父と娘
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(やった……やらかしてしまった……)
イヴァンは書斎でひとり頭を抱えていた。
まだたった二歳の娘。その娘が誘拐され、保護した瞬間にイヴァンから出てきた言葉が「良くやった」だった。
よく考えればわかることだった。
新人の狩人や兵士、彼らが最初に「命」を奪ったとき、罪悪感や忌避感に苛まれて心が病むことがままある。
それを知っていながら、初めて「命」を、しかも「人の命」を奪ったであろう二歳の娘を、あろうことか「良くやった」と褒めちぎってしまったのだ。
フィーリアは、あれから二日間高熱を出して寝込んでいる。おそらく、魔力暴走のせいだけではないだろう。アンディから発見時の話を聞いた妻のクレアにも、泣きながら抗議と説教をされた。
それはそうだろう。幼い子の魔力暴走はよく聞く話だが、その際に他者が傷ついたり命を失う事態になった場合、後々でも当人がそれを知った時に、鬱状態になったり自家中毒を起こしてしまうことが多いのだそうだ。中にはそのまま食事も睡眠も取れず、衰弱して亡くなってしまう子もいるらしい。
悔やんでも悔やみきれないイヴァンだが、頭を抱えたままではいられない。仕事は待ってくれないのだ。
あの後アジトで一網打尽にした人身売買組織の連中を、モンユグレ公爵に引き渡しに行かなければならない。そのとき一緒に、今回の事件の報告書を出さなければいけないのだが、筆が進まないことこの上ない。
おそらく自分の愛娘が起こしたであろう魔力暴走の詳細を、イヴァンは公にはしたくなかった。
◆ sideフィーリア ◆
目が覚めた。喉はカラカラだしお腹はペコペコだ。
前にもこんなことあったなあ。あれはブランコから落ちて、前世を思い出したときだっけ。ならば今回は前前世でも思い出すのかと思ったが、さすがにそんなことはなかった。
「おはよう、フィー。喉は乾いてない?」
母様だ。うん、すごく乾いてる。お水飲みたい。
母様が差し出すリンゴ水を一気に飲み干した。いつもよりちょっと濃い目だ。美味しい。もっと。
二杯目をちびちび飲みながら、ぼんやりとあの日のことを思い返していた。ら、急に頭の中に生首の光景が蘇った。
…………あれ?
……不思議と、あの時のような嫌悪感がない。吐き気もしない。え?あんなグロい光景に、もう慣れちゃったってこと?
いや、まあ、生きていく上では喜ばしい順応なんだろうけど、ちょっとそれは人としてどうなのよ、と思わなくもない。自分の性格を疑ってしまう。
普通はPTSD?とか自家中毒?ってやつになってもおかしくないんだろうなあ。
今世はもちろん、前世も含め、人を殺したことはない。そして倫理観や道徳観が前世のままだから、人を殺すことへの忌避感は、まあある。ただ、今は罪悪感はあまりない。
サウデリア王国法では、領内で完結した事件に於いては、領主の権限の下、領内で裁くことができる。
殺人や誘拐などは、捕まればそのほとんどが極刑になる。その事件の中で自分や家族を守るために犯人を殺したとしても、それはほとんどの場合お咎めなしだ。
ましてや被害者が貴族で、平民の犯人を返り討ちにした、なんて、賞賛されこそすれ何の咎も受けることはない。
頭では理解してるけど、よくこの二歳の体でそのストレスに耐えてるなあ。何しろ、朧気ではあるがあの時の状況を覚えていて、最後ははっきりと生首でフィニッシュしてるのだ。
頭の中の一部に、パニックに飲み込まれずに状況を見ていた部分があったみたいで、だから、あの誘拐犯たちも自分が殺したのだとはっきり自覚できている。
今回の事の顛末は、どこまで判明してるのだろうか。一緒に拐われていた二人の子供や、アジトにいたはずの他の被害者も気になる。
……これ、自分の今後のためにも、父様にあったこと全部話して、善後策考えたほうがいいのかなあ。でも、あれだけ魔力が強いと、化け物扱いされないかな。
たとえ化け物扱いされたとしても、少なくともジョナ兄は庇ってくれるだろうし、これまで受けてきた家族の愛情は疑いたくないなあ。
立ち回りは難しくなるだろうけど、話すしかないかあ。
……とりあえず今は飲んで食べて寝よう。疲れた。




