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第4話:宮廷の暗部

十七歳になったリナは、宮廷錬金術師として着実に実力を積み重ねていた。見習いから正式な助手に昇格し、より重要な業務を任されるようになった彼女だったが、その分、宮廷の裏側も見えるようになっていた。


「リナ、これを調合してくれ」


ヴィクトルから渡された処方箋を見て、リナは首をかしげた。


「これは……強力な記憶操作薬ですね」


「そうだ。宮廷の命令だ」


師匠の表情は普段以上に厳しかった。記憶操作薬は本来、重篤な精神的外傷を負った患者の治療にのみ使用される特殊な薬である。


「患者の症状は?」


「患者ではない」


ヴィクトルの短い返答に、リナの心に不安が芽生えた。


「では、何のために?」


「余計なことは考えるな。調合するだけでいい」


しかし、リナの直感は警鐘を鳴らしていた。処方された成分の組み合わせは、記憶を消去するだけでなく、精神に深刻なダメージを与える可能性がある危険な配合だった。


工房で一人調合作業をしていると、廊下から会話が聞こえてきた。


「例の商人の件はどうなった?」


「記憶を消せば問題ない。宮廷の秘密を知りすぎた」


「確実にやれ。口封じは完璧にな」


声の主は、宮廷の重要な貴族たちだった。リナの手が震える。記憶操作薬は、秘密を知った者の口を封じるために使われるのか。


「これって、人を廃人にしてしまう……」


調合の手を止めたリナは、薬草を見つめながら考え込んだ。医療のための技術が、権力の道具として悪用されている現実。


「リナ」


背後からヴィクトルの声が響いた。振り返ると、師匠の鋭い視線が彼女を見つめている。


「どうした。手が止まっているが」


「あの……この薬は本当に必要なんですか?」


「必要だから作らせている」


「でも、この配合だと記憶を消すだけでなく……」


「分かっている」


ヴィクトルの冷徹な言葉に、リナは言葉を失った。


「師匠は、それでもいいとお思いなんですか」


「私の思いなど関係ない。宮廷の命令だ」


しかし、リナには師匠の表情の奥に、苦悩が隠れているのが見えた。きっとヴィクトルも、この状況を快く思っていない。それでも従わざるを得ない何かがある。


「錬金術師として、人を傷つける薬を作るのは……」


「甘いことを言うな」


師匠の声が厳しくなった。


「お前は宮廷錬金術師だ。個人の感情で判断することは許されない」


その日の夕方、リナは完成した記憶操作薬を手に、複雑な思いを抱いていた。透明な液体は美しく輝いているが、その中には恐ろしい力が秘められている。


「これが、宮廷錬金術師の現実なのね」


廊下を歩いていると、偶然にも薬が使用される場面に遭遇してしまった。地下の一室で、商人と思われる男性が椅子に縛り付けられていた。


「王国の鉱山開発の秘密を他国に漏らそうとした罪は重い」

宮廷の役人が冷然と告げる。


「そんな、私はただ商売を……」


「言い訳は聞かない。記憶を消去する」


リナが作った薬が、無理やり商人の口に注がれた。数分後、男の目は焦点を失い、虚ろな表情になっていた。


「完了だ。もう何も覚えていまい」


役人たちが去った後、リナは一人その場に立ち尽くしていた。自分が作った薬で、一人の人間が廃人同様にされてしまった現実を受け入れることができなかった。


「見てしまったな」


背後からヴィクトルが現れた。


「師匠……」


「これが宮廷の裏側だ。きれいごとだけでは済まない世界だ」


「こんなこと、間違っています」


「間違っている、か」


ヴィクトルは苦笑いを浮かべた。


「お前はまだ若い。世の中の複雑さを理解していない」


「でも、人を傷つけるために技術を使うなんて」


「では、どうすればよかった?秘密を漏らされ、国が危機に陥ることを黙って見ていろというのか?」

師匠の問いに、リナは答えることができなかった。


「正義とは、立場によって変わる。宮廷にとって正しいことが、個人にとって正しいとは限らない」

ヴィクトルは歩きながら続けた。


「だが、覚えておけ。こうした暗い側面に深入りしすぎるな。宮廷の闇を見過ぎれば、お前自身が闇に呑まれることになる」


「闇に呑まれる?」


「権力の論理に慣れすぎて、人としての感情を失うことだ」


その夜、リナは宿舎で一人考え込んでいた。憧れていた宮廷錬金術師の世界に、こんな暗い一面があるとは思わなかった。


「お祖母様なら、どうされたでしょうか」


窓の外の星空を見上げながら呟く。故郷の祖母は、常に人を救うために薬草を使っていた。決して人を傷つけるためではない。


翌朝、工房で他の見習いたちと顔を合わせた時、リナは彼らが昨日の出来事を知らないことに気づいた。宮廷の暗部は、選ばれた者しか知らない秘密だった。


「おはよう、リナ」


マルセルが普段通りの笑顔で挨拶してくる。


「おはよう」


表面的に応えながら、リナは思った。いつか彼も、宮廷の闇を知る日が来るのだろうか。その時、どんな選択をするのだろうか。


「今日も一日、頑張りましょう」


同じ見習いの少女が明るく言った。その無邪気な笑顔を見て、リナは複雑な思いを抱いた。

錬金術師として技術を極めることと、人としての良心を保つこと。その両立の難しさを、十七歳の少女は初めて知った。この経験は後に、彼女が権力の世界から離れ、本当の意味での医療に携わる道を選ぶ原点となるのだが、この時の彼女にはまだそれが分からなかった。


ただ、心の奥底で一つの決意が芽生えていた。どんな状況になっても、人を救うために技術を使い続けたい、と。


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