかではありません」
セドリックの声に力がこもった。
「あなたは素晴らしい錬金術師で、心優しい女性です」
その言葉に、リナの胸が温かくなった。
「……ありがとうございます」
「では、お返事は?」
「はい。お時間をいただければ」
セドリックの顔に安堵の笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます。後日、改めてご連絡いたします」
騎士が去った後、リナは一人治療室に残っていた。まだ頬が熱く、胸の奥が騒ついている。
「あの人……」
セドリックの誠実な笑顔が脳裏に浮かんだ。今まで感じたことのない、不思議な感情が心を満たしていた。
「これって、もしかして……」
十八歳のリナは、生まれて初めて恋愛感情を抱いたことにようやく気づいた。錬金術師として順調に歩んできた人生に、新たな彩りが加わった瞬間だった。
夕方、宿舎に戻る途中、リナは空を見上げた。いつもより夕焼けが美しく見えるのは、きっと気のせいではない。
明日からも医療棟での仕事は続く。しかし、今日の出会いが彼女の人生を大きく変えることになるとは、この時のリナには想像もできなかった。
運命の歯車は、静かに動き始めていた。




