第5話:昇格試験
十八歳の春、リナにとって人生の転機となる日がやってきた。宮廷錬金術師への正式昇格試験。三年間の見習い期間を経て、ついに本物の錬金術師になれるかどうかが決まる重要な試験だった。
試験会場となった大講堂は、厳粛な空気に包まれていた。高い天井から吊り下げられたシャンデリアの光が、受験者たちの緊張した表情を照らし出している。
「受験者は十二名。合格者は例年三名程度だ」
試験官の一人が淡々と告げる。リナの隣に座るマルセルも、普段の余裕ぶった表情を失っていた。
「第一次試験、筆記から開始する」
配られた問題用紙を見て、リナは安堵のため息をついた。薬草学、鉱物学、魔力理論。どれも彼女が得意とする分野だった。
ペンを走らせながら、リナは過去三年間を振り返った。最初は場違いだと思われた農家出身の少女が、ここまで来ることができた。すべてはヴィクトル師匠の厳しくも的確な指導のおかげだった。
「時間だ。筆記用具を置け」
二時間の筆記試験が終了すると、すぐに実技試験の準備が始まった。
「課題は『万能解毒薬』の調合だ。制限時間は一時間」
会場に緊張が走った。万能解毒薬は最も難易度の高い調合の一つで、わずかな配合ミスでも毒薬に変わってしまう危険な代物だった。
「使用できる材料は、こちらに用意したもののみ」
長机の上には、数十種類の薬草と鉱物が並べられていた。しかし、その中には意図的に劣化したものや、類似品が混ぜられている。正確な材料選択も試験の一部なのだ。
「開始」
受験者たちが一斉に材料選択を始める中、リナは静かに目を閉じた。直感鑑定の能力を最大限に集中させ、一つ一つの材料の状態を確認していく。
「『龍胆の根』は新鮮、『月光石』は純度が高い、『星影草』は……古い」
心の中で呟きながら、最適な材料を慎重に選別していく。他の受験者が慌ただしく材料を集めている間、リナは時間をかけて確実な選択を行った。
「あいつ、まだ材料選びをしてる」
「時間が足りなくなるぞ」
周囲から心配する声が聞こえたが、リナは意に介さなかった。基盤が重要なのは、祖母から教わった鉄則だった。
十五分かけて材料を選び終えると、今度は調合に取りかかった。万能解毒薬の成功の鍵は、魔力の注入タイミング。早すぎても遅すぎても失敗する、絶妙な感覚が要求される。
「今だ」
リナの手に青白い光が宿った。魔力が材料に浸透し、化学反応を引き起こしていく。薬鍋の中で色とりどりの液体が渦を巻き、徐々に美しい金色に変化していく。
隣でマルセルが焦っているのが見えた。彼の薬鍋からは黒い煙が上がっている。明らかに失敗だった。
「時間だ。手を止めろ」
リナは完成した薬液を小瓶に注いだ。透明感のある金色の液体が、光を受けて宝石のように輝いている。
「では、品質検査を行う」
試験官たちが受験者の作品を一つずつ確認していく。大半の薬液は色が濁っていたり、異臭を放っていたりと、明らかに失敗作だった。
「受験者番号七番、リナ=ヴァルメリア」
呼ばれて前に出たリナは、自分の作品を試験官に手渡した。
「ほう」
試験官の一人が感嘆の声を上げた。
「見事な色だ。香りも申し分ない」
魔力を込めて品質を鑑定する試験官の表情が驚きに変わった。
「純度九十七パーセント。これは……」
「どうした」
主席試験官が確認すると、その顔にも驚愕が浮かんだ。
「信じられん。見習いの作品とは思えない完成度だ」
「師匠にも確認してもらおう」
呼ばれたヴィクトルが前に出て、リナの薬液を鑑定した。いつもの無表情だったが、その瞳の奥に満足の色が宿っているのを、リナは見逃さなかった。
「間違いない。最高級の万能解毒薬だ」
「これほどの技術を持つ見習いは初めて見る」
試験官たちが口々に賞賛を述べる中、他の受験者たちの視線がリナに集まった。羨望、嫉妬、そして畏怖の入り混じった複雑な感情が、会場の空気を重くしていく。
午後には面接試験が行われた。
「リナ=ヴァルメリア、錬金術師になる理由を述べよ」
「人々を病気や怪我から救いたいからです」
迷うことなく答えるリナに、面接官の一人が興味深そうに問いかけた。
「技術を極めることではなく、治療が目的か」
「技術は手段です。目的はあくまで人を救うこと」
「なるほど。では、もし治療以外の目的で技術を使うよう命じられたらどうする」
リナの脳裏に、記憶操作薬の件が蘇った。あの時感じた複雑な思いが、再び胸を締めつける。
「……命令に従います。ですが、可能な限り人を傷つけない方法を探します」
「正直な答えだ」
面接官たちが満足そうに頷いた。
試験結果の発表は夕方だった。大講堂に集まった受験者と関係者たちの前で、主席試験官が厳かに告げた。
「今年度の合格者を発表する」
緊張で息を詰める受験者たち。
「受験者番号七番、リナ=ヴァルメリア。総合成績首席にて合格」
会場がどよめいた。首席合格は極めて稀で、それも圧倒的な差での合格だった。
「同時に、王国錬金術師ランキング第二位に認定する」
今度は会場が静寂に包まれた。見習いが直接第二位に認定されることなど、前例がない。
「おめでとう、リナ」
ヴィクトルが珍しく笑顔で近づいてきた。
「師匠のおかげです」
「いや、これはお前自身の才能と努力の成果だ」
しかし、周囲の視線は必ずしも祝福ばかりではなかった。不合格となったマルセルを筆頭に、多くの受験者が複雑な表情を浮かべている。
「農民上がりの分際で」
「コネでもあったのか」
陰口が聞こえてきたが、リナは気にしなかった。それよりも、これから正式な錬金術師として人々を救える喜びの方が大きかった。
その夜、宿舎で一人になったリナは、窓から見える星空を眺めていた。
「お祖母様、私、やりました」
故郷の祖母に報告するように呟く。三年前、不安と希望を胸に宮廷に来た少女は、今や王国第二位の錬金術師となった。
明日からは師匠との関係も変わる。見習いから同僚へ。より大きな責任を背負うことになるが、それでもリナの心は希望に満ちていた。
人を救うという目標に向かって、また新たな一歩を踏み出す準備はできていた。この昇格が、後に彼女を政治の渦に巻き込む原因となることも知らずに、十八歳のリナは未来への希望を抱いて眠りについた。
王国錬金術師としての新たな人生が、明日から始まる。




