最初の事件 -05-
アビレーの港湾に面した駐車場に止めた車のドアを押し開けたバンデーラを、連絡船を移した桟橋への導線上に立ったマニャーニが出迎えた。
互いのサングラスで目元は見えないが、彼が不機嫌なことはすぐに知れた。
だからバンデーラは、マニャーニが口を開くより先にもう、状況を訊いていた。
「それで?」
「現場を仕切り始めてます。ハッチンソンがやりにくいと…――」
「――諜報特務庁?」
口から漏れ出たボヤキを遮られる形となったマニャーニが、肩をすくめて応じる。……ハッチンソンは科学分析班の技術分析官だ。
「……そのようです」
準州情報コミュニティー(アイブリーの情報共有体制)を構成する4つの組織の中で、警備警察局の問い合わせを撥ね付けてくるような組織は〈諜報特務庁〉しかない。
要求はしてきてもこちらからの問いかけには〝だんまりを決め込む〟という不愉快なやり口は、当にIISO的といえた。
ふん、と鼻を鳴らしたバンデーラは、マニャーニを従え、利用客を遠ざけた桟橋へと入っていく。
舫で繋がれた船体に架けられたタラップの上で〝明るめの黒い肌〟の美女が、あれこれと指差しを交えながら指図を飛ばしていた。船上のハッチンソンが、迷惑そうな表情で応対している。
「彼女ね?」
「……です」
マニャーニの返答を待つこともなく、バンデーラはタラップの上の女に近付いて行った。
最初の一言を投げかける。
「どうも」
ソバージュの黒髪の下の鼻筋の通った整った顔が、あら、というふうにバンデーラを向く。39歳のバンデーラより少し年少か。
「ジェンマ・バンデーラ監督特別捜査官よ。それで貴女はいったい誰かしら?」
バンデーラは握手を求めずに自己紹介をし、単刀直入に素姓を質した。
その好意的でない物言いに何かを感じ取ったのか、女は柔らかい笑みを浮かべてみせ、右手を差し出してきた。
「IICから派遣されたジーン・ラッピンよ、よろしく。やっと会えたわね…――一日捜してたのよ」
言葉尻に滲んだ嫌味に反応することなく、バンデーラも差し出された右手を握り返す。
――IICから派遣ですって? よく言う……。
バンデーラは、ジーン・ラッピンの黒曜石を思わせる瞳を真っ直ぐ見返した。
「私の船に何の用?」
「あら、私たちは〝同じチーム〟のはずよ」
「その〝同じチーム〟というのはどのチームかしら?」
「難しい質問……ちょっと答えられないわ」
取り付く島もないとばかりに、ラッピンは肩をすくめてみせた。
そして、物腰は穏やかながら、もうこれ以上の会話の必要はないわね、といった表情で踵を返そうとする。代表府直轄の権威を笠に着るIISOのいつものやり口だ。
バンデーラは、ラッピンの視線が外れるよりも先に一歩距離を詰め、はっきりと申し伝えた。
「ジーンと言ったわね。私のオフィスに部局間の正式な協力依頼書を送ってちょうだい。そうすればご要望のコピーでも何でもお渡しできる…――」
ラッピンの形の良い眉の片方が微妙に上がった。
それでバンデーラは、彼女に正規の手続きに従う心算のないことを感じ取った。
バンデーラは胸の前で両腕を組んで続けた。
「――でなければこれ以上〝現場〟をかき回す前に、ここから出て行ってちょうだい。IISOの仕事は有事の非合法活動。平時の捜査権はPSIの領分よ。ルールは破らないで欲しいものね」
「ちょっと、そんな〝言い方〟はないわ」
遅ればせながらラッピンは、首を小さく振って〝敵意はないわ〟と笑顔を作って見せた。
だがバンデーラはその懐柔に乗ることなく、〝どうぞお引き取りを〟と、言葉にせずに表情で伝えた。
ほんの数秒、無言で対峙した二人だったが、周囲の〝風当たり〟もあってか、IISOのエージェントの方が折れた。
ラッピンは、〝いいわ、ここはいったん引き下がる〟と硬い笑みを浮かべると、周囲の作業員たちへ挨拶とばかりに両の手を大きく広げて一回りしてみせ、桟橋の出口へと向かうのだった。
その背を見送りながら、バンデーラは側らのマニャーニに低く言った。
「……後を尾けて」